2017年1月31日火曜日

教師として子どもの上にたつ存在だからこそ大切にしたい「思いやり」


今朝のバンコクは23度と肌寒いです。


朝からいろいろとがっかりすることがありつつも
1日を無事終えることができました。


1日のうちでいろいろ考えていましたが、
人間だからこそ
思いやりが大切だなって思うんです。



思いやりは言葉にすると簡単だけど、
相手の気持ちをギリギリまでズレなく
想像する必要があるから
難しいものなんですよね。


ルールの白と黒の間に
グレーの部分あって
その曖昧さが思いやりという糊で埋まる。



グレーの部分が緩みになるから
徹底しなければならないことは誰でも理解できる。
本当に良く理解できる。



それでも、正しい側も
ミスをした側も理解しあう。

お互いの価値観が
違うことを認め合って、
どちらが正解だなんて争わないで済むなら
それが一番良い解決方法だ。


そう進むような方法はないのか?
まずはそう考えてみること。


間違っていることがあるなら
そっと優しく諭してあげることも
上に立つ人の度量なんだと思います。



譲れる度量がある方
相手の気持ちになって
「そうだよな。わかるよ。わかるけどね。
 これこれこうなんじゃないかな?
 気を付けないとならんよね。わかるよね。」



って優しく諭してあげる。


子どもたちと接する教師だからこそ、
自分はそうするように気を付けています。





大岡裁きって素敵です。
日本人独特の感性の上に成り立つから。


白黒の裏にあるグレーをもって
酌量するわけです。


水戸黄門だっていきなり成敗しません。
まずは印籠を出して
ははーっという機会を与えるわけです。


上に立つものは
下にいるものがはむかえないことがわかっているはず。
はむかえるわけがない。
だからこそ
伝え方が大切になってくるわけです。



自分の言葉が
冷たい刃物を相手の頬に当てるように
ひんやりとしたものになっていないか。
自分で振り返ってみることが大切だと思います。


できるならひと肌のぬくもりを感じる
温かい言葉で伝えたいものです。


そのような人に
人は着いていきたくなる。


だから上に立つ者は
思いやりを行動原理にしたいものです。


テレビのニュースであれ
ネットであれ、
身近な人のことであれ、
人が思いやりを発揮している場面を
たくさん見聞きしたいものです。


人の思いやりで
人が笑顔になるような場面を。



きっと未来は思いやりが溢れている
って信じたいものですし
自分たちで創っていかなければならないですね。

2017年1月30日月曜日

仕事をするということは生きるということ


無駄なことに時間を使うことほど
むなしいことはない。


時として自分の行為は自分ではわからず、
無駄なことをしていることにすら気づけないもの。


数年後に振り返って気づくことがある。


ちっぽけな塵を発見して大騒ぎして
仕事をした気になってしまうことはよくある。
気を付けなければならない。


小さいことをわざわざ大きくして
騒ぐことで時間をつぶしてしまうことは
多いにあること。


自分の仕事の本質は何なのか。


自分の職場での存在意義を見出すことは
いったい何なんだろう。
立ち止まって自分に問いかける必要がある。


その行為がはたして
どんな生産性があるのか?



立ち止まって自分の行為を見つめてみる時間が必要です。
自分で見つめられないなら
他者が評価しないと。



仕事をしている人は
自分の行動を時給に換算してみることが大切。


自分がやっている行為には毎秒お金が発生している。


誰から給料をもらっているのか。
給料の大本に還元する仕事をしないと。


自分なら塾生と保護者。


コスト意識をもたないと。


今、自分は何を生み出しているのか
しっかり見つめる必要がある。


1日の最後に自分の行為を振り返り、
もらっている月給を30日で割り、
その1日の額以上の生産性のある仕事をしたのか?


本当はその額ぴったりでもいけない。
色々なコストがかかっているから。


そう自分に問いかけてみたら
自分の行為が正しいか否かは
自ずとわかるはず。



何のために今この職場についたのか。
誰のために働いているのか。



自分の仕事で誰か笑顔になっていたら最高だ。
逆に自分の仕事で誰かを傷つけ、
悲しませているとしたら・・・


人生は一度だけ。


働いているすべての人にとって
働く時間は長時間。


働く=生きる


ほぼイコールで成り立つ。


何に時間を使うのかが
すなわち生きるということだろう。



人を笑顔にするために働き、
両親から与えられた手と口を使いたい。


使いたくても使えない人もいます。
使えることを当たり前とは思ってはいけない。
当たり前だと思わず、良いことに使いたい。


せっかく使えるチャンスを手に入れても
人を悲しませるために
使ってはいけない。


そう自分に言い聞かせています。

タイでチャイニーズニューイヤー盛大な理由とマックが好きな理由


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チャイニーズニューイヤーが盛り上がる理由

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日曜は午前10時半ごろまで爆睡。

家族が田舎に行っていたんで、
頼まれていた
トースト専用オーブンを買いにロビンソンデパートへ。

ロビンソンデパート

デパート内はチャイニーズニューイヤーの装飾。


チャイニーズニューイヤーって何なんだろう。
旧正月とかなんとかおぼろげに知っていますが、
そもそもいったいなんでタイでこんなに盛大にやるんだろう。。。


中華系タイ人にとってすごく大切なのはわかりますが、
一般ピーポーにもかなりの浸透率。


それだけタイにおける華僑の人たちのパワーが
強いということでしょうか。


タイの企業でも有名どころは
華僑の人が多い印象がありますしね。


歴史的にもタイは中国とかかわりが強いでしょうし、
今でも中国との関係はかなり強いですから、
その影響もあるでしょう。


何よりも一番の要因は
タイの人がお祭り好きだからかな?


