2020年12月25日金曜日

明石家サンタの安定感、安堵感。

 クリスマスイブ。

ちょっと夜更かししていたら、明石家サンタが始まりました。


別にじっくり腰を据えて観るわけではなく、

とりあえずテレビをつけ、

背後にBGMとして流しています。


歳を重ねたからか、ある時期から明石家サンタが有難く感じていますw



毎年毎年、同じ顔触れで同じ番組内容。


水戸黄門を見るおじいちゃん、おばあちゃんもこんな心境なのかな。。。

すっごく安心感をおぼえます。


「あ、また明石家サンタやってる。」


これでいいんです。


それ以上でも以下でもない。


人生、歳をとることは「死」に向かうことでもあり、

想像するとどうしても一抹の寂しさが伴います。


でも、こうやって人生を共に歩んでいるような感覚を味わえる

長寿番組って、人生の伴走者みたい。


人生、楽しいときばかりでなく、つらいときも、寂しいときもあります。


そんなとき、こちらのことはお構いなしで、

自分たちのペースで走ってくれている明石家サンタが

逆に重くなくて、心を軽くしてくれる感じがします。


また、来年も観るために走り続けます。

2020年12月22日火曜日

鬼滅の刃【無限列車編】2回目でも感動した激熱な理由

 子供たちのリクエストで

鬼滅の刃「無限列車編」の回目の乗車を果たしました。


子供たちのリクエストとはいえ、

あまりにもすんなり認める父。

自分も見たかったという本音(^^;


2回目の率直な感想として

シンプルに出る言葉は「感動した」By小泉元首相


1回目より感動しました。

結末を知っているからこその無常観たるや・・・


わかってしまっているから、

煉獄さんの序盤の明るさがまた切ない。


2回目だから細かいところに気づける。

気づくほど煉獄さんの熱い生きざまが伝わってくる・・・🔥



これからネタバレします。



味方がいるといっても

上弦の参レベルの鬼と戦えるのは

煉獄さん1人だけ。


そもそもこの時点で感動です。


上弦の鬼は100年以上メンバーは変わっておらず、

過去、先輩の柱たちが殺されたという事実がある。


上弦の鬼を見たことがある柱は少なく、

いても殺されているという事実。


そんな事実は煉獄さんも知っている中、

体力が消耗していて、かつ味方は絶対に実力不足の手負いの見習い隊士だけ。


そんな状況で上弦の鬼が現れる。


鬼と闘える人間は自分ただ1人。

普通なら動揺してもおかしくない状況にも関わらず、

冷静に状況を受け止める煉獄さん。

これは日頃から死を覚悟できているからこその態度だと感じました。


覚悟のレベルが違います。


そして上弦の参の猗窩座と互角以上に戦う煉獄さん。


人間でありながら100年生き続けた鬼と

対等に戦えるということは、

どれだけの修練を積み重ねたのか・・・


自分の柱への責務、使命感の強さ。

これが鬼を超える鍛錬を生む原動力だったのでしょう。

ぐっとくるものがあります。


自分は目の前の仕事をするために

そこまでの修練を積み上げているのか。

そんな自責の念にかられます。


しかし、猗窩座の回復能力は尋常ではなく、

切っても切ってもすぐに回復・・・


この時点で煉獄さんレベルの人なら相手と自分の能力差に気づくいていたはず。

確実に自分の負けは覚悟していたことでしょう。

すなわち死を覚悟していたはず。


それでも全く弱音もはかず、あきらめる姿も見せず、

今できる最善の攻撃の型を出し続ける胆力。


自身が人間であり、鬼のように回復能力はない。

闘いが長引けば長引くほど不利となりどんどん劣勢に。

しかも猗窩座は煉獄さんに鬼になることを誘惑してくる。


煉獄さんのつぶれた目も折れた肋骨も

ダメージを受けた内臓は人間にとっては致命傷。

でも、鬼になればそんなのはかすり傷だと。


それでも何の迷いもなく断る煉獄さんは

自分の責務を全うすることだけを考えます。

この場にいる人を誰一人として死なせない。


ただ、それだけのために全力を尽くすために

命の炎が消えそうな中であっても

全く誘惑に揺れることなく、ただ戦うことだけに集中する。


そんな中でも心折れることなく、

ただ僅かな細い可能性の糸を手繰り寄せるために

マイナスな思考は燃やし尽くし、

ただプラスの可能性に全力を尽くす生きざま。


最後、100%自分の死が確定した時点ですらなお、

最後の心の炎を燃やし、

相手と同士討ちになっても責務を全うすることに

全集中する生きざま。


誰も死なせないという柱としての責任感の強さ。


結果、猗窩座を逃すことになりましたが、

その生きざまは炭治郎に伝わり、

負けていないと心から叫ばせるに至ります。

その炭治郎の声は観客の心の中に湧いていた声と

ピタっと一致します。


負けていない。

肉体の勝負ではこのような結果になったけど、

圧倒的な不利な状況の中、

自分の責務を全うし、誰一人死なせなかった煉獄さん

確実に目的を果たしたという点においては勝利しました。


煉獄さんと常に行動を共にしていたカラスの涙もぐっと来ましたね・・・


自分の不甲斐なさに崩れ落ちる炭治郎の気持ちもわかります。


でも、これって現実にもありえることです。


こっちが準備できているなんてお構いなく、

難敵、難題はいつ来るかわかりません。


だからこそ、毎日、いつ起こるかわからない難題に向け、

修練を怠らず積み重ねておく。

その修練を使う日が来ようが否かは関係なく。


不甲斐なさに打ちひしがれても

また次の難題が襲ってくるかもしれない。



煉獄さんに次は君たちだと想いを託される。

だからこそ、できるかできないかなんて関係なく、

打ちひしがれている暇があるなら修練しろ。

やるしかない。


そんな伊之助の想いも響きました。


日本人が失ってしまった精神性のようなものを呼び起こすようなアニメだと思います。


子供たちには残酷だという意見もあるみたいです。

それはわかります。

でも、それ以上に得るものがあるアニメだって

個人的には思います。


マイナスが描写されるからこそプラスが際立つ。


何だかちょろっと書こうと思っていたら、

長くなってしまいました💦



早くこの二人に見てもらいたいw


2020年12月17日木曜日

鬼滅の刃が面白いか、面白くないか?

 ネットで偶然目にしたのが、

鬼滅の刃が面白いか、面白くないかという

2つの派閥による議論でした。


私はそれを見ていて、

どっちでも良いのでは?

と思っています。


面白いと思う人がいる。

面白くないと思う人がいる。


別にどちらかが良い、悪いってわけではなくて、

そのような意見の人がいるのは

当たり前だと思うからです。


自分が面白いと思うものは

相手も面白いと思わなければならない。

逆もしかり。


それはかなり傲慢な考え方なんじゃないですかね。


生まれも育ちも違う人。

見てきたものも、読んできた本も違う。

紆余曲折あったり、なかったり。違うところだらけ。


登場人物の誰に感情移入できるかでも変わってくるでしょうし、

映画を見る前の前提知識の濃度によっても感じ方は違う。

絵の好みも違う。


価値観の違いが生まれるところをあげれば

きりが無いでしょう。


そんな自分とは全く違う過ごし方をしてきた人が

「鬼滅の刃は面白くない!」と言ったとき、

「それは違う!面白い!」と否定することに

何の意味や目的があるのか。


自分の思いの正しさに自信がないから

証明したいんですかね・・・

別に自信なんてなくてもいいとは思います。

自分がそう感じる。

その事実があるだけでよいと思います。


仮に相手を論破できたところで、

面白くないという相手の感情は真実なので

それまで変えることはできないはずです。

思考は変えても感情は無理。



このようなことって鬼滅の刃だけでなく、

色々なところで見られます。


争う必要あるのかな?


これらもろもろの事情をわかった上で

あえて「プロレス」をするならOK!

きっと面白い話題だって思います。

自分もお酒の席で盛り上がってみたいなぁ。

飲めませんが(-_-;)


そんなことを考えつつ、ネットを眺める今日この頃です。


追伸:

ちなみに私は鬼滅の刃のアニメを見ましたが

かなり面白いと思っています。

なので劇場版の無限列車編もタイで観に行きました。


そして煉獄さんに完全に心燃やされました🔥

激熱です。

DVD出たら間違いなく買います。

2020年12月14日月曜日

覚悟を決める

おおざっぱに言うと「人生に正解なんて無い」って思えるくらい

人生の岐路の選択肢は多々ある。


人に相談したり、何かにすがったり、

色々ともがくことはできても

結局のところ、正解なんてものは「やってみないとわからない」

と今までの人生を振り返ると心底思えます。


だからこそ、自分が大切にしていることは

「覚悟を決める」という作業。



ひたすら考え、考え、考えても完璧な正解は出ないけど、

自分なりの答えは迷いがなくなるくらいまで考えたい。


その結果出た答えであれば、

例え失敗だったとしても納得できる。


納得できない状況で進んでいても

雑念があるから、雑念が自分の行動力を鈍らせ、

足を引っ張り、結局のところ、正解の可能性を

低くするのではないだろうか。


だからこそ、考え抜いて、

腹落ちさせる。自分を納得させる。



腹落ちしていれば行動の純度が上がる。

ぶれなくなる。

シンプルになる。



それが大事なんじゃないかなって思う今日のこの頃です。


金、土、日とホアヒンに行ってました。

毎年恒例の定宿なんで、新鮮味はないですが、

安定の癒しがありました。


毎回行く夜のマーケットは密も密。


日本のコロナ騒動はどこ吹く風と言ったような

まるでコロナは終わったかのような密でした。


老後にこんなところで生演奏聴きながら

のんびり過ごせたらいいなぁって考えていました。

2020年12月4日金曜日

欲との終わりなき戦い

 三大欲 睡眠、性欲、食欲

人間には欲があります。


これは当たり前のことだけど、

度を越えると厄介になる。


欲には終わりがないからこそ厄介。

もっともっともっと。

行きつく先はどうなるか?

