2018年8月21日火曜日

ランディー・ジョンソンの一流のプロ意識



ランディー・ジョンソンが教える
奇跡のレッスンをNHKで見ていました。


練習がうまく行ったとき、
チームのキャプテンが
「ランニングは2往復でいいのでは?」
と提案したときの言葉。

「普通の選手になりたいのか?
 一流の選手になりたいのか?
 メジャーリーガーが2往復と言うか?」


ここに意識の差が出ています。

プロになる人は意識が高い。
並みの選手で終わる人は意識が低い。

技術云々あるだろうけど、
その前に意識の差こそが成長の要だって思うのです。


スポーツも勉強も同じで、
家庭によって差が生まれてしまうのは、
親の意識の差があるというのは事実でしょう。


勉強なんてしなくていいんだ!
っていう酒飲みの頑固おやじの家庭で育てば、
やはりそのレベルにあった意識で育つ。


学校も同じで、
難関私立に通えば、周囲の努力量から
自分の中の意識は高くなる。

公立校から得ることはたくさんあるけど、
ここではひとまずおいて話すけど、
やはりこのレベルでいいんだという
意識の甘えってのは生まれやすいだろう。


自分はどうなんだろう。


わが身を振り返ってみたとき、
そこまで意識の高い教育をされてきた気がしない。


だからこそ、
自分でハードルを上げていかなければならない
と強く感じる。
だからこその読書。
読書は人の意識を高める。
そう信じています。

2018年8月20日月曜日

人間は考える葦である。



自分には何ができるのか。


教師という職業を選んだ20代後半から時が経ち、
すでに40歳を越えました。

学校という枠から出て、
教育という仕事で起業をしました。


すでに7年が経ち、
少しは安定した形になってきています。


そして今、自分の中にはもやもやとした
まだ形になっていない思いが生まれています。


このもやもやしたものが形になったとき、
新たな事業がスタートするはずです。


まだ輪郭すら明らかではなく、
朧気に方向性が見えているくらいです。


夕方に一人喫茶店へ行き、
この朧気な部分を少しずつ解きほぐそうと試みてみましたが、
まだまだ思考の糸はこんがらがっています。


「人間は考える葦である」
という言葉がありますが、
自分も今まで生きてきて、
考えに考えて考えたあとに発見した
小さな塊のようなものが、
のちにビックバンのように広がって形になるという経験をしています。


今回もそんな気配がするので
考える葦となり、
思考を続けています。


明日も、明後日も。
この夏休みの間に何か小さな塊を見つけられたらって
考えてはいます。


自分には何かやれることが
まだもう1つあるはずです。

喫茶店でちょっと輪郭が見えてきました。
夢の一歩手前です。

ZOZO前澤社長と剛力彩芽さんの恋愛報道について考える。


前からちょっと気になっているのが、
ZOZOの前澤社長と剛力彩芽さんの恋愛関係の報道。


Twitterやインスタグラムで
アピールしているだの、
見せびらかしているだのと
マイナス的なニュアンスの報道が多いように
偶然かもしれないけど感じました。


で、私の個人的な意見なんだけど、
そもそも見せびらかしても
アピールもしていなかったのでは?


勝手にワールドカップの写真から
2人の関係をほじくり出して、
さらけ出したのは一部のネット住民であって、
それをさらに取り上げて、
報道したのがマスコミ。


その報道を見て、
ラジオだので広めたのが他の芸能人。


別にZOZOの前澤社長も剛力さんも
アピールをわざわざしていたわけではなくて、
もともと、Twitterやインスタグラムの性質上、
私生活の一部をファンのためなどに公開するのは
全く問題ない行為だったはずです。


他のユーザーも当たり前にやっていることですしね。


そこをほじくり出して、
どんどんテレビやラジオなどで拡散していくから、
ZOZOの前澤社長も剛力さんも対応しなければならなくなったわけです。


で、対応したらしたで、
アンチは相手にするなんて・・・
なんて叩かれるわけです。


アンチを相手にしているわけじゃなくて、
黙っているとどんどん尾ひれがつく情報に対しては、
声を上げる必要はあるし、
思ったこと、考えたことを発表するのが
Twitter、インスタグラムの使い方としては正しいという気がします。


なんでここまで他人の人生をパパラッチして、
ごちゃごちゃ言う必要があるのか疑問だし、
自分もちょっと思うことがあって、
ここに文章を書いたけど、
自分は自分でやるべきことを追求した方が良いと思っています。


人生は1度だけで、
余計なことをしている時間なんて無いのだから。


タイの学校と日本の学校の違い?