ショッピングセンターの人たちは
単純にそれに乗っかっているだけでしょうね。

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マックが好き

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タイのマック

昼ごはんは一人マック。


子どもの頃からマックが好きなんですよね。

やれ、
ジャンクフードだ。
チキンナゲットがどうこう。
コーラがどうこう。
塩がどうこう。


正直、そんな都市伝説か事実かわからないことは
全く無視で単純に好きなんで食べています。


幼少期に時々、買ってもらってうれしかった記憶が
ずっと残っているんでしょうね。


健康が云々言いはじめたら、
マックを否定的な人も
自分の食生活を振り返ってみたら
保存料まみれなんてことは
良くあることだと思うんですよね。


結局は自分が食べたいものを
節度をもって食べるのが良い。


そう考えています。


マックで食べながら、
席の隣にある通路を挟んで
子どもたちが何か工作のようなものをしていました。


わいわいガヤガヤ。


そんな雑然としているときこそ
読書が進みます。


タイを全身で感じながら、
中華を祝うショッピングセンターで
欧米マックを食べるお箸の国の和の人。


異国情緒あふれる読書でした。


2017年1月29日日曜日

自分の選んだ道を自分で正解にする生き方

土曜は午前中に塾で中1に授業。

夜はバンコク日本人学校の同期たちと飲み。
※このことは後半にて。


金曜は真夜中の3時ごろまで授業の準備をしていて
朝からちょっと疲労困憊でした。


授業はびしっと終え、
昼飯は塾の近くにある屋台。

バンコクの屋台


時々無性に食べたくなる肉です。

カオニヤオ


バンコク日本人学校の先生とは
午後8時に会う約束だったんで、
それまでは自由に家で過ごすことに。



久しぶりに運動靴を掃除。


といっても簡単に
消しゴムやティッシュに食器用洗剤を染み込ませて
軽く汚れを落とした程度。

オニツカタイガー

でも、こんなことくらいでも
靴への愛着は深まるものです。


手間をかけると愛着が増す。

やることをやったんで
流石に前日の夜更かしの疲れが溜まっていたんで
ちょっと午後寝。


夕方に平日のおなじみ
TOPS喫茶店で40Bカフェモカを飲みながら
1時間の読書。




20年度の同僚と21年度の同僚。
そして18年度の先輩1人の計4人。
午後8時からスタート。
濃密な時間を過ごせた。


飲み会といってもお酒は飲まない。
自分はコーラしか飲めない。。。


話をしながら自分の過去のことも思い出しました。


人生の岐路に立つとき、
行き先が正解かを知ってから進みたい。
そんな思いが昔あった気がします。

失敗は怖いから。


でも、人生に正解はなくて、
自分が選んだ道を
自分の力で正解にする。


そんな思いで人生の岐路を選んできました。



自分が人生で何をしたいのか。


行き先が正解かどうかわからないからこそ
最後に行きつくのは
自分は何をしたいのか。


他人からどう思われたいかなどの
表面的なことではなくて
他人からどう思われようと
自分がやりたいことは何なのか。


そこを見つめるように意識していました。



他人からどう見られるか。
それは自分の若いころに
邪魔で邪魔で仕方なかった行動原理でした。



どうしてそうなったんだろうと
振り返ったことがあるんですが、
親の教育と学校教育の影響が強かったと思います。



人と比べて・・・

人に迷惑かけず・・・

人がどう思うか・・・


そんなことを叩きこまれながら
大きくなってきたことが
どこか心の中にしこりのようになっていて
他人の目に心がとらわれていた自分がいました。


親が子に与える影響ってのは大きいなと
身を以て体感しているんで
自分も親として変な価値観を与えないように
気を付けています。



大学卒業の頃あたりから
そんなことから徐々に心が解放されてきたことも
話をしながら思い出されました。



さすがに眠気もありましたが、
もうちょっと話したいなという感じでの解散が
また良かったなと思います。


しかも、こんなに気を使うことなく
完全にリラックスして
話だけに集中しながら過ごせたのも
久しぶりでした。


当時はこんな会合を開ける間柄になるとは
想像もしていませんでした。
人生はどうなるかわからないもんです。



20年度に共に働き、
自分はTJブリッジを経営。

2人はバンコク日本人学校で頑張って、
1人はベトナムの方の日本人学校で頑張っています。


教育という分野では
みんな同じ。


自分も自分で選んだ道に
改めて覚悟をして
しっかり進んでいきたいと思った夜でした。


追記-------------------------------------

飲み会について
私のフェイスブックをのぞき見していた
管理職から指導の声があったとのこと。

馬鹿騒ぎしたわけではない。
静かで心が湧く熱い会。

外に出ることができず
独りで悩んでいる人を応援しに行くことは
悪いことなのか、正しいことなのか。

応援したいという人の思いを
受け入れる側は間違っているのか。

ため息しか出ません・・・。


人権。
「すべて国民は、個人として尊重される。
生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、
公共の福祉に反しない限り
立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」


パワーハラスメント。

「同じ職場で働く者に対して、
 職務上の地位や人間関係などの職場内での優位性を背景に、
業務の適正な範囲を超えて
精神的・身体的苦痛を与える
又は職場環境を悪化させる行為。」



そんな言葉がマスコミで飛び交っています。
乱用は良くないけど、
一線を越えてはいけないからこそ
大切にしたい言葉でもあります。
今回の指導は一線を越えている可能性もあります。


日本人学校で働くことができて本当に良かったな・・・
私の記憶の中では素敵な学校です。
教師も子どもも笑顔あふれる学校でした。



そう思える学校をつくるのは他でもなく
学校にいる先生たち。
正しい心をもつ先生たちでしょう。


学校は箱でしかなく
中身は自分たちで創るもの。


教師という職業の誇りを壊すのも教師であり、
その誇りを守るのも教師。


素敵な職業だと心から思えるためには
人間としての良心に従った行動が大切なんでしょうね。


無色であれ。
ではなく、
リッツカールトンホテルのように
理念を共通した人々が色を出し、
色を出す人を上が守り応援する。


そんな素敵な場所が
私が勤めていた学校でした。


懐かしい記憶が蘇ります。


・・・



仕事観を書きました。
読んでみてください。
働くこと=人生

2017年1月28日土曜日

個人の価値観を一致させることは不可能~朝まで生テレビに出演の堀江貴文氏が携帯をいじる件~

朝まで生テレビの放送中に堀江貴文さんが
スマホをいじっていたことに対して
批判があり、それに堀江さんが答えていて話題になっていました。


ツイッターはこんな感じです。





生放送中に携帯をいじっても良いかどうか
ということに最終的なジャッジを下すのって無理ですよね。



というのも堀江さんが述べているように
契約やルールが無いわけです。


無いんだから
後は個人の価値観に委ねられるわけですよね。


個人の価値観に正解も不正解も
ジャッジすることはできないわけです。


例えば、番組中に読書をしてはいけない
と契約がなくても読書はまずいなって思うかどうかは
個人の価値観になるわけです。


頭がシャキッとするからと
ガムを噛みながら番組に出て良いのか。
ルールが無いなら個人の価値観になってしまうわけです。


大人になると価値観というのは
ほぼ固まってしまっていて
それを変えることなんて難しい。


世の中の争いなんて
価値観が違う人同士が
自分の価値観が正しい
と主張することが原因になっていることが多いですよね。



番組中であれ、契約書に書いてなかったり
ルール化されていなかったりすれば
携帯をいじる人もいるんだなと
自分とは違う価値観の人を受け入れるしかありません。


ただ、それがおかしいだろ?
と声をあげる人がいるのも許されるべきで
その声に耳を傾ける人がいても良いし、
傾けない人がいても良いわけです。


価値観が違う人が一緒に暮らすのが社会。


だからどうしてもルールが必要になる。
番組がルールをつくればよいだけです。



議論している人たちが
議論の内容を深めるために
調べものをするのに携帯が有効だと認識していて
暗に認められているならOKじゃないでしょうか。


その暗黙の了解というのは
参加している人たちだけが知っていることだから
外部からとやかく言う必要はないのかなって感じます。



この一連の話題を見ていると
世の中の説明書が長く長くなるのがわかる気がします。


説明書に書いていないだろ?


と言う人が増えてきているから
予め書いておく必要が増えてきたんですね。


言わなくてもわかるでしょ?


