2026年11月7日土曜日

幸せはどこにあるのか

 幸せの青い鳥って聞いたことがある。

読んだことあったっけな。。。


でも、ストーリーは何となくわかる。


幸せの青い鳥を探し回る。

けど、結局、幸せの青い鳥は身近なところにいた。

そんな感じかな。


これは生き方にも似ている。


幸せを外に探せば、

ずっと探し続けることになる。

永遠の幸せをもたらすものは外にはないから。


エンタメに幸せ、喜びを見出しても、

必ず終わりは来る。

そして新しいエンタメを探し続ける生き方になる。


エンタメ=人生

とはならないから、

やっぱり本当の幸せをもたらすものじゃないんだろう。


パートナーに幸せを求める人もいる。


でも、命は有限。

さらに、永遠の愛を誓い合った人ですら、

別れる人は多くいる。


恋愛バラエティーショーでも、

付き合いはじめが面白いし、感動的なんだろうけど、

その後数年を追ってみたら、また結果は変わると思う。


幸せを自分の外に求めれば、きっとその生き着く先は依存になると思う。


エンタメに依存。酒に依存。

パートナーに依存。

友達に依存。


依存は執着となり、

執着は苦となる。


だからこそ、幸せってのは外に求めるのではなく、

自分の内側に求めるのが正しいと思っている。


では、自分の内側の幸せはどこにあるのか。


それはここで書くわけにはいかない。


なぜなら知識ではなくて経験だから。

自分で見つけるしかない。

サーカス化した最近のプロレスは八百長か否か?

