2026年8月7日金曜日

映画『ブルーピリオド』感想|「本当にやりたいこと」が見つかった人間は、才能を超えていく

映画ブルーピリオドを観てのブログのアイキャッチ

映画のブルーピリオドを観た。

東京藝術大学を目指す青年の物語。

自分の心の中から湧きおごる衝動。

心の底から好きなものは何か。

心の底からやりたいものは何か。


それが見つかった人は強い。


東京藝術大学に行っている人は、俗にいう天才、才能に恵まれた人という部類の人もいることだろう。


でも、この映画を観ていてそんな簡単な言葉でくくりたくないと思えた。


心からやりたいことが見つかった人間は、

才能、天才という言葉を凌駕する力を発揮する。


他人が見たら努力と思えることを本人は努力と思わずに

抑えられない衝動としてやってしまう。


芸術家が凄い。絵描きが凄いという職業比較でもない。


どんな職業であれ、この心意気でやっている人がいたら、

みんな尊敬に値する。


清掃業者の仕事だって、本当に自分の心からの衝動が沸き起こって

やっている人もいる。

昔プロフェッショナル仕事の流儀で見た記憶がある。


その人は、ただゴミを回収するだけではなく、

分別が甘い市民を根気よく導いていた。

そして、ゴミを回収するだけではなく、

鴉に寄って散乱したその周囲にあるごみも清掃して回収していた。


他にも気づかいはいろいろあったけど、

これは本気だからこそ生まれた視点、行動だろう。


他人は凄いな

で終わることができない、自分を見つめざるを得ない素敵な映画でした。

2026年7月28日火曜日

友達100人できるかな。

友達100人できるかな?って歌あるけど、

自分は友達多く欲しいとは思わなくて、

けっこう各分野で少数精鋭って感じ。


価値観の違いがあるのは当然だけど、

自分の中では譲れない基準はあって、

価値観が合わない人とは自然と疎遠になっていった。


どっちの価値観が正しいというわけではなく、

それは生き方が違えば、相手は正しいと思って行動し、

俺も正しいと思って行動し、

それが合わなければ疎遠になるってだけ。


合わせないのか?

ってことになるけど、

合わせられる価値観と合わせられない価値観があると思っている。


どんな価値観が合わせられないのか。

全部言語化しようなんて面倒。


ただ、心地よい関係ではないと思ったら心が疎遠になるってところかな。


タイでも知り合いは結構できたけど、

今でも続いている人なんてほんと少ない。


高校、大学もそう。盛り上がるだけの飲み会とかは参加しないから、

時間がもったいなく感じてしまう。

悪く言えば冷めてる。

良く言えば自分の時間を大切にしたいということ。

陽キャ的な人達とは自然と疎遠になったな。


今も続く小、中の友達は濃い。

会うたびに数時間も話し続ける仲間。

お互いの人生について話し合う。


バンコク日本人学校時代の知人も濃い繋がりがある。

会えば数時間、深いところまで話し続ける。


こう書いていて思ったのが

数時間、人生について話し続けらる、高め合える友達が残っているな。


これからの人生、またどんな繋がりができるのだろう。

楽しみでもある。

2026年7月26日日曜日

災愛を観て。

災愛という映画を観に行きました。


主人公の愛されたいという思いが執着になり、

その執着が相手を苦しめる結果に。

そして、相手からの執着が主人公を苦しめるという因果応報。


ストーリー的にはなんかどこかで見聞きしたことがありそうな展開だったけど、

やっぱ映画の中じゃなきゃあり得ない非日常的な天井の無い誇張があるからこそ

恐怖が増して、自分の頭の中にあるなんか似た部分も

引っ張り出されてなんかモヤモヤするような。


ただ、誰もが似た部分を持っているけど、

登場人物は誇張された存在だから、

そこに変に自分や相手を投影し過ぎて

気分をマイナスにし過ぎてしまうのは違うとは思っている。


思っていても、マイナスに物事を捉えてしまいそうな。

だから、映画は面白いけど、インパクトが強いだけに

人の潜在意識に悪い影響も与えるものにもなる。


愛と執着。

執着がゆえの共依存状態。

相手無しでは存在できないもろさ、危うさ。

相手ありきだからこそ、より依存が強くなる。


そしていつか愛は見えなくなり、依存状態を満たすための行動を最優先。

お互いが依存しているから、

徐々に自由に身動きできない状態になり、

最後はお互いが洗脳された状態での幕引き。


洗脳された側の復讐もかなったわけだけど、

スッキリしたとは思えない。


まさに因果応報。


ホラー映画は面白いけど、

人間の脳は情報を現実と非現実を区別せずに蓄積していく。


レモンが目の前になくてもかじった想像すると

唾が出るのはまさに現実と非現実を区別できていない証拠。


きっと頭の中に残酷な描写も現実、非現実を区別せずに

脳は蓄積しているだろから。

だから、さっき言ったけど、映画は面白いけど怖い。


そう考えると、最近見たマイケルジャクソンの自伝映画は

そんな心配する必要なくシンプルに面白かったです! 

