2019年5月30日木曜日

日本での悲しい事件をどう受け止め、考え、生きるか

川崎の刺殺,刺傷事件など、
日本で悲しい事件が続いていますね。


悲観的な意見がたくさんあったかと思えば、
日本は世界から見て安全なんだという意見もあったり。



見る角度によって感じ方は変わりますよね。


明確な犯行動機がわからない無差別な事件に対して
悲観的になる気持ちもわかります。


世界から見て日本が安全な国だということも数値的には事実なので、
それも否定することはできません。



ただ、世界的に安全であって、
犯罪件数そのものが減っていても、
明確な意図がわからなかったり、
個人の絶望感がもとで道連れ的な思想での殺人が増えていることは
悲観的になるには十分な材料だって思います。



でも、そんな話をしていても普通に明日はやってくるので、
自分は悲しい事件をどう受け止めるかという
もっと身近なことを考えていました。



どう防いで良いかが見えない事件であればあるほど
悲観的になってしまうし、
わが子のことだったり、自分のことを思うと
不安になってしまうこともあるでしょう。



でも、これって防げるのかな・・・


備えあれば憂いなしって言葉があるように
確かに備えをしておくことは大切です。



でも、個人では防げないものもありますよね。


どんなに警察官がいたって、
大人がいたって、格闘技を習おうが、
背後から出刃包丁で刺されることを防げるはずがありません。



世界に目を向けると、
テロが多発している地域もありますよね。



これも防げるのか?と言われたら、
正直限界がありますよね。。。



急に爆弾を積んだ車が突っ込んできて
避けられるわけがありません。


備えることも大切なことなんですが、
考え過ぎてもどうしようもないというあきらめといったら
マイナスな語感なんで、
ちょっと前向きな「覚悟」をしておく必要があるのかなって気がします。


では、自分自身にとって諦めだったり、覚悟というのは
具体的にどういうことなのか?
と言えば、
「毎日毎日を大切に生きる、生ききるということに徹する」
ということかな。


いつ終わりが来ても良いように。
死ぬ間際に後悔ないように。



これは言葉遊びみたいなもので
きっと後悔は残るんでしょうね。
終わりは来てほしくないです(^-^;


でも、いつか必ず来るであろう終わりに対峙したとき、
出来る限り後悔を減らす方向で頑張ることなら
できるのかなって思います。


今回の悲しい事件は多くの人にショックを与え、
ちょっとした闇の部分に心が向きがちなんだけど、
自分たちができることは、
毎日を精一杯、後悔が少なくなるように
心を込めて生きる。



今はそんなことを考えています。


そういえば、家の超近くに大きいセブンができるみたいで
急ピッチで工事が続いています。

ちょっとラッキーな気持ちがします(^^


さて、明日も皆さんにとって良い日となりますように。

2019年5月27日月曜日

人間の外見と内面のズレ

バンコクの病院の入り口前のわんこ。
ベスポジをキープしていますね(^^;



さて、イケメン、イケ女?
などなどの言葉をテレビで耳にして、
男性も女性もキャーキャー熱狂しています。


が、そんな人たちの不祥事がテレビのニュースから。。。



人間って、外見が良いということと
内面の良いが一致していないからわかりづらいですよね。



内面が超性格悪くても外見がイケメンと言われる人もいて、
そのために生活を犠牲にするほど貢いでしまったり、
人生を棒に振るようなことになる女性も出てきてしまいます。



逆もありますよね。



見抜く目が無かったと言えばそれまでですが、
どうも世の中の価値基準が外見に偏りがちなんだと思います。



ブランドものだったり、整形だったり、
高級なんちゃらだったり。


外見ばかりを高めていて、内面をほったらかしでも、
周りがちやほやしてくれ、
それに加え、テレビまでちやほやしてくれるから、
成立してしまえる世の中。



そのズレで苦しむ人がいても、
少数派ということで切り捨てられてしまいます。



内面が外見に現れて、
可視化できたら世の中どれだけよくなるか。



でも、面白味がなくなるのかな?



外見と内面が不一致で、
それを見抜く目を鍛えることに人生の意味があるのかも。



外見に惑わされない自分を作るよう努力する。



そして、自分も同じで、時々、嫁さんの知人から
イケメンだと褒めていただくことも(^-^;



でも、自分としては外見を褒めてもらえるのは嬉しいものですが、
自分でどうにかしたものじゃなくて、
親からもらったものなんで照れ笑いでスルーしています。



それより、内面をわかってくれて、
深く付き合ってくれる人がいたなら、
それこそ嬉しいことですね。



そして、自分が尊敬できる人に出会うことがあります。
最近、すごく尊敬できる人に出会いました。


でも、その人と対等な関係でいられるほどの
自分の内的な充実はまだまだだなと。



内面が充実していけば、自然と付き合う人も変わってくるんでしょうね。



まずは内面を磨くこと。
安い自己啓発みたいなことを言っていますが、
42歳にして本当にそう思うんです。



別に結論は無いんですが、
この辺でお暇します。ではでは。

2019年5月24日金曜日

人生に正解はあるのか?


人生に正解がある。


こう仮説を立てているからこそ、
哲学者は哲学をするのでしょうし、
宗教家は真理を求めて活動するのでしょうね。



自分が今のところ考えているのは
これとは逆で、
「人生に正解は無い」ということです。


人生に正解はあるのか?



本当はあるのかもしれませんよw
そんなことはわかりません。


愛とか、そういう真理みたいのはあるんでしょうね。


でも、自分が考えている正解は無いという意味はどういうことか。



もし、正解があるのだとしたら、
右も左も前も後ろも、
みんながその1つの正解と言われる生き方に収束していくことが善ですよね?


そんな生き方面白くないんじゃないかな?って思うんです。


これが正解の生き方だ!
なんて人生の正解は無くて、
個人個人にとっての正解が違っていても全くいいんだと思います。



誰かと比較して、俺の方が正解だ。
お前の方は間違っている。


そんなことを言い合うから、お互いが苦しくなる。


お前もいいよね。
俺もいいよね。


そんな誰もが自分だけの正解を追い求める生き方が
素敵なのかなって思うんです。


ただし、条件があって、
他人の生き方に迷惑をかけるような正解を追い求めてはダメですね。



みなさんにとっての人生の正解ってありますか?


