2019年6月28日金曜日

人生の相棒G-Shockがついに故障

腕時計はカシオのG-Shockを使っています。


もう何年になるかな・・・
10年は越えているのは確実です。


教師という職業柄、どこかにぶつけることが本当に多いので、
頑丈な時計でないとダメだという思いがありました。


で、頑丈な時計と言えばG-Shockという
シンプルな選択です(^-^;


そんなシンプルな答えではありましたが、
自分が好きなデザインを選んではいたので、
けっこう好きな時計です。


つい数日前に針が止まったので、
電池切れかな?と思って時計屋に。



確認するとバッテリーはあると。


??


で、話を聞いてみると、
針のところが壊れていると。


今まで色々乱暴な使い方もしてきたけど、
初の故障です。
G-Shockにも故障という概念があるんだ(^^;なんて。



早速修理してもらうことに。
1日で直りました。



修理代は350B。


一時期はタグホイヤーが欲しいなぁとか、
ロレックスはかっこいいなぁとか
考えていた時もありました。


でも、歳を重ねるごとにその思いは弱くなり、
今の時計に愛着を感じていました。
特に気に入っているのが傷だらけのところ。


傷は共に仕事を頑張ってきた勲章のようなものです。
よく激務に耐えぬいてくれました。


傷を見るといろいろと思い出すこともあり、
歴史という重みが加わっている感じがします。
これってプライスレスだなぁと。


今は塾の教師となり、ぶつかることは無くなり、
傷も増えないような生活です。


少しリラックスし過ぎて故障したのかも(^-^;
人間にとっても時計にとっても緊張感は
大切なのかな?


修理して戻ってきた時計を見ていると、
改めて彼が寿命を全うするまで使い続けようという気持ちが
強くなってきました。


まだまだよろしくたのむ!


2019年6月26日水曜日

マイナス思考は人間の生きる力


SNSに動画を投稿しようとして、
バク宙に失敗して命を落としてしまう
という人の記事を見ました。



バク宙ができるのであれば、
動画で投稿したいという気持ちはわかります。




で、失敗したバク宙は、補助する相手に
足を支えてもらってからのバク宙でした。



いつもはバク宙ができていたのかもしれませんが、
相手に足の支えをしてもらってからのバク宙ということは、
もしかしたら失敗してしまう可能性だってあるはずです。


その「もしかしたら失敗する」ということを考える力は、
人間に予め備わっている危機意識だと思います。


危険察知能力とでも言うんでしょう。


人によっては「マイナス思考」として嫌われてしまうのかもしれません。
「もしかしたら失敗するかも」
という考えは、確かにマイナス思考ではありますが、
この思考があれば、
無謀なバク宙をして命を落とす必要もなかったわけです。



私も一時期、マイナス思考は悪だと思っていたことがありました。



自分も高校のころバク宙が出来ていて、
海に行ったとき、砂浜でやったことがあります。
足場が悪く、力が分散してしまうのか、
失敗しかけたことがあり、その恐怖心がこびりついていて、
二度とやることはありませんでした。



当時はマイナス思考なんてなく、
いけるでしょ!ってノリでした。


でも、年を重ねるにしたがって、
マイナス思考は人間が本来もっているべき
生きるために必要な能力だという認識に変わってきています。



ただ、もろ手を挙げてマイナス思考をOKとしているのではなくて、
ある程度の条件があります。



命を落とさない程度のことであれば、
未知なことに対するマイナス思考は抱えたまま、
その原因となる部分を減らすよう
努力する姿勢をもつという条件です。



その条件のもとであれば、
マイナス思考ってのは、
人間にとってとても大切な生きる力なのかなって思います。



このブログを読んでいる人の中には
若い人もいるのかな?


飲み会などで無謀なイッキなんて友達に強要するのは
止めておいた方が良いですよ。


動画投稿でふざけたものをノリで投稿しようとしていませんか?


グループラインなどで友達を貶める投稿していませんか?


もしかしたら・・・
というマイナス思考を忘れずに。


相手の人生、自分の人生を一生レベルで狂わすこともある
ということを忘れずに。

2019年6月25日火曜日

人間としての本能が錆びつかないように




タイの交通事情を見ていると、
「おいおいおい、本当に?!」
と思うことにちょくちょく出合う。


で、ちょくちょく過ぎて、
それが当たり前になっている自分にも気づきます。





まず、赤信号なのに、
渋滞していると前の車に続いてどしどし突っ込んでくる車なんて
当たり前。


車間距離が狭くて、煽り運転のような状態なのは当たり前。


車線変更でウィンカー出さない人も当たり前。


右折レーンが渋滞していて、左折レーンが空いているとき、
左折レーンで前まで行って、
そこで右折レーンに割り込もうとして渋滞するのは当たり前。


とにかく日本と比べたら危険と言われるようなことが
タイの道路では当たり前の光景なんです。


するとどんなことが起こるか。


危険に対する意識が高まるんですよね(^^;


