2018年6月29日金曜日

サッカー日本代表監督の勇気ある采配!



日本とポーランドの試合は
かなりドキドキしましたね。


メンバーをがらっと変えて来て、
サッカーファンでなかった自分は
知らない選手ばかり。


ポーランドに勝たなくても
セネガルと得失点差、イエローカードの枚数差などで
決勝トーナメントに進出できるという状況。


実際、1点ビハインドで
セネガル、コロンビア次第で
わずかな可能性の糸が切れるか切れないか
というギリギリの戦いだったから。


結局セネガルとのイエローカードの差で
決勝トーナメント進出決定。
ギリギリな戦い過ぎて試合終了後に力が抜けるような感じでした(^-^;


Twitterなどを見ていると、
日本が最後にパス回しで時間を稼いだことを
批判する声がありますね。


そのような視点で見ている人もいるんですね。
スポーツ観戦ですから賛否両論あっていい。
自由です。


あの国民の期待を背負ったギリギリの戦いの中、
目の前に決勝トーナメントへの扉が開いている。


下手にせめてカウンターで失点したり、
イエローカードをもらってしまったら、
決勝に行けなくなる。


決勝進出は監督と選手たちの夢です。
夢をつかませるのが監督の役目。
戦い方もかっこよくいきたいでしょうが、
あれもこれもとは言ってられない場面もありますよね。


ポーランドもラストは全然走ってきませんでした。
だからパスを回して時間をたっぷり使うという選択。
消極的だという人もいるけど、
あの緊迫して数分でも点を入れられる可能性がある舞台で
あそこで攻めに行くのは危険すぎる采配かなって思いました。


あそこでつっこめー!って命令だして、
逆にポーランドにカウンターで1点採られていたら、
今頃ぼこぼこに叩かれているでしょうしね(^-^;


私の個人的な意見ですが、
あの状況では仕方がないというか、
監督はベストな判断をしたなって思います。
勇気ある采配だったと思います!


まぁ、さっきも言いましたが、
スポンサー料などのサポーターあってのサッカーなんで
批判するのも自由ですね。
賛否両論OKです。


でも、ピッチに立っている人しかわからないことって
あるんですよね。


川島がパンチングで失敗したときも
ネット上では批判があふれていて、
キャッチだろ!みたいな意見もありました。


あの舞台に立って、
目の前でボールが飛んできた人しかわからない理由ってのが
あるんでしょうね。


格闘技観戦で、
格闘技やったこともない人が、
居酒屋でほろ酔い気分で
「あそこは普通腕とりに行くでしょ!」
って語るのと似ているのかもしれません。


いずれにせよ、
サッカーは彼らの職業なんで、
関係者でもない人が
そこまで熱く賛否両論を議論する必要もないのかな
って思います。


頑張る姿に熱くなれて、
仕事などへのエネルギーをもらえたらいいんだと
個人的には思っています。

2018年6月27日水曜日

努力すればするほどゴールから離れるという人生

バンコクは朝から大渋滞。
エカマイに行く道はどん詰まり。
朝からこれだけ精神的に消耗されたら生産性も低くなりそうです。


みんなそれぞれの場所で頑張っていて、
時には歯を噛みしめ、苦痛に耐えて頑張っている人もいます。


頑張るってことはとても素敵なことだけど、
誰もがまずは考えておかなければならないことがあります。


それは頑張る方向性です。


例えるなら、
ゴールが間違ったマラソンで頑張って走っても、
決してゴールには近づくことなく、
頑張れば頑張るほど、ゴールから離れているということも起こりえる。


例えるなら、
一生懸命に弓をひき力強く矢を放っても、
的を見ていなければ、
見当違いのところに飛んで行ってしまいます。
力の強さに比例して的から離れる。



何が言いたいかというと、
ゴールをしっかり見つめているのか?
自分にとってのゴールって何なのか?
そこを考えた上で頑張らないと、
頑張った量に比例してゴールから離れるかもしれないよ。
ってことです。


日本に生まれると
努力が美徳として語られるけど、
その前に、努力の方向性について
しっかり個人が考えている必要があるんだって思います。


人生折り返しの40歳を超えたからこそ、
そのことについては痛感しています。


自分の人生を振り返ってみたとき、
ゴールがまだまだ鮮明だとは言い切れないけど、
直観としては、方向性が間違っていないということは
なんとなくわかっています。


この方向性がなんとなく間違っていないというのは
かなり大切で、これから方向を微調整することに集中できるし、
努力してもゴールから離れることはなくなるわけです。



でも、40代になって、
もし初めてゴールのことを考え始めた人がいたとします。


考えた結果、自分の歩んでいる道が
全く見当違いの場所だったとわかったときの苦しみは
とっても大きいものでしょう。


でも、苦しみが大きくても目をそらさない方が良い。
人生は終わったわけじゃないから、
まだまだ方向を修正できます。


危険なのは、苦しみから逃れたいという本能から、
自分のゴールのことすら考えようとしないことです。


そのとき、出てくるのが社会通念。


世の中ってそんなもんだよ。
みんな自分のゴールなんてわかっていないんだよ
って、わかった風な感じで考えることを放棄したら
もう終焉への道を歩んでいることになります。