自分は今まさに模索しています。
まだまだ道途中。
死ぬまで途中なんでしょうね。

人間の本質で評価される世の中


Googleによって、音声から音声に翻訳できるシステムが開発され、
その技術が進化しているようです。



今までは音声からテキスト、
テキストで翻訳して、
機械的な音声で出力といった形。



それがテキストを介さずに直接翻訳された音声が出力されるそうです。
で、驚くべきがここから。


本人の音声の特徴を組んで音声出力する技術にも着手しているみたいですよ。
自分の声がそのまま英語になるということです。
技術的には可能ですよね。



オバマ元大統領が本当に話しているように作ったフェイク動画。


今の時点でこの精度。


10年後は全く見分けが付かないレベルになっているでしょうね。



音声翻訳も、自分の声との違いがわからないレベルの音声で
翻訳ができるようになる未来は確実に来ます。



「いつになるか?」であって、
「できるか?」ではないですね。



こうなると、英語の勉強に費やす時間が無くなるので、
非英語圏の人にとってはかなりの朗報ですよね。



今までは英語圏に生まれたというだけで、
英語を勉強する時間を他のことの学習に使えるという優位性があったはずです。




例えばAI研究者を例にすると、
持ち時間10時間あるなら、
英語圏の人は10時間をAIの研究に使えます。



でも、非英語圏の人は、
10時間のうち、5時間を英語の勉強で消費して、
残りの5時間で研究をすることになります。



もちろん、英語を話せるようになった状態で研究をしているんで
厳密には両者とも10時間研究できるんですが、
話の例えです(^-^;



世界規模の研究になると英語での論文は必須なんで、
英語に時間を消耗しているだけで
すでにハンディキャップな状態だったはずです。



それが翻訳機能の発達のお陰で、
英語に消耗されていた時間が無くなるので、
言語に関してはより平等な世の中に一歩近づくことになりますね。



英語圏に生まれたからといって、
英語が話せるだけで英語の先生としてごはんを食べられる
ということも無くなります。


翻訳技術以外の部分でも
同じような平等化の流れが生まれるでしょうから、
自分の価値についてもっと本質を見極めていかなければならない
世の中になっていくと予測されますね。


法律を覚えているだけではだめ。

英語が話せるだけではだめ。

ググれることだけを覚えているだけではだめ。

ロボットができることだけではだめ。


人間だからこそできることは何か?


自分だからこそできることは何か?



人間の本質で評価される世の中になりそうですね。


ではでは、この辺で。

2019年5月23日木曜日

答えは自分の心の中にある


人間心が弱っていると、
他人にすがりたくなるものですね。


もちろん、自分より優れた知識、経験をもった人は
ごまんとして、その人にアドバイスをもらうことは
悪いことだとは思いません。



でも、そのアドバイスをもらうという気持ちが
「すがる」気持ちになってしまうと、
成長とは遠ざかる行動に進んでしまいがちです。





確かに、優れた知識、経験をもった人に
答えのようなものを教えてもらうことは
人生の「正解」のようなものにたどり着きやすくなるんでしょう。


ちなみに人生の正解なんてあるのかな?
あるんだとしたら、たどり着いてみたいものです(^-^;


でも、教えてもらってたどり着いた正解ってものは、
自分の実力、経験でたどり着いたわけじゃないんで、
結果はOKでも、プロセスの中に成長の種が無いのではないでしょうか?


例えるなら、
富士山の頂上に行くために、
お金持ちにヘリコプターをチャーターして
連れていってもらったような感じでしょうか。


確かに頂上にはたどり着いているんだけど、
また同じような登山をしてみてごらん
って言われたら、自分で登る力は育っていませんよね。



だから、アドバイスをもらうのは良いんだろうけど、
すがるような形で答えを求めることは
違うんじゃないかなって思います。



「すがらない」ために大切なことは、
答えはすでに自分の中にあるということを
自覚しておくことだって思います。


その見えない自分の中にある答えのようなものを
見つけるときに他人からの冷静なアドバイスが
大事になってくることがあります。



でも、それは自分の中にある答えを
探るためのヒントであって、
決して答えをちょうだい!という姿勢ではいけない
と思うんです。


これは本を読むときも、
テレビの情報番組から知識を得るときも同じで、
答えを求めるのではなく、
より良い生き方になるかもしれないな
というヒントをもらうような冷静な感じで
情報に接した方が良い気がします。



また自分の考え方も変わるかもしれないけど、
今のところはそんな感じで考えています。

2019年5月20日月曜日

やりたいことを仕事にするために

私が塾を立ち上げていることから、
やりたいことを仕事にするためにはどうしたら良いのか
と相談されることもあります。
 
 
 
そういう人は経営的な、実務的なことを聞きたいわけではないようで、
突き詰めて聞いてみると、
そもそも自分のやりたいことは何か?
という部分で悩んでいる人が多いみたいですね。
 
 
 
 
自分がやりたいことは何かを他人に相談したところで、
他人が答えることはできないんですが、
相談して語り合っているうちに、
自分の中の気持ちが整理されて、
やりたいことが見つかることがあります。
 
 
 
他人に相談しながら自分の心の中を見つめているからこそ、
自分のやりたいことが見つかるんですよね。
 
 
ということは、自分の心の中を見つめる
ということがやりたいことを仕事にするために大切なことなんです。
当たり前ですけど、この当たり前ができていないことが多いです。
 

 
私も今の仕事が本当にベスト・オブベストなのか?と聞かれたら、
そんなことは人生まだ終わっていないんでわかりません。
 
 

ただ、ベストに近づいていることは確かで、
そのために、かなりの時間を自分の心の中を見つめることに費やしてきました
 

 
やりたいことを仕事にするための第一歩は、
自分の中に問いをもつことです。
 
 
 
自分がやりたい仕事は何かという問いを持ちながら生活していると、
読書をしていても、知人と会話をしていても、テレビを見ていても、
その問いに対する答えを考えるようになってきます。
 
