2026年9月20日日曜日

無駄なことを避ける

いつからだろうか。
自分の生き方の根底に居座っている
「無駄な行動はしたくない」
ということ。


成長したい、よりよい生き方がしたい


そんな止まらない欲求が心の奥底にあって、
無駄なことをしているとストレスがたまるようになっていた。


例えば、わけのわからないティックトックとかYouTubeとか、
テレビでもなんかお笑い芸人がチャレンジ的なことをしているのとか。


自分の成長、よりよい生き方の枠から外れるものに
興味がわかない自分がいる。


お笑いでも、ストレス解消って目的があれば見る。
ドラマも自分が刺激を受けて、よりよい生き方につながるようなら見る。


ただ、だらだらすることが苦手なのもそれが理由。


だらだらするのは老後でいいと本気で思っている。


生きるための仕事をする必要がなくなれば、
だらだらしても全く問題ないだろうし。


でも、自分の性格からして
きっと何かしているんだろうな・・・(;^_^A

クイッティアオを買う自分。
クイッティアオを買う自分


2026年9月19日土曜日

理想の仕事とは

 今の仕事は面白いところは多々あるんだけど、

人の下で働く、価値観の違う人間と働くと

やりたくないこと、自分の本意ではないことをしなければならないのが・・・。


だだった子のように言っているわけではなくて、

凝り固まった頭の固い人と働かなければならないことがある。


そんなことどうでもいいじゃん。

ってことにこだわり、

他人を苦しめ続ける人も。


タイで自営をしていたときは、かなり自由だった。

自分がやりたいことをかなり実現できていた。


でも、改めて元鞘の仕事に戻ってみたけど、

思いで補正が働いて良く見えすぎていた部分が多く、

やはり自分が本当にやりたいことは違うんだなって思うことが増えてきた。


その仕事の価値を否定しているわけではない。

ただ、俺にはかみ合っていないという思いが強くなり続けているだけ。


最近はいろいろなことが重なり、

ますます離れたいなって気持ちが強くなってきてしまった。


でも、経済的安定、有給の多さ、

仕事のやりがいはあるだけに、すぐに踏み切ろうというわけではなくて、

頭の中の占有率が増え続けているって感じ。


自分の価値観を全面に出したブランドを作ってもみたい。

また時間が経ち、考え方は変わるかもしれない。

それはそれでいい。


その時、その時の気持ち、考えを大切にして生きていたいなって思う。

MBKの祠



2026年9月13日日曜日

熱量

 仕事は超嫌いってわけじゃないけど、

休日にタイ語やブログの修正や読書をしていると

超やりたいことではないと再認識する。


特に今はタイ語熱が高まっていて、

本当は数時間もやっていたい。

今の熱量でもし勉強できるなら、数か月で相当な場所までいけるはず。


というのも昔タイに行ったときに3か月で会話ができるようになったし、

それからしばらくしてタイ語で夢を見ていたくらいだから。


熱量が高まったときの過去の自分は止まらず勉強していたな。


でも、今は仕事があるからすべての時間をタイ語にベットできないから、

なんか煮え切らない状態で止まってしまう。


すごいところに行けそうなんだけどな・・・

はがゆいけど、仕事に時間を使うのは仕方がない。

はがゆい。

2026年9月12日土曜日

人生で初めてのキレた経験

昨日は自分を抑制できるレベルではあるけど、
初めてのレベルでキレた。

自分はここまで他人に対して怒ることができるのか、
しかも公衆の面前で。
しかも良く行く場所で。

昔から父親が感情的にキレるタイプで、
そういう人が苦手だった。

自分はそうはなりたくないと思って生きてきたけど、
自分の中にも親父の血は流れていると改めて自覚。


言語が通じない人、それは言葉が拙いという意味ではなく、
自分とは扱う言語の背景の価値観が違って、
共有することができない人がいる。



育ってきた環境、生きて来た環境が違い過ぎて、
相手が下とか悪いとかそういう意味ではなく、
とにかく世界観、価値観が違う人がいる。


そういうことは人付き合いをしていると、
徐々にわかるというか、確信してくるもので、
それがわかれば、
今までの自分は自然と距離をとり、穏やかな環境を守ってきた。


穏やかに生きていたいから。


でも、昨夜はそうはいかない状況になった。
あまりの価値観のずれ、それがわかり距離をとりたいのに
距離をとれない状況。
とらせてもらえない状況。


最終的に精神的に追いつめらるようにキレてしまった。


感情の起伏が激しい人が苦手で、
我を見失う人は軽蔑すらする。


それにも関わらず、
自分が同じレベルの行為を選ばなければならず、
それをしているバカらしさに辟易したし、
嫌悪感すらおぼえた。


大人になれば、いろいろな人がいて、
距離をとれない状況もあることはわかる。
でも、その環境が一時的であるとわかっていればこそ
見て見ないふりをすることもできるし、
違う価値観の人間だからなと諦め、何事もないように接することもできる。


が、一生となれば話は違う。
ホアヒンの海の写真


一夜明け、タイにいたころの写真を見返していた。
自分は大切な人、事をほったらかし、
いったい何やってんだ・・・と激しい虚無感、罪悪感に襲われる。
体も心も痛めば、息苦しい。


自分は生涯、穏やかに暮らしたい。
一生の心の平安。
それが自分の人生の夢だ。