それが想像できないからこそ

犯罪が起こる。


欲をうまくコントロールできないと

人生はブレーキの壊れた車と一緒。


いつか衝突して自分、または他人の命を奪いかねない。


それ以外にもやっかいな欲は承認欲求。


誰もが他人に認めてもらいたいという欲があり、

それによって見栄を張ってみたり、

自分以外の他者のことばかりを考えてみたり。



そんなことをしているうちに

限りある人生の時間は

あっという間に過ぎていきます。


自分の人生において何が大切なのか。


これを腰を据えて考えない限り、

欲に連戦連敗した時間の使い方になってしまいます。


自分は一度しかない人生において

何を成し遂げたいのか。


それに対する覚悟と真剣さが生き方に問われています。


目先の欲に負けることもあるかもしれません。

では、その欲に対して伴う結果に覚悟ができているのか。

真剣に向き合っているのか。


それができないなら過剰な欲とはおさらばした方が良いでしょう。


人生の時間は有限。

アッという前に過ぎていきます。


自分も人生を振り返ってみれば

ここまであっという間な気がします。


中途半端に過ごすのも自由ですが、

腰を据えて真剣に覚悟をもって人生と向き合う。


一度しかないからこそ、

そうやって欲を追いかけて現実逃避をして

自分がなすべきことから目をそらすのではなく、

とことん向き合う。


今の自分にとって大切なことは何か。


しっかり考えて生きることが大切だって思います。

2020年12月1日火曜日

激動の2020年は師走感ない師走。

師走。

1年の区切りを感じる月です。


ただ、皆さんの中にも私と同じような気持ちの方もいらっしゃるとは思いますが、
区切り感が無い。。。


今年は色々あり過ぎました。
そして、まだまだ災難が継続中です。
アメリカでもゴタゴタ。

区切って良い感じがしませんね。
まだまだ継続中といった感があります。


2020年。
2019年の年末に知人と
2020年はオリンピックもあり、
アメリカ大統領選挙もあるし、
色々と厳しい出来事があるだろうな
と話していました。


まさか、ここまでとは思ってもいません。


人生、何が起こるかなんて誰も予想できないということがわかりましたね。


今回は世界規模のことですが、
こと個人においても同じでしょう。


明日が当たり前に来るかどうかすら
本来はわからないのですが、
そんなことを毎日考えていたら
行きづらいので当たり前だと思われることは考えないで生きています。


ただ、ある程度、覚悟はしておかないと
いざというときに狼狽するばかり、
後悔を残す行動になってしまう可能性もあります。


だからこそ、今回の世界規模の想定外から学ぶべきことは、自分の人生においても
まだまだ想定外のことは起こり得る覚悟をもっておくということだと思います。


師走。
まだまだ
走り続けましょう。

2020年11月30日月曜日

本の断捨離で気づく心の成長

 本棚にある蔵書をどんどん減らしていこうと決意し、

数冊ずつ捨てています。


やっと本棚の中に隙間が目立つようになってきましたが、

ずっと取っていただけに捨てるのに迷います。


本棚に本がたくさんあるということに満足していた自分もいますが、

その自分はだいぶ前に卒業しました。


本棚に本が増えていくことに満足感を覚えている自分がいましたが、

今ではそんなことはどうでもよくなりました。


増えることへの満足感が無くなった自分がいるなら

捨てるのは簡単かというそうでもありません。


基本的に本が好きなので捨てて良い本かどうかで

即決できません。


だからちょっと内容を読むことになります。


すると気づくことがありました。


こんな本を読んでいたんだ・・・


書いてある内容に全く響かなくなっている自分がいます。


「そんなの当たり前のことじゃん。」


といった感じで心が動かない本がけっこうありました。


そんなときに考えることが、

自分も歳を重ねたことで心が成長したのだな・・・

ということです。


若いころは有難く線まで引いて読んでいた本ですが、

今読むと、線を引いたところを見ていて

心に響かなくなっている自分がいます。


さっきも書きましたが、線を引いた部分が

自分の中では「当たり前」のことになってしまっているのです。


それは血肉化したとも言えるかもしれません。


年齢を重ね、白髪が増え、肌のトラブルも増え、

色々と老化を感じることもありますが、

年を重ねることで得ているものがあるという事実を

今回の本の断捨離で感じることができました。


これは大きな実感として残るので

本の断捨離してよかったなと感じている日々です。

2020年11月22日日曜日

終活の如く断捨離

 生きていれば色々溜まるもの。


今日は1日一人の時間が出来たから

家の中で必要ではないものを探して処分することにしました。


なんだこれ?

という書類やら、過去の必要ない書類などをはじめ、

もう読まない本類やらくたびれたファイル・・・


さらに前も処分しましたけど

まだまだ年賀状もあるので、

写真に撮ってから処分。


捨て始めたら、止まらなくなり、

気がつけば大き目のゴミ袋が3袋以上に・・・


これだけ捨てるとちょっぴり軽くなった気持ちがします。


何か終活している気分。


歳を重ねると想い出が増える。

有難いことなんだけど、

ちょっとだけフットワークが重くなる気分もする。


こうやって時折、色々と処分するために

持ち物を改めてチェックするのも良いなぁって思います。


本当に今必要なの?


過去の物は過去。

使わないなら「さよなら」してもいい。


未来に使うかも?

未来はまだ来ていないから、

また気分は変わるかもしれないから、

そのとき買えばいい。


そんなことを考えながら処分、処分、処分。

もう一度身軽な自分に戻るというのも良いのかもしれないな・・・


そんなことを考えた1日でした。

2020年11月19日木曜日

マイケル・J・フォックスが引退表明

【 マイケル・J・フォックスが引退表明】

こんな文字がTwitter上で流れていました。


自分がマイケルJフォックスを本格的に知ることになったのは

ほとんどの方と一緒でしょうが、

「バックトゥザフューチャー」という映画です。


中学時代はどっぷりで、

学生鞄に覚えたての英語でマイケルJフォックスと書くほどw


BTF1の日本語吹き替えの映画は見過ぎて

全員のセリフを暗記し、風呂に入りながら高速で暗唱できました。


そこから外国映画にはまり、

外国の文化、そして外国人女性の美しさに惹かれていきました。


振り返るとそれが今の外国生活に繋がっているんですよね・・・

人生には無駄な出来事はない。不思議なものです。


バックトゥザフューチャーから

マイケルJフォックスが好きになり、

「摩天楼はバラ色に」「ドクハリウッド」「ファミリータイズ」

「ティーンウルフ」・・・

色々見ました。

部屋にポスターも貼っていました。


時は流れ、パーキンソン病になった姿を見て、

なんで彼が・・・と悲しく思った記憶があります。

きっと直って再び・・・と思っていましたが、

そんなに世の中甘くはなく、現実はこちらの思惑など全く関係ないもの。


治る兆しはなく、

パーキンソン病後に出版された彼の自伝も2冊も読みましたが、

なかなか厳しい状況であることが伝わってきました。


そして今日目にした引退宣言。

セリフを覚えることにも支障があるということで

仕方がないのかな・・・と思います。



【人間五十年、化天の内を比ぶれば、

夢幻のごとくなり。一度生を受け、滅せぬ物のあるべきか。】


役者としての現在は滅してしまうのでしょうが、

自分も含め、皆さんの記憶の中では永遠に滅しません。


はじめはエリック氏だったのを代役で

マイケルJフォックスになったバックトゥザフューチャー。


奇跡的な配役に感謝。


そして自分の青春の記憶を色濃くしてくれたことに感謝。


まだまだバックトゥザフューチャーシリーズは見続けるので、

自分の中ではマイケルJフォックスは永遠に不滅です。


2020年11月7日土曜日

バンコク日本人学校の消しピン禁止について

 塾にいる生徒はバンコク日本人学校の子ばかりです。

小4の子が休み時間に消しピンをしていました。

消しピンという遊びは、お互い消しゴムを机の上に乗せ、

自分の消しゴムを爪ではじき、

相手の消しゴムを机から落としたら勝ちという遊び。


私が子供のころもよくやっていました。


懐かしいなぁと思ってみていると

子供がこんなことを私に話してきました。


「うちのクラス、消しピン禁止なんだ。」



もちろん、理由が気になるので

「どうして禁止なの?!」と聞いてみたところ

「消しゴムは勉強する道具で遊ぶものではないから」

と言われたそうです。


私「!?」


正直、はじまった・・・と思いました。


このようなバンコク日本人学校の若い先生がする

不可解な指導の話は相当聞いてきました。



子供の良さって何でしょうか。


色々ありますが、「想像力の豊かさ」は

大人と比べて抜群に優れています。


そして、その想像力はもっともっと伸ばしてほしい

と思うのが教師であるべきだと思います。


遊び道具でない文房具を遊び道具にする。

そしてお互いがルールを決めて、

机の上で安全に平和に遊んでいます。


これを止めて良い理由はどこにあるのでしょうか・・・


遊び道具でないと遊んではいけないのであれば、

ノートの端っこに丸バツをしてはいけないとでもいうのでしょうか。


若い先生こそ、自分が子供のころの記憶が濃いはずです。

自分が子供のころ、教師から同じことを言われたら

果たしてどう感じるのか。


消しピンを禁止にした状態。

消しピンを禁止にしない状態。


この違いで一体どれほどの教育的な効果があるのか?


そこを考えてから禁止にしてほしいです。


何でも禁止にするのは簡単です。


学校はお勉強をするだけに行くのでしょうか。

それなら塾の方が効果的に指導できています。


学校の意義はそこだけではないからこそ

学校の良さがあるのだと思います。


たかが消しピン禁止なので、そんなに語る必要はありませんが、

きっと消しピンを禁止にする考え方は、

他のことでも同じような理不尽なことを起こしているはずです。


もう自分はバンコク日本人学校の教師ではないので

どうしようもありません。


溜息が出るばかりです。

2020年11月3日火曜日

小学校の「あだ名禁止」は人を弱くする

小学校で「あだ名を禁止」にする風潮があるそうです。


そして名前も男女差を無くすという意味合いで「さん」に統一。


確かに名前に関するトラブルは減るでしょうね。


ただ、ここで感じるのは「トラブルの根っこ」は解決されていないのでは?

ということです。


名前を「さん」で呼ぼうが「くん」で呼ぼうが、

別にそれを差別と感じる必要はないはずです。



確かに体は女性として、男性として生まれていても

心は逆であるということがあります。


だからと言って、「君」「さん」で呼ばれたからといって、

呼んだ人が差別の意図があったわけではありません。


その差別を感じたとすれば、

本人の心の中に自然と芽生えたものであるはずです。


それならば、その差別心が芽生えた原因の部分に

メスを入れない限り、何の解決にもなりません。


学校での服装はどうしますかね。

体が男である子がスカートをはいてきたとき、

禁止にしますか?


整列のときはどうするのでしょう。

どっちに並ばせましょうか。


着替えのときは?


正直、どうしても無理が出てしまいます。


それなら無理があるのを承知で受け入れる社会の方が

かえって肩の力が抜けて生きやすいのではないでしょうか。


人間だれもが深く話し合うことはできないのだから、

まずは体の差で区別をしているのが社会であり、

それが良いとか悪いとかの話ではないし、差別の意図もない。

単に今はそのような社会である。

そのことを踏まえて指導する必要があると思います。



あだ名の禁止についても同じです。


あだ名を禁止にしても、変なあだ名で呼ぶ人が悪いのであり、

また、呼ばれたことに対して嫌だと言えない心にも課題があり、

変なあだ名を放置する他の人たちにも課題があり、

そのような課題と向き合うことこそ教育なんじゃないでしょうか。



面倒なことになるのが嫌だから、

とりあえず「あだ名禁止」にしているように感じます。


一見、トラブルは減りますが、何の解決にもなっていません。

トラブルを通して子供たちは生きる力を高めているのではないでしょうか。


そんなにトラブルが嫌ならどうして教師になったのでしょうか。

そもそも学校ってそのようなことを学ぶ場ではないのでしょうか。



禁止、禁止で無色透明。


色が無ければ叩かれることはありません。

色同士がぶつかることもありません。


何事も禁止、禁止、統一統一としていけば、

確かに誰もが一見、苦しまないような学校が出来上がるのかもしれません。


無色透明な学校。


でも、味気ないのではないでしょうかね。


人生は一度だけで、

あんなあだ名で呼ばれたなあ・・・とお酒を飲みながら

思い出す人生は素敵なんじゃないでしょうか。


おじいちゃん、おばあちゃんになっても

同窓会であだ名で呼び合っていたら素敵じゃないですかね。


人間なんて曖昧な存在だし、

曖昧さから学ぶことはたくさんあります。


あだ名一つとってみても、

それがトラブルになるから学びがあるんじゃないですかね。


その学びのチャンスを奪っても、

学ばなければならないことが消えたわけではないです。


必ず目を背けても向き合わなければならない時がきます。



それだったら大人の庇護のもとにある

小学校で大いにぶつかり合って学んだらいいんじゃないですかね。


あだ名禁止、戦いごっこ禁止、禁止、禁止、禁止・・・


どんどん人間が弱くなっていく気がしますね。


2020年10月29日木曜日

性描写が激しすぎるが教育とは何かを深める漫画

大学生のころ、「東京大学物語」というマンガを読んでいて、

全巻そろえて持っていましたが引っ越しなどで手放してしまいました。


まじかる☆タルるートくんの作者である江川達也さんが描いていて、

稲垣吾郎さん主演でドラマにもなっていました。


登場人物の東大を目指す秀才「村上直樹」がぶっ飛んでいます。

ほかの登場人物もぶっ飛んでいます。

いや、ぶっ飛びすぎています・・・


過激で知的で面白く、ぐいぐい読んだ記憶があります。


ただ、性描写があまりにも(×100くらい)激しすぎて、

電車の中では読めませんし、家族がいる場でも読めません。

大学頃の自分にとっても刺激が強すぎるレベル(^^;