諦めたら試合終了。

2018年6月25日月曜日

自分の人生を生きること【もっているでしょ?本田!】



サッカーのワールドカップをコロンビア戦、
セネガル戦と二大会ともテレビで見ました。
これは人生初。
1人でひっそりと盛り上がって見ていますw


過去の大会は全く盛り上がっていなくて、
他人がやっているスポーツに
どうして川に飛び込むほど盛り上がれるんだろう?
といった冷ややかな自分がいました。


だから、ニュースでダイジェストだけ見れたらいいや
といったレベルの心境でワールドカップに対していました。


今年はなぜか、ふと見たくなって
コロンビア戦から見ています。


気が付けば例年と比べ物にならないほど
気持ちが盛り上がっていました。


純粋に日本が強いと感じたことと、
自分が好きな本田圭佑選手が叩かれていたこと
盛り上がりの原因です。


全くのサッカー素人ですが、
日本のパス回しは強豪と言われている相手をしてみても、
まったく見劣りすることは無く、
むしろ身体能力がこれほど違うのだから、
サッカーの戦術はよっぽど日本の方が上だと感じました。


そこからちょっとワールドカップの日本戦に
熱が入り始めた自分がいました。


といっても「よっしゃーっ!」と
ガッツポーズしたり、
他人とハイタッチするほどの温度にはなれていません(^-^;


でも、セネガル戦。
思わず拍手してしまいました。


二得点とも「よっしゃーっ!」といった
ガッツポーズこそ出なかったものの、
もうガッツポーズととられてもいいレベルの拍手w
これは他人がいたらハイタッチしていたでしょう(^-^;


夜中に一人で拍手。
シュールですが、満面の笑みで拍手。


日本人が海外で身体能力が明らかに上の人たちを前に
奮闘している姿は、
胸を打つものがありました。


何よりもうれしかったのは本田圭佑選手のシュートです。


自分は野球もサッカーも
他人の職業だと思っていて、
だからそこまで熱は入れてこなかったけど、
自分の生き方にヒントをくれる
イチロー選手と本田選手にはずっと注目していました。


プロフェッショナル仕事の流儀も
繰り返し見たり、YouTubeで二人の考え方が現れたインタビューなどは
ほぼ見ているレベルです。


なので、本田圭佑選手が叩かれているのも見ていました。


ただ、本田選手は叩かれても全く動じていないだろうな
ということも予想できていました。


本田選手は自分の人生を生きている。


他人がごちゃごちゃ言っても
全く気にしていないはず。
自分と他人をしっかり分離できている人。


本田選手を叩いている人たちは、
どれだけ時間を無駄にしているのだろうか。


自分の仕事でもない他人の仕事であるサッカーで
自分と向き合いながら頑張っている人を、
知り合いでもないのに、
1mmも接点がないのに叩いている心境って何だろう。


全く彼の人生の中に関係ない。


で、そんな叩かれている本田圭佑選手が
試合に出てどんな活躍をするのか?
といったことも
今年の自分のワールドカップに対する心境の変化の1つでした。


川島選手がキャッチせずにパンチしたことが
失点につながった。


これは悔しかったですね。
でも、川島選手をたたくのは違うと思うんです。


川島選手はサッカーという職業で
監督から選ばれ、
そこで全力を尽くしている。


成功の中には、
当然失敗することもあるだろう。


だから何だ?
その失敗を材料にして
彼は彼の技術向上に向けて頑張っていくのだろう。


それを他人がとやかく言う必要はない。
キャッチすべきだったなんて誰だってわかる。
彼もわかっているはず。


でも、あの瞬時のプレッシャーの中、
とっさにパンチが出た。
その気持ちは誰にもわかるものではない。
ピッチに立ってゴールを背にした彼にしかわからない。


テレビの前でぬくぬくしていた人たちが
キャッチすべきでしょ。
川島ダメだよなんてどうして言えるんだろう?


彼が失敗だと思ったなら、
これからのサッカー人生の中で修正していけばよくて、
それは彼の問題。
他人の問題ではないわけです。


だから一生懸命に叩いている人たちは、
本当に時間がもったいないなって思います。


監督が変えたければ変えればいい。
変えたくなければ変えなければいい。
ただそれだけのことです。
全く他人の職業ですし、
私たちはそれを見て楽しませてもらっているだけです。


