2026年7月26日日曜日

災愛を観て。

災愛という映画を観に行きました。


主人公の愛されたいという思いが執着になり、

その執着が相手を苦しめる結果に。

そして、相手からの執着が主人公を苦しめるという因果応報。


ストーリー的にはなんかどこかで見聞きしたことがありそうな展開だったけど、

やっぱ映画の中じゃなきゃあり得ない非日常的な天井の無い誇張があるからこそ

恐怖が増して、自分の頭の中にあるなんか似た部分も

引っ張り出されてなんかモヤモヤするような。


ただ、誰もが似た部分を持っているけど、

登場人物は誇張された存在だから、

そこに変に自分や相手を投影し過ぎて

気分をマイナスにし過ぎてしまうのは違うとは思っている。


思っていても、マイナスに物事を捉えてしまいそうな。

だから、映画は面白いけど、インパクトが強いだけに

人の潜在意識に悪い影響も与えるものにもなる。


愛と執着。

執着がゆえの共依存状態。

相手無しでは存在できないもろさ、危うさ。

相手ありきだからこそ、より依存が強くなる。


そしていつか愛は見えなくなり、依存状態を満たすための行動を最優先。

お互いが依存しているから、

徐々に自由に身動きできない状態になり、

最後はお互いが洗脳された状態での幕引き。


洗脳された側の復讐もかなったわけだけど、

スッキリしたとは思えない。


まさに因果応報。


ホラー映画は面白いけど、

人間の脳は情報を現実と非現実を区別せずに蓄積していく。


レモンが目の前になくてもかじった想像すると

唾が出るのはまさに現実と非現実を区別できていない証拠。


きっと頭の中に残酷な描写も現実、非現実を区別せずに

脳は蓄積しているだろから。

だから、さっき言ったけど、映画は面白いけど怖い。


そう考えると、最近見たマイケルジャクソンの自伝映画は

そんな心配する必要なくシンプルに面白かったです! 