 
 
まずは問いとしっかり立て、
無意識になるまで問いについて考え続けることです。
 
 
そのうち無意識になっても答えを探すようになっていて、
ふとした瞬間にひらめくことだってあります。
 
 
 
ただ、今の社会はその問いを立てる時間すらくれませんよね。
 
 
 
本来自由であるはずの子供だって、
忙しすぎて自分が何が好きかなんて考えることなく成長していきますし、
好き嫌い、やりたいことではない価値観で学校を選びますからね。
 
 
 
大人だって、好き嫌いなんて言っていられない
スピード感で就職時期を迎えるし、
仕事を始めたら、次々とやるべきことに圧倒され続け、
あっという間に十年単位で時が過ぎます。
 
 
 
やりたいことを仕事にするためには、
どうしても日常の喧騒から離れ、
自分が本当にやりたいことってなんだろう?
と自分に問いを立てながら考え続けることが大切なんだと思います。
 
 
 
一人になり、外部の情報から自分をシャットアウトする。
なかなか厳しいでしょうけど、
人生でやり残した後悔を減らすためには大切なことです。
 
 
みなさんはやりたいことを仕事にできていますか?
 
 
 
ただ、本音から言うと、
やりたいことを仕事にできることに越したことはないけど、
仕事というのはやりたいことという視点だけで選ぶ必要はなく、
家族を守るため、他人の役に立つため、安定した生活のためなど、
いろいろな視点があって良いのかなって思います。
 
 
 
誰もがやりたいことだけにしぼって決める必要も無くて、
青い鳥症候群みたいに、どこかにもっとやりたい仕事があるのでは?
と探し求め続け、転職を繰り返す不安定な生き方になってしまっては、
ちょっと怖い気もするのです。


【悲報】HUAWEI(ファーウェイ)携帯でGoogeアプリが使えない?

HUAWEIでGoogle関連アプリが使えない

ニュースを見ていると
HUAWEI(ファーウェイ)の携帯で
Google関連のアプリが使えなくなるとの情報がありました。



具体的にはGoogeプレイやGmailなどのアプリが使えなくなるみたいですよ。



前々からファーウェイに対してアメリカのプレッシャーは強く、
情報が漏洩する危険性だったり、
世界シェアを広めるファーウェイへの脅威だったりが指摘されていましたね。


ただ、今回はアメリカと中国との貿易戦争の一環のようです。
アメリカがファーウェイ携帯への部品提供を法的に禁止する方向に進むことで
情報産業も部品という扱いで禁止にするのでしょうかね。。。


なんでこんなブログ記事を書いているかというと、
私の携帯が。。。


ファーウェイなんです。
チーン。。。


ファーウェイの携帯はかなり使い勝手が良かったんで、
これからも機種変更するならファーウェイだなと思っていました。



もちろん、情報漏洩などの危険性があるという話題には注意していました。



ただ、ファーウェイの情報漏洩の危険性は国家レベルのことであって、
個人のバンコクの片隅で生きている人間の情報は
利用価値ゼロに近いので問題ないと思って使っていました。



そもそも、情報漏洩関連の情報だって、
「らしい」にとどまっていて、
真相はよくわかりませんでした。



でも、今回の報道を聞いて、
Google関連のアプリは相当利用しているので、
絶対に機種変するしかないです!
これは大ダメージです。
なので、ちょっと腰を据えて調べみました。



最終的にわかったことは、
確かにHUAWEIでGoogle関連のアプリは今後使えなくことは可能性は高い
ということです。
これはデマレベルではなくてかなりの濃厚です。



ただ、嬉しいというか、
ほっと胸をなでおろす情報も見つかりました。



過去に販売されていたファーウェイの携帯では
今後もGoogle関連アプリは利用可能だということが
Google広報から発表されているようです!



この情報に関しては、もうちょっと調べてみる必要がありそうですが、
一応、多数の大手サイトでは言われていたので
ソースはしっかりしているようです。



もし、今までの機種はセーフだとすれば相当ありがたいです。


ファーウェイの携帯を買ってしばらく経ちますが、
まだまだ壊れなそうなんで、
あと数年は使いたいなと思っていたので(^-^;


ただ、機種変更するなら、
次はファーウェイは止めて、Googleの携帯Pixelにしようかな。



今回の情報を調べていて感じたことは、
Googleは自分の生活の生命線となっていて、
もうGoogle関連が使えない生活は成り立たないということです。



パソコン、携帯のアメリカ以外の企業は、
何かアメリカとの争いがあったとき、
GoogleやFacebook,Twitterなどへの接続不可能にされたら
100%終わりますよね。



アメリカの勝ちは戦う前から明らかで、全く勝負にすらならないですね。
次にパソコンを買い替えるならアメリカ企業のHPかDELLですかね。


2019年5月17日金曜日

タイで生きるためには覚悟が必要【在タイ12年が見る景色】

タイで生活したい人は今も昔も多くいて、
自分も昔はその立場でタイに来ました。


気が付けば在タイ10年を越えて、
かなり古株になってきました。


そんな長年タイにいる自分でも
タイで生活したことは正解か、不正解なのかと
未だに答えを出すことはできませんね。
未だにではなく、これからも出ないでしょう。


人生はどちらかの選択をすれば、
2つのうち1つは見ることができませんからね。


不正解だと思っていた道でも、
別の道はもっと不正解だったかもしれません。
できることは、選んだ道を正解になるように頑張るのみです。



ただ、事実として言えることはあります。


それは、日本で生活していた方が圧倒的にメリットは多いということです。


社会保障は充実していて、
病院代は3割負担で済みますよね。


年金だって色々話題にはなっていますが、
少なからず一定額はもらえるはずです。


さらに、子供の教育は無償です。


失業すれば失業保険も貰える。

生活に苦しくなれば生活保護がある。


日本で暮らしていれば、あらゆる恩恵が与えられています。


でも、日本を飛び出しタイで生活してみれば、
それらの恩恵が消えます。


浅瀬の穏やかな波ではなく、
大海原の荒波の中での航海をしているようなものです。


荒波だと自覚なく生きることができている人もいるでしょうが、
それはつかの間の海が穏やかな時期なのかもしれません。
いずれ、荒波はやってくる可能性は大いにあります。