叩かれていた本田選手がピッチに立ったとき、
ケイスケ・ホンダはやってくれるはず
と考えていました。


そして、彼の目の前にボールが来た瞬間。
ほら来た!
って心の中で叫んでいました。


そして、彼が蹴ったボールがネットに吸い込まれるのを確認したとき、
思わず拍手をしていましたw


やってくれたなぁ。
やっぱ本田だよ。
もってるなぁ本田。

なんていいながら拍手してしまいましたw


バッシングしていたメディアは、
しっかり褒めるべきでしょうね。


あと、素人目で見て、
かなり目立っていたのが、
長友選手。


相当影で活躍していたのは、
素人目でも理解できました。


相当クリアしているし、
運動量が半端なく多い。
そして得点に確実に絡んでいたように見えました。


思わずブログを書いてしまいましたが、
次はポーランド戦。


勝っても負けても全力で戦う姿を見られるのが楽しみです。

2018年6月23日土曜日

映画「君の膵臓をたべたい」はグロ映画ではなく素敵な純愛映画。

夜ご飯を食べてWOWWOWの録画をチェックしていると、
「君の膵臓をたべたい」とう題名。

日本の映画で前に話題になっていたな・・・
といった微かな記憶。
でも、題名がグロくて、
ちょっと見たい気にはなれなかった。


でも、食わず嫌いせず、話題になっていたなら
一応は見てみて、
グロそうな場面や、陰気な様子が見えたら
見るのをストップしようと思って見始めました。


で、最後まで超集中して見ました(;^_^A


甘酸っぱい。甘酸っぱすぎる。
高校生の心の動き。


「君の膵臓をたべたい。」


なるほど・・・
素敵な言葉だな・・・(´Д⊂グスン


そんなはじめにグロを想像していた自分に
教えてあげたくなるほどピュアな映画。


まっすぐに後悔ないように今を生きる。
そんなメッセージが
ネタばれはしないように
ここでは多くを語りませんが、
「君の膵臓をたべたい」


また、時間をあけて
もう1回みたいです。


そして小説も読んでみたいです。
君の膵臓をたべたい

2018年6月22日金曜日

40歳を超えても腹筋を割る方法

41歳ですが、まだ腹筋が割れています。
え?見えないから信じられないと?
確かに。
まぁ、こんな嘘ついても意味ないんで
嘘じゃないですよ。


周囲を見渡せば、かなり珍しい部類に入っているようです。
でも、自分がスポーツマンで今何かスポーツをしているか?
と言えば、全くスポーツはしていません。
ゴルフもしていません。


朝から夕方までPCの前に座って、
デスクワークをしています。


では何をしているか?


超簡単なことをしています。


オンリー腕立て3回。
オンリーコロコロ1回。


こんなやつをコロコロと呼んでいます。


このコロコロがいいんです。
わざわざ背中をついて
寝転がってやるというのが面倒なんです。


コロコロだと
そのままコロコロをもって、
腕立ての姿勢で1回やればOK。


この運動の気軽さがいいんです。


なんでそんな少ない回数かっていうと、
自分自身を観察していて、
変に気合入れてしまうと続かないからです。


続けることが大切だって考えているんで、
コロコロ1回。
腕立て3回。
とラインを決めています。


少ないから続けられるって思っています。


もちろん、その回数を超えてもOK。
自分も超えています。


でも、超えなくても罪悪感をもたないことがコツ。


女性だったら膝をついてコロコロ1回でいいんじゃないかな。
ただし毎日やる。


自然と2回やりたくなる日っていつかきますよ。
こなくてもOKだと思って罪悪感をもたないように。


続けることが大切だから。


自分はこの場所を通るたびに
腕立て3回。
コロコロ1回。
という場所を決めていますw


そうそう。
思い出しましたが、
エレベーターの中で
時々つま先立ちになる運動もしています。
つま先立ち5回くらい。
これって運動って呼べるレベルなのかな?(^-^;


小さいことをコツコツと。
コロコロ1回からスタート。
これが腹筋を割るコツだって思います。

エクササイズローラー

ふと1人で旅に出たくなる時はありませんか?



1人で数か月くらい旅に出たい。


もちろん、そんなことはしないけど、
できやしないけど、
ふと何もかも忘れて、
田舎の自然あふれるところで、
日の出から日没まで
ハンモックに揺られながら
コーヒーを飲みながら
読書でもできたらいいなぁなんて。


今までこんな気分になることなく
突っ走ってきたけど、
年齢的なものがあるのか、
それとも精神的なものが影響しているのかは
全くわからないですが。


ふと立ち止まるように顔をあげてみたら
そんな気持ちが沸いてきました。


むしろ考える時間があるのがいけないのかも。


朝から晩まで仕事がぎっしりと詰まっていたら、
そんなことすら考える暇なく
毎日が過ぎていく。
そうやってやり過ごすこともできる。


でも、自分は自営業なので、
考える時間はたっぷりある。
すると、自然と未来のこと、
自分自身のことを見つめる時間が増える。


そして今は旅に出たいと
ふと考えながら一口ずつ昼ご飯を食べ、
噛んでいる最中にこれを書いています。


老後が楽しみなのか?
と自分に問えば、楽しみではあるけど、
ただゆっくりするだけの人生は
改めて考えてみると
死を待っているだけなようで嫌。


今ちょっとゆっくりしたいだけで、
老後は老後で自分にしかできないことを
やっていたいなと思います。


ただハンモックにゆられて余生を過ごしたり、
カフェめぐりをして時間をつぶすようなことは
したくなくて、
その年齢の自分しかできないことをやっていたい。


自分が歩いてきた道のりが
若い人たちの役に立てたらうれしいですし、
役に立つような生き方をしていければなって思います。


ふと旅に出たくなる。
そんなときってありませんか?

2018年6月21日木曜日

人と違う奇抜なファッションは個性的とは限らない

個性的って何


個性的であれ。


この言葉は人間として良いこと
として語られますよね。

あの人個性的だね。
とか。


でも、このことで個性をはき違えている人が
けっこういるような気がしています。


テレビを見ていると、
強烈な奇抜なファッションをしている若者が映っていました。


もちろん、この奇抜なファッションが悪いなんて
全く思っていませんよ!