また近々、考えたことを残しておこう。

2026年7月25日土曜日

仕事から見えるタイ人気質

毎年1回はタイに帰郷しています。

そして、今年もあと少しで2週間弱の帰郷です。


タイ在住15年近くとなると、別にタイを観光しようという気もなく、

タイにいてもスタバに籠って仕事をする日も多くあります。


それならタイでも日本でも変わらないじゃないか

って自分でも思うけど何かが違う。


ここ数日ふと思い返すと、タイのスタバは『人が心地良い』

って感じているのかな。


自分は日本人として生まれ、日本で仕事をしていました。

そして、異国タイでも生活し、仕事もしていました。


そして再び日本で生活し、仕事をしています。


改めて二つの国を比べると、

自分にとって日本は「生きにくい国なのかも」って考えが...。


何でも手に入るし、役所的な手続きも簡単だし、

サービスの質もすごくいいし、

日本に帰ってきてから、そんなことは考えてもなかったんです。


が、ここ数日さっきみたいな考えが浮かぶように。


ただ、その考えを突き詰めるつもりもなく、

浮かんでも追わず、消えるがままに任せています。


ここ最近は、毎日のようにスタバに行っていて、

日本のスタバも心地よいから通っています。

でも、心地よさの何が違うのかなって考えてみると、

日本の「人の真面目さ、型にはまったような堅さ」なのかなって気がします。


タイのスタバは店員同士が普通におしゃべりをしていて、

仕事している姿が楽しそうでした。


全体的にかしこまっていなくて、どこか自由な感じ。

あと、俺の顔も覚えてくれて、余計な話はあまりしないけど、

なんか人として挨拶してくれる。


日本だと店員と客って感じ。

タイはその垣根を越えてかしこまっていなくて、人と人って感じがします。

それが心地よさに繋がっているのかなって。


日本は客の顔を覚えて話しかけている姿も見かけるけど、

接客マニュアルの一部としての姿のような。

やっぱ客と店員という感じ。

人と人という感じではない。


日本だとデパートでも声色を変えた女性が

「いらっしゃいませー」とか、普段じゃありえないしゃべり方。

接客ロボットって感じの声。


このタイ人の仕事中のおしゃべりを嫌いだ

という日本人にも多く出会いました。

その気持ちはわかります。

ただ、自分には心地よく感じる。


旅行業で仕事をしていたときも

目の前のタイ人スタッフは仕事しながら果物を食べ、おしゃべりをしていました。


仕事は遅い。


が、別に遅くても仕事は回る。


速く回せば売り上げはあがるだろうけど、

別に売り上げはそこそこでも、自分たちの幸せが優先。

人が優先。

生きていることが優先。


仕事は一つの役割であって、人生そのものではない。

生きることを楽しむことを優先。

それが心地よかった。

これが自分がタイに長くいられた理由なのかも。


売り上げ優先、仕事優先の人ならイライラしただろうな。


仕事に対しての厳しさ、極度な真面目さ、

常に急いでいる感じとか、

日本的な働き方が自分には合っていないのかなって思うことがあります。


もっと多く。もっと多く。

より良くより良く。

より早く、より速く。

心が倒れるまでそれをやり続けるイメージ。


そして倒れた人を見下して悪口を言いながら、

また猛烈に走り続ける感じ。


それに、自分が頑張るのは良いけど、

他人のミスを見回って小姑のように取り締まって、

自分の働き方を強要する人もいるし。

窮屈。


みんなでやればいいじゃん。

そう思うような仕事があっても、

日本人の真面目さか、思いやりなのか、自己犠牲なのか。

みんなじゃなくて、今いる人で早く、速くやろうとする。


仕事が丁寧で速くて細かいことは日本の良さ。

が、自己犠牲に伴うストレスというか、

言葉にはし辛いものがあるけど、生きにくい。


またこれを考えているといろいろ嫌になってくるので

考えないようにしたいなって思います。


そうそう。

自営業をしていたときは、ドライバーが何回同じミスをしたことか。

ため息が出るような同じミスを何回も何回も。

笑えてくるほど。


でも、そこまで怒る気持ちにならない自分がいます。

人を強く責める気持ちにはならないし。

言うことは言います。

でも、怒りはしない。


ミスはうまれない仕組みを考えればいい。

ただ、それだけ。

もちろん仕事の存在自体に大ダメージを与えるミスはダメだけど。


そう考えると自分は日本人というよりタイ人気質なのかな。

のんびりしているというか、マイペンライ精神というか。