タイでの生活は、下手をすると、
「詰む」可能性があるんです。


生活保護なんて無いんで、
収入が止まれば終わります。


終身雇用なんて無いんで、
いつまで働けれるのかも不確定。


医療保険は自分で加入しなければならず、
加入条件が悪ければ、大病を患った瞬間に「詰む」可能性があります。


脳関係の手術なんて私立病院でやったら1000万円近くかかります。



もし、タイで生活したいという人がいたら、
若い時は考えないかもしれませんが、
歳を重ねたあとに「詰むかもしれない」
という覚悟をもっておいた方が良いです。


その「詰み」への覚悟がある人以外は、
そう簡単にお勧めできません。


海外生活は日本と違って「詰む」危険性がある
という大前提のもとで予防のための行動ができる人でないと
タイ移住は難しいのかなって思います。


メリットでいえば日本の方が優れているので、
メリットなどとは関係はない
自分の中に深い理由をもっていること
タイで長期的に生活するためには大切なことだと思います。


それが在タイ12年を迎えて見えている景色です。

2019年5月16日木曜日

タイの交通渋滞を改善する方法


タイの交差点で毎日のように渋滞が生まれる瞬間を見ています。



信号が黄色になったとき、
侵入先の道路が渋滞で詰まっていれば交差点には侵入しませんよね?


でも、タイは違うんです。


信号が赤になる瞬間まで交差点に突っ込んでいきます。
前が渋滞していても当然突っ込みます。


その突っ込んだ車が交差点で止まるんで、
交差点はマヒします。
すると赤であっても突っ込んだ車にくっ付いて行く車が出てきます。


こうやって完全に交差点がつぶれます。


タイではこのような渋滞が10年以上も同じ状態で全く改善しません。


この状況を見ていて思うことは、
教育と罰則をセットでやっていかないと
問題は解決しないんだなということです。



教育だけでもダメで、罰則だけでもダメ。
両方がセットになってはじめて効果が現れると思います。


どういうことかというと、
教育でいえば、タイの陸運局で交通ルールはしっかり教えています。
でも、試験内容が甘いので、
聞き流していても問題はありません。


ただ、少ないながらも真面目に聞いている人はいて、
一定数は教育されている人もいます。


では、何で聞かなかったり、
交通ルールを守らないかというと、
罰則が甘いからです。


交差点に警察官が立ち、
赤信号で交差点に突入している車がいたら
どんどん取り締まらなければいけません。


やってはいけないことが交通ルールとして存在していて、
それを破れば罰則を受けるんだということを
タイ人がしっかり理解すること。


これができて初めてタイの人は交通ルールを守る日に向けた
第一歩を踏み出すことになるのです。


でも、この罰則が甘い


交差点に警察がいても全く見ても何も注意をしません。


それなら交通ルールを守らない人は次も守りません。
さらに悪いのは守っている人も破るようになることです。


罰則されることは無い。
変な交差点の時間の長さにイライラする。
その結果、守っていることが馬鹿らしくなってくる。
破った方が得。


そうやってタイの渋滞はずっと続いているんだと思います。


教育と罰則をセットにする。


これはタイの交通事情だけでなく、
他のあらゆることに当てはまります。


教育も同じ。
教えるだけではだめで、罰則はセットになっていないと。


これから10年。
タイの渋滞はきっと変わっていないことでしょう。

2019年5月14日火曜日

準備の大切さ!【煽り運転、バンガン島で女性が襲われる事件】

準備の大切さ。


日本でもタイでもテレビやネットから煽り運転の動画が
目に飛び込んでくるたびに考えることです。


理不尽な人が世の中には少なからず一定数いて、
その人たちにいつ出くわすかわからない。


君子危うきに近寄らずというように
近寄らないのが一番なんですが、
こちらから近寄らなくても相手から近寄ってくることもあります。


暴力で解決すべきではないのが法治国家での理想の姿です。


でも、警察がすぐに来てくれるわけでもありません。


パンガン島でフルムーンパーティに参加した26歳のノルウェーの女性が、
財布を落としたと困っていたところ、
手伝ってくれるそぶりのタイ人男性に襲われてしまった
という悲しい事件が最近ありました。


果たして防ぐことはできなかったのか。
ただの悲しい事件で終わらせず、
自分たちも考えておく必要があります。


煽り運転であれ、女性が襲われることであれ、
警察が助けてくれる前に命の危険にかかわる事件に遭遇してしまう
ということがありえると覚悟しておく。


そして準備をどれだけしておけるか。


海外で生活していると特にこのことを痛感します。


女性であれば、携帯の中に緊急通報のアプリを入れておく。



男性も同じですが、警察が来てくれるまでの数分間を耐え抜く
体力や技術を身につけておく必要があると思います。

特に家族をもっている男性なら家族を置いて逃げるわけにはいかないので
最低限の準備はしておく必要はあります。


別に週に何回も格闘技の教室に通ってというレベルではなく、
最低限の筋力と動ける体をつくるためのストレッチなどは
継続して行っておく必要はあると思うのです。


とにかく周囲の人が助けに来てくれるまで、
警察が来てくれるまでの数分間を耐えるためにも。


また、武器なんて持ちあるくわけにはいかないので、
もっている鍵をどう利用するかも考えておくだけでも違います。
先がとがっていて握りやすい鍵は身を守る重要なツールになります。


いつ危険が迫ってくるかわからない社会。
危険が来てからでは遅いので事前に準備しておくことが
本当に大切なんです。


みなさんは準備していますか?

アロエで肌の「しみ」が消えるのか検証してみる


40歳あたりから気になり始めたことに
肌の「シミ」があります。


目の下あたりにうっすら出てきて気になっていました。


ちなみにシミができた原因には心当たりがあります。


バイクで外に出ることが多いのですが、
ゴーグルの下の肌が露出しているところに
シミが出きているので、
紫外線が原因であることは明らかです!