偶然アマゾンkindleで0円になっていたのを発見。



夜な夜な再読してみることにしました。


今、教育者としての立場で読むと
驚くべく深さに気づきました。


日本の教育に対する強烈なアンチテーゼが表現されていました。


日本のトップを目指すために
社会システムに順応する教育を受け続け、
個性を殺して勉強しまくる。

周囲におだてられ変にプライドは高くなり、負けず嫌い。
親に褒めてもらうために自分の色を捨てて親の色に染まる。

個性がある子はそのシステムでは差別され、のけ者にされ、
個性をつぶされる。

受験戦争に勝ち残った人々が官僚になり、
その苦労して手に入れた地位を死守するために
偽善者となり、悪も悪と思えない生き方をする。


それ以外にも人間の醜さなど
もっともっと色々と描写されているものがありますが、
とにかくこれでもかというほど強烈な直球で訴えかけてきます。


特に東大後の後半戦が内容が濃い。濃すぎます。
ただ高確率で性描写ページなんで、
外では絶対に読めません・・・

それにしても
こんなに性描写が激しかったっけ?!と驚きです。
普通に学生が読めて、
確かコンビニで普通に売っているビックコミックスピリッツ
に連載されていたはず(^^;
自由な時代でしたね。


興味がある方はkindleアンリミテッドだと0円なんで読んでみてください。

2020年10月27日火曜日

悩みながら生きる

人間生きていれば迷う場面なんて多々ありあり。

ありおりはべりいまそかり。

あり過ぎます。




どうして悩むのかと言えば「脳」があるから。

どうしても想像が「行き過ぎ」てしまい、

プラスにもマイナスにも振れ幅が大きくなる。


そうすると悩みが生まれ、立往生したくなるものです。



結果なんてどうなるか最後の最後は誰にもわかりません。

わかるようなことなら

そもそも悩んでいなかったのではないでしょうかね。。。



わからないから悩む。



でも、最後の最後は「えいっ!!」と放り投げる。


表が出るか裏が出るか。

出たとこ勝負です。


ただ、どっちが出ても良いように覚悟を決める意味で

想像しておく方が良いのかな。


正解を知るために悩むのではなくて、

覚悟を決めるために悩む。


といっても全てを想像しつくすことも不可能なので

「想定の範囲外」があることも想定しておかないと。


出た結果に一喜一憂するでしょうが、

それも人生。


全てを背負うしかありません。


背負ってなお、その場から歩き続ける。


誰もが一度しかない人生。

「やらない後悔よりやった後悔の方が良い」

なんて使い古された表現ではありますが、

真実だなと痛感します。


やって後悔しても、その場から進むしかない。


立ち止まることは悪くないけど、

いつまで止まっていますか?ということでしょう。


結局、最後の最後は歩まないと。


そうやって人はみんな生きていくのでしょうね。


悩んでいる人に対して、やってみなよ!

なんて軽々しく言えません。


結局最後は本人が結果を受け止める覚悟ができるかどうかでしょう。


悩むべきことには悩むしかないんでしょうね。


2020年10月22日木曜日

駐在の奥様方への厳しい意見

個人事業をしていると人と話す時間がめっぽう減りました。


激務というわけでもないので、色々と考える時間がある午前中です。
すると妙な孤独感に襲われることもあります。

気軽に話せる人がいればいいんですが、まぁ地理的にも日本人は近場におらず。


そんなある種の孤独な状態を数年経験していたとき、
ふと思ったことがあります。


異国であるタイに、駐在として帯同した奥様方は、自分が感じる以上の孤独感のようなものがあるのかな?
ということです。


ネットで駐在の奥様方の生活について、若干の妬みが混じったような厳しい意見を目にすることがありました。


色々な意見があって良いとは思います。
ただ、別にその駐在の奥様方の境遇は何かの縁で巡り巡ったわけで、本人が心から望んだことではないですよね。


日本の慣れ親しんだ生活から離れ、
ただでさえ不安な異国。


お子様がいればまだ忙しさであっという間に1日がすぎるでしょうが、
もし1人で夜に旦那さんが帰宅するまで過ごすとなると、かなり寂しい心境になるんじゃないかな。。。


そんな駐在の奥様が習い事をすることは、決して優雅とかそういう話ではなくて、
精神衛生上必要不可欠な気がします。


そうでもないと、孤独感で精神を病んでしまう方もいるんだと思います。


人それぞれ境遇は違うから、自分なんかには完全に気持ちを理解できません。


たまたま自分の孤独感に重ねて想像してみただけです。


人それぞれ
理解できないもの、こと、受け入れられないこともあるのかもしれないけど、
人それぞれの苦しさを緩やかに認め、
許し合える社会であれば、
人はもっと笑顔でいられるのかなって思います。


忙しいことはストレスになり、
忙しくないこともストレスになる。

人間とは難しい生き物ですね。

2020年10月20日火曜日

年賀状をデータ化しながら感じること

 家に溜まっていた年賀状を写真に撮り、

Googleドライブに保存し、原本は廃棄することにしました。


写真を撮りながら年賀状を見ていると

過去の思い出が蘇って来て、胸が熱くなるものがあります。


親からの「元気でやっているか?」の重み。

光沢紙にめり込む黒のボールペンの質圧が親父っぽいです。


友達からのメッセージを読んでいると、

その時の自分たちの境遇が蘇ってきます。


1枚1枚懐かしさが頭の中に溢れ出します。



ここ数年は年賀状なんてものはメールでいいだろ?

って思っていました。

無駄な紙を消費して・・・なんて。


でも、こうやって処分しながら眺めていると、

改めて年賀状の良さを痛感しました。



ただ、時代の流れでメールやLINEなどで

年賀メッセージをするのが普通になってくるのでしょうね。


手書きから伝わってくる温かみは確かにある。

当たり前に言われていたことだけど、

今回改めてリアルに実感しました。


ただ、年賀状は年賀状でも

単純にプリンターだけで印刷して送ってきていたものもあって、

それは温かさが伝わってきませんでした。


ただプリンターで印刷して送るならメールでいいかな・・・

せめて一言は手書きで添えてあればまた違います。



年賀状を送るなら手書きに限ります。


忘れていても思い出は確実に心に刻まれている。

年賀状を読みながら考えていました。

2020年10月18日日曜日

生きがいを探して

タイではデモが起こっていて、
それにまつわる情報がたくさん流れてきます。


自分は外国人という立場で、
さらにデモの地域とは離れているため、
静観しているという感じです。


別に勝手にしろ!と偉そうに眺めているわけではありません。


デモの人々、抗議される側にも私なんかには計り知れない理由があるんだろうなって思っていて、
それを深堀りするほど時間の余裕もないし、自分の人生の中の優先順位として上位に来ないというだけです。


人それぞれ関心事は違っていて、
芸能ニュースを関心事のトップにもってくる人がいれば、政治、経済、金融、オカルトをもってくる人など、十人十色です。


それを強要して、デモを最優先に持ってこなかければいけないという訳でもありません。

自分の今日の仕事について最優先にもってくる人がいれば、子育てを最優先にしても良いと思います。

ただ、人間は生きていれば、
何かしらの「生きがい」を感じていたく、
その生きがいを自分の外、
例えばデモ情報を追うことだったり、
芸能ニュースに精通することだったり、
ゲームすることだったり、
それぞれ違って良いと思います。


それを強要しようとするから
不毛な争いが生まれるのでしょう。


みなさんの生きがいってなんですか?

本当、あまり他人に迷惑をかけすぎなければ、なんでもいいんだと思います。

2020年10月17日土曜日

良いか悪いか誰が決める?

 ニュースを見ていたら「何が良い」「何が悪い」

と白黒つけたがるコメンテーターが多い気がします。


その方が見ている人もわかりやすいからかな?



ただ、この年まで生きていると

世の中そんな白黒割り切れるものではないなってことが

知識ではなくて実感としてわかってきます。


白 灰色 黒


この灰色だってすごい層になっています。


それを白黒というからには、どうしても視点が偏ってしまうというか、

視点が狭くなってしまっているのだと思います。


良い。悪い。


そんなことは当事者にしかわからないこと。

被害者だったり加害者だったり。



良い、悪いという思考をすぐにする人は、

自分に対しても良い悪いをすぐにしてしまうはず。



そして身近にいる人に対しても。


それが子供だったら質が悪い。


良い。悪い。


子供なんてそんなはっきりと分かれるわけがありません。


そもそも人間全体がそう。


悪い人の中にも良いがあり、

良い人の中にも悪いがある。



そのことを認めてあげることが生きやすい社会をつくる

第一歩なのかなって思います。


ただ、なんでもオッケーというわけではありません。


そこに人の感情は複雑に絡み合ってくるので、

オッケーなんて言えるはずがありません。


ただ、世の中は白黒はっきりつくことは

そんなになく、また良い悪いとはっきり分けることができることばかりではないのかな・・・


そんなことを考えるのです。


2020年10月14日水曜日

思うようにならないのが人生

 人間はストーリーを頭の中に創り上げています。

私も昔から数々の話、ドラマなどから植え付けられている思いがあります。


善人は幸せに暮らせ、悪人は不幸に暮らす。


もちろん、そうあってほしい。


ただ、人間の社会を見ていると、そう白黒はっきり割り切れる世界でもないことがわかります。


悪人であってもお金を利用して幸せに暮らす人もいる。


善人であっても理不尽に家族を失い苦しみの中で生きる人もいる。


幼子でも突然車にひかれてしまったり、

善人悪人関係なく、震災で亡くなったり。


だからといって、破れかぶれに生きろって話ではないです。


自分が考えているのは、

宇宙、地球からしたら人間なんてちっぽけなもの。

そんなちっぽけなものだからこそ、

そんな結果云々を期待せずに、自分が生きたいように生きたらいい

ということです。


それはわがまま放題にやれってわけではなくて、

自分の心の奥にある感性に従うということです。


その感性は自然に調和を求めているはず。


というのも自然界は調和しているからです。


自分も自然界の一部であるなら、自然に生きていれば

調和するはず。


調和しないなら地球上では異物だということで、

自然と滅びるしかないのかもしれません。


1日を自分の感性に従って大切に生ききる。


結果云々は人間にはどうしようもない。

甘んじて受け入れる。

けど、投げやりにならず、コツコツ人間レベルで頑張る。


そんな生き方がいいのかなって思う今日この頃です。

2020年10月9日金曜日

整形の是非について

 タイにいると日本以上に整形している女性と出会います。


若かりし頃は整形することに対して良いイメージはなく、

むしろちょっと悪いというか、

なんか他人だけでなく自分すらも騙しているような

イメージというか偏見なようなものをもっていました。


ただ、歳を重ねてくると見方、感じ方が変わってくるもので、

今はあまりマイナスのイメージはもっていません。



というのも、整形する人は

色々な悩みや葛藤を抱え、

長年苦しんできた日々を経て決断したのだと考えているからです。


そこまで考えていない人もいるでしょう。


けど、整形する多くの人が若いころからコンプレックスを抱え、

そのことで深い傷を負っていたり、

日々、苦しみの中で生きていたりしたのかもしれません。



そうであるなら、その深い苦しみのようなものは

自分には到底わかるものではなく、

「整形=悪」

なんて軽々しく言えるわけがないなって思うのです。


決して、その人と同じ立場になることはできないし、

もしかしたら自分だって、

同じ境遇だったら整形したいと考えていたかもしれません。



「整形なんてしなくていいよ」

「コンプレックスを乗り越えろ」的なことを言えるのは、

そこまで深い苦しみを味わっていない自分だからこそ

軽々しく言えるような気がします。



そのような考えがあり、

若いころとは違って整形している人に対しての

マイナスイメージが消えているのです。


本人がしたいなら、それで本人の心が軽くなるなら

別に他人が整形に対してとやかくいう必要はないって思います。


一度しかない人生、自分で考え、

自分で決断したことに対しては自分で責任を背負い、

全ての経験を受け止めながら各々が生きていけばよいのだと思います。


他人がとやかくいう問題ではないと思います。


2020年10月7日水曜日

未来は決まっていないから面白い


2020年

未だかつてない不安に世界が襲われています。

暗いトンネルの先に明かりは本当にあるのだろうか・・・


そんな苦しみの真っただ中で1歩の重い歩みを進めている方も

多くいらっしゃると思います。


こんな時期だからこそ、

人は弱った心を抱え、少しでも見通しのある未来を

つかみたくなるものです。


そんな人の弱った心をお金に変えようとしてくる人たちは

必ず出てくるものです。


心強くあれなんて簡単に言えることだとは思いません。


ただ、私が考えていることだけは

個人的な自由なブログなので書きます。


「先が見えないから人生は面白い」


「未来に何が起こるかわからないからこそ生きる意味がある」


そう思っています。

多少、強がってもいますが。


でも、先が確定していたと仮定してみて

少しだけ考えてみてください。


そんな人生面白いですか?