別にいいよ。死ぬほどでもないし。


なんか、のんびり生きたいな。

タイのバイク屋さん
よくバイクを改造してもらっていたタイのバイク屋さん。人と人でした。


2026年7月16日木曜日

樹木希林さんの名言「明日、地球が滅ぶと分かっていても」から考える今日の生き方

未来が明るく見えないとき、私たちは「頑張っても意味がないのではないか」と考えてしまうことがあります。

そんなとき、心に残ったのが、樹木希林さんの言葉として紹介されている次の名言です。

人間は明日、地球が滅ぶと分かっていても、
今日、リンゴの木を植えなきゃならないの。
そういうものなのよ。

― 樹木希林さんの言葉として紹介されている名言

未来がどうなるか分からなくても、今日やるべきことをやる。

結果がすぐに出なくても、自分が大切だと思うことを続ける。

この言葉には、人が生きていくうえで忘れてはいけない姿勢が込められているように思います。

「リンゴの木を植える」とは、今日を投げ出さないこと

明日、地球が滅ぶと分かっているなら、今日リンゴの木を植えても、その実を食べることはできません。

それでも木を植える。

この「リンゴの木」は、単なる木ではなく、今日の自分がするべき小さな行動を表しているのではないでしょうか。

  • 仕事を一つ終わらせる
  • 家族に優しい言葉をかける
  • 部屋を少し片付ける
  • 本を数ページ読む
  • 明日のために早く眠る

どれも、人生を一瞬で変えるような大きな行動ではありません。

しかし、未来は、こうした「今日の小さな行動」が積み重なってできていくものです。

未来が不安なときほど、今日に戻る

生きていれば、明るい未来を描けない時期もあります。

仕事がうまくいかない。人間関係に悩む。生活が大きく変わる。努力を続けても結果が見えない。

私自身、15年暮らしたバンコクから日本へ本帰国し、生活環境が大きく変わりました。先のことを考え過ぎる日もあります。

けれど、未来を心配し続けても、未来そのものを直接変えることはできません。

変えられるのは、今、この瞬間の行動だけです。

未来が見えないときは、遠くを見過ぎず、今日やるべきことに戻る。

それが、暗い気持ちに飲み込まれないための一つの方法なのだと思います。

ノストラダムスの大予言を信じていた時代

かつて、「1999年に地球が滅びる」というノストラダムスの大予言が話題になりました。

もちろん、予言は外れました。

しかし、もし「どうせ世界は終わる」と信じて、自暴自棄に生きていた人がいたなら、予言が外れた後にも、その間に失った時間や信頼は戻りません。

まだ起きていない未来を恐れるあまり、今日を壊してしまう。

それは、自分の手で暗い未来を近づけることにもなります。

どのような状況でも、今日すべきことを続ける。樹木希林さんの言葉として紹介されているこの名言は、その大切さを教えてくれます。

私が今日植える「リンゴの木」

大きな目標を立てなくてもよいのだと思います。

今日、自分にできることを一つだけ行う。

うまくいかない日でも、完全に投げ出さない。昨日より少しだけ前へ進む。

それが、自分にとっての「リンゴの木を植える」ということなのでしょう。

今日の自分への問い

未来がどうなるかではなく、今日、自分はどんなリンゴの木を植えるだろうか。

まとめ|未来が見えなくても、今日できることはある

未来を完全に予測することはできません。

それでも、今日をどう生きるかは選べます。

先が見えないときほど、自暴自棄にならず、目の前の一日を丁寧に生きる。

明日、世界がどうなるとしても、今日、自分のリンゴの木を植える。

この言葉を忘れずに、生きていきたいと思います。

2026年6月20日土曜日

イチローの言葉『自己肯定感は気持ち悪い』

イチローのインタビュー動画を見見ていたら、
自己肯定感と聞いて、まず、気持ち悪いという感じがすると。

仕事柄、自己肯定感という言葉を当たり前に耳にしていたが、
確かにと納得する部分もある。

自分を肯定する人。
うーん。。。

自分は友達にそのような人は確かにいないな。

自己肯定感をもって幸せに生きる。
そういう人を否定はしないけど、自分はそうじゃなかったな。

イチローと同じように、
肯定はしてても、いつもどこか「?」をもって生きている気がします。

そういう人のほうが
人として厚みがある。

すごく納得。

自分がうっすら思っていたことを言葉で聞き、
どこかスッキリした気がします。

自己肯定感に?をもって生きる。

大切だなーって思います^_^

ペップリー通り


野外映画館「トゥルーマンショー」

 