娘が通うタイの学校のファミリートリップということで、
バンセーンに1泊してきました。


旅行のテーマは
「ゴミ問題」についての考えを深めること

バンセーン

親が司会となり、
子供たちと他の親たちにゴミ拾いの説明をして、
いざ約1時間のごみ拾い。


ゴミ拾いをスタートしてみると、
あるわあるわ。


確かにビーチのゴミは多いって印象は昔からあったんですが、
拾おうという意識をもって砂浜を見ると
ゴミって想像以上にあることを実感。


一番多いのが輪ゴムだったかな。
次に多い印象は、プラスチック製のロープの切れ端。
太め、細めと両方多かったですね。


拾うときに片足に重心をかけて
バトミントンのような姿勢で拾うんで、
夜には片足が筋肉痛になっていました(;^_^A

ちょっと見づらいですが、
けっこう黙々と拾って集めたゴミ。
収集癖というか、
集めだすと溜めたくなるんですよね。


ゴミがたまっていくことに
かなりの充実感があって、
まだまだ拾いたくなる気分。


昼ご飯まで若干時間があったので、
集団から離れてコンビニへ。
そんなことも可能でした。


そして前回の甘いお茶のリベンジを果たしました。

その時の記事
ポジティブよりネガティブがいい

でも薄かったので二度と買わないリスト入り(^-^;


コンビニのあとは、
隣の喫茶店でコーヒー飲んで読書。
子供たちも喫茶店の中で
自分たちで遊んでいました。
自由。


昼ご飯の店は決まっているけど、
行き方もバラバラ。

で、席も自由。

なので、自分も食べ終わってから、
目の前にある植物の出店に行きました。

この自由さがタイらしいです。
しっかり物色して、この盆栽を200Bで購入。
タイの盆栽
けっこうお気に入りです。


そのままホテルに各自向かって、
各自でチェックイン。

夜ごはんまで自由時間。
ということでプールで遊び、部屋でリラックス。

学校の旅行イベントということを忘れるレベルでリラックス。


日本だったら行動が規制されていたり、
時間がすべて管理されているでしょうね。
自由さがとにかくタイらしいです。


夜ごはんを大ホールで食べ、
そのまま保護者による影絵ショー。
約30分の本格的な作り。

どんだけ気合入れてるんだというレベルです。
正直、こういう劇はタイの人は上手だなって思います。

エンタメ的なことは日本人よりもセンスがある気がします。
なにせ恥ずかしがらない根っからの明るい性格の人たちが多く、
劇団の人?ってレベル。

この三昧というか没頭感というか、
完全に楽しんじゃっている感ってのが
THE羞恥心の日本人にはちょっと難しいですね。


日本人だったら何か心理的な壁を乗り越えないとできなそうなことを
タイの人はさらっと純粋に出来てしまっています。


それにしても先生たちは何もしません。


親が主役で行事を進めるってのが、
タイの学校と日本の学校の違いか?
と思っていたんですが、
実は親が主体になるのはこの学校のコンセプトです。


親に育ってもらう。


なるほど。
確かに親が主体になってやっていることで、
親が教育に前のめりで参加する姿勢は
育っているなって感じます。


今回は自分は役回りはなく、
完全リラックスできましたが、
妻は30分間ずっとメインのナレーターだったんで、
私と子供たちがプールでリラックスしているときも打ち合わせ。
歌まで歌っていましたんでけっこう疲れていましたね。


数年前は私もマジックショーの役回りがあって、
子供たちと保護者の前でマジックをするため、
この自由時間にずっとチームの保護者の人たちと
いっしょに練習をしていた記憶がよみがえってきました。


あれは辛かったなぁ。
でも、そのおかげで保護者同士で仲良くなれたという
面もあったのが良かったです。


午後にトートバックづくりのイベントもあって、
さすがに疲れがたまっていた妻は息子と部屋で休憩して、
私と娘で参加。
それが終わったあとは自由解散。


帰りはパーキングエリアでクイッティアオ。


とにかく、
自由さってのはタイの素晴らしいところだなって感じました。


バンコク日本人学校時代も感じていたんですが、
タイの学校と交流会をしていても
タイの学校って自由なんですよね。


それがいいか悪いかというのではなく、
幸せそう、楽しそうでした。

日本人学校は分単位で計画するんで
ストレスが溜まりますが、
行動はかなりばっちり。


成功確率でいえば日本式でしょうが、
幸福度ではタイ式だなって感じます。


両方の良さを取り入れるのがベストでしょうね。


どっぷりタイな1泊2日のバンセーンへのファミリートリップでした。