確定した時点で、もう終わっていて、

あとは「惰性」になってしまうのではないでしょうか。


これはあくまで個人的な意見であり、

別に誰かの生き方を否定したいわけではありません。


ただ、私は弱い心をもってはいますが、

それでも「不確定」な未来を面白いと捉えようとすることで

ちょっとは2020年を乗り切れる力を作り出している気がしています。



あと3か月で2020年が終わります。


何が起こっても、それは何が起こったという事実があるだけ。


受け入れて生きていくしかないんでしょうね。


星5つ中の4.3

2020年9月28日月曜日

竹内結子さんの自殺について

 竹内結子さんが自殺という選択をされた。


朝、SNSを見て「トレンド」に「竹内結子」という名があったので

何か特別な賞でも受賞されたのかな?

と思って検索してみたら驚きの「自殺」という文字。


自分とほぼ同世代ということもあり、

映画「リング」のころからずっと目にする機会の多い女優さんです。


それだけに特別にファンというわけでなくても、

当然のように好感をもつ女優さんとして自分の中には存在していて、

急に「死」という文字を見て、ちょっと茫然というか、

「え?」と言葉をのんでしまう状態になってしまいました。


生きていれば色々あります。


人は自分の目を通して他人を見ているので、

自分の解釈で色々と憶測することから避けられません。


テレビでもそのようなコメントが溢れていました。


芸能界の問題。

夫婦の問題。

育児の問題。


名探偵のように憶測していましたが、

自殺を選ぶ方の理由なんて本人しか絶対にわかりません。


なぜなら「死」を選ぶ経験なんて誰もしたことがなく、

その重みを選ぶ想像なんてできるわけがない。


芸能界の問題?

どんな問題だというのか。


夫婦の問題?

2人の関係を2人以上に知っているのだろうか。


育児の問題?

赤ちゃんを育てた経験があるのだろうか。


問題なんて複合的なものです。

しかも今この瞬間の問題だとも限らない。


昔から少しずつ溜まっていたものかもしれないし、

恐ろしく「魔が差す」という状況だったのかもしれない。


そんなことわかるわけがないし、

分かる必要もない。


遺書でもあるなら別だけど、

そのようなものがないのであれば、

他人が憶測で自分のもやもやをスッキリさせるために原因を決めつけて、

変に解決しようとする必要はない。


モヤモヤした状態でいいんだと思います。


人が死を選ぶ。

そんなスッキリする必要はない。


人が生きる道を選ぶか、死の道を選ぶか、

最後の最後の選択は誰も止められない。

遺書で何か訴えるようなことがない限り、

誰の責任でもない。

憶測で苦しむ人が増える必要もない。


竹内結子さんご本人にとっては

これが唯一の道だったという事実があった。

本人ではない全くの他人の私の意見は「残念」としか言いようがない。

ただただ残念でならない。


ご冥福をお祈りいたします。

2020年9月24日木曜日

歴代1位レベルのバンコクの冠水

午後から雷雨だったバンコク。


別にタイのスコールには慣れたので
大した驚きはないです。

冠水そのものも驚きはない。
でも、さすがに今回の道路の冠水は酷い!


車のタイヤが半分埋まり、
オフィス前の冠水は歴代1位レベルです。


歴代1位なんて大げさに書いてみましたが、
別段、全く驚くようなことでもなく、
バンコクで雷雨といえばありえることです。


変わらない景色がここにある。

20年前から何も変わっていません。


ただ、慣れたと言えども辛いこともあります。


安定の渋滞が起こるんですが、
バイクなんで渋滞が起こっても特に巻き込まれることはなく
濡れる不快感はありますが、
目的地には順調に到着できます。


辛いことは先に進めないと
足を地面につかなければならなくなることなんです・・・


この冠水は下水と直結しているんで雑菌てんこ盛り。

たぶん盛り過ぎて困るレベルの雑菌でしょう。


数々の冠水を潜り抜けたので
自分は最強の一本橋テクニックを身につけています。


アクセルとブレーキを絶妙に操り、
ほぼ0kmで進めます。


さらに前の車とその前の車まで視界に入れ、
完全に止まるのを避ける絶妙な距離感を保ちつつの0km走行。


それでも完全にダメなレベルで道路が詰まっているときがあります。
今日なんてまさにそう。


そんな時はギリギリ壁を探して、
手をついてもたれかかるようにしています。

神経ピリピリで走っているとちょい疲れます。


そんな神経戦を繰り広げ、
ゴミ箱が浮いている冠水ゾーンを走り抜けたときの充実感たるや。


約20年前から変わらない光景。


どうしてこうも改善しないでいられるんだろう。


多分10年後も変わらない冠水の光景がバンコクにはあるのでしょう。
それがバンコクの良さなのかもしれません。

2020年9月23日水曜日

タイの雑な部分を見下せるのか

 タイの道路は凸凹でベビーカーは無理。

電線は切れっぱなし。


どこもかしこも雑だと見下す日本人は多くいます。

私も完全に見下していた時期もありました。


ただ、ふと考えることがあります。


では、自分はどうなの?ということです。


自分の身の周りを見て、雑な部分はないのか?


程度の差こそあれ、タイを見下している人の中にも

よく自分を振り返れば、

見下してはいられない雑な部分が多々あるのではないかな。


日本が雑ではなく、丁寧さが溢れる国であるのは

自分たちではなく先代の方々のおかげです。


自分たちの手柄のように

日本はていねいでタイは雑と言う資格はあるのだろうか。



特に子供を教える仕事をしていると

わが子も含め、子供たちが提出するプリントを見ていると

未来の日本のためにしっかり指導しなければいけないと

気持ちを新たにしたくなるときがあります。


そんなことをふと感じる今日この頃です。

2020年9月17日木曜日

「北の国から」と「ぼくらの七日間戦争」のリンク

 最近、北の国からにはまってしまい

テレビシリーズからスペシャル版まで

ずっと見ていました。


95’「秘密」の回で純君の恋人役で

宮沢りえさんが出ていました。


消したい過去を抱えて生きる。

胸に突き刺さるものがありました。



そして98’「時代」を見ていたら、

宮沢りえさんの父親役があの人

何か嬉しくなってしまいました。


これって狙っていたのかな?



映画「僕らの七日間戦争」

工場にいた浮浪者の役を演じていた室田日出男さん。


「ボーイズビーアンビシャス」と少年たちを励ましていた役です。


宮沢りえさんも「僕らの七日間戦争」

の主人公として出演されていました。


時を経て2人が親子として共演。

まさか、ここで繋がるとは( ノД`)感動


ちなみに北の国からのテレビシリーズでは

僕らの七日間戦争の舞台となる青葉中で

教頭をしていた笹野高史さんも出演されていました。

髪がふさふさの若い姿です。


僕らの七日間戦争とは関係ないですが、

椎名桔平さん渡部篤郎さんもちょい役で出ていました。


椎名桔平さんは純が東京で初めて勤めていた車工場の場面で。

渡部篤郎さんは同級生の飲み会があった場面で。

ぜひ探してみてください。


時代を感じるな・・・


そりゃ、生きてりゃみんな歳をとりますな。


北の国から

2020年9月11日金曜日

伊勢谷友介さんの大麻とDVの問題

伊勢谷友介さんが逮捕されました。

地元の1こ上の先輩です。

小学校のころに遊んだことがありますが、
とっても優しい人だった印象があります。
もちろん、あれから何十年も経っているので性格は変わっているはずです。

でも、何歳になろうが
人の見方によって印象というものは変わるものです。


週刊誌のネット記事によると
伊勢谷友介さんにはDV疑惑があるとのこと。


そして、DV疑惑と大麻使用と関連付けて強く叩く傾向が
各種メディアに見られています。


私はこの一連の報道を見ていて、
思うことがあります。


🔹大麻について十分な調査をし、
その結果を一般市民に公開する。

🔹DV疑惑は第三者の意見であり、
疑惑が確定したかのような見出し、報道は慎むべき。


色々曖昧なことがある中、
人の人生を完全に潰してよいとは思えません。


大麻を容認しているわけでは決してありません。
日本では法律として禁止されているので
所持も使用も絶対にいけません。


しかし、単純に疑問を感じています。


アメリカや諸外国では罪にすらならなず、
普通に売っている地域があります。

さらに煙草より依存度が低いとか、
健康被害は低いという情報もあります。


今回、伊勢谷さんは長期間使用していたとのことです。
しかし、彼がやっていた慈善活動の結果は
かなり評価されるべきことがたくさんありました。


大麻によって彼に奇行があったという情報は
特に見当たりません。
しかし、逮捕後にはD疑惑が急に湧き上がり、
関連付けようとしていることは理解できます。


酒による害の実例は山ほど見聞きしています。
これは芸能人でも良くあります。

また、飲酒運転での死者は数え切れません。

それにも関わらず全く規制されずに自由に売買されています。


酒はOKで大麻がダメである点について
感情論ではなく、
科学的、医学的に調査してみたらよいのだと思います。


その結果として医学的、科学的に、
酒、タバコよりも害があり、
依存度も高く、他者、社会に悪影響を及ぼすことがわかれば、
誰もが納得するはずです。


調査も曖昧なままで規制だけするから、
曖昧な議論が沸き起こり、対立が生まれるのだと思います。


曖昧な議論では納得しない容認派が必ず出てきます。


そして今回のように容認派は影で活動することになります。


大麻は非合法なので、
影には悪い人が集まります。


影の活動は闇の資金源になり、
一般市民の悲しみを生むために
その資金が使われてしまう可能性があります。


また、影の活動はより依存度の高い別の薬物へといざなう道を
しっかり作っているのだと思います。



大麻と覚醒剤などを混ぜて語るのではなく、
明確に議論をして、
害が無いならアメリカのように表に出し、
闇の資金源に絶対にさせない。


酒税のようにしっかりと国の税収として、
正しく国民の幸福のために使う。


また、
週刊誌の言葉をすぐに鵜呑みにしない。


匿名の「業界関係者」の声は信じるに値するのでしょうか?