恵比寿ガーデンプレイス野外映画トゥルーマンショー
恵比寿ガーデンプレイスで野外映画を観ました。

「トゥルーマンショー」


昔観た事があったけど、今観ると感じ方が違いました。


トゥルーマンは世界中の人にドキュメンタリーとして閲覧され、

虚構の現実の中を生き、最後はそれへの気付きと共に抜ける決意をする。


自分の生活は・・・

もちろん現実だけど、虚構だと言われてもわからない。


自分は夜に夢を見ているとき、夢の中を生きているとは思わず生きている。

目覚めたとき、夢だったんだと気づく。


今の人生だって夢のようなものなのかな。

死んだときに夢だったと気づく。

そんなことはあり得ないとは、死んでみないとわからない。


生きているうちは、誰もが虚構の中を自分が主人公だと

思い込んで生きているのかもしれない。


だから何だ?ということではなく、

だから、夢の中のような今の人生を夢だからこそ

生きたいように生きれば良いのかなって思う。


何が虚構で何が現実か。

そんなことはどうでも良く、

ただ、今をどれだけ味わうか。


未来でもなく、過去でもなく、今目の前にある生活を味わう。


その先に何があるか期待せず、

過去あったことに後悔し続けることなく、

今を味わえたら、それでいいのかな。


野外映画を観ながらそんなことを少し考えていました。


トゥルーマンショー。観たことが無い人はぜひ。

2026年6月7日日曜日

歪んだ愛のカタチ

 嫌いな人がいたとします。


今、目の前にはその嫌いな人がいない。


でも、頭の中で、過去にされた嫌なことを想い出す。

そして、未来にされそうな嫌なことを考える。


そうやって、今、目の前に嫌いな人はいないのに、

ずっと頭の中で時間を使って考える。


命=時間

これは誰もが納得する事実。


ということは、その嫌だと思っている人に

時間を使うということは、

自分の命を使っているということ。


自分の命をその人のために使っている。

命を使うほどの存在=愛にあふれている存在


そうなんじゃないかな。


マザーテレサがいった言葉。

愛の反対は無関心。


愛していなければ、無関心であるはず。

でも、目の前にその人がいないのに

その人のことを考えているのは愛しているから。


ただ、世間一般で言われる愛とは違う。


歪んだ愛。


もっと愛してほしかった。

これから愛してほしい。


そんな心のどこかに隠れた愛が

歪んで現れているような気がします。


断ち切る。


嫌いな人に命を使いたくなければ、

その人が変わらないのであれば、

過去が変わらないのであれば、

もう期待も願望も捨てて、あきらめるのが一番な気がします。


もういいか。

今までいろいろ学ばせてくれてありがとう。

はい、おしまい。


これでいいのかなって思います。

メガバンナの虹
▲メガバンナの空にかかる虹

2026年6月6日土曜日

好きな人にいじわるする

 男の子あるある

好きな女子にいじわるをする。



男性であれば、

ほぼ確実に小学生のころにこれ、経験したのではないでしょうか。


でも、大人になってもこれってやってしまうんだなって思う。


好きな人が自分が嫌な行為をしたとする。

すると、その行為をした好きな人を過度に批判してしまう。


好きな人なんだから批判するなんてありえない。

これは女子の言い分。


が、好きだからこそ、批判してしまう。

これも真実。


マザーテレサは言いました。

愛の反対は無関心。


もし、自分が嫌な行為を相手がいたとしても、

その人を愛していなければ無関心なはず。


でも、愛しているからこそ、気になって、

愛の大きさに比例して、

気になるから批判へと発展してしまう。


批判を肯定化したいわけではなく、

そういうことがあるってこと。


が、批判した自分を守る言い訳がしたいわけではなく、

そういうことがあるということなだけです。


その背景にあるのは、

やはり批判している自分が配慮の無い未熟な存在だということ。


批判しない愛だってあったはずだから。


それを選べない時点で自分は未熟だということ。


人生、まだまだ学びが多い。

今を幸せに生きるための考え方

未来、過去、今、 自分が経験できるのは?


そう聞かれたら「今」としか答えることはできない。


今しか味わえない。


でも、自分も含め、人って、今を味わうより、

未来の不安、過去の後悔に時間を使いがち。


今目の前に美味しいラーメンがあるとする。


今目の前のラーメンだけ見つめ、

ラーメンのことだけ考えて食べていたら、

最高に美味しく素敵な時間を過ごせる。


でも、もし昔食べたマズかったラーメンのことを考えながら、

もし、未来のラーメンを食べ過ぎで起こるかもしれない成人病のことを考えながら

食べたら。。。


目の前のラーメンの味わいは損なわれる。


まだ起きていない未来。

もうどうしようもできない過去。


そこに自分の思考を使って、

今を生きないことがもったいないなって思う。


そうは言っても、自分も未来を不安に思ったり、過去を悔やんだりしてしまう。

それが人間だから仕方が無いのかなって思う。


でも、今書いたようなことを頭に入れておくだけで、

少しだけ今の味わいが良くなる気がする。


そんな気、しませんか?