ただ、このファッションをしている人の中には
2通りがあるのかな?
って感じたのです。


1つは、本当に心から好きでこのファッションをしている人。
これはいいのかな。
ただ、本当に好きかどうかって
けっこう本人すらわかっていなかったりするとも思えてきます。


それが2つ目につながってくるんですが、
2つ目は、
他人と違うことが個性的だと思い込んでいる子です。


自分が好きというのではなく
他人と違うことが個性的だと
強く思い込んでいる子たちです。


人と同じは嫌だ。
何てセリフを多用していそうな子たちです。


私は個性的って人と違うということではないって思っています。
個性的っていうのは、
自分が心から好きなこと、
自分自身が言動からにじみ出ているとき、
個性的って呼ぶんだと思います。


だから「他人と違う自分」と強く思っている時点で、
それって個性的ではなくて
他人からコントロールされているんじゃないのか?
ということが言いたいんです。


本当に個性的な人って他人とかぶっていても
それすら気にしないんじゃないかな。
私がそうだっていうことじゃなくて
単に頭の中にそう浮かんでいるだけです。


本当は違うのかもしれませんが、
私は個性的ってそういう他人に影響されずに、
影響されていても、
それすらOKっといった感じで
醸し出される雰囲気のことを言うのかな?
と思います。


じっくり考えてはいないから、
ちょっとわかりづらいでしょうけど、
推敲しない書きっぱなしのブログなんで、
そこは勘弁してください(^-^;


個性的って何なんでしょうね?

2018年6月20日水曜日

自分を使い切る生き方について

日曜の炎天下の高架の下、
花を売る親子。


バンコクではいろいろな生き方を見ることができます。


教師という仕事がらなのか、
たんに自分がそのようなことに興味があるのか、
人間だれしも生き方について考えるのか。

いずれにせよ、
自分の生き方について考えることがよくあります。


「人生が一度しかない」
という当たり前のことが自分の行動の原点にあるからかもしれません。


そんな生き方にアンテナを張っていると、
思いもかけないところで
素敵な言葉に出会うことがあります。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

靴下でもシャツでも
最後は掃除道具として、
最後まで使い切る。
 
 
人間も、十分生きて
自分を使い切ったと
思えることが、
人間冥利に尽きるという
ことだと思う。
 
 
自分の最後だけは、
きちんとシンプルに
始末することが最終目標


樹木希林さん

ーーーーーーーーーーーーーー


自分を使い切る。
自分の最後を始末する。


とても素敵な表現だなって感じました。


自分を使い切るか・・・


果たして今やっていることは、
自分を使い切ることにつながっているのだろうか。
自分の使い方として間違ってはいないだろうか。

もっと良い使い方があるのではないだろうか?

そんなことがふと頭をよぎります。

毎日が安定して回っていれば、
別にそんなこと考えなくても、
これからも回っていくのかもしれません。


ただ、ある種、自分はフリーランスとして活動しているので、
生き方について自由に決めることができます。


自由だからこそ、
今の生き方が自分の資質のようなものを
使い切ることにつながっているのか?
ということを考えるのです。


自分を使い切るからこそ人生を最後の最後まで始末できる。
まさに人生のエコ利用ですね(^^)


そんなことを考えさせてくれる
樹木希林さんの言葉です。


でも、日常生活を送っていると、
この言葉のことも頭の片隅に追いやられて、
忘れたも同然になることでしょう。

でも、終わりにしたくないテーマです。
自分の人生の使い方は正しいか。
使い切れているのか?


これからも時折考えていきたいことです。


みなさんは、
自分の人生使い切っていますか?

2018年6月19日火曜日

タイのVISA手続きの遅さ

タイのイミグレと小川一樹

バンコクの渋滞に続いて
ストレスフルな投稿が連続してしまうんだけど、
タイのVISA手続きには毎度毎度、カンカンです。
ぷんぷんです。
おかんむり次郎です。


実は、前回VISAが失効してしまい、
今回3か月のVISA期間を経て
再度1年の申請に。


あり得ないミスがあった。
銀行から貰った残高証明書に、
口座番号が入っていなかったので、
この書類のためにやり直し。


銀行からもらったときに、
自分の名前と残高がかかれていることは
チェックしたんだけど、
まさかアカウント番号が載っていなかったとは。


銀行の電話番号は載っていて、
その番号がてっきりアカウント番号かと。


豚肉のチャーハンを頼んで、
牛肉のチャーハンが出てきて、
食べて気づいたようなイメージです。


チェックしないのは俺の責任か?
俺は銀行から給与貰っていないから、
チェックする義務なんて無い。
チェックは銀行の仕事だろ?
なんてイラっと^-^;


結局木曜では終わらず、
月曜にも行くことに。


午後1時に来いと言われていたから、
それまで昼ご飯休憩。
マンゴーともち米

50Bでマンゴーともち米が売っていたので
これを食べることに。

マンゴーともち米

いつも買っても、
ほとんど息子と娘にあげて、
自分は一口レベルしか食べていなかったんで、
久しぶりに丸ごと全部食べられたなぁ
なんて考えつつ。
うまし。


書類はすべてうまくいったんだけど
次は、ただパスポートを返してもらうのに
1時間弱待たされました。


このイミグレの建物の中で、
どれほどの人間の時間が無駄になっているのだろう。。。


地球の中のこの地区の1つの建物が、
こんなにも人間の生きる時間を奪ってよいのだろうか。


毎日毎日、すさまじい人々の時間が
1時間単位で浪費されている。


合計時間にしたら
いったい何時間の無駄が生まれているんだろう。


これは人類的な超無駄なこと。


戦争はわかりやすいから当たり前に批判されるけど、
こういう目に見えないような
時間の浪費は、ある種、人間の有限な命の時間を奪っていて、
毎日の合計時間は
人何人分の命を奪っていることになるのでは?