若いころは気にせずに日焼けしまくっていましたが、
40歳を越えて、ちょっと後悔しています(;^_^A


ネットで調べてみるとアロエが効果があるらしいので、
妻がもっているアロエジェルみたいなものを
就寝前にシミのところだけに塗ってみようと思います。


Watsonという薬局で購入。
500Bくらいだったかな?



お恥ずかしい写真ですが、
効果を検証するためには記録しておく必要があるので・・・


はたして本当にアロエでシミが薄くなるのか
この記事の下に加筆していきますね。


興味がある方は1か月後くらいにチェックしてみてください。


正直なところ半信半疑なので
全くシミが消えない可能性もありますが、
消えたらラッキーくらいの気持ちで継続していきたいと思います(^^;



2019年5月13日月曜日

Facebookの誕生日を非表示にするメリット

5月12日でひっそりと42歳になっていました。


昔からFacebookの誕生日を表示していたんですが、
今年は非表示にしてみました。


すると、ネット上では誕生日が静かに過ぎていきました🍃
でも心地よいんです。


人それぞれ好みはありますが、
自分は身内や、濃い知人とだけ付き合っていきたいタイプなんで、
これくらいがちょうど良いかな。


ただ、非表示でもわざわざメッセくれる人がいて、
ありがたみを強く感じるという良さも感じました。


あと、Facebookの誕生日を表示していると
一言だけのメッセージで埋め尽くされてしまって、
自分の過去の投稿が埋もれるということもありますよね。

そのようなこともなくなるので、
Facebookの誕生日の非表示はちょっとおススメです。

焼きいもとはしゃれていますw
※ケーキもありましたよ(^^;


42歳を迎えて今考えていることは、
子供たち、妻をはじめとした身内、家族の幸せを
最優先にしたいという思いです。


別に自分は美味しいものを食べたいとか、
高いものを買いたいとか、
趣味を楽しみたいとか、
そのような欲求は年々少なくなってきました。


それよりも家族が楽しんでくれたらよいし、
家族がお腹いっぱい美味しいものを食べてくれたらよいです。


そのために自分は働く。


また、働くことが家族のためだけではなく、
自分のためでもあります。


せっかく生まれてきた人生だから
自分しかできないような仕事がしたいという思いが
強くあります。


教育という仕事は自分の天職だと感じていて、
それをもっと追究したいと言う思いもあります。


そしてタイで生きる覚悟を決める。


もちろん、もう12年もいるので、
タイにいる覚悟はできてはいるのですが、
もっと深いレベルで覚悟をするということも
自分の中では大切にしたい感覚です。


この年になり、子供たち、家族を支えていると、
親の偉大さにも気づかされます。


自分は父親に反発することもあったんだけど、
自分を支えてくれていたんだなぁ・・・と
マジリスペクト。
なんてラッパーが言いそうなことと同じような気持ちを
感じています。


息子、娘、妻からのプレゼント。
プライスレスです。


自分が父親で、夫でよかった
と思ってもらえる人間でありたい。


そんなことを考えた42歳の初日でした。

代々木公園タイフェスティバルでタイに憧れていた自分が在タイ12年・・・

日本では代々木公園でタイフェスティバルをしていますね。
今年は5月11日、12日ですが、
基本的に12日あたりになることが多いんです。


だから、誕生日を迎えるたびに、
代々木公園のタイフェスティバルを思い出します。


私がよく行った当時、もう10年以上前だったかな?
そこまで混んでいなくて、心躍る2日間でした。


知っているタイ料理を見つけると盛り上がり、
トゥクトゥクを見るとタイへの憧れを高め、
タイ人歌手の歌を聴きながらガイヤーンを食べる。
ビールは強くないくせに、一応ビアシンを飲んでみたり。


いつかタイで生活してみたいな・・・
と思っていた自分が、
まさかタイ在住12年になるとは(^-^;



人生は面白いなって感じています。


思考は現実化するという本もありますが、
何もしなければ現実化はしませんよね。


私もタイへ移住する一歩目は、思考しているだけではなく、
思い切った決断をしたものです。


HISでチケットを頼んで、
スポーツバックだけでドンムアン空港に降り立った日。


空港から赤バスに乗って、
とりあえず伊勢丹方面に進んだドキドキ感。
今でも鮮明に覚えています。



あのドンムアン空港に降り立った日から10年を越え、
タイでの生活が特別ではなく当たり前になり、
ふと日本に帰りたくなるときもあります。


自分の選択は正解だったのかと悩むこともありました。



でも、人生に正解なんて無いですよね。
死ぬまでわからない。
死ぬときには正解だの失敗だの考えている余裕も無さそうですし(^-^;


そんなことより、
今の生活としっかり向き合い、
やるべきことをしっかりやっていれば、
それはおのずと正解になっていくと信じて
日々の生活を頑張るのみです。


日本の代々木公園のタイフェスティバルを思い出しながら
そんなことを考えていました。

2019年5月11日土曜日

深い人脈と浅い人脈



人脈が大切だという言葉は
何回も聞いたことがあります。


確かに大切なんでしょうが、
自分の過去を振り返ってみると、
人脈が足を引っ張るようのなことも多々あったなと思います。


ただ、ここで言う人脈という言葉ですが、
もうちょっと細かくすると、
「浅い」という言葉をつけて、
浅い人脈と表現した方がしっくりきます。


仕事の話やら毎回同じような内容の話を繰り返すだけの関係の人を
浅い人脈と表現しています。


私が大切にしているのは
もっと深い付き合いができる関係、
「深い」という言葉をつけた人脈です。


浅いレベルの人脈が増えれば増えるほど、
自分の時間が消えていき、
人脈が足を引っ張るというはじめの表現になります。


雇われていた時代は、
付き合いによる食事会の回数が今の数倍、数十倍多かったです。


お互いが問題意識をしっかりもっているときは深い話ができるのですが、
ときに浅い会話しかできない関係の人とも出会います。


愚痴レベルやら、
世間一般で言われているような内容の会話しかできない関係。
また、ビジネス上の利害関係だけでつながっているような関係。


そのような関係でも、付き合いとなると
数時間レベルで一緒にいる必要があり、
あっという間に時間はなくなります。


浅い人脈が増えれば増えるほど、
そのような会話が人生の中を占めるように毎日のようになる。


経済的な損得勘定から付き合っていなければいけない
ということもあるのでしょうが、
人生が一回きりだと考えたら、
そんな損得勘定をしているうちに
あっという間に年をとってしまうことの方を私は怖れています。