は通用しない社会になってきているようですね。


価値観を完全に一致させるなんて不可能だし、
相手の価値観を変えさせることは困難。


争いが世の中から無くならないわけです。


高っ!パピコが超高級品・・・

バンコクの朝は肌寒いです。

早朝のバンコク




23℃のときはかなり寒い。

24℃のときはちょっと寒い。

25℃のときは涼しめ。


といった肌感覚があります。




息子が怖い話の本を朝から読んでいて
ぱっと思い出したアニメが
ハイスクールミステリー学園七不思議



小学生の頃だったかな。
塾に行く前に見ていた記憶があります。



人間の脳って不思議ですよね。
何でこんな記憶がパッと思い出されたのか。。。



誰か見ていた人いますか?
エンディングが怖いんですよね。


なんかピアノチックで
街の風景が赤白的な感じで
紙芝居風な・・・



お昼前は
どんなに忙しくてもTOPSの喫茶スペースへ。



アイスが売っている冷凍庫発見。


・・・。

タイでパピコ

2度見をしてしまいました。
高っ。


パピコは大好きで
日本の夏はよく食べていました。



懐かしい・・・
久しぶりに食べようかな。


と考えつつ通り過ぎました。
さすがに高過ぎです。



授業では本質を教えるよう心がけています。


ただ受け身で覚えるだけではダメなんです。


1気圧が1000hpa。
1㎠に1kgの物体をのせたときの圧力と等しい。


なんてテキストに書いてあって
それをそうなんですね。
って丸暗記してどうする?ということです。


本当に1㎠に1kgの重さがかかるようになっているのか
計算してみようという前のめりな勉強をするから
その過程で復習ができて記憶が定着する。


中1にはそんなことを指導しました。



興味ある人だけに解説

100pa=1hpa


1気圧=1000hpa=100000pa

1pa=1N/㎡

1気圧=100000N/㎡

1N=100g


10000000g/㎡

1㎡=10000㎠


10000000g÷10000㎠=1000g/㎠=1㎏/㎠


1㎠あたり1㎏
というわけです。




テキストはたった1行ですが、
小学生の学習内容を使えば
簡単に求めることができ、
より記憶に残るわけです。



勉強時間が大切なのではなく、
いかに本質を学んだかです。
忘れてもプロセスを習得していれば
自分で求めることができるんです。


しかもそのプロセスは
たいがい他でもいきます。



明日も指導があるので
そろそろ準備をします。


ではでは。

2017年1月27日金曜日

子どもの頃の夢をつかめる人~授業参観を見て~

今日は久しぶりにやってしまいました。
二度寝。



子どもを学校に送った後、
家に帰って朝ごはんを食べて
ベッドをしまおうと思ったとき、
魔が差して上に乗ってしまいました。



気が付いたら10時・・・。



のび太のような寝つき
我ながら驚きました。
そして反省も反省。


が、起きるとスッキリしてたのが幸い。



午後から息子の授業参観があるから
ただでさえ少ない時間。



その中でも同じ量の準備をしなければならないから
鬼のような集中力が発揮されました。



締切効果ってやつです。


だらだら仕事をするより、
いついつの何時までって決まっている方が
効率よく仕事できる。
身をもって体感しました。



どんなに忙しくても
自分の日課としている
TOPSスーパーの喫茶店へGO。



ここは貴重な読書時間なんで譲れません。



強制的に読書をして
自分の頭に栄養を入れる。


仕事をするだけではなく、
自分が成長する時間をとる。


果実は収穫するだけではいつか枯れ果てます。
収穫と同時に日々種を植え続ける。
将来の果実を手に入れるために。


するとなぜか、旧正月イベントなのか
みかんをもらいました。


陽気なオカマの店員さんが
踊りながらw
オカマの店員さんが陽気にダンスをしている。
まさにタイならでは。



授業参観のテーマは「未来への誓い」です。


子どもたち全員が各自の夢を発表。
そして、自分たちを育ててくれた親への感謝の歌と呼びかけ。


子どもたちの努力は伝わってきました。


4年生の頃あたりの自分を思い出しました。


私も夢をもっていました。
4年のころは覚えていないんですが、
小6のころは、
社長になりたい!
先生になりたい!
って夢をもっていました。


きっと参観していた保護者のみなさんも
それぞれ夢をもっていたことでしょう。


果たしてここに並ぶ何人がこの夢をつかむことができたんだろう。



人は夢をもつ。

夢をもつことはとっても大切だけど、
その夢をつかめる人は一握り。


途中で追うことを諦めてしまう人が多いからなんでしょうか。
それとも大人になるとは夢を諦めることなんでしょうか。



断捨離がブームになったけど、
夢を追うことも同じで
あれもこれもやりたいことをしていたら
夢をつかむことは難しいんですよね。


夢をつかむためには
自分の生活も断捨離して
夢とは必要のない行動を捨てる必要がある。


テレビも見たい。ネットもしたい。
夢もつかみたい。
それは無理。
捨てる覚悟です。


1人でも多くの子が夢をつかんでほしいです。


ちなみに授業参観の終わりのチャイムが鳴る前に
先生から感想を求められたので
子どもたちに伝えました。


授業でも過去・現在・未来についての話をしました。

あとでUPします。




夜仕事から帰って家に着いて
娘に読み聞かせ。


その後、
息子の音読を聞いていると、
「お父さん、感想言うのが上手だね。」
と褒めてくれました。


授業参観のラストの感想を聞いて
そう感じてくれたとのこと。


嬉しいもんです。


教師は感想を言うのも仕事。
急にあてられても
何かしら言うことができるのは
参観の仕方がそんな目線になっているからです。


教室内は校内ビデオ撮影禁止なんで
とっても残念ですが記憶の中にだけ。


本当は10年後に
実際のVTRを見せてあげたかったな・・・


決まりが大切なのはわかります。
でも、一度しかない人生において
何を大切にするかを
見失いたくはないなと感じます。


1人リラックスしながら
ブログを書きながら
頭を整理しています。



こう文章にしてみると
いろいろあった1日でした。



ついでにピコ太郎のPPAPが
他人によって商標登録されそうだとのこと。
思うことを書きました。基本怒りです。

PPAPが他人の商標登録に?!

2017年1月26日木曜日

PPAPの商標登録が他人に?!

タイにいてもネットのお陰で日本のニュースがリアルタイムで飛び込んでくる。



日本は素晴らしい国だとは思うけど、
こと個人においては
海千山千の人も多くいる。



当たり前。



性善説か性悪説かなんて関係なく、
必ず一定数の悪が存在するもの。



だからこそ、
人間は法でお互いの権利を守らないと
とんでもないことをしでかす人から
自分を守ることが難しくなる。




で、守るための法律にも関わらず、
それすらも悪用する人がいるなんて
人間の中にはどこまでも悪知恵を働かせる人がいて
いたちごっこの様なものになる。



ピコ太郎のPPAPなんて、
どう考えたって、
彼が生み出したものにも関わらず、
なぜか他人が商標登録を申請してて、
もし認められたら
無断に使用すると損害賠償請求ができるらしい。。。