赤でも突っ込んでくるんじゃないか?
と思いながら道路を渡るから、
結局、事故らずに済む。


ウィンカー使わないのでは?と思うから、
車線変更に敏感になる。


車間距離近いからブレーキに敏感になる。


色々な意識が敏感になって
結果として何とか事故らずに回っています。


もちろん、交通事故の件数は
タイの方が圧倒的に多いでしょうけどね。
あの危険度にしてはセーブしている方だと思います(^^;


で、日本だったらどうかと。


日本は安全運転が当たり前の状態ですよね。


その中で危険な運転をする人がいると想定外だから
油断している分だけ事故になる確率が多いのかな
なんて考えていました。


勝手なイメージなんでそんなことは実際に無いとは思いますが、
何を言いたいかというと、
安全なぬるま湯の中で生活していると、
どんどん意識ってのは緩慢になってくるのかなっていうことです。



これは、動植物も同じです。


安全な家畜は危険察知能力やらのサバイバル能力が低下して、
野生では生きられないなんてことも言われますよね。


子育てだって同じで、
危険を全て取り除いていった先に待っているのは、
危険な場所で生きられない人間なんだと思います。


今はタイに生活しているんで、
極端なタイの例を出しましたが、
ある程度の危険は、人間にとっては必要なのかなって思うんです。


自分だって同じ。


ぬるま湯の中で生活していたら、
人間としての本能がさび付いてしまうような気もします。


あえて自分からハードルを上げる。


1回しかない人生だから
そんな生き方も良いのかなって思います。



みなさんはどう思いますかね?
ではでは。

エムクオーティエの吹き抜けの場所でタバコを吸うハイソが鼻につく件

先日、エムクオーティエに行く用事があった。

ここの場所にはあまり良い印象がありません。



というのも、中央部の吹き抜けで子供たちが歩く場所で
タバコを吹かすハイソな人々が鼻につくからです。



別にタバコを吸うことが悪いことだとは思いません。
自分も昔は吸っていたし、今も法律で権利は守られているわけだから
問題は無いのはわかっています。



鼻につくのはタバコを吸う場所です。



エムクオの吹き抜けの中央部は子連れの買い物客も通ります。


ベビーカーだったり、子供たちまでも
あの場所のタバコの煙を吸い込むことになるからです。



ハイソなら何してもいいんですか?
と言いたくなるくらい、
歩くところに面している場所で
優雅に犬を連れて堂々とタバコを吹かす人々。



子供が通っているのは100%視界に入っています。
それを無視する思いやりにかける態度が鼻につくのです。


ハイソですと言わんばかりの態度と服装。


その見栄のような感情の『わかりやすさ』で言えば、
絶対値としては裸で歩く人と同じような気すらします。



バンコクでは8月の何日からか、
家の中でも禁煙になるという法律があると聞きました。



一般人は家の中でもダメでも、
エムクオーティエでワインを飲むようなハイソな人たちには
その法律は適用されるのでしょうか。


8月以降もあの場所がタバコの煙で充満していたら、
結局、ハイソの人には甘いということですかね・・・

2019年6月24日月曜日

タイに潜む食中毒という爆弾に被弾

ほぼ1日死んでいました。。。


日曜の午前中に授業があったんですが、
行きのセブンでアイスカフェモカを購入。


授業の合間に飲んでいましたが、
その途中から気分が悪くなり脂汗・・・


暑い。内側から暑い。


休み時間まで持ちこたえましたが、
トイレで嘔吐。



嘔吐するとちょっとラクになっていたので、
確実にカフェモカのせいだと確信。


戻ってきて授業をしていましたが、
全部はもどしきれなかったのか、
徐々に気持ち悪く、全身のだるさに・・・。


なんとか、なんとか授業を終えて、
子供たちに帰ってもらいましたが、
緊張感が無くなると完全にダウン。


しばし、教室の床で大の字になっていました。


家にたどりつき、昼から完全ノックダウン。


ひたすらだるく、熱っぽくなり寝ていました。


夜中に目覚めたときは、
だいぶ良くなっていて、
朝には大分回復。


昼になってやっとまともに動けるようになりました。



タイで生活していると、
時々遭遇するこの食中毒のような症状。



どこに潜んでいるかわかないから防ぎようがないです。


見た目が明らかに汚い屋台などだったら、
自業自得とも言えますが、
セブンイレブンのカフェでこんなパンチをもらうなんて想定外も想定外。
どうしようもない・・・


多分、冷蔵庫の蓋が開いていて腐ったとか、
店員のチェックミスで古いものをそのまま使ったとか
そのような類でしょう。


日本なら大問題になりそうなものですが、
タイで生活していると、
これは当たり前で「いやぁ、きつかった」で
おしまいです。


もう二度とこのセブンでは買いませんが、
どこの店でも危険は潜んでいますね。


自分の体の免疫力を高めるか、
諦めるかしか手は無さそうです。



そして、この1日で改めて感謝したいのが妻。


何回も飲み物を持ってきてくれ、
スポーツドリンクやら栄養ドリンクやらを
わざわざ夜にも関わらずコンビニに買いに行ってくれました。


妻が体調が悪いときに自分はここまでしてあげていなかったな・・・


反省です。


月曜も復活はしていましたが、
バンコク日本人学校の6年生がチェンマイ修学旅行中だったため
塾は休校。
自営業だったから良かったものの、
これが雇われの身だったら完全にアウトでした。