何回も人生があれば別に恐れませんが、
たった一回しかないからです。


とくに年を重ねれば重ねるほどこの思いは強くなり、
浅い関係で付き合うなら、
家で1人でテレビを見ながら飯を食べていたほうが良い
とすら思うようになりました。


深い付き合いと浅い付き合い、
深い人脈と浅い人脈。


一気に深い人脈になれる関係もあれば、
浅い関係から徐々に深い関係になることもある。


どんな関係を相手と築きたいのか?
そこをしっかり考えて自分の限られた時間を使っていきたいと思う日々です。

2019年5月10日金曜日

【タイで車椅子】タイ人のナムチャイ(思いやり)精神


タイ人はナムチャイ(思いやり)があると言われていて、
これがタイ人の美徳のようにタイを紹介する本やテレビで目にします。


タイに長年住んでいると、
バンコクに住むタイ人に接していると、
ナムチャイが当てはまらない場面に出くわすことが多くあります。


特に気になっているのがデパートでの車椅子


知人に車椅子を使っている人がいるのですが、
まず必ず苦労するのが駐車場です。


車椅子専用の駐車スペースがあるんですが、
普通のセダンタイプの車が停まっていることが多いです。


車椅子が入らない大きさの車や障碍者のステッカーの無い車が
停まっていることがほとんどです。


確かに混雑することが多いタイなので
いち早く駐車した気持ちはわかりますが、
ナムチャイが無いなと感じる場面です。


また、車椅子の場合はエスカレーターが使えないので
エレベーターを使うことになります。


よくあるのが、満員で車椅子の人が乗れないことです。


始めから乗っている客は降りようとしません。



何度エレベーターに乗れずに待ったことか・・・


日本は村社会で「他人の迷惑」ということに敏感で、
さらに「恥」の概念も強いので、
車椅子の人がいたら、優先しますよね?


自分の行為、生き方に対しても「恥」の概念がしみ込んでいるので、
車椅子の人に譲らないことは恥ずべき事であると
広く認識されています。


タイは暑すぎる気候なので、深い思考がしづらいことが影響していると思います。


車椅子の人がどういう気持ちで待っているか
そこまで考える前に思考をやめてしまうということがあるのかな。


道路だってぼこぼこのままです。
電柱もど真ん中にあったりします。


車椅子の人の生活を考えた街づくりになっていません。


【見】えてはいるけど【観】えてはいない。


まさに深く観察していないのでナムチャイを発揮する以前の問題なのです。


ということで、タイ人を表す言葉として
ナムチャイ(同情)があるのですが、
タイ在住が長くなればなるほど、
そのような簡単なくくりではタイ人を表すことができない部分があるのです。


もちろん、ナムチャイがある人も多くいますが、
タイ人の気質をひとくくりに名前を付けるのは
安易過ぎる気がしてしまうのが
タイ在住10年を越える人の感想なわけです。

2019年5月9日木曜日

人生の覚悟が決まっていますか?

「覚悟決まってますか?」
と聞かれて、
「はい。決まってます。」
って答えられますか?


他人と比較するな!
なんて言葉は良く耳にしますが、
自分は他人と比較しながら自分のことを考える
メリットのようなものも感じています。


他人と比較することは
自分にとってはよい刺激になりますが、
行き過ぎると自信を無くす原因にもなりかねない諸刃の剣です。


他人と比較するためには
ある程度の心の強さが求められるものです。

しかし、黒は白の中で際立つように、
他人を見つめることで、自分の心が際立つメリットがあるのです。


最近、娘の学校の知人の親とFacebookでつながることが多いんですが、
飛び込んでくる情報の質というかレベルが高いです。


モスクワにいる写真。
SCB銀行のお偉いさんで芸能人との写真。
ロンドンにいる写真。


そのような姿を見ていて、
改めて自分を振り返ることがあります。


タイという国を選んで働く自分。
大学のお金だって自分で払ったし、
ある程度結果を残しているつもりでした。


でも、チュラロンコン大学を出ていたり、
MBAを取得している彼らに比べて、
自分の努力量は果たしてこのままでよいのか?
という問いが生まれてくるのです。


タイで生きるという覚悟はできているはず。

覚悟ができているならタイ語レベルは今のままでよいのか?

教育という仕事で頑張る覚悟はできているはず。

それなら教育の技術、知識は今のレベルで良いのか?

父親としての覚悟はできているはず。

それなら父親として子供たちにとって今のレベルで良いのか?


そんなことを知人のFacebookの投稿を見ながら
考えていました。


何事も十二分に覚悟が決まっていなければ中途半端になる。


仕事、親などなど。


みなさんもいろいろな役割があるでしょう。


覚悟決まっていますか?


2019年5月8日水曜日

心の中に「問い」をもって生きる



1日はあっという間に過ぎていきます。

1日があっという間に過ぎていくということは
一週間もあっという間に過ぎていきます。


こんな感じで人生もあっという間


だからこそ大切にしたいことは
自分の中で「問い」を持っておくことです。


自分の中に「問い」があるからこそ、
その問いに対する答えを探すように
アンテナが立ち、1日のいろいろな情報に接するときに
多少は心が留まるようになってきます。


心が留まるということは
時間が流れていかないということです。


問いがなければ、
毎日の情報が自分の中を素通りしていきます。


例えば、ぱっと思いついた例として、
「健康に生きるとはどういうことだろう?」
という問い1つをもっている人にとっては、
日常生活の全てがこの問いの答えを求めるようになり、
経験の密度が増すのだろうと思います。


自分にとっての「問い」は何か?
それは各個人によって違います。


私にとっての「問い」は何か。


ここで「問い」を語るのはちょっと恥ずかしいので、
この「問い」は自分の心の中にとどめておきたいと思います。


「問い」に対する答えが朧気に見えてくる日を夢みて、
明日も、明後日も「問い」を抱えながら頑張って生きる。


みなさんも人生の「問い」をもっていますか?