そんなバカげた話があるか!?
この近代法治国家で。



善良な市民を守るためにある法律が
小賢しい人を守るために使用されてしまう。



人間だからこんな抜け穴があっても良いけど、
こうやってネット社会で気づいたからには
迅速に抜け穴を修復する必要がある。



穴の開いたパンツで
歩き続ける人はいない。



穴を縫うかどうか議論する。



そんな議論はいらない。
どう考えたって間違っているものは間違っている。


智に働くと行動が遅くなる。



PPAPの商標登録が他人にある。
そんなことはあってはならない。
いくら先に申請したからって
認められるわけがない。


日本はそんなことが許される国家であってほしくない・・・(;へ:)
後日⇒許されないことが判明。良かった良かった。



追伸:
特許庁のHPに記載がありました。
ピコ太郎大丈夫そうですが、
著名人でないと苦しそうです。

特許庁HP該当記事へ

仕事を芸術作品にする

ふぅーっ。

夜のバンコク


1日が今日も過ぎていきました。
あっという間でした。



やらなければならないこと、やるべきことは
山積みにあるけども
横目で見ながら過ごしているといった感があります。



でも、頭は横目で見ていても
確実にそのことを考えてはいるから
無駄なエネルギーを使っているんでしょうね。



結局は1つ1つしっかり処理をした方が
効率が良いんでしょう。



今日は何が言いたいかも特に決まっていないけど
とりあえず、何かしら書きながら考えています。



そんな日もあるわけです。



教師という仕事っていうのは
芸術に近い仕事なのかなって思っています。


教育というものを
芸術的な作品にまで高めることを
目指してやっていかなければならないんだと考えています。



単なる製品をつくっているイメージでは
いけないって自分でしばりをつけています。

そうしないと
なぁなぁに過ごしてしまいそうで。


もう10年以上教師をやっていると
正直、頭の中にすべて入っているんで
朝から何もしないで
夕方の授業に立っても
教えることができます。



テキストが手元になくても
子どものテキストを見たら指導できる状態です。


だからこそ、
芸術作品にするというしばりを
自分で設けているわけです。



例えるのが難しいんですが、
ポップなアイドル的な作品をつくるのか、
私が好きなチャゲアス的な作品をつくるのか
って違いです。
わかりづらいかな。。。



数十年後に
アイドル的な歌がずっと心に響いて残っている
とは思えないんです。


あくまで流行の一つの商品として
消費するイメージです。


チャゲアスは自分にとって
芸術作品なわけです。



だから、今でもSAYYESを聞くと
心をもっていかれるほど聴き入ることができるんです。



授業を消費的なポップなものにしてしまったら
結局は数年後には自分が教えたことなんて
何も残らないむなしいものになってしまいます。



ただ、数年、学習しなければならないことを
淡々とならいました。


家が近いから選びました。
授業料が他塾より安いから選びました。


ポップなことしかしていなければ
そのような大衆的消費財的な選ばれ方しかしないと思うんです。


ティッシュは安ければOK的な。


そうじゃなくて、
芸術的な存在であれば
わざわざ遠くても通ってくれる人が出るはず。

授業料は確かに他塾よりは
安いんですが、
もし仮に高くても来てくれるはずです。


小川先生でなければいけない。
という熱烈なファンができるような
独自性のある芸術作品的な塾にしたいわけです。



数年後、いや、大人になった子どもたちが
TJで学んだことは忘れることができない
というものを教えたいんです。



そんな思いで授業をしていると
自然と熱が入るわけです。


2時間経って、子どもたちが帰ったあと、
1人で茫然と椅子に座ってしまうわけです。


イメージは明日のジョーがリングサイドで
白くなっているような・・・


本当に頭が真っ白にしばらくなるわけです。



そして、おもむろに3階のバルコニーで
タバコを吸います。


前にも書きましたが1日5本くらいは吸います。
我が子、生徒には隠していますが。
変に憧れをもってもらいたくないし、
知らなくて良いことだと思うんで。


タバコを吸いながら
反省をするわけです。



振り返っていやぁ、まだまだだなと思ったり、
今日は最高に気持ちが良い授業ができたと
清々しかったり。


そんなことをしているわけです。


教室の消しゴムのカスなどを
箒ではきながら教室での出来事を思い出します。



ちょっと頭が働くようになってくるのが
この掃除の時。


家に帰ると
頭をしばらく使いたくないんです。



なので夜ごはんを食べるときは
バラエティー番組を見ながら食べます。



思考が停止して
ただただ受け身になれるからです。



このブログを書いているのも
イメージとしては
頭の中にあるぐるぐる回っている思考を
外に出す感じです。


ぶはぁーっと書き出すと
ちょっとスッキリしてきます。



こんなブログを最後まで読んでくださっている人は
いるのかな?なんて時々思いつつ・・・



読んでくださった方。
最後の最後まで特に何もありませんが
貴重な時間を使っていただき感謝。m(_ _)mです。



2017年1月24日火曜日

人生に生きる意味を見つけると彩りが変わる。

昔、1日の終わりにはっとすることがありました。
今日は何したっんだっけな?
 

思い出そうとすると断片的。


昨日と一昨日と
違いが少ないようで混ざったような感覚。


そんなことがサラリーマンになりたてのころ
あったことを思い出します。



そんなころ、
「指示待ち族」って言葉が流行っていました。



その言葉の通り、
指示をされないと動けない。


さらに悪いことには
指示されたこと以外はやらない。



そんなことを揶揄した言葉でした。



指示待ち族の気持ちは少しはわかります。
自分もサラリーマンを始めたころは
少なからず、似たような気持ちになったことが
あったからです。


出社前にタバコと珈琲で
ギリギリまで時間をつぶしたことも。


入口からオフィスに入るときは
とびっきりの明るい挨拶をしましたが^_^;


人はやる気が無いと
指示されたこと以上をやろうとしないものです。
やる気は「意味をもつ」ことから生まれる。



仕事に意味を見いだせないと
やる気が生まれないわけです。


 
仕事だけの話ではなく、
人生も同じで意味をもっていないと
時間がどんどん流れていくような感覚がありました。



人がテレビやお酒で空虚な時間をつぶすのも
何かしらの受け身の意味を見出したり、
そんな面倒なことから逃げるためなのかもしれません。
 


いずれにせよ、
空虚な時間は記憶に残りづらい。


自分も意味が希薄なときがあって、
だから1日の終わりに
はっとしたんだと思います。


  
人生の生きる意味を
自分なりに見つけて生きる。
そんなことで彩りが変わるんだと思います。



生きる意味。
なんか重い言葉ですが、
でも、1度しかない人生だから
そこから目をそむける方が怖いなって自分は思います。



1日1日、その意味を確かめながら
新しい意味が見つかることも
楽しみにしながら生きていこうって思います。


バンコクの朝
バンコクの朝、笑顔で働く人たちを見ながら
ちょっと考えていました。



あっ、お時間があれば
名言ブログもどうぞ。
似たようなことですが。
ただ時間が流れていっていると思う人へ
 

2017年1月23日月曜日

タイの排気ガスのやばさを証明する写真!排気ガスをマスクで防ぐことの大切さ

バンコクにお住まいのみなさん。




バンコクは車が本当に多いですよね。
総数で言えば、
日本の方が多いんでしょうが、
狭い地域に密集している度合では
圧倒的にバンコクでしょうね。



さらに悪いのが
排気ガス。


日本の様に車が整備されているわけではなく、
日本なら規制がかかりそうな
ディーゼルの真っ黒な排気ガスを
もくもくと吹き出すトラックやバスを見かけることしばしば。



今はタバコの受動喫煙だのが日本で話題になっていますが、
タイの排気ガスによる健康被害の方が
圧倒的に健康に悪いんじゃないかなって思います。



タイの排気ガスのやばさを証明する写真を2枚。


ここ2か月のマスクの汚れの写真です。

12月
タイの空気の汚れ

1月


どうですか?


写真だと伝わりづらいかな。


本当に薄く全体的に真っ黒になっています。


しかも、この黒さにはもっと恐ろしい真実があります。



このマスクの上には、
マスクカバーとして、
布のマスクをしていたんです。


こんなやつです。
同じものは見つかりませんでしたが
こんなマスクの上につけるやつです。



ということは、マスクに直接排気ガスが当たることは
なかったというわけです。


にも関わらず、この黒さ。。。


マスクをしていなければ
ダイレクトに肺に入ってきていたと思うと
恐ろしいものがあります。



このマスクだけでも隙間は少ないんですが、
上から布のマスクでさらに押さえつけているんで
隙間は確実になくなっているんで
マスク全体がしっかりフィルター機能をはたして
汚れたんだと思います。



市販の安いマスクを使っている人は気を付けてください!


