2026年5月23日土曜日

今の自分と向き合って生きる

不安、恐怖、期待、
未来を思い描くと様々な感情が付きまとってくる。


とある知人の行動を見ていて感じることがあった。


未来を考えて生きることが間違っているとは思わない。


でも、本来は白紙の未来。

今の自分の枠で勝手に小さく決めつけ、
勝手に恐れ、勝手に不安を作り、
勝手におかしな行動をする。


未来で傷つきたくないからと
今の純粋な自分の気持ちを隠し、
勝手に作った悪い未来の延長線上にある
今を基準に判断して生きる。


本当にそれでいいのだろうか。


今、やりたいことがあるならやればいい。

未来に傷つく自分が嫌だ。

そっちを重視したいなら辞めればいい。


でも自分はそのような考え方をしようとは思わない。


未来に傷つくか、傷つかないか、
今からわかるわけがない。


そんなわからないことを今にもってきて、
今すら恐れを基準に生きるなんて馬鹿げていると思う。


ただ、この考えも変わるかもしれない。
変わってもいいと思う。

変えちゃいけないなんて誰かが決めたのだとしたら、
そんな人は自分にとってどうでもいい。


考えを変えたければ変えればいい。
変えたくなければ変えなければいい。

今の自分の感情に素直に生きていく方が
せっかく一度しかない人生を
しっかり向き合って生きていることになると思う。


今と向き合わず、
勝手に作った未来と向き合って生きる。

それは今の自分に失礼だと思う。


未来は無い。
過去も無い。

あるのは今だけ。

だから、
今は今と向き合って生きることだけしかできない。



2026年5月17日日曜日

無駄な未来予測~人生は想い出づくりの旅~


先日知人から相談を受けて思ったことがあります。

知人は恋をしており、その人との将来を考えていました。


相談の中にこんなことがありました。

もし、付き合っても自分は今回彼女を好きになったように
また他の人を好きになるかもしれない。

そうなったら彼女を傷つけることになる。
そして自分も傷つくことになる。

だから、何もせずに今のなんとなく来るであろう
「普通」の幸せを求めた方が良いのだろうか。

そんな内容でした。


普通の幸せ。

果たしてそんなものってあるのだろうか。

知人は、友達の例を出して、普通の幸せについて話していました。


子どもを持ち、家をもち・・・
そういう世間一般で良く見られる普通な幸せ。
それでいいのかなって。


自分は思います。

普通の幸せすら、実は普通ではなく、
普通に見える世間の個人にもっと焦点をしぼると、
その人なりの不幸はある。

仕事が辛い。
家庭の中で孤独。
家のローンや近隣との不仲。
子どものいじめ。
受験問題。

あげたらキリがありません。

普通の幸せと思っていても、普通なんて無いのでは?
ということ。


そして、知人の言う、
未来に傷つくことを考えて今の行動をしないという選択。

これは未来にならないとわかりませんが、
知人が行動しなければ、いつの日か後悔することでしょう。

格言。
行動した後悔より、行動しない後悔の方が大きい。

これは真実だと思います。

行動した後悔。

知人にあてはめたら、その人と別れることになり、
傷つく後悔。

でも、これには終わりはあります。
いくら深く傷ついてもそれ以上は無い。

でも、しなかった後悔。

これは、未来永劫、頭の中に残り続ける後悔。

新しいというか、行動しなかった結果、
いつか迎える恋人との間に少しでも不満があれば、
行動しなかった自分を想い出し、
ずっと味わい続ける後悔となるでしょう。


どっちが良いか。

そんなことは誰にもわからない。

だから最後は知人が自分で選ぶしかない。


そして、「もしダメになったら。」
という未来予測。


まだ来ていない未来。


ダメになる未来。
ダメにならない未来。

二択なはず。

でも、二択なのに、ダメになる未来ばかりを信じ
今目の前にある幸せを捨てて良いのか。


例えば、イヤホンを買う!と決めたとします。


人は決めた瞬間から、周囲のイヤホンが気になり、
自然とイヤホンの情報が目に飛び込むようになるものです。


それと同じように、
ダメになる未来を考えていれば、
ダメになる情報ばかりが目に飛び込み、
結果、ダメになる方向に近づくのだと思います。


知人がダメな未来を考えている限り、
囚われている限り、
結果、ダメになるのでしょう。


では、ポジティブに考えれば良い結果になるのか。