アイスクリーム屋台

帰りに10Bの屋台アイスクリームを買って
怒りをクールダウン。


ふぅ。
毎度毎度、イミグレは疲れる。

2018年6月18日月曜日

バンコク日本人学校チェンマイ修学旅行のお土産


バンコク日本人学校のチェンマイ修学旅行から
息子が帰ってきました。

スワンナプーム空港に娘と迎えに行って、
到着した息子との再会。
学校の友達の前での態度はちょっと大人びているのが
高学年らしいなって感じますね。

だから、友達の前、先生の前では
あえてちょっとそっけなく接しておきました。

自分もそんな時期があったな・・・
遠いかすかな記憶です。


私にくれたプレゼントはこれ。

私の仕事の机の色とドラゴンの色があっているし、
かっこいいからと選んでくれたようです。

これからの仕事のお供になります。


妹にはカバンにつけるキーホルダー類と、
ちょっとしたおもちゃのようなもの。

しっかり妹が喜びそうなものを選んでいて
お兄ちゃんしているんだなと感心。


母親へは、指輪と金色の指輪入れなど。

さすが、母親は別格というか、
女性が喜びそうな物をしっかりチョイスしていて
かなり感心しました。

私が妻に選ぶだろうプレゼントより上手かな(^-^;


息子が自分自身に買ったものはこれ。
自分専用のスプーンと、
友達とノリで買うことになったというサングラス。


もっと何か買ってくるのかな?と思ったら、
思ったより少なく、
本人曰くあまりほしいものがなかったそうです。


そして最後に私へのプレゼントのマッサージ棒で
足をマッサージしてくれました。


こんなうれしいプレゼントは
今までの人生であったかなぁ・・・
なんて思いながら
しっかり受け取りました。


仕事を頑張り、
家族を守るパワーをもらった気がしました。


2018年6月16日土曜日

スワンナプーム空港のタクシー乗り場の50Bチャージって必要か?


バンコクの渋滞についての愚痴に続き、
今度はバンコクのタクシーにイライラ


スワンナプーム空港に行く予定があり、
車を使えないから
自宅近くで娘とタクシーを待つことに。


待つ。
待つ。
待つ。

イライラ。


日ごとは見たくなくても溢れているタクシーだけど、
こう乗りたいと思っていると見かけない。
やっと見かけて手をあげても乗せないという手振り。


乗せないってなんだよ!


ただタクシーを待つ20分ってのは、
20分以上の体感。


いつまで待っても来ないから、
バイタクに乗って大通りまで。
やっとこさ無事に乗れて空港へ。


空港へ向かう道すがら、
タクシーの運ちゃんはラインをやったり、
携帯で誰かと話したり。


運転に集中しないことに再びイラ。
そりゃ前に衝突するタクシーを見かけるわけです。

空港からの帰路。
数年ぶりに空港からタクシーを利用。

スワンナプーム空港のタクシーチケット

1階にこんなタクシーチケットを配る機械ができていたんですね。
そこでチケットをとってから
タクシーの待つ場所で行先を告げて乗車。


かなりスピードを出すタクシー。
タイのタクシーの中

で、降りるときに気が付いた。

空港でGETしたタクシーチケットにはチャージ50Bと書いてありました。

空港でタクシーチケットをもらうと、
50Bのチャージがあるんです。

これはぼったくりとかじゃなくて、
スワンナプーム空港の正規のタクシー乗り場だから、
これ以外でタクシーに乗るのは難しい。

だから仕方がないチャージなんだけど、
いったいなんのチャージだろう?


これでぼったくりタクシーが300Bってふっかけてくることが
減ったのかな?

だけど、50Bプラスで払うなら、
結局、200Bのところ、250Bくらいかかるから、
ぼったくりタクシーとそんな変わらない値段になるのでは?


意味のわからない50Bに降りるときに気づいて
さらにイラっと。

普通の値段で普通に乗れないことが
当たり前になっているってのも
アメージングタイランドたるゆえんですね(^-^;


そうそう。
昔よくあったのが、
お釣りが無いというパターン。
最近はタクシー乗っていないからわからないけど、
今もあるのかな?
多分お釣りないっていうドライバーは
まだいるんでしょうね。


結局、タイでタクシーに乗ると、
かなりの確率でイラっとするなっていう話でした。


二日連続で愚痴っぽく(^-^;

愚痴を言っても始まらない。自分が変わるしかない!

バンコクの渋滞

愚痴なんて言っても何も変わらない。


そんなことはとーの昔にわかってて、
愚痴は言わないように気を付けているつもりの自分ですら
愚痴を言いたくなるようなバンコクの渋滞。


金曜の今日もひどかった。
ひどかったではない。
ひど過ぎだ。


タイには10年以上住んでいるけど、
改善しようという気配すら感じない。


どうだろう。
一人の人間に例えて考えてみて、
自分の欠点がわかっていて、
そこを10年間改善しないなんてあるのだろうか?


改善しないとしたら、
それは欠点に気づいていないのか、
本気で改善したいと思っていないのかのどちらかなんじゃないかな。


とするなら、
バンコクも渋滞がひどいことに気づいていない?