息を吸ったら、確実に
一番空気が流れやすい隙間から空気が流れ込んでいて
マスクは全くフィルター効果を果たしていないんです。



見た目は悪いですが、
この写真のタイプのマスクを買った方が
肺には絶対に良いんです。



見た目をとるか、
フィルター機能をとるか。



ですね。


ちなみに私が使っている3Mのマスクはこちら
写真の通りけっこう防げているんでおすすめです。


2017年1月22日日曜日

隠れた自己愛、他者依存して生きない。

一度きりの人生だから好きなことを追求して
嫌いなことから逃げて生きてきたと前回書きました。
⇒1度きりの人生


そこで勘違いしてほしくないのは
嫌いなことをして生きている人を
否定しているわけではないということ。



もし否定されたと感じた人は、
自分の中に隠れた自分を否定する感覚があるんだと思います。



その感覚に正直になるか、
見ないふりをして
他者を否定するかで
大きく人生が変わるのでしょう。



自分の場合は
自分の心の奥底で
嫌だと感じていることに
正直に反応して行動してきました。




でも、責任ある立場になり、
誰かのために嫌いなことをしなければならない人も
いるのも今の社会では仕方がないこと。



が、「誰かのために」というのは
後付けの理由である場合は
気を付けなければならないんだと思います。




例えば、
自分以外の大人から言われた通り
型にはまった生き方をしてした。



でも、その型から抜け出す勇気がなかった。



気が付いたら家族ができて、
その型から完全に抜けることはできない
責任ある立場になった。



だから、「家族のため」という理由を
後付けで決めざるを得なかった。




でも、気を付けなければならないのは
「家族のため」としたとき、
自分以外の人のために生きているという事実です。



自己犠牲という素敵な精神なんですが、
それが行き過ぎてしまうと
愛情をかける相手に
依存しすぎてしまうことがあるからです。



自分の思い通りにならなかったとき
それが極端にストレスになることがあるはず。



「家族のため」という人は
こうあってほしいという幸せの家族の形が
自分の中にはあるはずです。



もしかすると、家族は自分の思い通りな生き方を
してくれない可能性だって十分ありえるわけです。



そんなとき、
一気に重い重いストレスを感じてしまうことになる。



自分の好きなことができなかった。


家族のためだから仕方がない。


その家族が自分の思い通りにならなかった。


そうなると生きる目的になっていたことが
一気に自分の存在を揺るがすものになるのです。



だからこそ、
自分の好きな事を自分のために
他人の迷惑にならない範囲で追求することは
他者に依存することを極力減らす生き方につながる
と考えているんです。



自分のために生きる。



個人主義なようですが、
冷血なものではありません。



自分の幸せが自立しているからこそ
他人に優しくなれるんです。


他人からの見返りは関係ないから。



他者依存している人は
愛情を他者に与えることが
自己愛を隠す形になっていることが多いんです。



例えば
子供のため!と言いながら、
自分が周囲から
しっかりした親だと思われたいという隠れた自己愛など。



途中途中違うことをしながら書いているんで
何を書いていたか
若干つながりが分からなくなってきてしまいましたが、
やりたくない仕事をしている人を
否定したいわけではないんです。



ただ、やりたくない仕事の目的を
「誰々のため」とスイッチしたとき、
その「誰々」は自分が思った通りの
見返りを返してくれないこともある。


そう覚悟しておくことも大切。



見返りを求めても
誰々のためと愛情を与えた側も
愛情を返さないといけない側も
お互いが苦しむことになる
可能性があるということ。



他者依存が根底にあると
苦しむことが多々あるわけです。


余計なお世話ですが、
余計なことを書くのがブログだということで。
バンコクの不思議な雲

週末の早朝バンコクに不思議な雲が。


一応パシャッ。
では。

2017年1月20日金曜日

メイドインジャパンの崩壊

自分はバンコクに住んでいます。



家の冷蔵庫を買い替えたいなと思い、
近くの家電店に行ってみて
ちょっと疑問に思ったことというか
不安に思ったことがあるんです。



日本製が少ないし、かっこ悪い・・・



これはちょっと衝撃的でした。



というのも、
電化製品と言えば日本。
メイドインジャパンは最高。



そんな時代を生きてきたから
今でもそんなイメージをもっていました。



でも、良く考えてみたら
ここバンコクに来てからの
ショッピングセンターなどで
家電製品を見ていてスルーしていたことが
最近、急に不安に思えてきたんです。



かっこいいなと思う冷蔵庫は
ほぼサムスンでした。
次がLGです。

サムスンに負ける日本製


東芝の冷蔵庫はカッコ悪いんです。



きっと性能は日本の方が良いんでしょう。
わかりませんが。


でも、見た目が圧倒的に
サムスンがかっこいいんです。



自分は韓国製の製品は第一候補から
落として考えることが多いんですが、
どうしてもサムスンの冷蔵庫が欲しい
という心から目をそむけることができないんです。



電化製品は日本製が良い。



そう思っていた自分がサムスンのデザインの良さに
改めて気づいて、
バンコクでの過去の記憶をたどると
日本製が少ない!という事実が思い出されるのです。



携帯電話も同じ。



アップル、サムスン、LG、・・・ソニー。



ギリギリソニーが頑張ってくれています。



日本の強みの1つの電化製品。
そんな時代は終わったんでしょうか。。。


自分はバンコクにいるから
そのような海外での状態に気づいたのかもしれません。


日本の中で生きていたら
日本製ばかりに囲まれて生きていることでしょう。



海外では日本製は減り続けているのかも。



そんな不安が頭をよぎります。


他の海外に住んでいる方はどうですか?
日本製は頑張っていますか?



日本の強みは車とカメラとアニメくらいでしょうか・・・

2017年1月19日木曜日

一度きりの人生

自分の座右の銘は
「人生一度きり」
です。



私の尊敬する母の兄の死をきっかけに
この言葉は私の心の中に強く強く
熱量をもって息づいています。



その熱量が
今、日本を離れてタイで生きることにつながり、
営業職を辞めて教師になった人生につながっています。



人生一度きり



そんなことは当たり前ですが、
私にとっては当たり前ではなく、
昔は知っていながらも
知らないかのように行動していました。



この言葉を座右の銘にしてからは
出来る限り後悔の少ない人生を歩みたいと思い、
自分がやりたいことを追求するために、
自分がやりたくないことから前向きに逃げて、
人生の色を濃くしていったと思います。



ふと夜になりそんなことを思い出して
ちょっと書いてみました。


自分がやりたいことができている今。


でも、そのやりたいことの中でも
まだまだやりたいことが溢れてきます。


もっともっと子供を伸ばすことができるはず。

もっともっと子供の人生にプラスの影響を
与えることができるはず。

もっともっと保護者の人たちに
子供を育てることへの役に立つ情報を
提供できるはず。


教育以外にもやりたいことはあります。


人生は一度きりか・・・


残念にも思うけど、
二度あったら
ついついなぁなぁになってしまう自分が出てくるだろう。
今でも出てきてしまうんだから。



そんなことを机の上のサボテンを見つつ考える夜でした。

わが家のサボテン


2017年1月18日水曜日

ターミネーターが実現する未来


2017年1月現在に最新のロボット技術の動画です。



これを見てどんな感想をもちましたか?



正直な感想は・・・怖い。



人間の機能を越えた仕事をしてくれることが期待され、
とっても人類の未来の役に立つことは
重々承知しています。



でも、技術というのは
必ず悪用する人が出てくるのが世の常


インターネットだって
すぐに悪用する人が出ました。


この技術が悪用されないという保証は全くありません。


ターミネーターを見て育ったから考えすぎてしまうんでしょうか。
どうもあのカクカクした動きが
初代ターミネーターを連想してしまいます。


戦争で使われるなんてことが
無いとは言い切れませんよね?