今を疎かにする人は人生を疎かにする人

去年の今日は「人生」=「今」
なんて考えていました。

心からリラックスできたアムパワー水上マーケット

連休の5日、6日はアムパワー水上マーケットで1泊2日。


息子と娘の空手繋がりで知り合いとなった
私の一回り以上年齢が上の方と家族ぐるみでの旅行。


知人の家庭がお子様が4人。
私の家族が2人。
子供が合計6人なので、かなり騒がしくなるかな?
と覚悟をしていました。


でも、この6人が全員仲良く遊んでくれて、
大人の手があまりかからず、
大人は大人でゆっくり話せ、
ここまでリラックスできるものなのか
というレベルでリラックスできました。


経済的にはゴールされているような方なので
どこか肩の力が抜けたような雰囲気が
こちらにも自然と伝わってくることもリラックスの要因なのかな?
って思いました。


何も気にせず、雲を漂うように好奇心に任せて
語り合いたいところですが、
まだまだ自分の人生は荒波の航海の途中。


いつか穏やかな海に出て、
のんびりと何も気にせず好奇心の赴くままに
語り合いたいものです。


人は年齢を重ね、余裕ができてからが面白い。


その方を見ていて実にそう感じるものでした。


アムパワー
アムパワー水上マーケットの乾物屋台

アムパワー
インスタ映えしそうな袋コーラ

アムパワー
川を船で。一人200B/2時間弱
気持ちの良い風です。

アムパワー
野生の猿が普通に貝を食べていました。

アムパワー

こんなアクティビティも。

アムパワー

アムパワー水上マーケット近くのお寺

アムパワー

ホテルの朝食場。
目の前が川で気持ちの良い風が吹いていきます。


とってもリラックスできたアムパワー旅行でした。


Googleマップで「アムパワー」
https://goo.gl/maps/fsin7Tdy5V4Qt3N9A



2019年5月7日火曜日

【超危険】子供をノーヘルで乗せるタイのバイク乗り


車中からふと横を見ると
そこには衝撃の光景が!!

子供が落ちそうなタイのバイク乗り

なんて昔なつかしいTBSのガチンコ風の書き出しですが、
実はタイではそこまで衝撃ではない光景です(^-^;

このように子供を乗せて走るバイクには
かなりの頻度で遭遇します。


この子よりもっと小さい子を
自分の前に立たせて走らせているバイクもいます。


想像力の欠如は罪


バイクというバランスの悪い乗り物で
もし転びそうになったらどうなるか。


このお父さんはきっと後ろに回していた左手を
本能でハンドルにもってきてしまうはずです。


そのとき、バランスを崩した子供が落下する可能性は
大いにあります。


また、もし転んでしまったら?


ノーヘルの子の頭はコンクリートに叩きつけられます。


もし子供が寝たら?


バイクの振動で眠気に襲われて寝てしまう
なんてことが起こらないなんて言いきれませんよね?


あんなそえるような左手ではとっさに支えきれないはずです。


落下した子はノーヘルなんでコンクリートに叩きつけられるだけでなく、
後続車に引かれるかもしれません。


とにかく、このような状態で走るバイクは
想像力が欠如し過ぎています。


タイではこのような光景をよく目にしますが、
想像力が欠如した人間は一定数、どこの国でもいるでしょう。


日本でもパチンコをする間に車内に子供を放置して
死なせてしまう親もいます。


ママチャリに乗せている子が
ヘルメットをしていないということも
よく見かける光景です。


日本でタイほどの危険な姿を見ないのは、
法律の厳しさのお陰かもしれません。


決してタイが民度が低いという言葉だけでは
片づけられない話です。


どの国も一定数、想像力が欠如している人がいて、
そのために被害を被る人が出てきます。
だからこそ法律というものが必要になってきます。


子供には罪はない。
罪があるのは想像力が欠如した大人。


こんなバイクを見かけたら、
タイの警察はすぐに取り締まってほしいものです。

2019年5月5日日曜日

怒らない人になる考え方


私は人から怒らなそうな人だと言われることがあります。


確かに今はめったなことでは怒らないんですが、
まだまだ腹が立つことはあります。
言わないだけです(^-^;


ただ、昔の自分に比べたらかなり怒らなくなったとは思います。


年を重ねるごとに怒らなくなったのはどうしてかな?
と振り返ってみると、
自分の人生とは直接的に関係ない他人に対しては
自分ごとではなく、全く無の状態で観察できるようになっていることが
関係しているのかもしれません。


自分にとって大切な人と、
そうでない人の区別ができるようになった
とでも言った方が近い表現かもしれません。


例えば、もしTwitterなどで他人から悪口を言われたとします。


その人とは会ったこともなく、
私にとっては全く赤の他人。
さらにどんな人間性の方かもわからないし、
正しい意見を述べられるほどの人格者だともわかりません。


そんな相手から悪口を言われても、
重く受け止める必要性は全くありません。


どうせ自分のことは詳しくしらない人なので、
どうでもいい意見だとみなすでしょう。


でも、これが身内だったり
親友だったりしたら聞き流すわけにはいきません。


というのも自分のことを深く理解してくれている人が
批判的なことを言ってくるのだとしたら、
必ず自分にとって何かしらの落ち度がある可能性が高く、
絶対に参考にすべき貴重な意見だからです。



自分があまり怒らないように見えたとしたら、
年齢を重ねるとともに、このような考え方で
自分にとっての大切な人とそうではない人の区別をしているのです。
タイのリサイクル品回収の人
タイのリサイクル品回収の人です。
個人で段ボールなどを集めて暑い中日銭を稼いでいます。