日々の些細な異変に気づけなければ、
仕事人としてはアウトですね。


色々な学びがあった1日でした。

2019年6月21日金曜日

人生の再出発

まずこの動画を見たことが無い人は
見てみてください。


法廷で同級生がこんな形で再会するとは・・・


1分です。



人は過ちを犯した後に、その過ちの大きさについて知る。


これって今芸能人の不倫問題だって同じですよね。
薬物問題も同じかな?


過ちを犯しているときは、ことの重大さがわかっていないんですよね。
悪い悪いと思っていても、ついつい欲に負けてやってしまう。



でも、警察の御用になってはじめて、
ことの重要さについて知ることになるのです。



強制的に知らされることになるんですよね。



この男の人にとって、この現実は絶望的で、
取り返しがつかないことをしたという強い反省が生まれる瞬間です。



どんなに後悔しても
犯した罪は残り続けます。


その残り続けた罪とどう生きるか。


後悔しても後悔しても、
この罪と共に生きるしかないですよね。



人はやり直そうと思ったときに
やり直すことができる。



今までは罪があったかもしれないけど、
それを塗りつぶして隠そうとすることに必死になるのではなく、
それを背負ったまま生きる。



まさに人生の再出発


ですね。

2019年6月19日水曜日

時には愚痴も言いたくなるのが人生。


自営業をしていると、人を雇って給与を払わないといけない。
給与を払っている人がするミスに対しては、
給与を払っていない部下やら後輩がするより、
圧倒的にストレスがたまる。


昨日は、ドライバーが1人の塾生をピックし忘れるというミス。


かなりの人数が到着したころ、
1人来ていない子がいて、
いつも同じバスだった子が〇〇ちゃんは休みですか?
と聞いてくれた。


慌ててドライバーにチェックすると忘れたと。
違うドライバーがピックすると思っていたと。


「思っていた?!」
思いだけで仕事をしていないで
確認してくれと当たり前のことを伝える。


自分と同じレベルの仕事をしてほしいと要求はしていないけど、
給与をもらうということは
ある程度はプロとしての自覚をもって働くべきだと思う。


ドライバーという仕事でピックし忘れるなんてのは、
最大級でありえないレベルのミス。


なんでこんなことを書いているかというと、
1度じゃないからです(^-^;


今まで何度かある。


じゃあクビにすればよいという声も聞こえてきそうですが、
どの人も同じようなものです。
むしろまた一から教える方が大変だしミス起きそう・・・


そして今日。


駐輪場から出るときにバイクの前輪が急に滑る。


何とかバイクを支えたけど、時遅し。
自分は持ちこたえたけどバイクは転倒。


前輪がタイ独特の大きな葉の上にのった状態でハンドルをきったために
滑ったみたい。


コンドの掃除のおばちゃんたちは
おしゃべりは盛んだけど掃除の手が動かない。


頼むから掃除してくれ・・・


今は腰が痛い・・・
変に耐えたせいで持病の腰痛が悪化したようです。


そのおかげで細かい悩みなんて考える余裕もなく。
ある意味痛みに気を付けることだけ考えているから、
スッキリしているのかも。


今日は愚痴が酷いブログですみません。

吐き出さないとやっていられないときもあるんです(^-^;

生きていれば色々ありますね。
これもあれも乗り越えて進むしかない。

2019年6月17日月曜日

タイランド剛柔流空手道チャンピョンシップ

毎年恒例のタイの剛柔流空手大会がありました。



息子が参戦しましたが、
今年からは12歳のカテゴリーとなり、
14歳までの子と戦うことになるという不利な状況。



若干予想はしていましたが、
大会では1回戦負けという結果。


悔しがってはいましたが、
試合の結果は練習の正しさをチェックする物差し。


日頃の練習の状態が結果として出る。


結果をどう受け止めて自分の成長につなげるのか。


そこが大事かなって思います。


ただ、相手もいる競技だから、
自分の練習が充実していても負けることがあり得る世界。


それもまた争いごとの常ということで
学ぶことは多々あるのかなと。



空手の大会からわが子が学ぶこともあるでしょうが、
私自身も学ぶことはあります。



子供に勝たせてあげたいなら自分は何をサポートできるのか。


空手は自分ではなくて、子供の学びなので、
どこまで親が介入して良いものかと悩むものです。


負けることだって人生レベルで考えたら
絶対に必要なことですしね。


ドーピングみたいに親がスパルタして勝たせたとして、
それが学びとして正解なのか?
受け身で強くなるのはどうかな?と思いますが、
イチローの親が幼少期のイチローを毎日のように
バッティングセンターに連れていくという逸話も真実。