んなわけないから、
気づいているけど、
一人ひとりのタイ人が
本気で改善したいと思っていないんだろうな。


もうとっくの昔にあきらめているのかな。


バンコクが変わらないなら
自分が変わるしかない。


まずはTJの移転を考える必要がある。
さらには、移転しなくても済むシステムを考える必要がある。


移転しなくても済むシステムの構想は
実は頭の中にはある。
あとは実行するのみだけど、
数年かかりそう。


だから、まずは移転が現実的だろう。
BIOハウスにでも移転して、
他塾と全面戦争をスタートするというのもおもしろいかも。
自分の中に新たな気合いが入り、
まだ見ぬパワーが出てくるかもしれない。


どこかTJの移転先としておすすめの場所があれば、
個人的に教えてください<(_ _)>


ぜひぜひ。

2018年6月14日木曜日

子離れの練習「バンコク日本人学校チェンマイ修学旅行」



息子が2泊3日の修学旅行へ。


母親は寂しいと言っていたけど、
自分は男親だからかな、
あまり寂しいという気持ちはなくて、
楽しんでいるかな?
なんて考えています。


母親と父親では子供への結びつきって
違うんだなということが
こういうところに見えますね。


父親より母親の方がもっと
感情的な面でつながっているという感じなのかな。


でも、こういう宿泊を通して、
徐々に子離れというやつができてくるんでしょうね。


子供から大人になっていって
徐々に無垢さが無くなる姿へのあきらめというか。
あきらめといったら語感が悪いけど、
他に言葉が見つからず(^-^;
巣立ちへの覚悟でいいかな。


だから、上にお兄ちゃんやお姉ちゃんがいて、
その子離れの機会を一度、二度経験している母親っていうのは
精神的に強いんでしょうね。


もう子離れができていて、
感情的なつながりから、
もっと冷静なつながりになることができているとでもいうのか。


いずれにせよ、
我が家にとっては二回目の宿泊学習。
こうやって子供が家から離れていくことに慣れていく。


ジャングルの中にけもの道ができるように
また中学の修学旅行などを通して、
しっかり家の中に子供がいないという道が
徐々にできてくるんでしょうね。

いつか、家から巣立つときの親の心の準備として。

2018年6月13日水曜日

本当にやりたいことが見えていないとき。

午前中が忙しく過ぎ去っていったとき、
ふと昼ごろにお決まりの喫茶店にバイクでいく道すがら、
「何をやったけな?」
と、時間の密度が薄かったのかな?
と空っぽになった頭を探るように考えているときがあります。


そんな「何やったっけな?」
と不安になるとき、
粘って思い出してみると、
事務仕事中心にやっていたということが多い。


本当に気を付けなければならないなって思うのが、
とりあえず忙しくなるように
細かい仕事を見つけてしまうこと。


人は暇だったり、空虚であることが嫌なんだと思います。


だから、別に片づける必要がないところを片付けてみたり、
自分とは関係ない芸能ニュースに一喜一憂したり、
たいして重要でもないのに
忙しくなるように細かいことを探して充実しているふりをする。


そんなことがあると思います。
自分にはあります。



だから、「午前中何してたっけ?」
というときは要注意。

こんな目の前の些末なやるべきことに追われているうちに
1日があっという間に終わり、1週間があっという間に終わる。
気が付けば10年単位で時間が過ぎていく。


人生の幕を閉じるときに
振り返って後悔するような生き方はしたくないなって思います。


目の前の畑を耕すことばかりに夢中になり、
肝心の種を蒔いていないなんてことが無いように。


自分にとって本当に大切なことって何なのか?
そこを見据えて日々を過ごしていきたいなって思います。

2018年6月12日火曜日

自分が弱いということを受け入れる

ベランダに少し大きめの鳥が来て、
葉っぱをかじろうとしていたから
軽く追い払いました。


すると、あるものを発見。
青虫

青虫というのでしょうか。
かわいらしい緑の虫が。


思い返せば、確かに葉っぱに穴が開くなぁ
なんて毎日水をあげながら、
のんきにチラ見していたことを思い出し、
ふと葉の穴と虫が頭の中で一致しました。


鳥は葉をかじりに来ていたわけではなく、
この青虫を狙っていたんですね。

小鳥

が、このベランダに来ていた小鳥に
結局は食べられてしまいました・・・


小鳥は小鳥でかわいいです。
青虫もかわいらしかったです。



自然界は人間のかわいいなんて思考は無視で、
ごくごくシンプルに回っています。


弱肉強食。


でも、思考が発達している人間は
弱肉強食ではなく、
強き者が弱き者を助けるような姿であってほしいものです。


が、最近のテレビやネットを見ていると、
強き者は叩かれる。
助けるどころではなく、
自分の身を出過ぎた杭にならないように
守ることで精一杯ですね。


強き者が弱き者を助けるためには、
弱き者が強き者をまずは受け入れること
自らが弱き者だと行け入れることから
スタートしないといけないようです。


でも、強い弱いって言葉の語感が差別っぽくて
受け入れがたいんでしょうね。
自分が弱き者だと認識したくないから
強き者を叩き落して、
自分の立ち位置を安心できる場所にしたいのかも。