2026年5月31日日曜日

夢を実現する方法

 自分は過去、いろいろな夢を実現してきた。


タイで生活すること。

日本で教員になること。

海外日本人学校で教員になること。

社長になること。


他にもまだある。

これは運が良いと言えばそれまでだけど、

夢を実現してきたプロセスには共通項がある。


何回も紙に書く。

ただそれだけ。


夢を頭に描くとき、

その夢を描く自分は完璧ではない。

過去の失敗、過去の知識、過去の経験をもった自分が

夢を描いている。


だから、それに至るプロセスを描くのも

夢を実現できていない自分。


すると、プロセスを描いてしまうと

そのプロセスが実は夢実現には遠回りだったり、

夢に繋がりが薄い方法だったりすることがある。


だからこそ、夢を紙に書いたら忘れるくらいがちょうど良い気がする。


どうやって夢が実現するのかなんてことまでは考えず、

ただ、その夢を時折紙に書き確認する。


あとは自分が自然にしたいことに任せる。

すると、気が付くと夢が実現していたことが多かった気がする。


過去の自分は結構邪魔してくることがある。


過去はこうだったから未来もこうだろう。

今もっている知識では、想像すらできないから、

自分には無理なのかもしれない。


そうやって自分で自分の足を引っ張って、

結果、夢が遠のくということがある。


もともとマイナス思考な人は、

そうやって、夢を自分で壊す行為すらする。


自分にはきっと無理だろう。

そうやって、紙に書こうが、

毎日のように思っている「無理」の方が強いから、

結果、無理になるプロセスを無意識に選択し続けることになる。


そうやって無理になれば、

やっぱりそうだったと言って、

過去に失敗した自分を再確認し、

また、同じ失敗を繰り返し続ける。


その失敗は自分で招いているにも関わらず。


だからこそ、夢を実現させたければ、

紙に書いたら、あえて忘れるくらいが良いという気がする。


そして、毎日の自分の感性に忠実に生きていたら良い。


その感性は純粋な感性か、それとも過去の自分の恐れから来ているのか。

ここはしっかりと理解しないと、

純粋な感性に任せているようで、

実は過去の自分の経験から来る恐れというフィルターを通した感性になってしまう。


純粋に今を生きていれば、それで良いと思う。


これは自分の経験であって、

必ずしも誰にも当てはまるものではないかもしれない。


ただ、過去の自分を振り返ると、

今のところはうまく行っている。


信じるも信じないもあなた次第。

ということで。

2026年5月24日日曜日

マイナス思考な自分で未来を予測すること

 

計画性がある。


そんな言葉で表現される人がいる。

  あ、ちなみにこの写真はホアヒンのレストラン前で休む

  計画性の無い犬です^^;


それは良い意味でつかわれることが多いけど、

悪い意味になることがあると思う。


計画。


この計画を立てる人は誰か?