それは未来はあらゆる因果関係で作り上げられるので、
思考だけで良い結果になるとは言えません。


でも、少なくともダメな結果は遠ざかり、
良い結果は近づくことになるだろう。


未来が良い結果になるか。
悪い結果になるか。
それは誰にもわからない。

でも、今の幸せは、自分の中の宝物になることは事実。

悪い未来ばかり考え、
今の宝物まで汚す。
今の宝物を捨てる。

それもまた個人の自由。

冷たいようでも、知人は最後には自分で選ぶしかない。

そして選んだ結果を受け入れる覚悟を持たないといけない。


どんな未来が来ても、
結局人の命は有限。


人生は想い出づくりの数十年の旅。


旅が終わる瞬間。
ああ、良い人生だったな。

そう思えたら旅は成功なのだろう。


知人の未来に幸あれ。

写真は知人と行った定食屋のさんま定食。
美味しかったなぁ。

タイ飯も好きですが、
やはり食は日本は最高。

脂ぎってない。
味が濃すぎない。
味が深い。

タイ飯より日本飯の方が全く飽きがこない。

良い想い出になりました。

2026年4月2日木曜日

今しかない

未来ばかり見ても、それは妄想。
過去ばかり見てもそれも妄想。

見てる自分は今しかない。

未来、過去を見て、
不満ばかり言っても幸せにはなれなそうかな。

完璧な未来、過去なんて無い。

今をしっかり味わうことができれば、少なくとも今は幸せになれそう。

とわかっていても、過去や未来ばかり見るのが普通の人間なんだろーな。

自信を持ってチャレンジすること

自信とは自分を信じること。

自分を信じていれば、
未知なことにチャレンジできる。

でも、安全圏内でのチャレンジばかりしている自分に気づいたとき、
きっと自分は自信がなかったと気づく。

本当に自信がある人は、
失敗するかもしれない危険な道でもチャレンジする。

失敗した自分をも信じることができるとき、
それは本当に自信があるというのだろう。

安全圏内生きることが悪いわけではない。


でも、本物の自信と向き合いたいなら、
安全圏内から出る決意が大切なのかなって思う。

2026年3月30日月曜日

テキトーに生きる


今日は有給とって、
午前中はスタバで読書。

朝テレビを付けたら
久しぶりにじゅん散歩を観ました。

何年ぶりだろうか。
高田純次さんも若干お年を重ねられた様子でしたが、
さすが!と思う場面が。

中目黒のハンバーガー屋さんで
売れるメニューを考えてという
無茶振りに対して
「一万円挟んで、八千円で売れば絶対売れるんじゃないかな?」
ってww

さすが適当だなー

高田純次さんのように
テキトーに力抜いて、
良い年の重ね方をしたいものです。

2026年3月8日日曜日

石橋を叩いて壊して渡れない

 石橋を叩いて渡る


という言葉があるけど、

叩いても叩いても渡れず、

叩き続けて、結果、自分で橋を壊して渡れなくなる

ということがあるような気がします。

石橋を叩き続けて壊す

叩き続けてしまうマインドが変わらない限り、

どんな橋を渡ろうとしても叩き続けて壊し続け、

探しては壊しを繰り返す生き方になるのかもしれない。


ただ、壊れない橋も世の中にはあるのかも。

だから、その橋を探し続けるのも人生とも言える。


個人的には生きている限り、ずっと不安だと思う。

不安が無い人生。

それはブッダと呼ばれる方々が掴んだ生き方なのかも。


凡人である我々には、そう手が届かない生き方なんじゃないかな

って思います。


悩みながら生きる、不安を抱えて生きることを

受け入れたとき、石橋を叩いて壊すという行為は

止まるような気がします。


そんなことをスタバで考える朝。

2026年3月1日日曜日

笑いとばす

全てのことにシリアスになりすぎず、自分自身を、運命を笑いとばすことができれば、少しは気持ちが楽になるような気がします。

笑い飛ばせるほど、自分の生に執着しない生き方ができればなって思う。

こうでありたい、なければならない。そんな思いは生への執着から生まれている気がするから。

そんなことをスタバでカフェ・モカを飲みつつ考える今日このごろです。

2026年2月15日日曜日

価値観が違うということ

価値観が違う人と一緒にいることは楽しい。

でも、昔から変わらず続く友人は、価値観が違うけど、ここはゆずれないという価値観は一緒とまでは言わないけど似ている。

価値観が違うけど、価値観が違わない。
言葉だと矛盾しているけど、
そういうことだと思う。