2017年現在では
この動画を見て、変な動きだな・・・
なんて言ってるレベルですが、
10年後だったら発言は完全に変わっているはず。


もっとスムーズな動きのロボットが
何かしらの分野で実用されているでしょう。
私たちが今想像もできないほど
スムーズに動いているんでしょうね。



普通にオリンピック選手以上の速さで
ダッシュしているかもしれませんね。。。


この技術が善に使われていることを
心から願っています。


ターミネーター


え?妄想し過ぎ?


いやいや、
工事用にダイナマイトを発明したノーベルも
まさかここまで戦争で当たり前に使われているとは
思わなかったでしょう。



10年後、20年後、
ターミネーターでないことを・・・。

2017年1月17日火曜日

負の感情をコントロールする

バンコクの朝日

バンコクの朝日。


清々しく、心が穏やかになる。
眩しい光にパワーをもらえるような。


晴れれば気持ちも晴れる。
曇れば気持ちも曇る。


自分ではどうしようもない天候でも
自分の気持ちが乱される。


教師をしていて大切だと思うことは
自分の感情をコントロールすること。


子供でも大人でも
これには差はなく、
どれだけ自分の心と向き合っているか
大きく変わってくる。



怒りの感情に支配されて、
冷静さを失う大人は多くいる。



恐怖に襲われて
冷静さを失う大人は多くいる。



どんな良いことをしていても
どんなにお金持ちでも
どんなにかっこよくきめていても
感情に支配されている人を見ると
心の底から尊敬することはできない。



付き合うことはできても
心を完全に許して開くことができない。


どこかで距離を置いて
付き合う必要がでてくる。
すぐ浮き沈みする感情は身近な他人の感情も乱すもの。



自分は感情をコントロールできる人でありたい。


クールに生きるとうこととは違う。


プラスの感情は自由に感じて
心、体を揺さぶられても良いと思うが、
マイナスの感情に揺さぶられ、
完全に我を失っている状態は見ていて悲しい。



自分も40代を迎えるにあたって、
だいぶ自分の感情をコントロールすることが
できるようになった。


でも、まだまだ
負の感情に負けそうなことは多々ある。
負けているときもある。


特に幼少期から染みついている
他者からどうみられるか
という視点は良い面に働くこともあるけど
負に働くことも多々あって、
そこはまだ課題だと感じている。


1日が終わり、
自分を振り返ると
まだまだ肩の力が抜けていないなと
反省しきりだ。


1日1日自分と向き合って
少しずつ少しずつ
緩めていくことを続けていく。


明日も頑張ろう。

2017年1月16日月曜日

格闘技者必読の書【ヒクソン・グレイシー無敗の法則】

家族は知人たちと旅行。

自分は仕事があったので残って久しぶりの独身貴族。


スターバックスへ行ってがっつり趣味の読書です。

ヒクソン・グレイシー無敗の法則


教育関係の本を読むことが多いんですが、
写真を見ていただければお分かりの通りのマニアックな本(^^;





グレイシー柔術って言葉を知っている人なら
必ず知っている人物がヒクソンです!



ぐっさんも物まねしていたくらい有名でしたからねw


自分が空手を現役でやっていたころ
友達とグレイシー旋風を目の当たりにして、
伝統空手から気持ちが一気に離れました。


サンドバックを買って公園につるしてけりこんだ日々。

高校の休み時間に掌底ありでスパーリングした日々。

友達の家で寝技の練習をした日々。


それくらい衝撃をうけました。


そこからずっとグレイシーは興味があったのですが、
その最高峰がヒクソン


当時のヒクソンは神がかりに強くて
寝技に引き込まれたらほぼヒクソンの勝ちで試合が終わったなぁといった
絶望感が生まれるほどの柔術家でした。


なんせ400戦無敗ですよ。
本当か知りませんが(^^;


私が高校の頃から大学の頃も
ずっと400戦無敗のまま変わらないんですよ。
・・・。あれ?
まぁ、数字が何も変わらないくらい最強なんです^_^;


第一線から退いたのちに出した書籍。
実は1度全部読んだのですが今回は再読です。


さすがヒクソンだなぁという
かなり精神的に深い部分を語ってくれます。


私のようにただの格闘技ファンではなく、
実際に格闘技経験があって、
体ではなく精神的な面を高めたい人は一読すべきですね。


勝ちにいっていたのではないのです。
負けないようにしていたのです。

この発想の転換が実は大切ですよね。


このブログを読んでいる方で
ヒクソン読みたい人はいますかね・・・^_^;
        ⇒興味がある方はこちら


格闘技者だけではなく、
プレッシャーの中で戦うビジネスマンが読んでも
うなずける部分は多々ありますよ。


しばらく読書をしていると
ずいぶん理解できる子供の声が・・



日本人の子どもが2人で
タブレットをしていました。


「お母さん遅いな・・・」


とつぶやき続けていたんで
流石に気になって集中できませんでした。


自分の集中力もまだまだと反省しつつ、
お母さんがいない状況だから
気にしてあげておくのも大切かなと。



ここは海外ですからね。
海外で小さい子供2人を残して、
20分以上もいない状況をつくるのはいかがなものかな・・・


夜飯も1人だったんで気楽にこんな感じで75B。
カオニアオガイヤーン


本当に食にこだわりはないんでこれで大満足。


ちびちびと味わいながら食べました。

2017年1月15日日曜日

生き方は自由なんだよ。


タイの街中で見かけた野良犬

タイの野良犬


すっごく気持ちよさそうにしていますよね。

チラっとこっちを見て、
「何かよう?どこで寝ようが勝手でしょ?」
と言っているようです。



長くバンコクに住んでいると
野良犬が寝ていることが当たり前の風景になってきます。




が、よくよく考えてみると
日本ではありえませんよね。




野良犬がいることが良い悪いかと言えば、
本来はいない方が人間にとっては安全です。



でも、それは人間側の都合で
野良犬からしてみたらよい迷惑です。



自由。



タイの野良犬を見て感じることです。


日本では野良犬は保健所行きです。


そして処分されます。


日本では犬は生き方を決められていて、
その生き方から外れてはいけないんですよね。



外れた犬は生きていけないんです。



タイの野良犬を見ていると
肩の力が抜けるのはここにある気がしています。



生き方は自由でいいんだよ。



そんなことを寝ながらつぶやいているように見えてきました。

バンコク(タイ)は電子タバコ輸入・所持禁止?


私は煙草が大っ嫌いでした。
父親がヘビースモーカーで
食事中も空気清浄器を付けながらスパスパ。



自分は絶対に吸わないと思っていましたが、
成人式で友達から勧められ、
ジッポまでもらったことをきっかけに
吸うようになりました。



一度数年禁煙もしていたのですが、
自分の判断で再び吸うようになりました。



1日5本くらいかな?