では、なんて表現したらよいのでしょう。
いちいち忖度しないといけないのが面倒です。

助ける者と助けられる者って感じが良いのでしょうか。


長くなる前にここら辺で終わります。
あとは皆さんの頭の中で♪
ではでは。

2018年6月11日月曜日

人の目が気になり、空気を読み過ぎてストレスを抱えている人におすすめの本


どうしても人の目が気になってしまう。
そんなことってありますよね。


私も学生時代だったり、
年齢が若いときは特に強く、
それによって苦しんだことがありました。


今は、昔ほど他人の目を気にすることは
無くなってきましたが、
それでも「名残り」のようなものはあります。


他人の目を気にしすぎる人って
空気を読む力が高いんですよね。


なんとなく空気を読んで、
自分の行動を制御、制御というより抑圧して
行動できないでいることって多いんじゃないかな。


そんな人にぜひ読んでもらいたいのが
「空気を読んではいけない」という本。


総合格闘技でバカサバイバーのテーマソングで登場する
関節技の職人青木信也選手が書いた本です。


彼は、キックボクシングの選手と
キックルール、総合ルールと1ラウンドごと入れ替わるルールで戦うとき、
ドロップキックやクリンチで時間を浪費させて
総合ルールの時間を待つほどの強心臓
まさに空気を読まないです。


バッシングされることが多い青木選手ですが、
結局、十年以上も総合でトップを走り続けているということは、
他の選手よりも心技体が優れているはずです。


そんな青木選手が何を考えて
自分の人生と向き合ってきたかが
彼の人生と同じく、無駄がそぎ落とされた
直球ど真ん中で語られます。

まさに空気を読んで回りくどい言い方をしない。


だからこそ読みやすいし、
人によってはストンと納得でき、
価値観をぐわんと揺さぶられるんじゃないかな。


自分は言葉にしていなかった価値観に
言葉を与えてもらった感じがして、
より自分の価値観が深まりました。


空気を読み過ぎてストレスをためている人なら
読んで損はない1冊ですよ。


くわしくは
空気を読んではいけない


タイの酷い排気ガスの中を走るランナー。

黒煙をまき散らすトラック

タイの道路では、こんな排気ガスをまき散らす車に
ちょくちょく出合います。


ちまたでは環境保護は大切だとか、
自然食品で添加物が少ない生活だとか
ナチュラル思考の人も増えているようですが、
そんなことを言っていられないレベルの
とんでもない環境破壊の黒煙。


写真では伝わりにくいけど、
もっと真っ黒な煙を吐き出していましたよ。


自分には理解できないのがこれ。
排気ガスを吸い込むランナー

バンコクの大通りを走るランナー。

健康を目指しているのだとしたら大間違い。
健康と引き換えにとんでもない代償を払っているということに
気が付いていないのだろうか。。。


それか、健康を捨ててでも
心肺機能を高めるプロスポーツ選手なのかもしれません。


いやいや、それならもっと広い公園で走ったらよかろうものの。


自分なんてマスクして、
極力排気ガスは吸いたくないとバイクを運転しているのに、
マスクなしで排気ガスを吸い込みまくりながら走るとは・・・


道路のアスファルトが削られてた粉だけでも
体に悪いところに、ディーゼルの黒煙がプラスされる。

さらに、
走ることで呼吸が荒くなり、
通常より多く吸うことになるという恐ろしい状態。


理解に苦しみますが、
いろいろな価値観があるということですな。

2018年6月7日木曜日

掃除する習慣が3日坊主にならないコツ

なんかひょんなきっかけでマイブームって起きます。


今のマイブームはドア系の掃除。


前々から、白いドアの汚れが気になっていたんだけど、
その汚れを無視するかのように生活していました。


でも、ある時、ふと思い立って、
こんな洗剤を購入。
マイ洗剤の画像

Mr,Muscleという名前の洗剤。
自分専用のMy洗剤です。


机の下にこのMy洗剤があると
掃除をすることに対する敷居が低くなるんですよね。


もしこの洗剤が洗面所の手洗い場の下にあったら、
面倒くさくなってやらなくなっているかもしれません。


でも、机の下にタオルとセットにしておいてあるんで
思い立った瞬間に掃除モード。


軽く2,3分ドアの気になっていた一部分だけ掃除するのがみそ。
これを本格的にやったら継続できないんです。


まだやりたいなぁ・・・
ってところでストップします。


目の前に汚れが見えていてもやめるんです。
すると、その場所を通るたびに拭きたいという気持ちが強くなるわけです。
すると次の日の掃除が楽しみになるって仕組み。


当たり前ですが、
今まで気になって無視していた場所が
白さを取り戻してくるんですが、
すると新たな汚れた箇所が目に飛び込んでくるんです。


これが掃除の効果だって思うんです。
今まで見えていたけど見えていなかった汚れに気づく
センサーが高まったということです。


気づきの力が高まるという効果は
絶対にあると実感しています。


すると、掃除以外の部分でも確実に気づきの力は
高まっていて、生活の質が上がります。


だからごみ屋敷で生活している人が
グーたらした生活になってしまうのも
逆な理由からわかりますよね。
気づき力が低下していて、
自分のダメなところも見えなくなってしまっている状態なんでしょう。


ということで、
この毎日2、3分のMy洗剤を使った掃除は、
玄関からスタートしていますが、
1か月後はどこの掃除をしているのかな。


そんなことも毎日の楽しみの1つです。

2018年6月6日水曜日

教え子と再会して感じる人間と人間としての繋がり


気持ちが良いバンコクの真っ青な空。
そんな気持ちの良い日に良い出来事が1つ。

それは、今は高3になるかつての教え子たちから連絡があり、
ご飯を食べようということになったこと。


ソイ33のらあめん亭で11時から12時半までランチをし、
ゆっくりと語り合いました。


昔と大きく違うところが、
「自分の意見をしっかり持っている」
ということです。


2人とも先を見据えて今の進路を選んでいる。
それが伝わってきたことに感心。
別に上から目線で感心しているわけじゃないけど、
一応、昔から染みついている上下関係は
崩れずあるわけです。


