2026年6月7日日曜日

歪んだ愛のカタチ

 嫌いな人がいたとします。


今、目の前にはその嫌いな人がいない。


でも、頭の中で、過去にされた嫌なことを想い出す。

そして、未来にされそうな嫌なことを考える。


そうやって、今、目の前に嫌いな人はいないのに、

ずっと頭の中で時間を使って考える。


命=時間

これは誰もが納得する事実。


ということは、その嫌だと思っている人に

時間を使うということは、

自分の命を使っているということ。


自分の命をその人のために使っている。

命を使うほどの存在=愛にあふれている存在


そうなんじゃないかな。


マザーテレサがいった言葉。

愛の反対は無関心。


愛していなければ、無関心であるはず。

でも、目の前にその人がいないのに

その人のことを考えているのは愛しているから。


ただ、世間一般で言われる愛とは違う。


歪んだ愛。


もっと愛してほしかった。

これから愛してほしい。


そんな心のどこかに隠れた愛が

歪んで現れているような気がします。


断ち切る。


嫌いな人に命を使いたくなければ、

その人が変わらないのであれば、

過去が変わらないのであれば、

もう期待も願望も捨てて、あきらめるのが一番な気がします。


もういいか。

今までいろいろ学ばせてくれてありがとう。

はい、おしまい。


これでいいのかなって思います。

メガバンナの虹
▲メガバンナの空にかかる虹

2026年6月6日土曜日

好きな人にいじわるする

 男の子あるある

好きな女子にいじわるをする。



男性であれば、

ほぼ確実に小学生のころにこれ、経験したのではないでしょうか。


でも、大人になってもこれってやってしまうんだなって思う。


好きな人が自分が嫌な行為をしたとする。

すると、その行為をした好きな人を過度に批判してしまう。


好きな人なんだから批判するなんてありえない。

これは女子の言い分。


が、好きだからこそ、批判してしまう。

これも真実。


マザーテレサは言いました。

愛の反対は無関心。


もし、自分が嫌な行為を相手がいたとしても、

その人を愛していなければ無関心なはず。


でも、愛しているからこそ、気になって、

愛の大きさに比例して、

気になるから批判へと発展してしまう。


批判を肯定化したいわけではなく、

そういうことがあるってこと。


が、批判した自分を守る言い訳がしたいわけではなく、

そういうことがあるということなだけです。


その背景にあるのは、

やはり批判している自分が配慮の無い未熟な存在だということ。


批判しない愛だってあったはずだから。


それを選べない時点で自分は未熟だということ。


人生、まだまだ学びが多い。

今を幸せに生きるための考え方

未来、過去、今、 自分が経験できるのは?


そう聞かれたら「今」としか答えることはできない。


今しか味わえない。


でも、自分も含め、人って、今を味わうより、

未来の不安、過去の後悔に時間を使いがち。


今目の前に美味しいラーメンがあるとする。


今目の前のラーメンだけ見つめ、

ラーメンのことだけ考えて食べていたら、

最高に美味しく素敵な時間を過ごせる。


でも、もし昔食べたマズかったラーメンのことを考えながら、

もし、未来のラーメンを食べ過ぎで起こるかもしれない成人病のことを考えながら

食べたら。。。


目の前のラーメンの味わいは損なわれる。


まだ起きていない未来。

もうどうしようもできない過去。


そこに自分の思考を使って、

今を生きないことがもったいないなって思う。


そうは言っても、自分も未来を不安に思ったり、過去を悔やんだりしてしまう。

それが人間だから仕方が無いのかなって思う。


でも、今書いたようなことを頭に入れておくだけで、

少しだけ今の味わいが良くなる気がする。


そんな気、しませんか?

2026年5月31日日曜日

夢を実現する方法

 自分は過去、いろいろな夢を実現してきた。


タイで生活すること。

日本で教員になること。

海外日本人学校で教員になること。

社長になること。


他にもまだある。

これは運が良いと言えばそれまでだけど、

夢を実現してきたプロセスには共通項がある。


何回も紙に書く。

ただそれだけ。


夢を頭に描くとき、

その夢を描く自分は完璧ではない。

過去の失敗、過去の知識、過去の経験をもった自分が

夢を描いている。


だから、それに至るプロセスを描くのも

夢を実現できていない自分。


すると、プロセスを描いてしまうと

そのプロセスが実は夢実現には遠回りだったり、

夢に繋がりが薄い方法だったりすることがある。


だからこそ、夢を紙に書いたら忘れるくらいがちょうど良い気がする。


どうやって夢が実現するのかなんてことまでは考えず、

ただ、その夢を時折紙に書き確認する。


あとは自分が自然にしたいことに任せる。

すると、気が付くと夢が実現していたことが多かった気がする。


過去の自分は結構邪魔してくることがある。


過去はこうだったから未来もこうだろう。

今もっている知識では、想像すらできないから、

自分には無理なのかもしれない。


そうやって自分で自分の足を引っ張って、

結果、夢が遠のくということがある。


もともとマイナス思考な人は、

そうやって、夢を自分で壊す行為すらする。


自分にはきっと無理だろう。

そうやって、紙に書こうが、

毎日のように思っている「無理」の方が強いから、

結果、無理になるプロセスを無意識に選択し続けることになる。


そうやって無理になれば、

やっぱりそうだったと言って、

過去に失敗した自分を再確認し、

また、同じ失敗を繰り返し続ける。


その失敗は自分で招いているにも関わらず。


だからこそ、夢を実現させたければ、

紙に書いたら、あえて忘れるくらいが良いという気がする。


そして、毎日の自分の感性に忠実に生きていたら良い。


その感性は純粋な感性か、それとも過去の自分の恐れから来ているのか。

ここはしっかりと理解しないと、

純粋な感性に任せているようで、

実は過去の自分の経験から来る恐れというフィルターを通した感性になってしまう。


純粋に今を生きていれば、それで良いと思う。


これは自分の経験であって、

必ずしも誰にも当てはまるものではないかもしれない。


ただ、過去の自分を振り返ると、

今のところはうまく行っている。


信じるも信じないもあなた次第。

ということで。