別に吸わないと我慢できないというタイプの人ではないんです。



ニコチン中毒の人は
珈琲を飲んだらタバコ!
となりますが、
自分は吸わないなら吸わないで全く大丈夫なんです。



ただただ、
気持ちを切り替えたいときに吸う
という目的です。



知人にも吸うか吸わないかを
コントロールできるなんて
かなり珍しいと言われますし、
自分でも長年吸っていても
このスタンスは変わらないんで不思議なものです。



でも、最近は40歳も近づいてきたんで
健康のことも多少は考えるようになりました。



バンコクで販売しているタバコは
日本と違って、ニコチン、タールの数字表示がありません。


さらに、ニコチン、タール量が多い、
いわゆる重いものが多いんです。
ちょっとそこが気になっているところです。


そんなとき、電子タバコの記事を目にしました。


昔は電子タバコと言えば、
禁煙パイポの延長線上かな?程度に考えていて
ぜんぜん興味がありませんでした。


が、今は相当に変わってきているようでびっくり・・・


おしゃれになっていて、
しかも水蒸気の煙がしっかり出るそうです。
カートリッジを変えれば
色々な香りと味を楽しめるとのこと。


自分は気分転換をしたいときに
きっかけとして利用したいだけなんで、
ニコチンが無い電子タバコで
全く問題ありません。


アマゾンで購入ボタンを押す一歩手前まできていました。


が、その前にバンコクで売っているのかな?
とネットで調べてみると・・・


タイ・バンコクは
電子タバコの持ち込み・販売が禁止


との情報が・・・



せっかく調べに調べたのに
最後の最後でこんな結果に。



大きなため息が出るばかりです。
はぁ。


この気持ちの高まりを消化しきれずに
今ブログに書いているというわけです^_^;


いったいぜんたい
どうしてなんでしょう。
理由が全くわかりません。


体に悪いとされているタバコが販売されて、
害が無いと言われている電子タバコが禁止とは・・・


どう考えても「?」マークが消えません。


さらに、バンコクの街中で
電子タバコを吸っている人を
時々見かけることもあります。


まぁ、バンコクで生活していると
こんな「?」マークはかわいいものです。


ここバンコクでは
多くの「?」を抱えながら生きていくしかないわけです。


関連する記事
古館がさんまにプレゼントしたビタミン入り電子タバコ


最終的に禁煙しました。
その記事です。
我流でも有効な禁煙方法

2017年1月13日金曜日

安楽死を望むということ

安楽死


安楽死の話題がテレビでやっていました。




これは誰もが一度は考えたことがあるんじゃないかな・・・


とっても重い話題だけど
誰もが経験する、
いや、しなければならない「」だから。



まず、安楽死に賛成か反対か。
自分は賛成です。


だからといって
反対する人の気持ちがわからないわけではないし、
簡単に二元論で語れない話題だとも知っています。



が、こと自分の「死」に関しては賛成なんです。



安楽死否定派の人たちの意見の中に
「おばあちゃんとと少しでも長くいたい。」
というものがあった。



私の家族もそういう意見があるかもしれない。



もちろん、残っている人の気持ちはありがたいし、
できるものなら残っている人の望み通りに生きれたらとは思います。


が、自分の人生の終わり方は自分で決めたいんです。


自分の人生の終わり方を
自分でコントロールできないことに
とても恐怖を感じるんです。


延命の治療をストップは
医者が勝手にすることはできません。



家族の意思が必要なんですよね。


もし、家族が見殺しにするのは嫌だ!
という思いから延命処置を希望したら
病院では当たり前に延命治療になってしまいます。



私が意識不明になってしまえば、
私は医者に意志を伝えることができないので
ずっと延命されます。
どんなに生前に安楽死の意思をもっていても。



延命処置をストップして死に至るのも実は怖いです。
苦痛を伴う可能性があるからです。



可能であれば、薬の投与などで
苦しまずに死なせてほしいです。



明確な意思表示の1つの手段として
家族の人へ残しておきたい
私の強い思いをブログに書きました。



こんな重い話は・・・って
読んでいて感じた人もいるかもしれません。



が、誰もが心の準備は
しておいても損はないことだと思います。



延命処置しか生きる手段がなくなってしまい、
さらに私の意識がなく、
意思の疎通ができなくなってしまったら、
見殺しにしたなんて思わないで
心の底から安楽死を希望します。



自分のブログに残しておきますが、
この意見も発見してもらえるかわかりません。



私を知っている方で
誰でも構わないんで
そんなことを小川一樹が言っていたなと
頭の片隅に入れておいてくれたらうれしいです。



そして、万が一のことがあったら、
右下のブログ内検索で
「安楽死」と入力して
家族にこの記事の存在を知らせてください。



よろしくお願いします。
まだまだまだまだ健康ですがw
転ばぬ先の杖です。



なんか死について書いていると
しんみりしちゃいますね^_^;



最後に・・・
私たち世代なら有名なセリフを。


僕は死にましぇん!

            101回目のプロポーズより

2017年1月12日木曜日

親の思いを伝える

子どもたちに対して
真剣になる。




時には、血の流れが速くなり、
のぼせた様な感覚になるくらい
熱を帯びて話す自分に気づく。


決して上から押し付けるような
威圧するような話し方をしているわけではなく、
心の底から湧いてくる思いを
言葉にしている。





特に自営業をしていると
お金について考えることがある。




両親が自分の貴重な時間を使い、
お金を稼いでいる。
辛いときも我慢し、
眠いときも我慢し、
家族のためにお金を稼いでくれる。



そのお金を我が子の成長のために
使ってくれている。



私は塾の教師として
そのお金をいただき、
子どもたちを成長させる。



だからこそ、親の願いに答えるためにも
子どもたちを必ず成長させたいわけです。



使命感があります。



だから、そのことは子供たちにも伝えるんです。



君たちの両親がどれだけの思いをもって
君たちを塾に通わせているのか。



何回言っても足りないくらい。



宿題を忘れて
適当にやって、
×をもらったところは放置する。



そんな態度で
本当に良いと思っているのかと。



やれ!と言われたからやるのではなく、
親がどんな思いで自分を塾に通わせてくれているのか
わかっているのか?と。



甘えている場合じゃないぞと。



すごいチャンスをもらっているのに
そのチャンスを捨てるような行為をするなんて
いったいどんな考え方をすれば
そうなるのか。



そう伝えたいのです。



親のために勉強をしているわけではない。
されど伝えたいのです。



だから熱を帯びて、
血管が膨張するくらい一生懸命に伝えるのです。



子どもたちの成長は
私の充実感につながります。


充実感をもつと幸せです。



すなわち、子どもたちの成長がなんです。

2017年1月11日水曜日

雨模様のバンコクと髭月間

バンコクは雨模様だった。

雨模様のバンコク

雨の日は薄暗い。


薄暗いところにいると
気持ちまで暗くなりそうだ。


そんなとき、
部屋の明かりをつけると
ちょっと気分が明るくなる。


電気のありがたみを実感する。
些細なことだけど、
確かにありがたいことだ。


今、吉田松陰が主人公の
世に凄む日日を読んでいるが、
当時の日本は夕方から
ずっとこの薄暗さの中で過ごしていたはず。


当時の人々はどんな気分だったんだろう。
そんなことをふと思う。



最近は1日の流れが本当にあっという間。


が、振り返ってみると
無駄な時間が多いなと反省。


特にテレビとネットには
細切れに時間を
使って、というより使い過ぎ。



インターネットに接続したままの
ノートPCが机の上にあるだけで
ちょっとクリックしたくなる。


やるべきことがないなら
そのような生き方も良いだろう。



が、自分にはやることが山ほどある。


それを見ないふりをしていてはいけない。


現実を直視して進んでいく必要がある。


成人式に物申している暇はない^_^;
成人式を見て思うこと


私事ですが、
1月はひげを生やしてみることにしています。
ひげ月間。
小川一樹
怒っているわけではありません。
どうも写真で笑うことが苦手なもので・・・


なぜ髭月間なのか。


毎日髭をそっているんですが、
そってもそっても伸びてくる髭には
何らかの意味がある。意義がある。


その意義を知る前にそるのは
いた可哀想だと思うわけです。

髭月間をすることで
何かしらの意義を感じることができるのかな?と。

半分本気で半分冗談です。

そんな1日でした。

2017年1月10日火曜日

大人になることを祝う成人式ならルールを守らせるべき!