また、その上下関係は嫌なものではなく、
お互いの中で心地よく横たわっています。


2人とも先をしっかり見据えていたけど、
人生なんてピタッとは思うようになりにくいし、
また思ってもいなかった道が目の前に開けることもある。


どんな道を選ぼうとも
自分が選んだ道を正解にしてやるという気概で生きてほしいです。


そのままエムクオーティエのスタバで午後1時半までお茶。


小学校のころであれば、
何というか体にしみ込んだような上下関係で
一応は関係が作れてしまうものだけど、
こうやって高校生になっても会いに来てくれ、
さらに対話ができるということは
自分が培ってきた関係は上下関係以上のものがあるという
確認にもなるものです。


また、勉強を教えているわけでもないので
勉強だけでつながった関係でもないわけです。


人間と人間として根っこでつながれていることが
嬉しいわけです。

アホみたいな交差点を抜かせば、
相当充実した1日でした。


それにしても、もう6月ですよ。
半年経ってしまいましたよ。

はやいもんですなぁ・・・

2018年6月4日月曜日

本を読まないのは人生の損【NO BOOK,NO LIFE!】

午前中みっちり2時間読書。


堀江貴文さんの「すべての教育は洗脳である
という本を読んでいます。



本当にやりたいことができないのは
学校教育のせい。

学校は従順さを高め、
理不尽な作業に耐える人材を大量生産する場所。
だからやりたいことを我慢する思考になるのは当たり前。

そんな主張のもとに
ではどうしたらいいの?
といった話に展開する。

堀江さんの切り口は面白いし、
自分の教育観にも新たな切り口を与えてくれます。
アマゾンでかなりの高評価なのも納得


さらに古本屋でこの2冊を購入。

竹中さんの「竹中式マトリクス勉強法
は単純に政界の経済界で活躍している人が
どんな思考方法で勉強をしていたのか
教育者として興味があったことと、
60Bという安値だったので買いました。


そして、吉田松陰先生の「講孟余話」は、
中身をペラペラめくっていたら、
松陰先生の実際に語ったことが書いてあり、
さらに開いたページの文を読んでいて
真剣の切れ味をもった思考が文に垣間見え、
買わないという選択肢はないと即購入。
これは340Bと古本にしては高めでした。


松陰先生は自分より年下。
年下の人が書いたとは思えない・・・
若干生き方の違いが浮き彫りになって悔しい気持ちもします。


これはペラペラ読んではいけない本。
じっくりかみしめるように読みたいと思います。


さらに夜に電子書籍で2冊衝動買い。

水曜どうでしょうという番組の
名物カメラマンの方のようです。



ただ、偶然HPでチェックしていたら、
彼の書いた文章があり、
読んでみると思考が深い。味わい深い。
これは読んでみたいと思い購入です。



しかも2冊ともアマゾンのレビューが半端なく評価

これも購入を決意したポイント。

思いっきり影響されていますが、
人がここまで良いと評価する本を
自分が読んでいないということに
損をした気分になるんですよね。


これは、今読んでいる岡本太郎さんの本が終わったら、
隙間時間にちょくちょく読んでいこうと思います。


ということで、
本がたまり過ぎてきましたが、
じっくり味わうように読みたいと思います。


それにしても読書ってなんてありがたいものなんだろう。
自分の人生は1回しかないけど、
本を通して何通りも人生を味わえるような気分になる。


いつか老後は田舎に引きこもって
コーヒーと電子書籍を楽しみ、
その内容について誰かと語らうというのもいいな。

2018年6月3日日曜日

何事も中途半端はよくないなんて当たり前のこと

昼ご飯はクイッティアオ。
なんてどーでもいいことを書いてしまうくらい、
頭の中に霧があるような感じの数日間でした。
5月30日にブログを書いて
あっという間に6月3日。
3日あいてしまったのもこの霧のようなもののせい。


日々いろいろ考えてはいるけど、
どれももやもやしていて、
言葉が最後にびしっと決まるようなほど
形になっていない。


でもこんな感じで日々が過ぎていくのも
しっくりこない。


こうやって書きながら気が付いたけど、
頭の中にアイデアがいろいろ詰まっているのが
原因なようです。


そのアイデアを形にするには
ちょっとまとまった時間が必要です。
でも、日々やるべきことがあるから、
それをやっていると残りの時間が少ない。


その少ない時間ではアイデアが形にならない。
でも、そうやっているうちに
他のアイデアも生まれてきて、
読みたい本もたまってきて、
日々のやるべきことが重なってきて、
・・・。


気がつけば中途半端なモヤモヤした感じで
数日があっという間に過ぎたということです。


あれもこれも中途半端はよくない。
少し絞っていかないといかん。
なんてこの文章も秋元康さんのNHKの対談番組を見ながら書いています。


同時進行でいろいろやっていると
どれも中途半端になってしまう。


パソコンで同時にたくさんのタブを開くと、
徐々にどれもこれも見られなくなって、
結局出かける時間になって全部閉じる。
そんなことにならないように。


そしてもう夜中の1時半。
もう寝ます。