また近々、考えたことを残しておこう。

2026年7月25日土曜日

仕事から見えるタイ人気質

毎年1回はタイに帰郷しています。

そして、今年もあと少しで2週間弱の帰郷です。


タイ在住15年近くとなると、別にタイを観光しようという気もなく、

タイにいてもスタバに籠って仕事をする日も多くあります。


それならタイでも日本でも変わらないじゃないか

って自分でも思うけど何かが違う。


ここ数日ふと思い返すと、タイのスタバは『人が心地良い』

って感じているのかな。


自分は日本人として生まれ、日本で仕事をしていました。

そして、異国タイでも生活し、仕事もしていました。


そして再び日本で生活し、仕事をしています。


改めて二つの国を比べると、

自分にとって日本は「生きにくい国なのかも」って考えが...。


何でも手に入るし、役所的な手続きも簡単だし、

サービスの質もすごくいいし、

日本に帰ってきてから、そんなことは考えてもなかったんです。


が、ここ数日さっきみたいな考えが浮かぶように。


ただ、その考えを突き詰めるつもりもなく、

浮かんでも追わず、消えるがままに任せています。


ここ最近は、毎日のようにスタバに行っていて、

日本のスタバも心地よいから通っています。

でも、心地よさの何が違うのかなって考えてみると、

日本の「人の真面目さ、型にはまったような堅さ」なのかなって気がします。


タイのスタバは店員同士が普通におしゃべりをしていて、

仕事している姿が楽しそうでした。


全体的にかしこまっていなくて、どこか自由な感じ。

あと、俺の顔も覚えてくれて、余計な話はあまりしないけど、

なんか人として挨拶してくれる。


日本だと店員と客って感じ。

タイはその垣根を越えてかしこまっていなくて、人と人って感じがします。

それが心地よさに繋がっているのかなって。


日本は客の顔を覚えて話しかけている姿も見かけるけど、

接客マニュアルの一部としての姿のような。

やっぱ客と店員という感じ。

人と人という感じではない。


日本だとデパートでも声色を変えた女性が

「いらっしゃいませー」とか、普段じゃありえないしゃべり方。

接客ロボットって感じの声。


このタイ人の仕事中のおしゃべりを嫌いだ

という日本人にも多く出会いました。

その気持ちはわかります。

ただ、自分には心地よく感じる。


旅行業で仕事をしていたときも

目の前のタイ人スタッフは仕事しながら果物を食べ、おしゃべりをしていました。


仕事は遅い。


が、別に遅くても仕事は回る。


速く回せば売り上げはあがるだろうけど、

別に売り上げはそこそこでも、自分たちの幸せが優先。

人が優先。

生きていることが優先。


仕事は一つの役割であって、人生そのものではない。

生きることを楽しむことを優先。

それが心地よかった。

これが自分がタイに長くいられた理由なのかも。


売り上げ優先、仕事優先の人ならイライラしただろうな。


仕事に対しての厳しさ、極度な真面目さ、

常に急いでいる感じとか、

日本的な働き方が自分には合っていないのかなって思うことがあります。


もっと多く。もっと多く。

より良くより良く。

より早く、より速く。

心が倒れるまでそれをやり続けるイメージ。


そして倒れた人を見下して悪口を言いながら、

また猛烈に走り続ける感じ。


それに、自分が頑張るのは良いけど、

他人のミスを見回って小姑のように取り締まって、

自分の働き方を強要する人もいるし。

窮屈。


みんなでやればいいじゃん。

そう思うような仕事があっても、

日本人の真面目さか、思いやりなのか、自己犠牲なのか。

みんなじゃなくて、今いる人で早く、速くやろうとする。


仕事が丁寧で速くて細かいことは日本の良さ。

が、自己犠牲に伴うストレスというか、

言葉にはし辛いものがあるけど、生きにくい。


またこれを考えているといろいろ嫌になってくるので

考えないようにしたいなって思います。


そうそう。

自営業をしていたときは、ドライバーが何回同じミスをしたことか。

ため息が出るような同じミスを何回も何回も。

笑えてくるほど。


でも、そこまで怒る気持ちにならない自分がいます。

人を強く責める気持ちにはならないし。

言うことは言います。

でも、怒りはしない。


ミスはうまれない仕組みを考えればいい。

ただ、それだけ。

もちろん仕事の存在自体に大ダメージを与えるミスはダメだけど。


そう考えると自分は日本人というよりタイ人気質なのかな。

のんびりしているというか、マイペンライ精神というか。

別にいいよ。死ぬほどでもないし。


なんか、のんびり生きたいな。

タイのバイク屋さん
よくバイクを改造してもらっていたタイのバイク屋さん。人と人でした。


2026年7月16日木曜日

樹木希林さんの名言「明日、地球が滅ぶと分かっていても」から考える今日の生き方

未来が明るく見えないとき、私たちは「頑張っても意味がないのではないか」と考えてしまうことがあります。

そんなとき、心に残ったのが、樹木希林さんの言葉として紹介されている次の名言です。

人間は明日、地球が滅ぶと分かっていても、
今日、リンゴの木を植えなきゃならないの。
そういうものなのよ。

― 樹木希林さんの言葉として紹介されている名言

未来がどうなるか分からなくても、今日やるべきことをやる。

結果がすぐに出なくても、自分が大切だと思うことを続ける。

この言葉には、人が生きていくうえで忘れてはいけない姿勢が込められているように思います。

「リンゴの木を植える」とは、今日を投げ出さないこと

明日、地球が滅ぶと分かっているなら、今日リンゴの木を植えても、その実を食べることはできません。

それでも木を植える。

この「リンゴの木」は、単なる木ではなく、今日の自分がするべき小さな行動を表しているのではないでしょうか。

  • 仕事を一つ終わらせる
  • 家族に優しい言葉をかける
  • 部屋を少し片付ける
  • 本を数ページ読む
  • 明日のために早く眠る

どれも、人生を一瞬で変えるような大きな行動ではありません。

しかし、未来は、こうした「今日の小さな行動」が積み重なってできていくものです。

未来が不安なときほど、今日に戻る

生きていれば、明るい未来を描けない時期もあります。

仕事がうまくいかない。人間関係に悩む。生活が大きく変わる。努力を続けても結果が見えない。

私自身、15年暮らしたバンコクから日本へ本帰国し、生活環境が大きく変わりました。先のことを考え過ぎる日もあります。

けれど、未来を心配し続けても、未来そのものを直接変えることはできません。

変えられるのは、今、この瞬間の行動だけです。

未来が見えないときは、遠くを見過ぎず、今日やるべきことに戻る。

それが、暗い気持ちに飲み込まれないための一つの方法なのだと思います。

ノストラダムスの大予言を信じていた時代

かつて、「1999年に地球が滅びる」というノストラダムスの大予言が話題になりました。

もちろん、予言は外れました。

しかし、もし「どうせ世界は終わる」と信じて、自暴自棄に生きていた人がいたなら、予言が外れた後にも、その間に失った時間や信頼は戻りません。

まだ起きていない未来を恐れるあまり、今日を壊してしまう。

それは、自分の手で暗い未来を近づけることにもなります。

どのような状況でも、今日すべきことを続ける。樹木希林さんの言葉として紹介されているこの名言は、その大切さを教えてくれます。

私が今日植える「リンゴの木」

大きな目標を立てなくてもよいのだと思います。

今日、自分にできることを一つだけ行う。

うまくいかない日でも、完全に投げ出さない。昨日より少しだけ前へ進む。

それが、自分にとっての「リンゴの木を植える」ということなのでしょう。

今日の自分への問い

未来がどうなるかではなく、今日、自分はどんなリンゴの木を植えるだろうか。

まとめ|未来が見えなくても、今日できることはある

未来を完全に予測することはできません。

それでも、今日をどう生きるかは選べます。

先が見えないときほど、自暴自棄にならず、目の前の一日を丁寧に生きる。

明日、世界がどうなるとしても、今日、自分のリンゴの木を植える。

この言葉を忘れずに、生きていきたいと思います。

2026年6月20日土曜日

イチローの言葉『自己肯定感は気持ち悪い』

イチローのインタビュー動画を見見ていたら、
自己肯定感と聞いて、まず、気持ち悪いという感じがすると。

仕事柄、自己肯定感という言葉を当たり前に耳にしていたが、
確かにと納得する部分もある。

自分を肯定する人。
うーん。。。

自分は友達にそのような人は確かにいないな。

自己肯定感をもって幸せに生きる。
そういう人を否定はしないけど、自分はそうじゃなかったな。

イチローと同じように、
肯定はしてても、いつもどこか「?」をもって生きている気がします。

そういう人のほうが
人として厚みがある。

すごく納得。

自分がうっすら思っていたことを言葉で聞き、
どこかスッキリした気がします。

自己肯定感に?をもって生きる。

大切だなーって思います^_^

ペップリー通り