日本のニュースでは
毎年恒例の成人式のニュース。

成人式


成人になる人々を祝う儀式は
とても大切なことだし、
それをしっかり受け止めて式に参加している人も
多くいる。というか、ほとんどがそうだろう。



自分も成人式の思い出は
今でも鮮明に残っている。



大雪が重なり、
雪の上を革靴で歩き、
染み込んでくる冷たい水で
指先が痛くなったことを思い出します。



成人を祝う仲間たちと語り合い、
成人式後に集まって、
お酒を酌み交わし、また語り明かしました。



大人になることを祝ってもらっている成人式に参加するからには
大人としてのルールを守れる人たちだけが参加するべきだ。



成人式ではしゃぐ若者の映像が
毎年恒例で流れる。


一部だからいいじゃないかとは思えない。



社会に出る大人として祝ってもらうからには、
その式典にふさわしい服装や態度というものがあるべき。
それが式典だ。


結婚式だって、お葬式だって同じ。
服装や態度のマナーがある。
大人はそれを守るのだ。



別に締め付けているわけではない。
大人としてのマナーの問題。


ルールに従うことができない人は
成人式に参加させないということは
できないものなのだろうか?



警察も取り締まってはいるけど、
取り締まった後はどうなったのかまでは
報道されてはいない。



もし、ただの注意で終わっているのだとしたら
同じことの繰り返し。何も変わらないだろう。



真面目に参加したい人もいるはず。



でも、そんな人々が
怖い思いをして、身を縮こまらせて参加するような
地域の成人式があってはならないはずだ。



警官のそばで歩道のど真ん中で
他の歩行者の邪魔になっているのに
無視して大声で酒を飲みながら
ド派手な袴で闊歩する若者。



警官はスルー。
どうしてこうも取り締まりが緩いんだろうか。。。



社会人となる人々を祝うんだから
社会のルールのもとに取り締まったり、
式典に参加するためのルールを設けることは
なんら遠慮することじゃないだろう。



暴れるための成人式ではない。
お酒を飲んで羽目を外す場所でもない。



成人式とは
素晴らしい式であるために
素晴らしい式とはどんな式なのかを
改めて明確に決めてもらいたい。


物わかりが良い大人のふりして
寛容という名のもとに
野放しを正当化しているだけな気がする。



そんな羽目を外せるのは
成人式だけなんだから・・・
なんて言葉もおかしい。



羽目を外し続けてきた人が
また羽目を外して良い理由にはならない。



世界的に見ても
こんなに文化を大切にした儀式は
素晴らしいものだと思う。



だからこそ、
規律を守ることを徹底して
文化を守っていってもらいたい。



暴れる側に寛容ではなく、
荒れる成人式を許さない厳しさに寛容な社会であってほしい。

2017年1月9日月曜日

ちょっぴり好きになれないエンポリアム

今日は超久しぶりに
エムクウォーティエンポリアムに行きました。

エンポリアム


まだ全力でクリスマス中。


エムクウォーティ


んんん。
ここは何回行っても心地よくはなれない




上品なお金持ちの人たちを見ていると
ちょっと頑張らなければなと
自分に気合いが入るのは良い側面。



が、成金なのかわかららないけど、
服装や髪型ばかりが前面に出ている人たちは
見ていて心地よいものではない。



どうもちょっぴり下品に見える。
何が下品か。



お金持ちなのは
頑張っていることなので良いことだけど、
それを見た目でアピールしているのが
伝わってくると下品だと感じるわけです。



おしゃれなのはいいんですが、
おしゃれしてますよ。どうですか?
的なちょっと押しつけがましい服装や態度は
見ていて心地よい気がしないなぁ。



別に本人が心地よければそれでいいんです。
他人のためにおしゃれをしているわけではないでしょうから。


上品か下品かは全く個人的な感覚ですので
どーでも良いことです。



ということで、
エンポリアムと
エムクウォーティは
ちょっぴり好きになれないわけです。


数年後に私がエラそうに
ここを歩いている姿を見かけたら
思いっきり喝を入れてほしいです^_^;


自分の目的は紀伊国屋。


小説「君の名は。」
角川の
日本の歴史まんがを購入。


売上No1の文字につられました。
男の子は黒船と開国あたりが好きですね。



そんな1日でした。

2017年1月8日日曜日

年が明けてもクリスマスモードのタイ。

セントラルラーマ9世

セントラルラーマ9世

1月8日を迎えていますが、
未だにクリスマスモードです。
毎年タイはクリスマスモードが長い。


タイ人の気質がここにも現れている気がします。
マイペンライ。
まぁ、いいじゃないかと。


バーベキュープラザ

昼ごはんはバーベキュープラザ


バーベキュープラザ

たらふく食べて4人家族で900B程度。
別に高級店だろうが大衆向けだろうが
美味しければいいんです。


ポイントは自分が、家族が満足するかどうか。



前のブログに書いたんですが、
持ち運びできるキーボードが欲しくて
色々な店を探してみましたが
良いものがありませんでした。

残念。

やはり日本で注文するしかないんでしょうか。



疲れたので
カフェでリラックス。
バンコクのカフェ

リラックスしながら考えていた
子供と親の関係について
子育てブログに書きました。




自分の夜ごはんはこれ。 
バンコク屋台の串焼き
屋台で串焼きを4本。
そしてもち米。
合計45B。

激安の晩御飯ですが、
これまた大満足。


ただ、ちょっと怖いんで
レンジで1分間。
完全滅菌をイメージしていますw



瞑想を3分から5分にして今日もやりました。

5分瞑想で感じたことを書いてみました。

3分から5分に瞑想時間を変えて感じたこと



寝る前に
真田丸の最終話を見ました。


真田幸村の生きざまに感銘を受けました。


人は何のために生きるのか。


個人個人に自由が与えられていて、
毎回、その与えられた自由で
自分はどう生きるべきかを考えさせられるドラマだったので
終わってしまって残念です。。。


まさに真田ロスです。


そんな1日でした。

2017年1月7日土曜日

タイの街角で発見「古き良き日本」

週末は疲れが溜まっているからか、
寝不足が積もり積もってしまっているせいか、
朝から超眠気に襲われてしまいました。



教師という職業柄、眠気に襲われている子には
指導することがありましたが、
自分が強烈な眠気に襲われた経験があると、
子供の気持ちが良くわかるものです。



これは勝てないよな。。。
わかる。わかるよぉ・・・と。


戦っても効率が悪くなるだけなんで
15分だけ仮眠をとりましたが、
それでも時々、頭が真っ白に。。。



イエローモンキーの音楽で
何とかテンションをあげました。



ある程度落ち着いてきて
日課にしようとしている瞑想を5分しました。


小川一樹


今までは3分間だったんですが、
あまりにも早く感じるようになったんで
5分にしてみました。


5分もあっという間に過ぎていく感じです。


瞑想していると自分の頭の中には
常に思考がめぐっていることがわかります。


この思考をすべて無視して
ただひたすら自分の呼吸だけに集中。


終えると頭がスッキリします。


ちなみに
片岡鶴太郎を目指しているわけではありません。



昼ごはんはママ―パッシイウ。

ママ―パッシイウ
自分の昼飯の定番メニューです。
40Bですが、超満足です。
何回食べても飽きません。


古き良き日本
買っているお店の一角にこんな置物を発見。

あけぼの新聞舗


古き良き日本の風景を
こんなタイの飯屋で目にするとは・・・
一瞬、癒されました。


そんな週末でした。