 自分は学生時代に新日本プロレス、全日本プロレスの全盛期を見てきて、

もちろん、そこにどっぷりはまった時期がありました。


アントニオ猪木と長州力の抗争。

闘魂三銃士、維新軍、三沢光晴、小橋建太、川田利明、田上明、スタンハンセンの三冠戦、

永源の唾w


そして、時代は進むと夢にまで見た新日本プロレスと全日本プロレスの

垣根を越えた対抗戦。

プロレスとグレイシー柔術との交わりなど。


とにかく挙げればきりがないほどプロレスを楽しんできました。


まず、プロレスは八百長か?ということだけど、

一部正解だし、一部不正解だと思っています。


永源の唾とか、前座っぽい試合は八百長だと思いますが、

これも客ありきのプロレスだからエンタメとして必要不可欠だと思います。


で、メインを張る人たちの試合も、全体の流れをエンタメとして

客に届けるためには八百長は必要だと思います。

その八百長というのは全部が嘘ということじゃなくて、

勝ち負けのラストは決まっているという感じで。


ただ、試合そのものは、受けの美学というものがあり、

相手の技を受けるという根本があるから楽しめていて、

それが八百長かと言われたら八百長だけど、

これを避けてしまえば、ただの喧嘩。


プロレスとしてのエンタメを満たすことができないと思います。


マジで蹴れば試合はあっという間に終わるし、

それではプロレスにストーリーが生まれない。


蹴りもプロレスとしての蹴りがある。

もちろん素人が受ければ痛いに決まっているけど、

レスラー同市なら、メインディッシュに至るまでの前菜としての蹴りになる。


パワーボムだって、後頭部から落とすことができても、

それをしないからこそ、体力勝負になり、それがゆえにストーリーが生まれる。


そして、多くの部分は、結果が決まっていてない本気の八百長だと思っています。


三沢と小橋の試合。

結果は決まっていないからこそ、ありえない技が生まれる。


場外の花道からのタイガースープレックスなんて、

台本がないからこそ生まれる技。


危険ではあるけど、プロだからこそ、場外のマットにしっかり背中から着地するように技を出すことができる。


それでも頭に衝撃は来るから相当なダメージになる。

プロレスならではの技だと思う。


喧嘩でやるならそんな技受けるわけがないし、

暴れて逃れることだってできる。

受けるほうも本気。


かける方だって、後頭部から落とせば命を奪えるけど、

もちろんそれをしないのがプロレスだし、

だからこそ、エンタメとしてお客を楽しませることができる。


本気だけど、本気じゃない。

その両方を兼ね備えているのがプロレスだと思う。


で、最近のプロレスを時々見て思うこと。


技は進化しているし、身体能力も昔と比べたらかなり上がっている。


でも、まるでサーカスみたいに、お互いの技の応酬が決まっているのが

バレバレで冷めてしまいます。

もちろん、そこで見える身体能力や技の映えはすごいけど、

まるでサルティンバンコ、サーカスを見ているよう。


服装もアメリカのプロレスみたいに派手になって、

個性的になったと言いたいところだけど、

逆に個性が消えているような。


昔は技が今より少なくても、

プロレスなりの本気のぶつかり合いが、

客を熱狂させて、ぎりぎりの武骨な体力勝負に

見ている自分もハラハラした。


シンプルなレスラーパンツのみ。

髪も染めず、髪型も平凡。

だけど、戦い方にその選手の個性が嫌と言うほどにじみ出ていた。


だからこそ、また見たい。

この選手とあの選手が戦ったらどうなってしまうんだろうというドキドキ感。


ハンセンのラリアットなんてシンプルだけど、

いつでるかわからない怖さ。

そして、ラリアットが来る前にサポーターを触るというわかりやすいアピール。

八百長と言われたら確かにそうだ。

サポーターなんて触らず、ふいうちでラリアットすればいい。


そこがエンタメ。触るからこそ、客がついに来た!って熱狂する。

それをギリギリ避けるからこそ、客が沸く。


プロレスは八百長で構わない。

本気の戦いをしていたら成り立たない。

いきなりグーパン始めたら、それはただの喧嘩。

プロレスじゃない。


プロレスの戦い方、プロレスの教科書の中で

お互いが本気を出すから面白い。

それを理解している人が見るから熱狂する。


理解していない人から見れば、ただの八百長。


でも、それでいい。


時々、YouTubeで昔のプロレスを見る。

熱いものが蘇る。


あの頃は戻ってこないけど、

あの試合をリアルタイムで見れた自分は幸せだったと思う。


三沢光晴と川田利明の三冠戦はすごかった。

命を削るほどのプロレスとしてのせめぎ合い。


プロレスは八百長でなければいけない。

でも、サーカス見たいな八百長じゃダメ。

身体能力が見たいわけじゃない。

技の映えを見たいわけじゃない。

イケメンレスラーが見たいわけじゃない。


男と男のぶつかり合い。

熱いストーリーが見たい。


もうそんなプロレスは見られないのかなぁ。。。

寂しい思いがある。

それも時の流れ。無常ですね。

https://x.com/slomode777/status/2114849649802748190?a=zR6DFF-ivkE7_xKE770&s=19

2026年10月31日土曜日

幸も不幸も選ぶのは自分自身

 自分の人生を振り返れば、過去にいろいろありました。


良かったことも悪かったことも。


未来を思えば、良い未来も悪い未来も考えられる。


でも、過去も未来も、別に今目の前にあるわけでもなく、

ただ、頭の中で勝手に考えているだけ。


今、目の前においしいコーヒーがあり、

口を付ければ幸せな気分になれるのに、

口を付けずに過去の苦しい思い出を想い出せば、

あっという間に不幸になることができる。


今、目の前のコーヒーを手に取らず、

不安な未来を思い描けば、あっという前に不幸になれる。


何も考えず、目の前のコーヒーを手に取って

口に運べば、あっという間に幸せになれる。


結局、過去と未来の可能性の中から、

不幸になれる素材を手にもって、

不幸を味わいたいのは自分自身。


なぜなら、不幸以外の過去も未来もあるはずだし、

あえて不幸を選択して、今わざわざ味わっているのは自分だから。


根本、不幸を味わうのが好きな人がいれば、

幸せを味わうのが好きな人の2タイプいて、

自分はどっち?ってことだと思う。


素材は山ほどある。


その素材からわざわざ不幸を選ぶのか、幸せを選ぶのか。


いや、そもそもどっちも選ばないで、

今目の前のコーヒーに集中するのか。


すべて自分に選択権がある。


そんなことをスタバでふと考えていました。

2026年10月23日金曜日

タイで夢を追いかけていた日々を想い出す

 最近はなんか精神的に疲れてしまって、

何をするにも気力が沸かないというか、

ダルいというか。


仕事以外の日常生活で、口数も少なくなり、

表情を使う機会も減り続けている気が。。。


仕事に関しては、それでも今までいろいろ学び、

経験を積んだものがあるから、

一定水準以上の仕事はできるけど、

納得いかない状態の日も少なからずある。


人生、何が大切か。

人によって違うだろうけど、

俺は目の前に与えられた仕事は大切だと思っている。


自分を向上させる時間も大切だと思っている。


仕事に関しては、それが適職か天職かは関係なく、

何かの縁で自分に与えられたからには、

満足いく仕事をしたいなとも思っている。


でも、精神的に疲れていることや、

そもそも仕事に費やす時間が限られること、

自分が成長するための時間が減ったことも影響している。


仕事や目標への時間が減るのが、充実した何かによって減るなら

別に良いのだけど、自分にとってプラスにならないことで

減ることは、不本意で、なんか精神的に落ちてしまう。


その精神的な疲れがまたいろいろなことに影響して、

その結果、自分の態度が悪くなってしまうことに後悔したり、

そんな今まで見たことのない嫌な自分が現れたり。。。


どうも人生、良い方向に進んでいる気がせず、

正直、考えるのもめんどくさくなり、感情も無になることが増えた気が。

一時的なものだろうけど。


タイに初めてバックパッカーとして行った日。

誰にも邪魔されず、喜怒哀楽、

目標、夢に向かって走る日々は充実していたなぁ。

昔のタイ
        ▲2006年のタイの街角


ふと懐かしくスタバで思い出します。