DV疑惑は被害者が直接声をあげているならわかります。


第三者が言ったことをまるで真実かのように報道し、
それをいとも簡単に信じてしまう人がいるのが不思議です。
なんでそう簡単に信じることができるのか・・・


また、もし仮にDV行為があったとして、
それと大麻を関連付けるのも安易ではないでしょうか。


彼が酒を飲む人なら、アルコールがDVの原因かもしれません。
もしくは、トラウマ的なものを抱えている
という心理的なものもあるかもしれません。


他の因子との関連性を調べないで叩く風潮は、
精神的に成熟した社会と言い難い気がします。


人間は豊かな感情をもつ生き物であり、
感情はとっても大切ですが、
感情だけに偏って人を叩きはじめると
やっていることは中世の魔女狩りと変わらないのではないでしょうか?


冷静な思考を養うきっかけとして
今回の事件を眺めてみるのも良いのかなと思って書いてみました。


決して彼と遊んだことがあるから無条件に擁護したい
という意図で書いているわけではありません。
そこだけは勘違いしてほしくないです。

2020年9月9日水曜日

北の国からのUFO問題

北の国からのスペシャルは子供のころに

ちょろちょろっと見たことはありました。


日本文学のように人間の心を繊細に描写して、

それを見ている人の心にも思索の種を与えてくれる

素敵なドラマだと感じていました。


そして43歳になり、初めてテレビシリーズを見ました。


深すぎる人間の心模様。

自分の生き方についても考えずにはいられないほどの

テーマ性が強烈にあり、ただのエンターテイメントではありません。


と言いたいところですが・・・


なんなんだ?!UFO・・・


リアル過ぎる人間ドラマの中、なぜか急にUFOのくだりが出てきます。

急にエンタメ性バリバリ?


たしか14話あたりだったかな?

20話あたりにも。

そこだけ妙にファンタジーなんです・・・


ファンタジーと言いましたが、

曖昧にしない描写(^^;


UFOは100%存在しているという大前提で話が進みます。


あのUFOのくだりっていったいなんだったんだろう・・・


おぼろげにすることで

子供の心理を暗に表現しているなどという意図ならまだしも、

ふつうに大人も見ていて話題にし、

さらに間近で目撃するという設定。


さらにゆうこ先生にいたっては・・・


倉本聰さんがUFOを見たことがあり、

強く信じておられるとしか意図がわからない・・・


私も別にUFOを信じていないわけではありません。

見たことはありませんが、

宇宙の広さくらいは知識では知っています。


その広さからしたら、知的生命体が人間以外に存在しない

と断定する方が非科学的な考え方だと思います。


ただ、あそこまでリアルな人間ドラマの中で

UFO見たかもしれない・・・というかわいらしい子供らしさで曖昧にもせず、

強烈に曇りもなくクリアにUFOはいると描写される

倉本聰先生・・・


とにかく北の国からというドラマの中で

あそこだけが妙な浮き上がり方をしていて不思議です。


いずれにせよ、北の国からシリーズは

日本人であるなら見るべき作品です。

日本人の心を育ててくれる教材と言ってよいドラマでしょう。


ちなみに15話近辺だったかな?

ちょっと忘れてしまいましたが、

五郎さんがビニール本を東京から持って帰ってきた純に

どのように性教育をしたら良いか悩むシーンがあるので

お子様と一緒に見ていると気まずいかも。


北の国から

2020年9月1日火曜日

価値観が違う夫婦


価値観の不一致。
芸能人が別れるときの常套句でしょうか。


夫婦関係について他人がとやかく言う必要もないので、
そんなもんかなという風に聞き流しています。

ただ、ちょっと思うことがあります。


「価値観が一致する夫婦なんてあるのだろうか?」と。そもそも論です。


SMAPのセロリの歌詞じゃないですけど、
育ってきた環境が違うから
すれ違いも否めない🎵ですよね。


育ってきた環境が違えば価値観なんて違って当然で、
国際結婚をしている自分は、
同国籍結婚よりも価値観の違いを感じている立場なのかもしれません。


もちろん、それはお互い様のことです。
妻も私の日本人としての価値観、
育ってきた環境で生まれた価値観に
少なからず違和感をもっているはずです。


そもそも、
価値観が同じだから結婚するなんてことは
盲信じゃないかな・・・


一時的に燃え上がった恋心で
価値観の違いが見えていないだけで、
結婚してずっと生活していれば、
価値観の違いなんてものは誰もが見えてきますよ。


で、その見えてきた価値観の違いをどうするの?
否定するの?受け入れるの?
それともお互いが直すの?

というところが問われている気がします。


価値観を「直す」というのは厄介です。


直したと思っていても、
「我慢」しているだけってことも多いのでは?


我慢なんてものは
いずれ破綻をきたして爆発するんじゃないでしょうかね。


だったら「受け入れる」ことが精神衛生上も
良いんじゃないかなって自分は思っています。


違っていいじゃん。
仕方ないじゃん。


諦めているようにも聞こえますかね^^;


諦めというマイナスより、
受け入れるというプラスの表現が好きかな。


お互いがお互いの違いを受け入れながら、
もし直せる部分があるなら、強制されるんじゃなくて、
自分で気づいて直すってくらいがちょうど良い気がしています。


自分が相手の価値観の違いを許してあげているなんて
上から目線でいるからイライラするのかな?

相手だってこっちの変な価値観を許してくれているもんです。


お互い様。


夫婦なんて価値観違って当たり前。
そんなもんじゃないんですかね。


人生100年になるかもしれませんし、
老後40年くらい2人で過ごす可能性もあるんだし、
受け入れた方が良いのかなって思います。

2020年8月31日月曜日

バンコク伊勢丹ISETANが閉館【自分の中での区切り】

2020年8月31日をもってバンコクの伊勢丹が閉館となりました。


前々から閉館だとは聞いていたんですが、

31日になり、Twitterでアップされた画像を見ていたら

どうにもこうにも行きたくなってしまい、バイクで向かいました。


バンコクの伊勢丹ISETAN


自分の中で区切りをつけたかったんです。


初めてタイに来たのが大学生のころでした。


昔はセントラルワールドではなくて

ワールドトレードセンターという名前のショッピングセンターの横に

見慣れたISETANの文字にちょっと安心感をおぼえました。


タクシーに全く通じない。

で、「ぱい うぁ~てぇ~」というと通じることを編み出して喜んでいましたw

バンコクの伊勢丹ISETAN


友達と伊勢丹内のお店でタイ飯の弁当を買って

ホテルで食べたのを思い出します。

まだ屋台で食べる自信がなかったのですが、

タイ料理は食べたかったのでありがたかった。


約20年前はここを象も歩いていたな・・・

バナナをあげた記憶があります。


ヤムウンセンなど知らなかったので、

写真を指差して注文したサラダについていた緑の小さい唐辛子。

こんなパラパラあるんだから食べられるだろうと思って

半粒かじった夜。

10分以上涙を流してのたうち回った記憶もあります。



そして月日は流れ、

自分がタイで働き始めたころ。


戦勝記念塔方面の1ヶ月4500bのアパートに住んでいたので、

毎朝スクビまで歩いて、そこから赤バス。

だいたいISETANの向かい辺りで

8時の国歌が流れるので立ち止まっていました。


仕事終わりはISETANの前で生演奏を聴きながら、

屋台で買った甘いアイスコーヒーを飲んで

出店の明かりで読書をしていました。


アパートに帰っても寂しいからです。


当時は伊勢丹で買い物できるほどの給与は無かったけど、

伊勢丹は毎日のように眺めていた場所でした。


子供ができてからは伊勢丹の上にある紀伊国屋に頻繁に行くことになり、

そのときに伊勢丹の中を通っていたので、外側からではなく内側に入って頻繁にお世話になりました。

バンコクの伊勢丹ISETAN


そうそう。

紀伊国屋前にあるお好み焼き屋によく行ったな・・・


伊勢丹は自分にとって思い出が詰まっている場所です。


なので、どうしても写真ではなく

この目で見ておきたく、

31日の夕方、思い立ってバイクで来ました。


ISETANの両脇に青いカーテンが。

最後は幕を閉じるのかな・・・

バンコクの伊勢丹ISETAN閉館

入ってすぐに花と「I」の文字。

何かお葬式みたい(^^;

バンコクの伊勢丹ISETAN閉館



館内は密も密w

バンコクの伊勢丹ISETAN

日本人よりタイ人の方が多いようです。

にぎわっていました。

バンコクの伊勢丹ISETAN


でも、そんなことより懐かしい当時の気持ちが蘇って蘇って。


1階から一通り見て、

マックでアイスコーヒーを買ってから

外で座って伊勢丹を眺めながら飲んでいました。


こんなにISETANの文字をまじまじと見たことなかった・・・

けっこう古い。歴史を感じます。

バンコクの伊勢丹ISETAN


自分が座っている場所も全く様相は違います。


昔はもっとタイっぽい屋根のある通路があったし、

階段で坂みたいになっていて座れる場所もありました。


どれくらい座っていたかな。

私の他にも年配の方でずっとISETANを眺めて座っている人もいました。


人それぞれ思い出があるんでしょうね。


自分の中で区切りをつけたくて来ましたが、

来てよかったです。


自分の中で思い出を収めることができました。

バンコクの伊勢丹ISETAN

お世話になりました。ありがとう。

2020年8月19日水曜日

間違った思い込み

ちょっと気になったことがあります。


某スポーツジムのCMで
太った状態から痩せた状態に変化した芸能人を
BGMと表情でインパクト大で伝えられているものがありますよね?


これは塾でも一時期子どもたちがBGMを歌うほど流行っていましたし、
みなさんも一度は目にしたことがあるはずです。



教育に携わる者としてちょっぴり気になることがあります。


このCMって
「太っていることは不幸」という
間違ったイメージを伝えてしまっていないかな?ということです。


太った状態の人が
すごく落ち込んだみじめそうな表情で
姿勢も悪く暗いBGMの中で佇む様子。


製作者の意図はわかりませんが、
私には明らかに太っていることに対して
強烈なマイナスイメージが伝わってきました。


子どもたちも太った人に対して
かなり強いマイナスの印象をもつのではないでしょうかね。


私も太っていることにはマイナスの印象はあります。
ただ、このCMのような不幸っぽいマイナスではなくて、
健康面に関してです。


もし長生きしたかったり、
スムーズに動けるようになりたいなら
痩せた方が良いというシンプルなマイナスです。


でも、太っていることが不幸だったり悪いことだったり、
そのような思いはありません。
個人の自由です。全くの自由です。



ただ、太るに至るプロセスが怠惰にあるとすれば、
改善する方が生きやすいのかなとは思います。


ただ、このようなCMでは、
メリット、デメリットを伝える時間も無いとは思うので、
どうしても行き過ぎた印象操作をしてしまいがちです。


いじめは悪いと大人が言いながら、
結局、いじめの種を撒いているのも大人なのかな。
そんな気がした今日このごろです。


考えすぎかもしれません(^^;

2020年8月17日月曜日

考えることは面倒@コロナ

ロータスラーマ4世店


ニュースを見ていたら、
妊婦が息苦しさからマスクを外すことに
注意をした人の是非が扱われていました。


自分はシンプルに妊婦が苦しさからマスクを外したいのなら
時と場合を見計らって外せばいいと思います。


他人がとやかく言う必要も無いかと思いますが、正義感は人それぞれ。
昨今のニュースを見ていれば、
マスクをしていないことに物申したい人がいるのもわかります。


渋谷で「クラスターフェス」なんてやっているみたいですからね。
マスクをしていない人に腹を立てる人が増えても
おかしくない状況かと思います。


みんなで免疫作ろうよってフェスティバルなんでしょうけど、
自分たちの思いを関係ない他者にも押し付けてしまう行為は
やめてほしいです。


いずれにせよ、マスクで注意する人も、クラスターフェスする人も、
「なんとなく」の雰囲気で行動しているのではないかな?