関係がずっと続く人は、根本の譲れない価値観をあ・うんの呼吸で共有できていることだと思う。

言わずもがなって感じ。

あえて言語化しなくても、
そうだよねでわかる関係とでも言えるのかな。

飲み会とかで、価値観が違う人は、話していて面白い。

ただ、飲み会で面白いけど、それがずっと続く関係になるかどうかは、やっぱ根本の価値観が似ているか否かだと思う。

根本が違うのにずっと続いてる人って、根本の価値観が合う人が間にいてくれてるから続いてる気がする。
2人っきりじゃ会わないと思う。

それか、年に数回だから違いが許せるというか、直接害は無いから、違いが面白いで続けていられるのかも。

あとついでに思いついたことは
一緒にいてリラックスできることも大切かなということ。

緊張感がある関係は長続きしない気がします。
してもどちらかが無理して成立するって感じなのかな。

緊張は会う回数を重ねたら消えていくものだとは思いますが。

消えないとしたら、何か根本の価値観が違うのに合わせてる、無理のある状態なのかも。

根本の価値観が違っても、
強い目的意識があれば、徐々に擦り合わせていけるものだろうか。

それは自分にはわからないけど、
人間は柔軟だから、きっと可能なんだと思う。そう信じたいという思いがある。

いつも深く考えているわけではないけど、ふと言語化してみたら、ちょっとしっくり来た。

自分はそう考えていたんだなって、少し今わかったような気がする。

2026年2月1日日曜日

モーリーロバートソンさん死去・・・

 モーリーロバートソンさんが死去されたとニュースで見ました。。。


自分が教師になって1年目のころだったかな。


社会人から教師になって、

教育学部出身のストレートサラブレット教員には負けたくないって思い、

土日に朝5時半に起きて、6時から8時まで喫茶店ベローチェで教育関係やら

趣味のタイ語の勉強をしてました。


その朝にラジオで流れていたのが、

Early Morley Bird アーリーモーリーバードって番組。

インターFMだったかJwaveだったか。


なんか政治的だったか、トピック1つ決めて、モーリーさんが

とにかく一人語りする番組。


情報量がとにかく多く、深く、すごく視野が広がった。


そのパーソナリティーのモーリーロバートソンさんに興味がわいて

調べてみると東大とハーバードを両方合格するという経歴。

さっそく著書も買って読んでみて、

それからは彼に注目していました。


すると、徐々にテレビ出演されるようになり、

破天荒なおじさん色物キャラ的な扱いされていて、

もったいないなーなんて思ってもいました。


そして、時は流れ今日。


彼の死去を知り、当時の記憶が蘇ってきました。

あの頃は夢に向けてすごく熱量あって生きていたなー

今はどうかな。


モーリーロバートソンさん、若いころの自分の視野を広げてくれてありがとうございます。

と伝えたいな。

ご冥福をお祈りいたします。 

2026年1月6日火曜日

絵の具のパレットでご飯を食べる

絵の具のパレットを知らずに生きている人に対してバカだなと言う人がいます。

その人が絵の具のパレットを買って、ご飯のお皿に使うとします。

小分けされた場所にはタレを入れることができて便利で、その人は喜んで使っていました。

他人はそれを見て馬鹿だと言います。

でも、パレットは新品で清潔。
それを使っている人は幸せです。

果たしてバカなのは誰なのだろうか。

私はパレットを幸せに使っている人はバカでは無いと思いますが、
やはりバカなんでしょうかね。

世の中にはこれと似たようなことがたくさんある気がします。

本当のバカって何なんだろうか。
そんなことを、朝のスタバで1人考えている自分はバカなのかな?w

2026年1月5日月曜日

コップの水

1杯の水の入ったコップが
机の上に置かれた。

その周りを多くの大人が取り囲む。

ある人はそれをありがたがり、神に感謝する。

ある人はそれでは足りないと不平不満をいう。

ある人はその水が取られないか不安になり、夜も眠れなくなる。

ある人はその水がいつかこぼれないかと不安になり、常に目が離せない。

ある人はそれは本当に水なのかと疑疑心暗鬼になる。

すると1人の少年が現れ、
迷いのない動きでその水をおいしそうに飲む。
笑顔であっという間に立ち去る。

周囲の大人は呆然とその幸せそうな表情の少年を目で追う。

そして我に返り机を見ると、
殻のコップがある。

お互い顔を見合わせ、
恥ずかしそうにうつむいた。