何でも自分で気づけってのはちょっと子育ての放棄に近い。
でも、親が気づかせることが行き過ぎると、
過保護というか、子供が自分で考える力は低下するでしょう。


やはり親の介入ってのは難しい。


永遠のテーマです。
なんてよくありがちな言葉で濁していたら、
子供なんてあっという間に大人になりますからね。
永遠のテーマっていう言葉で濁さず、
今まさに考えないと。


今、自分が親としてすべきこと。


凄く考えています。


さらに言うなら、
自分も親として色々とできていない課題が溢れているなと。


「親は子供に成長させてもらう」とはよく言いますが、
本当にそうだな・・・と実感中です。

2019年6月13日木曜日

生きる意味は何か?

生きることなんて摩訶不思議。


摩訶不思議ですが、
考えようによってはシンプルでもあります。


生まれて死ぬ。
命のバトンを次世代に渡す。



シンプルですよね。



でも、人間って、自分も含めて頭が発達して
色々と考えることができるから、
それだけでは心もとないです。


そんなシンプルではさすがに虚しさが・・・


そこで色々な意味を付け加えていこうという
考えになっているわけですよね。


生きるとは・・・


人生とは・・・


でも、それを自分で考えるとなると、
白紙で絵を描くようなものです。



学校でも、
「絵を描いてごらん」
より、
「男の子の絵を描いてごらん」
の方が簡単です。

さらに、
「砂場で遊ぶ男の子の絵を描いてごらん」
と、場面を限定されればされるほど、
絵は描きやすくなります。



だから、人生も同じで、
全くゼロベースで考えるとなると途方に暮れてしまいそうです。



だから、人は宗教が必要になってきているのかな
って気がします。


とりあえず、自分で白紙で考えるより、
権威ある方が言ったことを受け入れる方が
ストレスが少なくてすむような。


この傾向って教育によっても培われているような気がします。



答えがあることばかりを教わってきたから、
人生レベルの答えが無い問いに耐えられないんだと。



どうしても、生きる意味、人生の答えが知りたい。


なんで生まれてきたのか。
何か意味があるはずだと。


答えを求める心が宗教を必要としているのかな。



では、自分は無宗教なわけですけど、
なんで無宗教なのか。。。



自分で考えたいタイプの人なのかな。
人が考えたことよりも自分で考えることが
好きなのかもしれません。
頑固です。


でも、自信満々なわけでもないですし、
白紙の上で考えるのは疲れるし、
できるならミスもしたくないから、
自分よりすごい!と思える人がいたら
頼ってしまう自分もいます。


でも、その「すごい」の規準は
けっこう自分の判断なので
正確だって思っていて、
頼ろうと思えるほどの人に出会えば、
圧倒的に好きになってしまいます。



今、数少ない友達もこの傾向が強くて、
圧倒的に好きって人が残っています。
あとは同志だと思える人かな。


それ以外は権威あると他人が言おうが、
けっこう否定的に構えてしまう自分がいます。



人は答えを知りたがる生き物。
無秩序より秩序が好きな生き物。


生きる意味は何か?


それは自分で考えて創っていけばいいのかな。


今、考えていることは、
自分が存在する前と後で、
少しだけ世界をよりよくするため?
とも考えています。

シンプルです・・・(^^;


また変わるかもしれませんが。

自分の唾って飲める?

自分の唾って飲める?


人間の意識って面白いなって思うのが、
自分の唾についてこう考えたときです。


今、みなさんが口の中にある唾って普通に飲んでいますよね。
別に嫌でもないはずです。



で、やらなくていいですけど、
コップの中にその唾を入れてください。



そのあと、そのコップの中の自分の唾を飲めますか?
というと、嫌じゃないですか?



自分は嫌ですね。
飲みたくないです(^-^;



でも、そもそも口の中には今も唾ありますよね。
今も飲んでいますよね?
そういわれると嫌かもしれませんが・・・
事実です。



外気に触れた唾が飲みたくないのか?
と言えば、口をあけっぱなしにして
外気に触れた唾でも、口の中にあれば
飲めますよね。


人間って自分の体からいったん出てしまったものって、
自分ではないって判断してしまうみたいです。


そこが面白いなぁ・・・
なんて考えていました。



何でだろう。



唾ってそもそも論で汚いものだって考えていたんでしょうね。


だから唾をかけられると嫌ですし、
子供の喧嘩で唾をかけあうんでしょうね。
相手が喜んでいたら唾をかけないでしょうし。
そんな喜ぶ大人がいるみたいですが・・・



でも、普通は唾って汚いって考えているけど、
こと自分のことになると特別視、盛ってみるんでしょうね。
清潔感を盛ってみるというか。



自分の中にあるんだから、
健康的だし、衛生的だし、消化を助けるし、
虫歯菌の増殖を防ぐし・・・
とかプラスのイメージをたくさん盛ってみている。



が、いったん自分の外に行くと、
冷静な思考になる。



あっ、汚な・・・



だから、もう元にはもどせないという理屈なんでしょう。



悪口で楽しんでいたグループがあって、
やっていることは悪いことだとわかっているのに、
他人のゴシップで楽しんでいるとします。


でその中から脱退する人が出ると、
あれほど仲良く話していたのに、
ゴシップネタにされてしまうということも、
外に出した唾理論ですかね。


そんな理論ないでしょうけど(^^;