マスクで注意をする人は「なんとなく」マスクをしていないことを悪だ
と思って行動していて、
マスクが本当に必要かどうかは検討していないのではないかな。


というのも、
当初はマスクってPM2.5レベルの高性能のマスクでなければ無意味だという報道でした。

それが気がつけば、マスクDIYという情報がメディアに出始め、
気がつけば手作りマスクでもOKな雰囲気が主流になっています。


PM2.5レベルでなければ・・・という情報はいつのまにか見かけなくなり、
素人が作った布製マスクもOKになっていますよね。


かといって布製でOKであるなら、医療関係者も布製を使っても良いはずですが、
医療関係者は布製を使っていません。
ということは、布製では飛沫感染の可能性が高いのでないのかな
と考えることもできるはずです。


そんな曖昧な状態のまま、周囲がおしゃれな布製マスクをDIYしているのに、
自分が医療用の高いマスクをしていることに意義を感じにくくなって、
気がつけばおしゃれマスクが主流になっているのかもしれません。


私は正直、ウィルスは手作りマスクでは防げないとは思っていますが、
そこが精査されたニュースは最近は目にしたことがありません。


ただ、感染者数は増えていても死傷者数は1、2名と少ない状態です。

この数値を見ると、ウィルスは防げていなくても、
免疫機能が発達していて無症状でやり過ごせている人が増えている
と考えることもできそうです。


免疫が高まっていて、無症状の人であれ、
菌の保有そのものは防げないので、
PCR検査の数を増やせば感染者数も増えているという状態なのではないでしょうか。


メディアは新型コロナが危険かどうかという精査された情報を発信するより、
話題性の高い、感染者数だけを報道しています。


それを聞いた人たちが
誰もが「なんとなく」危険なんじゃないかな?
「なんとなく」マスクしていた方が良いんじゃないかな?

という色々な「なんとなく」で行動しているのが今の状況な気がしています。


最後は自己責任にはなりますが、
最終的な結論が出るまでは、
「転ばぬ先の杖」というように
高性能マスクと手洗いうがい、除菌を続けていることが大切ではないのかな
って個人的には考えています。


偏った情報を元にマスクをしていない人を過度に叩いたり、
日本人同士で叩きあったり、
もっと大きなことで言えば、
国の政策を叩いたりするのは、
ちょっとギスギスと生き難い世の中をつくっている気がして
良い気分がしないなって思う今日このごろです。

2020年8月15日土曜日

考えることは面倒



あえて目をそらす。


考えないようにするために。



考えると面倒だとわかっているとき、

あえて日々の仕事だったり、ルーティーンだったりを「こなす」

ように生活してしまっているなぁと自覚があります(^^;


そうやって、どんどん歳月が流れていきます。


気が付けば8月も半ば。


本当は考えなければいけないことがある。

そう気づいていながら、

ふとまた同じように今日を「こなす」。

考えたくないから。

考えると長いから。

考えると見なければいけないものが見えてしまうから。


若い時の方がもっと自分の心と向き合って

不器用ながらにも「こなす」ことなく、

ガチでがぶりよつになって生きていた気がしています。


もがいてもがいて、紆余曲折。

気が付けば今の場所で安定した生活をすることができています。



実家もなし。

親からの援助は高校まで。


全くの0地点からよくもまぁここまでたどり着いたものだなと

客観的に自分の人生を振り返って思います。


考えなくて「こなす」ことができるのも

歳を重ねて生き方の要領が良くなったのかもしれません。


でも、要領よく生きた先に待っているものって何なんでしょうね。

要領よく死とうゴールまで駆け抜けても別に良いのでしょう。

でも、違うなって気がします。


だからこそ、不器用でも心と向き合った方が良い。

さて。そろそろ向き合うかなという合図かもしれません。

こうやってブログを書こうと考えたことが・・・

そんなことをふと考えていた今日。

2020年8月7日金曜日

タイで生きるのが良いか、日本が良いか?

日本にいる人からは自分がタイで生活できていることを

羨ましく見えることもあるようです。


タイに住んでいる自分からしたら、

日本で生活できている方を羨ましく思うこともあります。


では、どっちで暮らすのが良いのか❓


私に聞いてくる方もいます。

もちろん私の答えはあって、それをお答えします。

でも、それは私の答えであって、

人によって変わってきますよね。


興味本位で聞いてくる人ならいいんですが、

本気で移住を迷って聞いてくる人がいたなら、

【答えは外にはない】ということが解だと考えています。



私がタイが良いと思ったとしても

それは私の答えであってあなたの答えではないですから。


あなたが日本が良いと思うなら日本に住めばいいし、

タイが良いと思ったならタイに住めばいい。


とてもシンプルなことなんだと思います。


どっちが良いなんて他人が決めることではないですから。



結局、あなたはどうしたいのですか?

というところに行きつくんだと思います。


今の生活でいいんですか?

いいなら別にそれでよいわけで、

タイで生活したいと思っているのかもしれないけど、

リスクなどを考えたら、日本で生きることを選択した。


それならそれでいいんだと思います。


本当に日本での生活が嫌ならタイでとっくに生活しているはずですからね。


小さいころから、答えを他人に求めて生きていれば、

人生の一大事な選択でも他人に答えを委ねたくなるんだと思います。



だから、新興宗教に行く人がいれば、占いに依存する人が出てくるんだと思います。

どこかに答えがあるんじゃないかって。


幸せの青い鳥みたいなものですかね。

答えは自分の中にあるのに。



自分の本心は状況で変わってくるものだって思います。

タイで長くいる自分だって、一生タイにいるかどうかなんてわからない。



時々質問されます。

一生タイで生活するんですか?って。


そんなこと自分にもわからないです。

先のことなんてわからない。

決まっていないから面白いし、苦しいんだと思います。


決まっている人生をなぞるだけだったら、

自分にとってはもうその時点で終わっています。



だから日本で生きることになるかもしれないし、

タイで生きることになるかもしれない。


それくらいの緩さが良いのかなって思います。

2020年8月5日水曜日

タイで細菌と戦いながら思う【常在菌まで殺してない?】


前回、足が腫れてしまった話をしましたが、
あれから抗生物質を飲み続け、
何とか腫れのピークは収まりました。


が、傷口あたりの腫れはまだ少し残っているし、
足の甲の骨が見えない程度にはしぶとく腫れが残っています。


それにしてもなんでなんでしょうね。


ただ掻いただけなんですけど、
こうも強い最近が爪の間に残っていたのでしょうかね?


自分が勝手に想像しているのは
中途半端にアルコールジェルを使っているからじゃないかな
って思っています。


アルコールジェルで雑菌はかなり死ぬけど、
生き残った菌は強者ですよね。


その強者が繁殖してしまっていたのでは?
とかありえないかな。


過度な殺菌によって、
逆に強い菌がはびこり始めるなんてことがあるなら
ちょっと怖いですよね。


常在菌ってものが手にはもともとあって、
色々な菌から守ってくれていましたから、
それまで殺してしまっていたのでは?
とか考えています。


除菌が当たり前になっている今、
どんどん人間の免疫が弱くなってしまっていないかな。


マスクでウィルスの侵入を防ぐのはいいけど、
免疫力が低下しそうな気がしています。


菌と共に生きてきたのが人間です。


どこまで滅菌するのか。
バランスが難しいですよね。


そんなことを考えていました。
あと2日くらい抗生物質は続けて
終わりにしたいと思います。

2020年7月29日水曜日

タイで細菌と戦う日々

タイのTOPSマーケット


金曜日、左足首がかゆく、
くるぶしあたりをカリカリ掻いていました。


で、小さいキズができてしまいました。

すると・・・

土曜には赤く腫れはじめ、
日曜には片足の甲まで腫れてしまいました。

月曜に病院に行き、抗生物質をもらって
今日は水曜です。

足の甲は腫れ、歩くと水枕が動くような
変な振動が感じられます。

ただ、痛みはないので薬が効いて
治ってきているのかもしれません。


それにしてもタイの細菌は怖い。
タイの人にとっては、生まれた時からある菌だから耐性があるのかもしれません。


でも、日本人である自分にとって、
在タイ10年を越えても免疫はできないようで、ちっこい傷から侵入した菌に
かなりのダメージを負うことになってしまいました。


抗生物質で若干の眠気もありますが、
仕事はあるので休めないのが大人の
厳しいところです。


タイは私にとっては異国。
私は異人。


こんな当たり前のことを痛感するきっかけになりましたし、
改めて健康の大切さも痛感しています。


普通に歩けること。

普通に体を洗えること。


足を気にせず座れること。


健康第一とは言いますが、
こは真理中の真理ですね。


教養とは何か?
教育とは?
子供が生きる力とは?
などなど、自分が考えているテーマです。が、足がパンパンに腫れている腫れ男は、足の治療のことが頭の7割を占めていますw
それ以外で日常生活の細々したこと。

以上。


教育とはなんぞやなんて考えている余裕はありません。


健康第一。


本当に痛感する数日間です。


PS:抗生物質が無い昔の時代の人々は
街に落ちたくぎを踏んだだけで致命傷だったんでしょうね。

自分のかき傷だけでこのダメージ。
お侍さんや武士も、軽い刀傷で命を落としてしまうほどの
ダメージを負ってしまっていたんでしょうね。

2020年7月20日月曜日

老いを受け入れる年齢

自分は老化なんてことを考えたことはリアルには無かった。
特に40歳を越えたら・・・的なことも聞いていたけど、
別段に外見、内面ともにいつもと変わらず、
こんなものかな?
と拍子抜けした記憶もあります。


そして「厄年」を去年迎えました。
色々周囲に言われましたが、
自分はあまり気にするタイプでもないので、
「厄年」ということも忘れていて、
特にお祓い的なこともせずに気づいたら終わっていました(^^;


では、何も感じることもなく
いつも通り43歳になっているかと言われたら
これは違うんです・・・


老化。


厄年の「厄」は感じることができませんでしたが、
「老化」を感じることができました。


白髪が増えたなぁ・・・と感じたのは42歳。


肩の凝り、眼精疲労のようなものを感じたのも。

首がどこか凝っているのも。

酷く腰をやられたのも。

シミが若干気になったのも。

肌が乾燥しているような・・・
なんて感じたのも。


とにかく、肉体的に色々と老化のようなものを感じたのは
確かに42歳でした。


いつまでも無限に若いつもりでいましたが、
そろそろ向き合わなければいけないんだなと
43歳になった今は、少し諦めというか、
受け入れたような気持ちになっています。