もちろん自分。


その自分の成長度合いによって、

計画は、良いものにも悪いものにもなる。


例えば、

失恋ばかりを繰り返している人がいるとする。


すると、新しい恋人との未来を計画するときは、

過去の経験が積み重なってできた価値観に沿って計画する。


どうしてもだめな未来を計画が浮かんでくることだろう。

それを振り切るための計画も、過去の経験を積み重ねた

トラウマがある自分での計画となる。


しかし、恋愛に成功ばかりしている人がいれば、

その未来の計画は、成功体験を基にしているから、

ポジティブな計画になるだろう。


未来は白紙だから、

本当のことを言えば、両者とも正確な未来ではない。


だけど、前者の計画はいばらの道。

後者の計画は、バラ色の道。


当然、後者の方が良い結果を生みやすいだろう。


だから、過去にいろいろなマイナスなことがあった人は、

そのマイナスを払拭しない限り、

あらゆることにマイナスの記憶、マイナス思考を土台として生きることになる。


車で言えば、ブレーキを踏みながら走り続けるようなもの。


体のエネルギーをそんなブレーキに使い続けているのだから、

免疫に使うエネルギーだって不足することになる。


結果、風邪をひきやすかったり、

病気になりやすかったり、

体調面でもマイナスになりがち。

それが続けば慢性的な病気にも発展するかもしれない。


過去にあったマイナスを軽く扱えとは思わない。

でも、その過去は「今」ではない。

今の自分の頭の中の記憶、

脳内に蓄えられた記憶。


現実には存在していないもの。


その過去の記憶によって、今を生きづらくしてしまう。


いつもブレーキを踏んでいるからエネルギー不足。

エネルギー不足だから、他からエネルギーを得なければならない。


それは近くにいる人からかもしれないし、

娯楽からかもしれない。


とにかく、自分以外のものからエネルギーを奪う、得ることをしないといけない。


娯楽であれば問題ないけど、

もっともっとと強い刺激を求めていけば、

その娯楽がより自分を傷つけることにもなる。

酒、薬、金、刺激的な映像・・・


エネルギーを奪う自覚がなくても、それが人に向けば、

他人を消耗させることになる。


だからこそ、まずは自分の中にある悪い記憶を

やっつけなければならない。


もちろん、今までできずに、その記憶を

ある意味「友」として生きてきたのだから、

1人でやっつけるのは相当難しいことだろう。

2026年5月23日土曜日

今の自分と向き合って生きる

不安、恐怖、期待、
未来を思い描くと様々な感情が付きまとってくる。


とある知人の行動を見ていて感じることがあった。


未来を考えて生きることが間違っているとは思わない。


でも、本来は白紙の未来。

今の自分の枠で勝手に小さく決めつけ、
勝手に恐れ、勝手に不安を作り、
勝手におかしな行動をする。


未来で傷つきたくないからと
今の純粋な自分の気持ちを隠し、
勝手に作った悪い未来の延長線上にある
今を基準に判断して生きる。


本当にそれでいいのだろうか。


今、やりたいことがあるならやればいい。

未来に傷つく自分が嫌だ。

そっちを重視したいなら辞めればいい。


でも自分はそのような考え方をしようとは思わない。


未来に傷つくか、傷つかないか、
今からわかるわけがない。


そんなわからないことを今にもってきて、
今すら恐れを基準に生きるなんて馬鹿げていると思う。


ただ、この考えも変わるかもしれない。
変わってもいいと思う。

変えちゃいけないなんて誰かが決めたのだとしたら、
そんな人は自分にとってどうでもいい。


考えを変えたければ変えればいい。
変えたくなければ変えなければいい。

今の自分の感情に素直に生きていく方が
せっかく一度しかない人生を
しっかり向き合って生きていることになると思う。


今と向き合わず、
勝手に作った未来と向き合って生きる。

それは今の自分に失礼だと思う。


未来は無い。
過去も無い。

あるのは今だけ。

だから、
今は今と向き合って生きることだけしかできない。



2026年5月17日日曜日

無駄な未来予測~人生は想い出づくりの旅~


先日知人から相談を受けて思ったことがあります。

知人は恋をしており、その人との将来を考えていました。


相談の中にこんなことがありました。

もし、付き合っても自分は今回彼女を好きになったように
また他の人を好きになるかもしれない。

そうなったら彼女を傷つけることになる。
そして自分も傷つくことになる。

だから、何もせずに今のなんとなく来るであろう
「普通」の幸せを求めた方が良いのだろうか。

そんな内容でした。


普通の幸せ。

果たしてそんなものってあるのだろうか。

知人は、友達の例を出して、普通の幸せについて話していました。


子どもを持ち、家をもち・・・
そういう世間一般で良く見られる普通な幸せ。
それでいいのかなって。


自分は思います。

普通の幸せすら、実は普通ではなく、
普通に見える世間の個人にもっと焦点をしぼると、
その人なりの不幸はある。

仕事が辛い。
家庭の中で孤独。
家のローンや近隣との不仲。
子どものいじめ。
受験問題。

あげたらキリがありません。

普通の幸せと思っていても、普通なんて無いのでは?