ただ、一人でこんなことを考えていて、
面白いなぁ「ふふふ」と思っているのも寂しいので、
1人でも「わかるわかる。確かにね!」
と思ってもらえたら、これ幸いです(^-^

2019年6月12日水曜日

タイの理不尽な渋滞がタイ人気質を作る

タイで暮らしていると、
全く意味不明な渋滞に出くわします。



イライラするけど、
どうしようもない。


信号無視をする車のせいで、
渋滞が発生しています。


クラクションを鳴らす人はいるけど、
結局、待つしかない。


ここタイで余計なトラブルを起こせば、
命のやり取りになることがありますからね。
触らぬ神に・・・ってやつです。


こうやってタイで暮らしていて見えてくるのは、
理不尽なことに対して諦めなければならない状況が多すぎるということ。


この理不尽なことに対して諦めるという習慣が
タイ国民の人格に与える影響は大きくて、
徐々に無気力な国民が増えていくのかなって気がしています。


洪水もそう。
仕方がないね。マイペンライ。
で終わり。毎年・・・


そんなことを考えていたら、
学校現場でも似たようなことが言えるなぁなんて考えが生まれてきました。


理不尽だろうが、なかろうが、
ルールなんだから強制的に黙って従え!
という訓練をしていくと、
子どもたちは要領よく諦める力を高めていくのかな。


自分が子供のころにあったことですが、
「シャーペンは禁止」って先生から言われて
「なぜ?」
なんて聞いても、
「ダメなものはダメなんだ。」
とキレ気味に言われた記憶が・・・


考えたら負け。


そんな標語が生まれてきそうです^^;


子どもたちが理不尽さに対して無力感をおぼえてあきらめる
という思考パターンに陥らないように
ルールなどを教えるときは、
「なぜ?」もセットで教えるということが大切ですね。


ルールを教えるときだけでなくて、
叱るときも同じ。


「なぜ?」を考えないで生きる癖をつけてしまうと、
思考停止の無気力な大人になってしまう可能性が高まる。


これからの社会で生きるためには、
ロボットとは違う能力を伸ばしていく必要があるって言われていますよね。


その1つが考える力です。
考える、知的な労働もAIに奪われる時が来ると言われていますが(;^_^A


いずれ人工知能搭載のロボットに奪われてしまう日が来るかもしれませんが、
当面のところは、創意工夫ができる人間の思考力は重宝されるはず。


その思考力を高めるためには、
思考停止で物事に従順に行動できる姿勢ではないはずです。



バンコク日本人学校の下校が午後9時半になるほどのバンコクの渋滞。


でも、このバンコクの理不尽な渋滞ばかりは諦めるしかありませんね。


残念ですがどうあがいても私たち外国人には無理。
タイ国民に頑張ってもらうしかないです。


10年前から変わらないんで、
もうとっくに諦めてしまっているかもしれませんが・・・

2019年6月11日火曜日

今、夢が見つかっていない人へ。



喫茶店でふとこんなことを考えていて、
忘れないようにTwitterにメモしました。


夢。


自分の人生の中でとても大切にしてきた言葉です。



夢を見つけることは人生に生きがいをプラスしてくれ、
エネルギーの源になる大切なことだって思います。



ただ、今の社会で生きていれば、
どうしても大きな流れに飲み込まれ、
自分の夢をすぐには見つけられない人も出てくるものです。


もちろん、夢を見つける努力をし続けないと
見つけられませんが、
その努力をする時間すらないほどの流れに
巻き込まれるように生活している人もいます。



もし、夢をなかなか見つけられない人がいるなら、
とりあえずは、目の前のことに真摯に向き合い、
愚直な姿勢で努力を積み重ねる。



その過程で磨いた自分は必ず違う景色を見ることができ、
その時に考えた夢は、
成長する以前に考えた夢とは
(実際には考えることができなかったとしても)
全く違うものになっている可能性があります。



自分が愚直に頑張った努力は決して無駄ではなく、
自分を成長させてくれている。



その成長した自分がもつ夢はきっと
もっと素敵な夢になっているはずだし、
その夢をもてたとき、
成長していた自分はきっと役に立つはずなんです。

愚直に味を積み重ねてきたクイッティアオ屋台のおじさん。


最高の味です。


2019年6月10日月曜日

人生の選択で迷ったとき

人は選択で迷うと、
できない理由を探し始めてしまう。


損得勘定が働いて、失敗への恐怖感が働くからかな。


これは自分の経験からの話です(^-^;