老化ってやつだけは仕方がない。
どうしようもない。

多少はあらがえるんだろうけど
数年あらがったからといって、
またあらがえない時期は必ず来る。
遅かれ早かれ。


だったら今向き合うしかない。


そんな気分です。


でも、正直嫌なものです。
この肩の妙な凝り。

首から目にかけた疲労。
ちょっと近くのものがかすむような気すらします。

昔から視力は2.0で、目の良さは自慢できていたんですけどね。
どうも近くのものが見づらいような。


ま、しゃーないですね。

2020年7月19日日曜日

人は必ず命が終わる【三浦春馬さん訃報】

三浦春馬さんの訃報が入りました。


ファンだというほど知っているわけではないけど、
ちょくちょくテレビでお見掛けしていただけに
少しだけ明らかになっていた死因に驚きました。



人は必ず命を終えなければならない日が来ます。


それが早いか遅いかは誰もわからないけど、
必ず終わる命。


それを自ら早める決断をした思い。

こればかりは誰にも計り知れないことですし、
はかり知る必要もないことです。

三浦春馬さんだけが知っていればいいことだし、
それが正解か不正解かは、
人の眼によって左右されはするものの、
誰にもわからないこと。


彼が選んだ道であるという事実だけは確かなことです。


何のために生まれ、
何のために生きるのか。


それを見出せる人がいれば、
見いだせない人もいる。


見出した人もいれば、
それを手放す人もいる。


私には何が正解かなんてわかりません。


ただ、言えることは、
私に関わってくれた人には、
死を選んでほしくはないし、
そうならないように自分は協力できたらなと思います。


できることはそれくらいでしょう。


人には誰にも言えない悩みもあれば、
それを抱えきれないで苦しんでいる人もいるはず。


もし、これを読んでいる
自分の知り合いの人で、
そのような苦しみを覚えている人がいるなら、
連絡してもらいたいな・・・と思います。


どうせ一度しかない人生。
そして必ず終わる人生。


人という字は支え合うようにできているって
金八先生も言っていました。


少しだけ支え合って生きましょう。
寄りかかり過ぎず。適度な感じで。


2020年7月17日金曜日

古き良きタイを生きてきた

最近、ふと改めて自分の半生を振り返ることがあります。


たくさんの経験をさせてもらって、
その経験が寸分の狂いなくかみ合ってここまで
辿り着くことができたことの奇跡。
本当にピタっとかみ合っている奇跡です。


当たり前のことなんですけどね。


あの時、あの判断をしていなければ・・・
その連続の中の1つでもズレたら
今の地点にはいないだろうし。


でも、今とは違う地点にいるなら、
そこで今と同じようなことを
やっぱ考えている自分がいるのかもしれません。


ひょんなことからタイに来ました。


バックパッカーのような感じで来たことがきっかけです。

そして、現地採用として
多くのみなさんが経験できないような
底辺の生活も経験することができました。


4500Bのアパート。
殺風景な部屋に響く声。
でも、タイで確かに生きているという強い喜びがありました。

赤茶の水道。
水シャワーの寒さ。


部屋の床のタイルの冷たさ。硬さ。

ベッドのなぞの白い汚れ。


日本とは違うアパートの廊下。
エレベータの雑な動き。
デカいボタン。


はじめて入ったセブンイレブンは、
しょうじきセブンイレブンじゃなかったなぁ。


入り口にはセブンイレブン!って堂々と書いてあっても
中はタイの風味ばりばり。


まったく自分がイメージしていたセブンと違っていて
アウェーだなぁ・・・と感じました。



それが今やこれです。


こんなものがタイのセブンに置かれる日が来るとは。


今、タイに来た若い日本人の子にとっては、
これが普通なんでしょうね。
いや、これでも驚くんでしょう。


自分がマヒしているだけかもしれません。


でも、やっぱ昔と比べたら、本当に日本っぽくなりましたよ。
店員がタイ人だということを抜きにすれば、
全く異国情緒ないですから。


あるのかな?
やっぱ自分がマヒしているだけかも(^^;


こんなC1000タケダみたいな
ビタミンCのドリンクなんてありえないですから。


今や日本のテレビも普通に見られるし、
YouTubeもあります。


昔はそんなものなかったから、
部屋の中でタイのテレビを流していましたから、
家の中までTHEタイでした。


今こうやって書いているときも
部屋を見渡せば、すべてがそろっています。


よくここまで歩いてきたな・・・我ながら。


YouTubeで異国を紹介している番組があって
芸能人がキャッキャ言っていますが、
自分の家の近所があんな感じだもんな・・・
と不思議な感覚です。


自分はもう13年くらいいるから当たり前になってしまった光景を
すごく新鮮に味わえる人は幸せなことなんでしょうね。


むしろ自分は日本に2年に1回くらい帰国した方が
すごい新鮮味があるという逆転が起こっています。
その感覚も不思議です。


人生の前半戦では
本当にありがたい経験をさせてもらった。


これを自分だけのものにして、
ただ一人で満足して人生を終えるのは何か違う気がしています。


自分の経験を未来の子供たちのために活かしたいなと。
最近ちょくちょく思うようになりました。


それが歳をとるということなんでしょうかね。

2020年7月15日水曜日

思い癖というやっかいなもの

考え方の癖ってありますよね。


自分も考え方の癖があることに
時々気がつくことがあります。


自分はお金で苦労した過去があります。
都立高校でしたが学費も少しだけ自分で払った時期があり、大学も奨学金で行き、自分で返済してきました。


そのためかお金に関して、
ちょっとした苦労グセのようなものが
自然と出来上がっていることに気づきます。

未来に対する金銭的な不安。

これがつきまといます。


その割に公務員を辞めてタイに来て
自営業をしているのは、
金銭的な理由より夢を追いかけている
といったところが大きいです。


ただ、人生を折り返してみれば、
この生き方を息子におすすめできるかと言えば、正直おすすめはできません。


でも、人生を選ぶのは自由なので、
自分が経験した上でのリアルなアドバイスはしようと思います。


それを聞いたからといって
自分の進路がコロコロ変わるようであれば、
その夢への熱意は弱いのかもしれません。


私の話を聞いても
安定だのなんだの無視して
突っ走ってしまう。


そんな夢を見つけることができたら
人は幸せなのかもしれません。


どうせ死ぬ時はあの世に金なんて持っていけませんからね。


どう生きるか。


それが問われています。


ただ、自分は生き方の中に
どうしても金銭的な思いグセがあり、
それと戦っています。

だいぶ買ったような気がしますが、
それでも見てみないふりをしているだけで
心の奥に何かしらありそうです。


でも、今は考えません。
見ないふりをしています^^;


そんな思いグセがあるくせに
公務員を辞めてタイに来るのだから
人生どうなるかわからないものです。


自分で選んではいるものの、
そのときはそうとしか思えずに歩いているので、ある意味、そのときの自分に歩かされたような・・・


さて、これからの後半戦は
どう方向を決めて、どう歩いていくのか。


先が見えないのは不安です。
でも、RPGゲームの攻略本を先に見てしまったような
先が見え過ぎる人生も嫌です。


ないものねだり。
これも思い癖なのかもしれません^^;

2020年7月13日月曜日

海外の新型コロナが日本の対応より優れているわけではない

新型コロナ感染者数が増えている東京。


タイに住んでいる自分から見ると
対応が甘いという感じがしますが、
それはタイにいるからこそ感じること。


日本に住んでいれば、それが当たり前になっているので
甘いと感じる人の数は海外在住の日本人に比べて
低くなるのは仕方がないことです。


ここで勘違いしたくないのは
海外に住んでいるからといって有識者のごとく
日本の対応が云々と学者風を吹かすこと。


自分は海外に住んでいて感じることは
分化も環境も全く違うので、
その国の対応の仕方を日本に入れることは難しいということです。


外出禁止令だったり、閉鎖命令だったり、
タイでは比較的簡単にできるから、
政府の対応が日本に比べると素晴らしいっていう日本人もいまが、
本当に素晴らしいんでしょうかね。


コロナ禍ではないときの政府の対応も
同じような強制力でやっているわけで、
それに関しては大いに否定していなかったかな?


それにも関わらず、コロナ禍になったら急に手のひら返しで
タイの政府の対応は日本より・・・ってのは
おかしな話。狭いポイントでしか見ていないわけでしょう。


強制力をもつということは
やはり他のことにも強制力をもつことができてしまうので
そこに敏感になるのは先進国、人権大国としては
仕方がないのかなとも思います。


そして、東京の人口密度は世界有数。
その人口密度の都市とタイを比べるのもナンセンスかと思います。


その国なりのベストは何か。
そこを模索しているのが今。


至らないところがあるだろうけど見捨てない。


ここはもっとこうした方が良いという
建設的な意見が広まるなら
より成熟した社会だと言えるのかなって思います。


私は日本が好きです。
だからこそ、海外から日本を見ていて、
ちょっと日本人が日本に悲観的になり過ぎていることが
よりマイナスの現状を生み出しているような気がしてなりません。


日本にプラス思考で情深いエネルギー溢れるリーダーが生まれることを
願いたいです。

2020年7月10日金曜日

根っこに目を向ける

肩が凝る。首が凝る。
目が疲れる。


最近感じていたことです。


が、原因はあります。
確かに変な力が体に加わり続けています。
その変な力はどこから生まれているのか。


ストレスによる緊張感から筋肉が固くなっている。

ストレスの原因は何か。
それが肩こりなどの根っこです。



さらに、仕事柄、目を酷使しているし、
睡眠時間も少なめです。


なぜそんな生活になってしまっているのか。
この生活は改善できないのか。
そこが根っこです。


体を痛めつけているのは自分であり、
そのことに気づかずに日々の生活を続けています。



そうしているうちに、
痛みを伴う箇所は
いつか取り返しのつかないダメージを負ってしまうのかもしれません。


今の社会を見ていても同じ気がします。
痛ましい事件や災害は多くあります。


これは一体なにが原因だったのか。
地球規模で間違っていたことがあったのではないか。


そこを考えてケアしてあげない限り、
第2第3の事件は社会の中に必ず現れ続けるのでしょう。


根っこに目を向けない限り。

2020年7月9日木曜日

タイ政府【日中韓トラベルバブルの無期限延期…】

タイの新型コロナ対策
▲エスカレーター前のソーシャルディスタンスを知らせるセンサー


タイ政府が日中韓の【トラベルバブル】の
無期限延期を発表したらしい…


一次情報ではないので、
真偽はご自身で確かめてください。


・・・。


トラベルバブル❓
な、何それ・・・


という方もいるかと思います。


私がそうです(^^;


軽く調べてみました。



日中韓はタイと結びつきが強い国。
近いですし。
観光客だったりビジネスだったり行ったり来たり。


この日本、韓国、中国からの観光客の受け入れを
他国よりも優先的にしようと試みた計画だそうです。


で、まずはビジネスでの来タイなどを受け入れようと
つい最近、規制が緩和されたばかりだったのに・・・


7月9日の東京の感染者数が224人で
過去最多だとか・・・


日本が感染を制御できていないということで、
トラベルバブルが先送りとなったみたいです。


とても悲しいですが、
こればかりは仕方が無い判断かと思います。


タイは国が強い権限をもって半ば強制的な閉鎖指示を
各方面に出していました。


夜間外出禁止令が出て
夜10時以降外出は禁止の期間もありました。


飲食店だけでなく、自分の塾の仕事も閉鎖命令が出ました。
デパートも閉鎖。


今は解除されましたが、
本当に痛みを伴う命令に多くの人が悲鳴をあげつつも
何とか乗り越えてきました。


痛みを伴う閉鎖などのおかげか、
タイでは国内感染者数0人が数十日続いています。


ここで日韓中を受け入れをしてしまったら、
また振り出しに戻ってしまう可能性があるので
仕方がないのでしょう。


日本人である自分としては複雑な知らせです。


出口の見えない無い長いトンネルの中にいるような。
日本はどうなるのでしょうか・・・


きっと皆さん頑張っていらっしゃいますよね。


夜の歓楽街での感染が・・・などもニュースで耳にしました。


さらに、東京都知事選では、
ご自身の当選のために街頭演説で密をつくっている候補者も見ました。


7月7日がラッキー7でパチンコに1000人単位で行列ができたとか・・・


タイで暮らしていると、
このあまりの自由さが信じがたい感じもします。


この自由さは歴史の中で勝ち取ってきた人権なのかもしれません。
人権先進国だからこその自由な権利。


でも、判断力が無いお気楽な行動だったり、
無秩序というものと表裏一体の自由なのかもしれません。


いずれにせよ、
一部の方々の欲のために
一部の方が苦しみを背負わなければならない現状。


パチンコに精を出す大人の影で、
一生の思い出となる卒業式や入学式が中止になる学生も出てきます。


タイにいても自分は日本人。
日本が好きです。


私は人権はとっても大切だとは思いますが、
今は政府が強いリーダーシップを発揮してよい時期かと思います。
そのためのリーダーですから。


民主主義であり、議論も必要でしょうが、
一刻を争う時期だと思います。


何とか空気が乾燥する冬までには・・・
何とか。

2020年7月8日水曜日

家族ができて自分は弱くなったのか?