タイにはいろいろな仕事で頑張っている人がいて、
みんな一生懸命生きています。
そんな姿を見て自分も頑張ろうと思えます。

2019年5月3日金曜日

人生は後付け解釈で幸不幸が決まる

人生は後付け解釈。


タイで生活している今があり、
日本で生活していたかもしれない今もある。


タイで生活している今は味わうことができるけど、
日本で生活していたかもしれない今は味わうことは無い。



隣の芝生は青く見えるという言葉があるけど、
日本で生活していたかもしれない今を
今のタイの生活より良いものだと考えてしまうことがあります。


すると、今のタイの生活は相対的に低い位置になり、
不幸な気分になります。


でも、日本で生活していたかもしれない今は
誰も経験することができない勝手な妄想です。


その妄想のために、今の生活が不幸になるなんて
理不尽なことは無いです。


でも、ちょっと解釈を変えれば、
日本で生活していたら今の知り合いはできていなかったし、
タイの文化に触れて、日本を客観的に眺める経験はできなかった。


すると今の生活は、日本での生活の方が良かったかも
と考えていたときよりは肯定されるものとなります。


こうやって人生は後付け解釈によって幸不幸も変化するもの。


二者択一で消えた方の選択肢を妄想の中で過大なものとして
苦しむなんて馬鹿げています。


消えた方の選択肢を下げずむことで幸せを味わうのは
ゲスな感じがするので、
選んだ選択肢を上げることで幸せを味わった方が良いと思います。


どうせ生きていく選んだ選択肢なんだから、
その人生の良いところを探しながら生きた方が
より幸せになれると思うのです。



2019年5月2日木曜日

タイで現地採用として生きる前に考えておくべきこと

タイの祠


タイには現地採用という雇用形態で生活している人がいます。


私もかつては現地採用という雇用形態で生活していました。
とても若いころの話です。


若いときは1人身で自由気ままに動くことができ、
さらにエネルギーがあるので、
生活レベルを落としてもへっちゃら。


赤バスに乗って会社に行き、
道中でトウモロコシを買って朝食にする。

屋台で昼ご飯。

毎日遅くまで仕事しようが、上司と飲みに行こうが、
朝から仕事をして、またその1日を過ごすという感じで
時が流れていきました。


でも、自分の仕事やらタイでの生活やらに余裕ができてくると
自分がダッシュしている足元だけを見ていた状態から、
ふと顔を上げて周囲の景色を見始める時期にきます。


すると、自分の周りには駐在員という方々がいたり、
タイで自営業をされている日本人がいたり、
志半ばで日本に帰国する人がいたり、
色々と目に飛び込んでくるようになります。


そのとき、自問自答が始まります。
自分はこのまま現地採用で良いのだろうかと。


そんなときに選べる選択肢は限られています。


今の会社から転職する。
退職して起業する。
日本へ帰国する。
今の会社で出世を目指す。


いずれにせよ、
この選択肢の中からいずれかを選び、
その選んだ道で再びあゆみはじめる必要があります。


現状維持でいいやなんて考える人もいるのかもしれませんが、
現地採用という立場のまま、
年を重ねていくことはかなりのリスクがあります。


私の知人には年金も払っていなければ、
保険にも入っていない現地採用の人もいます。


結婚していても子供をもつ余裕はない。
むしろ、自分たちの老後の方が心配という状態。


でも、そんな心配をする時間もなく、
現地採用として毎日の忙しい業務に追われて、
1年、また1年と過ごしているようです。


子供ができたらどうするのか?
学費、習い事の費用。
もしパートナーと離別したら?
自分が働けなくなる事故に遭遇したら?


このブログを読んでいる方の中には
これからタイに来たいという方や、
タイで現地採用として働き始めたという人もいることでしょう。


私もかつて同じ境遇で、今の仕事まで走り続けることができたのは、
途中途中で立ち止まり、顔を上げる時間をもち、
行き先をじっくり考えたからです。

みなさんもきっと自分が満足できる未来が来ることでしょう。


そのためには、自分が走りながらでも
顔を上げて自分の行く先を見ることです。


この行き先で良いのだろうか?
違う行き先があるのだろうか?


この自問自答を早い段階でしておかないと
年齢を重ねれば重ねるほど違う道には行きづらくなります。


ぜひ、このことを心のどこかに留めておいてもらえたらな
って思いながら書いてみました。


では、タイでの生活頑張ってください(^-^)

2019年5月1日水曜日

【令和元年】をタモリさんと迎える幸せを感じる昭和生まれ、平成育ち

平成が終わり、令和を迎えました。


年末年始でもないので
始めはそこまで意識はしていなかったものの、
4月も終わりに使づくとテレビでは平成を振り返る番組が徐々に増えていきました。


自然と平成が終わり、令和を迎えることに
節目のような気持ちが高まってきました。


そして、仕事が終わってタイ時間の10時近く。

平成の終わり、令和の始まりのカウントダウンが
テレビの各チャンネルでやっていました。


元旦を迎えるように気持ちは高まり
ザッピングをしていましたが、
フジテレビで指は止まりました。

画像:フジテレビより

それは、タモリさんが出演されていたからです。


昭和生まれ、平成育ちの自分にとって、
タモリさんは人生の象徴と言っても過言では・・・
過言かな(^-^;
でも、笑っていいともで育った自分にとって、
タモリさんは特別な人です。

当然、タモリさんと令和を迎えることは決定事項です。

画像:フジテレビより


祝☆令和元年。
みなさん、おめでとうございます。

新しい元号を迎え、
また新たな気持ちで歩み始めましょう。

画像:フジテレビ

タモリさんと令和を生きる。
なんでしょう・・・すごく平和な気持ちがします(^_^
この大切な節目に
タモリさんをキャスティングするフジテレビはさすがです!


自分が令和の次の元号を迎えられるかはわかりません。
いずれにせよ、人生のうちで、今回か次回の元号がラストになります。


一度しかない人生はあっという間。


そんなあっという間な時間の中、
何をして生きるのかを問いかけながら生きることが
とても大切だと思います。


人の悪口を言ったり、
ゴシップに踊らされたりしている時間なんてありません。


みなさんにとっての令和はどんな時代になりますか?


41歳の私にとって令和という時代は
自分にとって仕事の集大成になり、
子育ての集大成にもなるはずです。


頑張って生きましょう!