人生レベルの正解が無い選択肢を前にすると、
どちらを選んでよいかで迷ってしまう。


「迷ってしまう」って悪い語感ですが、
迷うこと自体は悪いことではないですね。


迷うくらい大切な選択だということで、
迷うというのは自然に発生してくる気持ちなのかな。


でも、なんで迷うかと言えば、
損をしたくないとか、
何か正解がある、失敗したくないという
打算的な気持ちがあるからでしょうか。


迷った道が2つあり、
その前で立ちすくんでいる自分。


進んでみないとわからないのは事実。


進んでみた結果としてダメだったら
またその時の自分の気持ちに
「で、どうしたいの?」
とたずねてみるしかないのかな。


結婚するか、しないか。

転職するか、しないか。

海外行くか、行かないか。


どんな選択であれ、
選んだ道での人生がどちらもあって、
そのどちらに進もうが、
結局「生きていける」わけです。

ざっくりし過ぎですが・・・


だったら、損得勘定、成功失敗、正解、不正解の感情ではなくて、
要するに「自分がやってみたいのは何?」
というシンプルな部分で選んだ方が良いのかな。


今はそんな気がしています。


生きていれば選択の連続ですね。


迷ったら「やりたいようにやる」というのが
一周まわって、結局シンプルで後悔の無い道の選び方なのかな。


今はそんな気がしています。
数年後も同じことを言っているかわかりませんが(;^_^


ちなみに土曜の昼めしを迷ったので、
オフィスの近くにあったソムタムで。

プリック クルンメットです。
唐辛子  半分
ソムタムが35Bでもち米が10Bの合計45B。

後悔はなかったです^^


2019年6月8日土曜日

北極近隣国家とは?

北極近接国家?


ニュースを見ていたら、
耳慣れない言葉が飛び込んできました。


アメリカの国防省が
中国が自らを「北極隣接国家」だと名乗っているけど、
そんなことは認めませんよと発表したとのことです。



北極近接国家とは何か?



調べてみたんですが、
北極というのはいちおう、国際海洋法で
主権が5か国で分担するように決まっているみたいなんです。


その5か国が
アメリカ、カナダ、ロシア、デンマーク、ノルウェー


いちおう、北極近接国家なる言葉は中国が言い出したのかな?
たぶん、主権国家という言葉は定義が決まってしまっているから、
違う言葉を使って、何とか北極のうまみに飛び込もうとしているようです。



要するに
「北極近接国家というのは何か?」
ということを説明するなら、
「北極に対して影響力が強い国ですよ」
といった感じでしょうかね。


近隣って・・・
さすがに無理ありますよね(^^;


全然接してないし・・・
だったら日本の方が近接だし・・・


で、それにアメリカの国防省が待ったをかけたということです。


今までの中国の動きを見ていたら、
アメリカが待ったをかける意味もわかりますよね。


南シナ海での領海の拡大だったり、
尖閣諸島問題だったり。


曖昧にしていると、どんどん国際法とかは関係なく、
実効支配してきていますからね。


北極に対しても、この北極近接国家という表現を
そのままにしていると、どんどん北極にガブリ寄ってくる
なんて簡単に予想できますよね。


すると、北極圏の海洋資源をガンガン採集してくるでしょうし、
近辺を軍事ルートに使用したり、
もしかすれば、ロシアと共同で資源開発やら軍事訓練などが
行われてしまえば、どんどん北極での力が拡大していき、
北極の主権国家の立場も危うくなりますもんね。


最近、アメリカと中国の対立がどんどん過激になってきていますね・・・


アメリカが台湾を国家として認めたなんてニュースも
Twitterで飛び込んできました。


中国は前々から台湾に関して余計な干渉をしてくるなら、
干渉してくる国には容赦はしないと宣言していましたよね。


アメリカが台湾を国家として認めたというニュースは
まだはっきりとしたソースを見ていませんが、
本当だとしたら、
ますます対立は激化し、
下手をしたら・・・


穏便な話し合いで解決してほしいですが、
どうもアメリカのトップと中国のトップは
折り合いがうまくつかなそうな・・・

2019年6月7日金曜日

平常心で生きることが判断力の低下を防ぐ

教師という仕事をしていて
特に最近気を付けていることは
精神的にタフでないといけないということです。



精神的にダメージを与えてくる出来事があるんです。


渋滞・・・



バンコクで塾を経営していると、
どうしてもバス送迎をしなければならず、
そのバスが渋滞に巻き込まれるともうお手上げです。



特にスクンビットという大通りに続く、
ソイ49とソイ39という小道が大渋滞しやすく、
昨日の様に雨が降ると、終わった・・・というレベルで
渋滞します。



そんな渋滞のさなか、
ドライバーに連絡をし、
連携して子供たちを迎えに行くように指示を出す。



まだバスは来ていないという保護者に対応する。


ドライバーからは子供がマンションの下に降りてこないと
連絡がある。



さながら、塾は空港の管制塔のように・・・(^^;



するとドンドン気持ちがイライラしてくるのが
自分でもわかります。


溜息も出てきます。


どうしようもない渋滞だけど、
どうにかすることはできる渋滞。


国がそのままにしているから、
渋滞は10年前から何も変化がありません。



そんなイライラが溜まっていても、
子供たちが来たときは、
そのイライラを完全に制御できていないと指導に影響が出ます。



珈琲を飲みながら、
呼吸を整え、出来る限り平常心でいられるよう
気持ちを切り替えるようにしています。



少し引きずることもありますが・・・
すぐに切り替えられるように努力しています!