ということ。


そして、知人の言う、
未来に傷つくことを考えて今の行動をしないという選択。

これは未来にならないとわかりませんが、
知人が行動しなければ、いつの日か後悔することでしょう。

格言。
行動した後悔より、行動しない後悔の方が大きい。

これは真実だと思います。

行動した後悔。

知人にあてはめたら、その人と別れることになり、
傷つく後悔。

でも、これには終わりはあります。
いくら深く傷ついてもそれ以上は無い。

でも、しなかった後悔。

これは、未来永劫、頭の中に残り続ける後悔。

新しいというか、行動しなかった結果、
いつか迎える恋人との間に少しでも不満があれば、
行動しなかった自分を想い出し、
ずっと味わい続ける後悔となるでしょう。


どっちが良いか。

そんなことは誰にもわからない。

だから最後は知人が自分で選ぶしかない。


そして、「もしダメになったら。」
という未来予測。


まだ来ていない未来。


ダメになる未来。
ダメにならない未来。

二択なはず。

でも、二択なのに、ダメになる未来ばかりを信じ
今目の前にある幸せを捨てて良いのか。


例えば、イヤホンを買う!と決めたとします。


人は決めた瞬間から、周囲のイヤホンが気になり、
自然とイヤホンの情報が目に飛び込むようになるものです。


それと同じように、
ダメになる未来を考えていれば、
ダメになる情報ばかりが目に飛び込み、
結果、ダメになる方向に近づくのだと思います。


知人がダメな未来を考えている限り、
囚われている限り、
結果、ダメになるのでしょう。


では、ポジティブに考えれば良い結果になるのか。

それは未来はあらゆる因果関係で作り上げられるので、
思考だけで良い結果になるとは言えません。


でも、少なくともダメな結果は遠ざかり、
良い結果は近づくことになるだろう。


未来が良い結果になるか。
悪い結果になるか。
それは誰にもわからない。

でも、今の幸せは、自分の中の宝物になることは事実。

悪い未来ばかり考え、
今の宝物まで汚す。
今の宝物を捨てる。

それもまた個人の自由。

冷たいようでも、知人は最後には自分で選ぶしかない。

そして選んだ結果を受け入れる覚悟を持たないといけない。


どんな未来が来ても、
結局人の命は有限。


人生は想い出づくりの数十年の旅。


旅が終わる瞬間。
ああ、良い人生だったな。

そう思えたら旅は成功なのだろう。


知人の未来に幸あれ。

写真は知人と行った定食屋のさんま定食。
美味しかったなぁ。

タイ飯も好きですが、
やはり食は日本は最高。

脂ぎってない。
味が濃すぎない。
味が深い。

タイ飯より日本飯の方が全く飽きがこない。

良い想い出になりました。

2026年4月2日木曜日

今しかない

未来ばかり見ても、それは妄想。
過去ばかり見てもそれも妄想。

見てる自分は今しかない。

未来、過去を見て、
不満ばかり言っても幸せにはなれなそうかな。

完璧な未来、過去なんて無い。

今をしっかり味わうことができれば、少なくとも今は幸せになれそう。

とわかっていても、過去や未来ばかり見るのが普通の人間なんだろーな。

自信を持ってチャレンジすること

自信とは自分を信じること。

自分を信じていれば、
未知なことにチャレンジできる。

でも、安全圏内でのチャレンジばかりしている自分に気づいたとき、
きっと自分は自信がなかったと気づく。

本当に自信がある人は、
失敗するかもしれない危険な道でもチャレンジする。

失敗した自分をも信じることができるとき、
それは本当に自信があるというのだろう。

安全圏内生きることが悪いわけではない。


でも、本物の自信と向き合いたいなら、
安全圏内から出る決意が大切なのかなって思う。

2026年3月30日月曜日

テキトーに生きる


今日は有給とって、
午前中はスタバで読書。

朝テレビを付けたら
久しぶりにじゅん散歩を観ました。

何年ぶりだろうか。
高田純次さんも若干お年を重ねられた様子でしたが、
さすが!と思う場面が。

中目黒のハンバーガー屋さんで
売れるメニューを考えてという
無茶振りに対して
「一万円挟んで、八千円で売れば絶対売れるんじゃないかな?」
ってww

さすが適当だなー

高田純次さんのように
テキトーに力抜いて、
良い年の重ね方をしたいものです。

2026年3月8日日曜日

石橋を叩いて壊して渡れない

 石橋を叩いて渡る


という言葉があるけど、

叩いても叩いても渡れず、

叩き続けて、結果、自分で橋を壊して渡れなくなる

ということがあるような気がします。

石橋を叩き続けて壊す

叩き続けてしまうマインドが変わらない限り、

どんな橋を渡ろうとしても叩き続けて壊し続け、

探しては壊しを繰り返す生き方になるのかもしれない。


ただ、壊れない橋も世の中にはあるのかも。

だから、その橋を探し続けるのも人生とも言える。


個人的には生きている限り、ずっと不安だと思う。

不安が無い人生。

それはブッダと呼ばれる方々が掴んだ生き方なのかも。


凡人である我々には、そう手が届かない生き方なんじゃないかな

って思います。


悩みながら生きる、不安を抱えて生きることを

受け入れたとき、石橋を叩いて壊すという行為は

止まるような気がします。


そんなことをスタバで考える朝。

