2020年12月25日金曜日

明石家サンタの安定感、安堵感。

 クリスマスイブ。

ちょっと夜更かししていたら、明石家サンタが始まりました。


別にじっくり腰を据えて観るわけではなく、

とりあえずテレビをつけ、

背後にBGMとして流しています。


歳を重ねたからか、ある時期から明石家サンタが有難く感じていますw



毎年毎年、同じ顔触れで同じ番組内容。


水戸黄門を見るおじいちゃん、おばあちゃんもこんな心境なのかな。。。

すっごく安心感をおぼえます。


「あ、また明石家サンタやってる。」


これでいいんです。


それ以上でも以下でもない。


人生、歳をとることは「死」に向かうことでもあり、

想像するとどうしても一抹の寂しさが伴います。


でも、こうやって人生を共に歩んでいるような感覚を味わえる

長寿番組って、人生の伴走者みたい。


人生、楽しいときばかりでなく、つらいときも、寂しいときもあります。


そんなとき、こちらのことはお構いなしで、

自分たちのペースで走ってくれている明石家サンタが

逆に重くなくて、心を軽くしてくれる感じがします。


また、来年も観るために走り続けます。

2020年12月22日火曜日

鬼滅の刃【無限列車編】2回目でも感動した激熱な理由

 子供たちのリクエストで

鬼滅の刃「無限列車編」の回目の乗車を果たしました。


子供たちのリクエストとはいえ、

あまりにもすんなり認める父。

自分も見たかったという本音(^^;