この精神的にタフでいることは、
塾を経営しているから大切になる、
教師をしているから大切になる、
ということではなくて、
どんな仕事をしていても、どんな役割を果たしていても
大切になってくることだって思います。



精神的にイライラしていたり、不安であったりするときは、
思考が浅くなったり、観察力が鈍くなったりしがちです。



車を運転している人なら経験があるのではないでしょうか?


変なクラクションを鳴らされたり、
車間距離を詰められたりすると、
平常心で運転しづらいのではないでしょうか?


すると判断力は確実に鈍りますよね。



日常生活を送る上でも、
どれだけ精神的にフラットでいられるか。



そこが自分の課題なのかなって考えています。
別にお坊さんみたいにフラットになるつもりは無いですよ(^^;



できる限り、意識的に精神的なアップダウンを
コントロールできるように
自分の心を見つめていきながら生活できたらなって最近は考えています。


2019年6月6日木曜日

生まれた場所が違うだけのハンディ

テレビやTwitterを見ていると、
あらゆる情報が飛びこんできます。


Twitter上では、
自分がネット関連のビジネスの可能性を
模索していることもあって、
色々フォローして見ているんですが、
個人で数億稼いだとかいう人を見かけることがあります。



1日に数時間ほど株チェックしている程度で、
年間数億円稼ぐ人も実際にいるんでしょうね。



一方テレビのCMでは、
学校に行けずにポリタンクを背負う少女の映像が流れていました。


毎日のように朝に水くみをしなければいけないから
学校には通えないらしいです。


そして、タイには多くの出稼ぎミャンマー人がいます。


生まれたときから、
家には経済的な余裕はなく、
兄妹そろってタイに出稼ぎに行きます。


ホワイトカラー的な仕事にはありつけないので、
お手伝い、ガードマン、掃除などの仕事をしますが、
そこから抜け出すことはめったにありません。


数年働いたら、またミャンマーに帰って、
実家の親の畑仕事などを手伝う。


ライフプランというか、
人生の終点までのレールが確実に見えている状態です。





人は生まれたときは人間として
ほぼ平等な状態です。


自分ではコントロールできない生まれた場所、
生まれた家族によって、
ここまでハンディキャップがある世界。


正しいわけがないです。



ちっぽけな自分ですが、
このハンディを少しでも軽減するために
いったい何ができるのか。



ボランティアも大切なことですが、
一過性で終わってしまっては・・・



自分ができることは教育。


教育は人を変える力がある。
人が変われば、その近くの人も変わる。
その変化は伝わって大きな力になるかも。


そんなことを模索する午後です。

マスコミの陰湿な質問を切る愛情「山里さん蒼井さんの結婚会見」

マスコミの陰湿な質問を切る愛情「山里さん蒼井さんの結婚会見」

自分はお風呂に入るときにテレビをつけているのですが、
その時に山里さんと蒼井さんの結婚会見を見ました。


「恋多き女優」
「芸能界1のモテ女優」
「吉本1不細工」


質問するマスコミから挙ってきた上のフレーズに
少し陰湿な悪意が見え隠れしているようで気になっていました。



もちろん一部のマスコミであって、
全体的にこんなフレーズばかりではありませんでした。


でも、結婚会見というめでたい門出の場所なのに、
蒼井さんのことを表現するのに
あえて過去の恋愛をにおわせるような
このフレーズを使うところ・・・。陰湿な人がいるものだなぁ。



私は芸能界の恋愛事情なんて詳しくもないですが、
このフレーズを聞けば、
蒼井さんってそんな恋愛ばかりしてきている人なのかな?
と少しくらいイメージを植え付けられるような気がします。
昔でいえば松田聖子さん的な感じですかね。



別に蒼井さんの恋愛事情なんて知らなかった人でも、
そういう恋愛をたくさんして来た人なんだ
というイメージを受け取りますよね。
信じないとしても。



恋愛をたくさんして来たということは
恋愛の期間が短いということ。


恋愛の期間が短いということは、
気持ちも熱しやすく冷めやすい。

今回の山里さんとの結婚も、
そのような一過性の冷めやすい熱なんじゃないのか?