2026年3月1日日曜日

笑いとばす

全てのことにシリアスになりすぎず、自分自身を、運命を笑いとばすことができれば、少しは気持ちが楽になるような気がします。

笑い飛ばせるほど、自分の生に執着しない生き方ができればなって思う。

こうでありたい、なければならない。そんな思いは生への執着から生まれている気がするから。

そんなことをスタバでカフェ・モカを飲みつつ考える今日このごろです。

2026年2月15日日曜日

価値観が違うということ

価値観が違う人と一緒にいることは楽しい。

でも、昔から変わらず続く友人は、価値観が違うけど、ここはゆずれないという価値観は一緒とまでは言わないけど似ている。

価値観が違うけど、価値観が違わない。
言葉だと矛盾しているけど、
そういうことだと思う。

関係がずっと続く人は、根本の譲れない価値観をあ・うんの呼吸で共有できていることだと思う。

言わずもがなって感じ。

あえて言語化しなくても、
そうだよねでわかる関係とでも言えるのかな。

飲み会とかで、価値観が違う人は、話していて面白い。

ただ、飲み会で面白いけど、それがずっと続く関係になるかどうかは、やっぱ根本の価値観が似ているか否かだと思う。

根本が違うのにずっと続いてる人って、根本の価値観が合う人が間にいてくれてるから続いてる気がする。
2人っきりじゃ会わないと思う。

それか、年に数回だから違いが許せるというか、直接害は無いから、違いが面白いで続けていられるのかも。

あとついでに思いついたことは
一緒にいてリラックスできることも大切かなということ。

緊張感がある関係は長続きしない気がします。
してもどちらかが無理して成立するって感じなのかな。

緊張は会う回数を重ねたら消えていくものだとは思いますが。

消えないとしたら、何か根本の価値観が違うのに合わせてる、無理のある状態なのかも。

根本の価値観が違っても、
強い目的意識があれば、徐々に擦り合わせていけるものだろうか。

それは自分にはわからないけど、
人間は柔軟だから、きっと可能なんだと思う。そう信じたいという思いがある。

いつも深く考えているわけではないけど、ふと言語化してみたら、ちょっとしっくり来た。

自分はそう考えていたんだなって、少し今わかったような気がする。

2026年2月1日日曜日

モーリーロバートソンさん死去・・・

 モーリーロバートソンさんが死去されたとニュースで見ました。。。


自分が教師になって1年目のころだったかな。


社会人から教師になって、

教育学部出身のストレートサラブレット教員には負けたくないって思い、

土日に朝5時半に起きて、6時から8時まで喫茶店ベローチェで教育関係やら

趣味のタイ語の勉強をしてました。


その朝にラジオで流れていたのが、

Early Morley Bird アーリーモーリーバードって番組。

インターFMだったかJwaveだったか。


なんか政治的だったか、トピック1つ決めて、モーリーさんが

とにかく一人語りする番組。


情報量がとにかく多く、深く、すごく視野が広がった。


そのパーソナリティーのモーリーロバートソンさんに興味がわいて

調べてみると東大とハーバードを両方合格するという経歴。

さっそく著書も買って読んでみて、

それからは彼に注目していました。


すると、徐々にテレビ出演されるようになり、

破天荒なおじさん色物キャラ的な扱いされていて、

もったいないなーなんて思ってもいました。


そして、時は流れ今日。


彼の死去を知り、当時の記憶が蘇ってきました。

あの頃は夢に向けてすごく熱量あって生きていたなー

今はどうかな。


モーリーロバートソンさん、若いころの自分の視野を広げてくれてありがとうございます。

と伝えたいな。

ご冥福をお祈りいたします。 

2026年1月6日火曜日

絵の具のパレットでご飯を食べる

絵の具のパレットを知らずに生きている人に対してバカだなと言う人がいます。

その人が絵の具のパレットを買って、ご飯のお皿に使うとします。

小分けされた場所にはタレを入れることができて便利で、その人は喜んで使っていました。

他人はそれを見て馬鹿だと言います。

でも、パレットは新品で清潔。
それを使っている人は幸せです。

果たしてバカなのは誰なのだろうか。

私はパレットを幸せに使っている人はバカでは無いと思いますが、
やはりバカなんでしょうかね。

世の中にはこれと似たようなことがたくさんある気がします。

本当のバカって何なんだろうか。
そんなことを、朝のスタバで1人考えている自分はバカなのかな?w

2026年1月5日月曜日

コップの水

1杯の水の入ったコップが
机の上に置かれた。

その周りを多くの大人が取り囲む。

ある人はそれをありがたがり、神に感謝する。

ある人はそれでは足りないと不平不満をいう。

ある人はその水が取られないか不安になり、夜も眠れなくなる。

ある人はその水がいつかこぼれないかと不安になり、常に目が離せない。

ある人はそれは本当に水なのかと疑疑心暗鬼になる。

すると1人の少年が現れ、
迷いのない動きでその水をおいしそうに飲む。
笑顔であっという間に立ち去る。

周囲の大人は呆然とその幸せそうな表情の少年を目で追う。

そして我に返り机を見ると、
殻のコップがある。

お互い顔を見合わせ、
恥ずかしそうにうつむいた。