8番らーめん
▲バンコクの8番らーめん


ふと昔からの友人に言われたこと。

【背負ってる責任は大きくなって苦労あると思う】

確かにそうだなって感じることがあります。


独り身だったら全く苦労せず決断していることも
家族がいることで決断に苦痛が伴うこともあります。


苦労が生まれるだけではなく、
弱くなったなとも感じることがありました。


家族が自分のパワーになってくれる。
だから家族なしではいられなくなっている自分に気づく。
依存心のようなものです。


自分そのもののパワーは弱くなっているのか?
もう欠けるわけにはいかないかけがえのないものができたから、
欠ける怖さから弱くなっているのか?

そんなことを考えたこともありました。


だけど、深い部分を見つめれば、
パワーは増しているということに気づけました。


1人でいるより絶対に増しています。
ふつふつと。


窮鼠猫を噛むというような
突発的に湧きそうなエネルギー。
いざというときに出るだろうパワー。
これはすごいものがあります。


背負う者がいつか自分と一心同体となり、
自分の命も背負う者の命も惜しむ。


が、背負っていたつもりが
実はパワーをくれていたという事実や、
背負う者によって生きる意味を与えられているという事実に気づく。


生きる意味を与えてくれた家族、
その中でも子供ができたことで
自分の命より大切なものがあるという事実を悟る。


侍は自分より主君の命を大切にするまで
自分の胆力を練ったらしいですが、
そんな鍛錬はゼロ。


我が子がいるだけで
すぐに胆力は練れました。


何か危機に直面したとき、
「子どもの命が助かるなら死んでも良い」
本気でそう思えます。
嘘偽り無く。


弱くなったようで強くなった。
例え強くなったとしても
それを誇示する必要もない
自分だけの中にあればよい強さ。


ただ、心の奥の方でふつふつと
沸き立つようなエネルギー。
自分だけがわかっていればいい。


そのエネルギーを何に使うか。


できれば家族を越えて、
何か社会の中に少しでも還元し、
次世代がより生きやすい社会を作ること
貢献できたらなと思う今日この頃です。

2020年7月7日火曜日

何かと比べて生きる


ビックCエカマイ
▲ビックC エカマイ店

自分が不幸だと思うことも
アフリカの名も知らない村で
顔にたかるハエに苦しむ老人から見たら、
取るに足らない塵のようなものなのかもしれません。


でも、何もかもが順風満帆で
光り輝く生活の人から見れば、
自分の生活が不幸に映るのかもしれません。


このコロナ禍の中、
人間は何事も他人と比べ、
過去の自分と比べ、
未来の自分と比べ、
空想の誰かと比べ、
喜怒哀楽と共に生きているんだなと感じます。


だからといって、
何事も幸不幸も無いなんてことではなく、
やはり、自分がキャッチできる情報の範囲で
幸不幸は決まりがち


だからこそ、
人は偏った情報に陥らず、
日本から飛び出した、時代を超えた
多様な情報を手に入れ、
判断材料にするべきだと思います。


もしくは完全に情報から鎖国して、
始めからある心の中の尺度に従うか。


いずれにせよ、
今の自分の気持ちっていうのは、
何かしらのものと比較して生まれているな
というのが今の率直な気持ちです。


だから何だってわけでもないですが^^;

2020年7月4日土曜日

選んだ道は正解【自分がタイ生活をするきっかけとなった先輩】



自分がタイで生きることになる上で
かかせない人がいる。


学生時代に秋葉原の万世の1階にある
トリムという喫茶店でバイトしていました。


バイトの1つ年上の先輩が
旅行先にタイを勧めてくれました。
その先輩の友達がタイでタイ語を勉強しているとのこと。


そして、自分は学生時代に
その先輩の知人に会いにタイに行きました。

それから彼とは繋がりができ、
一時期は日本で一緒に暮らすくらいの仲に。



そんな彼が今月タイでの仕事を退職となった。
コロナの煽りを受けて。


少しでも話を聞きたいし、
何かの気晴らしになればと思って再会しました。


日本で共に暮らしていたときの話。
タイでの生活をスタートしたときの話。


お互いに家族ができ、
親父になり、
色々な境遇を共有できる仲でもあります。


ただ、別に同じ学校だったわけでもないし、
不思議な縁だな・・・
先輩だから未だに敬語だし。


2軒めに行ったお店。
ちょっと裏路地を歩いていたとき
偶然発見したお店。


そこで二人で語っていたとき、
ふと懐かしい思いがこみ上げてきました。


店内で流れる音楽。


日本で一緒に生活していたころ。
タイで生活したいねと語り合っていたころ。

夜中のインターFMでやっていた
「タイの広場」という番組で良く流れていた曲でした。


縁だなぁ・・・と感じた夜でした。


彼は下旬に日本に帰国します。
そして再びタイで働ける職を探すとのこと。

未来はどうなるかなんて誰にもわからないです。


自分はただ良い未来が来ることを願うのみです。
縁あれば再び出会う日が来ることでしょう。
来ることを確信しています。


20代のころに出会ったお互いも
気がつけば40を越えました。

何が正解かわからない人生ですが、
どんな道であれ選んだ道はきっと正解です。
いや、正解と考えないことに何の意味があるのでしょうか。


選んだ事実はすぐ過去となり、
事実は変えられません。


どうせ変えられないなら正解と考えた方が良いのでしょう。


お互いの未来は
きっとこれからも正解だと信じて。

2020年7月3日金曜日

答えの出ない問い。答えのない問い。答えが決まっている問い。

新型コロナを気に色々と考えています。



色々と言っても軽い話題ではなくて、
自分の人生を大きく変えるかもしれない
大きなレベルのことです。


自分はタイで自分で起業して働いています。
企業に守ってもらっているわけではないので、
今回のコロナ禍はモロに強風にぶつかることになりました。
なかなかの強風です。


自分は幸いなことに何とか強風の中、
前に進むことができました。


しかし、知人が強風に倒れる姿を
目の当たりにしています。


退職。
1人ではありません。


今回のコロナは対岸の火事ではなく、
直視しなければならない厳しい現実を
目の前に突き出されました。


しかし、倒れた人も片膝をつき、
再び立ち上がって頑張ろうとしています。


そんな人達を助けてあげたくても、
悩みが吹き飛ぶほど何かしてあげられるわけでもなく・・・
自分の無力さも痛感しています。


タイで生きることを選び、
もう15年に近づいています。


今住む家はローンがあと5年弱くらいかな。
老後に住む場所は確保できそうです。


老後・・・


15年住もうが、タイは自分にとって異国です。


コロナに耐えたとは言っても、
老後前に病や事故で倒れることだってありえます。


そうなれば、外国人である自分は
莫大な医療費がかかります。
こちらで民間の保険には加入していますが、
それでもタイで生きていくことのリスクの大きさは
日本と比較して無視できないレベルのものです。


知人で病に倒れ、
1000万円近くかかった人もいます。
都市伝説ではなく、リアルなことです。


昔はそのようなことは
全く考えもしていませんでした。


若気の至りというか、覇気というか、
ただただ我武者羅に走り続けていたら、
今の位置までたどり着いたという感じです。


もし昔の職場にとどまっていたら、
知人と一緒に倒れていたことになります。


人生は自らの力で変える。
そう考えて走り続けてきました。


しかし、自分の力ではどうしようもない流れもあります。


自分ではもがき泳いできたつもりだけど、
方向は自力ではなくて
大きな流れにただ流されていただけなのかも。
自分で泳いだつもりが、漂っていただけなのかも。


果たして自分の人生の後半戦は、
どう流れていくのだろうか。


息子が来年中3になります。
日本の高校に行きたいと言っています。


親として自分ができることは何か。


息子は日本の高校で寮生活をして、
自分はこのままタイで生きるのか。


いや、息子と共に日本で生きるのか。


答えの出ない問い。
答えの無い問い。
いや、答えははじめから決まっている問いかも。


今までのように漂っていれば勝手に方向が決まる。
そんな問いなのかもしれません。


そんなことを考える時期になりました。

2020年7月1日水曜日

深まり続ける家族の絆



明日から娘が学校スタート。
ちなみに日本人学校ではありません。


息子は7月2日から3日に1日登校の学校生活がスタート。


3月中旬ごろから新型コロナの話題が
より重くなり、
そのまま学校が休校に。


そして6月末まで約3か月間、
ずっと子供たちが家にいる
という生活を続けてきました。


自分は仕事柄、夕方までずっと家で仕事をしているので、
ほぼ一緒に過ごすことになります。


この三か月間、
家族の絆が深まった気がしています。


ただ一緒にいるだけで家族の空気感が濃くなるんだな
って感じています。


それは同じ空間を共有しているからなのかな・・・。


もしこれが単身赴任だったり、
仕事が忙しくてどうしても一緒にいられる時間が限られるような
立場だったら違っているのかな・・・


それとも、家族に向いている【意識】が大切なのかな。


一緒にいるから、家族にずっと意識が向いていた。
この意識の向いている時間こそが。


離れて暮らしていないので
そればかりはわかりません。


ただ、単身赴任だったり、
何らかの都合で家族が離れて暮らしている方、
空間としては離れている方であっても、
家族の絆は深まるものであってほしいという願望があります。


縁あって生まれた家族。
昔は一人だった自分。


1人だったときは感じていた孤独感。
でも、孤独が当たり前だったから、
そんなに感じていなかったかな・・・
空気みたいに。


ただ、ちょっぴりあっただろう孤独感も、
今では全く消え去った過去のものです。


しかし、形あるものはいつか消えるのが常。



形ある家族が消えたときの孤独感は
想像を絶します。
あるものがなくなるのはつらい。


だからこそ、
家族だけは、形だったり、空間だったり、
そんな物理的だったり、距離や時間だったり、
そのような何ものに左右されることが無い
【揺るがない絆】であってほしいです。


【意識ある限り深まり続ける絆】


それが家族の絆であってほしい。
形が消えても、距離が離れても、
永遠に心の中で続く満ち足りた感情を呼び起こすものこそが
家族の絆であってほしいです。

2020年6月28日日曜日

面白きかな人生


人生を振り返ってみると面白くできているなぁと思います。


あの時、あの出来事がなければ・・・

あの時、あの出来事があったから・・・


そんな偶然なのか必然なのか、
無限の些細な選択の連続、
そこまで多くはないですが、
大きな決断の連続によって今があります。


色々な選択があったけど、
今、素直に思うことは「後悔はない」ということ。


だって仕方がないじゃん。
あの時はそう考えていたんだから。


そんな心境です。


きっとこれからも同じようなことを考えるのでしょう。


2020年。


自分にとっては大きな岐路になる年。


もちろん、これを読んでいる皆さんにとっても大きな岐路かもしれません。


「健康だったらなんとかなるもの」


これはほぼ毎週お会いしている私の尊敬する人生の先輩の言葉です。


親子ほどの年齢が違う大先輩。
今日話していたら、
学部は違いますが「同じ大学」だと今更ながら知りました。


そんなもんなんだな・・・人生って。
めぐり合うんでしょうね。
あの時、あの行動をしていなければ、
出合わなかった人。


それが今や毎週お会いして、
数時間語り合う仲になるとは・・・


もう恐ろしい時間語り合っていますが、
今日お互い初めて知ったことで、
改めて人生って面白いなぁって感じました。


きっとこれからの人生も。きっと。