2回目の率直な感想として

シンプルに出る言葉は「感動した」By小泉元首相


1回目より感動しました。

結末を知っているからこその無常観たるや・・・


わかってしまっているから、

煉獄さんの序盤の明るさがまた切ない。


2回目だから細かいところに気づける。

気づくほど煉獄さんの熱い生きざまが伝わってくる・・・🔥



これからネタバレします。



味方がいるといっても

上弦の参レベルの鬼と戦えるのは

煉獄さん1人だけ。


そもそもこの時点で感動です。


上弦の鬼は100年以上メンバーは変わっておらず、

過去、先輩の柱たちが殺されたという事実がある。


上弦の鬼を見たことがある柱は少なく、

いても殺されているという事実。


そんな事実は煉獄さんも知っている中、

体力が消耗していて、かつ味方は絶対に実力不足の手負いの見習い隊士だけ。


そんな状況で上弦の鬼が現れる。


鬼と闘える人間は自分ただ1人。

普通なら動揺してもおかしくない状況にも関わらず、

冷静に状況を受け止める煉獄さん。

これは日頃から死を覚悟できているからこその態度だと感じました。


覚悟のレベルが違います。


そして上弦の参の猗窩座と互角以上に戦う煉獄さん。


人間でありながら100年生き続けた鬼と

対等に戦えるということは、

どれだけの修練を積み重ねたのか・・・


自分の柱への責務、使命感の強さ。

これが鬼を超える鍛錬を生む原動力だったのでしょう。

ぐっとくるものがあります。


自分は目の前の仕事をするために

そこまでの修練を積み上げているのか。

そんな自責の念にかられます。


しかし、猗窩座の回復能力は尋常ではなく、

切っても切ってもすぐに回復・・・


この時点で煉獄さんレベルの人なら相手と自分の能力差に気づくいていたはず。

確実に自分の負けは覚悟していたことでしょう。

すなわち死を覚悟していたはず。


それでも全く弱音もはかず、あきらめる姿も見せず、

今できる最善の攻撃の型を出し続ける胆力。


自身が人間であり、鬼のように回復能力はない。

闘いが長引けば長引くほど不利となりどんどん劣勢に。

しかも猗窩座は煉獄さんに鬼になることを誘惑してくる。


煉獄さんのつぶれた目も折れた肋骨も

ダメージを受けた内臓は人間にとっては致命傷。

でも、鬼になればそんなのはかすり傷だと。


それでも何の迷いもなく断る煉獄さんは

自分の責務を全うすることだけを考えます。

この場にいる人を誰一人として死なせない。


ただ、それだけのために全力を尽くすために

命の炎が消えそうな中であっても

全く誘惑に揺れることなく、ただ戦うことだけに集中する。


そんな中でも心折れることなく、

ただ僅かな細い可能性の糸を手繰り寄せるために

マイナスな思考は燃やし尽くし、

ただプラスの可能性に全力を尽くす生きざま。


最後、100%自分の死が確定した時点ですらなお、

最後の心の炎を燃やし、

相手と同士討ちになっても責務を全うすることに

全集中する生きざま。


誰も死なせないという柱としての責任感の強さ。


結果、猗窩座を逃すことになりましたが、

その生きざまは炭治郎に伝わり、

負けていないと心から叫ばせるに至ります。

その炭治郎の声は観客の心の中に湧いていた声と

ピタっと一致します。


負けていない。

肉体の勝負ではこのような結果になったけど、

圧倒的な不利な状況の中、

自分の責務を全うし、誰一人死なせなかった煉獄さん

確実に目的を果たしたという点においては勝利しました。


煉獄さんと常に行動を共にしていたカラスの涙もぐっと来ましたね・・・


自分の不甲斐なさに崩れ落ちる炭治郎の気持ちもわかります。


でも、これって現実にもありえることです。


こっちが準備できているなんてお構いなく、

難敵、難題はいつ来るかわかりません。


だからこそ、毎日、いつ起こるかわからない難題に向け、

修練を怠らず積み重ねておく。

その修練を使う日が来ようが否かは関係なく。


不甲斐なさに打ちひしがれても

また次の難題が襲ってくるかもしれない。



煉獄さんに次は君たちだと想いを託される。

だからこそ、できるかできないかなんて関係なく、

打ちひしがれている暇があるなら修練しろ。

やるしかない。


そんな伊之助の想いも響きました。


日本人が失ってしまった精神性のようなものを呼び起こすようなアニメだと思います。


子供たちには残酷だという意見もあるみたいです。

それはわかります。

でも、それ以上に得るものがあるアニメだって

個人的には思います。


マイナスが描写されるからこそプラスが際立つ。


何だかちょろっと書こうと思っていたら、

長くなってしまいました💦



早くこの二人に見てもらいたいw


2020年12月17日木曜日

鬼滅の刃が面白いか、面白くないか?

 ネットで偶然目にしたのが、

鬼滅の刃が面白いか、面白くないかという

2つの派閥による議論でした。


私はそれを見ていて、

どっちでも良いのでは?

と思っています。


面白いと思う人がいる。

面白くないと思う人がいる。


別にどちらかが良い、悪いってわけではなくて、

そのような意見の人がいるのは

当たり前だと思うからです。


自分が面白いと思うものは

相手も面白いと思わなければならない。

逆もしかり。


それはかなり傲慢な考え方なんじゃないですかね。


生まれも育ちも違う人。

見てきたものも、読んできた本も違う。

紆余曲折あったり、なかったり。違うところだらけ。


登場人物の誰に感情移入できるかでも変わってくるでしょうし、

映画を見る前の前提知識の濃度によっても感じ方は違う。

絵の好みも違う。


価値観の違いが生まれるところをあげれば

きりが無いでしょう。


そんな自分とは全く違う過ごし方をしてきた人が

「鬼滅の刃は面白くない!」と言ったとき、

「それは違う!面白い!」と否定することに

何の意味や目的があるのか。


自分の思いの正しさに自信がないから

証明したいんですかね・・・

別に自信なんてなくてもいいとは思います。

自分がそう感じる。

その事実があるだけでよいと思います。


仮に相手を論破できたところで、

面白くないという相手の感情は真実なので

それまで変えることはできないはずです。

思考は変えても感情は無理。



このようなことって鬼滅の刃だけでなく、

色々なところで見られます。


争う必要あるのかな?


これらもろもろの事情をわかった上で

あえて「プロレス」をするならOK!

きっと面白い話題だって思います。

自分もお酒の席で盛り上がってみたいなぁ。

飲めませんが(-_-;)


そんなことを考えつつ、ネットを眺める今日この頃です。


追伸:

ちなみに私は鬼滅の刃のアニメを見ましたが

かなり面白いと思っています。

なので劇場版の無限列車編もタイで観に行きました。


そして煉獄さんに完全に心燃やされました🔥

激熱です。

DVD出たら間違いなく買います。

2020年12月14日月曜日

覚悟を決める

おおざっぱに言うと「人生に正解なんて無い」って思えるくらい

人生の岐路の選択肢は多々ある。


人に相談したり、何かにすがったり、

色々ともがくことはできても

結局のところ、正解なんてものは「やってみないとわからない」

と今までの人生を振り返ると心底思えます。


だからこそ、自分が大切にしていることは

「覚悟を決める」という作業。



ひたすら考え、考え、考えても完璧な正解は出ないけど、

自分なりの答えは迷いがなくなるくらいまで考えたい。


その結果出た答えであれば、

例え失敗だったとしても納得できる。


納得できない状況で進んでいても

雑念があるから、雑念が自分の行動力を鈍らせ、

足を引っ張り、結局のところ、正解の可能性を

低くするのではないだろうか。


だからこそ、考え抜いて、

腹落ちさせる。自分を納得させる。



腹落ちしていれば行動の純度が上がる。

ぶれなくなる。

シンプルになる。



それが大事なんじゃないかなって思う今日のこの頃です。


金、土、日とホアヒンに行ってました。

毎年恒例の定宿なんで、新鮮味はないですが、

安定の癒しがありました。


毎回行く夜のマーケットは密も密。


日本のコロナ騒動はどこ吹く風と言ったような

まるでコロナは終わったかのような密でした。


老後にこんなところで生演奏聴きながら

のんびり過ごせたらいいなぁって考えていました。

2020年12月4日金曜日

欲との終わりなき戦い

 三大欲 睡眠、性欲、食欲

人間には欲があります。


これは当たり前のことだけど、

度を越えると厄介になる。


欲には終わりがないからこそ厄介。

もっともっともっと。

行きつく先はどうなるか?

それが想像できないからこそ

犯罪が起こる。


欲をうまくコントロールできないと

人生はブレーキの壊れた車と一緒。


いつか衝突して自分、または他人の命を奪いかねない。


それ以外にもやっかいな欲は承認欲求。


誰もが他人に認めてもらいたいという欲があり、

それによって見栄を張ってみたり、

自分以外の他者のことばかりを考えてみたり。



そんなことをしているうちに

限りある人生の時間は

あっという間に過ぎていきます。


自分の人生において何が大切なのか。


これを腰を据えて考えない限り、

欲に連戦連敗した時間の使い方になってしまいます。


自分は一度しかない人生において

何を成し遂げたいのか。


それに対する覚悟と真剣さが生き方に問われています。


目先の欲に負けることもあるかもしれません。

では、その欲に対して伴う結果に覚悟ができているのか。

真剣に向き合っているのか。


それができないなら過剰な欲とはおさらばした方が良いでしょう。


人生の時間は有限。

アッという前に過ぎていきます。


自分も人生を振り返ってみれば

ここまであっという間な気がします。


中途半端に過ごすのも自由ですが、

腰を据えて真剣に覚悟をもって人生と向き合う。


一度しかないからこそ、

そうやって欲を追いかけて現実逃避をして

自分がなすべきことから目をそらすのではなく、

とことん向き合う。


今の自分にとって大切なことは何か。


しっかり考えて生きることが大切だって思います。

2020年12月1日火曜日

激動の2020年は師走感ない師走。

師走。

1年の区切りを感じる月です。


ただ、皆さんの中にも私と同じような気持ちの方もいらっしゃるとは思いますが、
区切り感が無い。。。


今年は色々あり過ぎました。
そして、まだまだ災難が継続中です。
アメリカでもゴタゴタ。

区切って良い感じがしませんね。
まだまだ継続中といった感があります。


2020年。
2019年の年末に知人と
2020年はオリンピックもあり、
アメリカ大統領選挙もあるし、
色々と厳しい出来事があるだろうな
と話していました。


まさか、ここまでとは思ってもいません。


人生、何が起こるかなんて誰も予想できないということがわかりましたね。


今回は世界規模のことですが、
こと個人においても同じでしょう。


明日が当たり前に来るかどうかすら
本来はわからないのですが、
そんなことを毎日考えていたら
行きづらいので当たり前だと思われることは考えないで生きています。


ただ、ある程度、覚悟はしておかないと
いざというときに狼狽するばかり、
後悔を残す行動になってしまう可能性もあります。


だからこそ、今回の世界規模の想定外から学ぶべきことは、自分の人生においても
まだまだ想定外のことは起こり得る覚悟をもっておくということだと思います。


師走。
まだまだ
走り続けましょう。