だって吉本1の不細工芸人だよ。
しかも4月から恋愛スタート?
ちょっと長く続くとは思えません・・・



マスコミの人が暗に伝えたい意図は
ここらへんにあるような気すらしてきます。


芸能人とマスコミという立場関係だからといって
祝福ムードの雰囲気の中を
土足でずかずかと歩き回るのは失礼。



法的には罰せられなくても、
人間として礼に欠ける行為だなと感じます。


結婚会見というめでたい会見で
「数々の芸能人と恋愛をしてきた魔性の女性」
なんてニュアンスを出してくるなんて・・・。



でも、ここで私のもっていた違和感を
ずばっと断ち切ってくれたのが
旦那さんになる山里さんの言葉でした。



マスコミに対して、
「みなさん「魔性」って単語使うでしょ?
ぼくはそんな人間ではないということを知っている。」


暗記はしていませんが、
このようなニュアンスの言葉と共に
自分だけが知る蒼井さんの人間性を表す
エピソードを語っていたんです。


本当に大切なのは結婚する自分の気持ち。


他人が「恋多き」とか「魔性」とか言おうが、
自分が他人の知らない蒼井さんを知り、
そこが好きなんだからいいでしょ?


みなさんが見ている蒼井さんは、
偏見の目、変な情報に踊らされた目。

そんな目で自分の妻を見ないでほしい。


そんな強い意思が伝わってきて、
私と同じ年の山里さんの気持ちにとても共感しました。



山里さんと蒼井さんの人柄が伝わってきて、
自分もどうして山里さんなのかな?
というちょっとした興味もあって会見を見ましたが、
蒼井さんが山里さんを選んだのは、
このような言動に裏付けされた「愛」の深さなんだな。


とても素敵な結婚会見でした。

2019年6月4日火曜日

Don't think! Feel. 自分の指が指し示す月とは?

Don't think! Feel.
It is like a finger pointing away to the moon.
Don’t concentrate on the finger,
or you will miss all that heavenly glory.
ブルース・リー


私が大好きなブルース・リーが出演している
燃えよドラゴンの劇中のセリフです。


劇中の言葉ですが、
ブルース・リーは、
自分の思想を映画のセリフに盛り込んでいるので、
この言葉は彼の言葉と言っても良くて、
私の大好きな言葉でもあります。



人生は長い旅路で色々な課題がありますよね。


私も課題だらけです。。。


悩みもたくさんありますし、
悩みに押しつぶされそうになる自分もいます。


でも、課題やら悩みやらに集中し過ぎてしまうと、
どんどん視野が狭くなってきてしまうんですよね。


今まさに視野が狭まっている自覚があります(^^;
まさに指先にばかり集中している状態。



不安や恐れがあるときは、
思考回路が短絡的に答えを出そうとしてきます。
これは野生の本能ですかね。


危険があるときに悠長に考えていたら
肉食動物に襲われてしまうので、
その名残があるのかもしれません。


とにかく、皆さんはどうかわからないけど、
自分は不安な気持ちが強いときは、
どうも深く思考ができないタイプみたいです。



自分は1回しかない人生でどこに向かっていきたいのか?

自分は1回しかない人生で何をしたいのか?

自分が1回しかない人生で本当に大切にすることは何か?



そこを深堀して深堀して考え抜かないと、
目先の課題ばかりを見て短絡的に乗り越えていると、
全くあさっての方向に歩いていたなんてことも
あり得るかもしれません。




タイで42歳を迎え、
人生も後半戦と言っても良い年齢になりました。


指の指し示す先。


このことを考えることはとっても重要で、
指し示す指に注目するような毎日が過ぎていく中
考えるのがとても大変です。。。


だけど、指の指し示す先。


自分にとっての月とは何か?


ここをしっかり考え抜くことが
人生の後半戦の後悔を減らすことにつながるのかな
って朧気に考えています。


みなさんの指が指し示す月って何ですかね?

2019年6月2日日曜日

結果が欲しいときに大切にしたい考え方【果実と種】


早急に結果が欲しい!


そう思ったことありませんか??

私はあります(^^;



子供がサッカーを習えば、
早くレギュラーになってほしい。


子供が塾に通えば、すぐに100点採ってほしい。


自分のことであれば、
仕事で早く昇給したい。



人は誰でも何かしらの結果を求め続けています。


さらに言うならできるだけ早く。



でも、結果を得られない人は山ほどいるから
悩みどころです・・・。



そこで使い古された表現ではあるのですが、
私が大切にしている考え方をご紹介させていただきます。



結果は果実。

種を植えて、継続的な水やりをしないと果実は手に入らない。

果実を得るためには種を植える


この植物を育てるときは当たり前のことが、
人間の人生にもばっちりと当てはまるんです。



○○できる子になってほしいという果実があります。



すると○○できる子になるための種を植える必要があります。


この種を植えるという作業をせずに、
果実ばかりを欲しがってしまい、
果実が手に入らないと子どもに強くあたって自分も落ち込む。


無意味ですよね。



塾に行ったんだからテストで100点を採ってほしい
という果実。



種となる勉強ができているかは
全て塾に丸投げで、時々思い出したように叱ってみたり。

それでは、100点という果実は手に入れることができません。



会社で昇給したいという果実。


そのために種を植えることなく、
昇給した同僚や上司の愚痴を酒のつまみにする毎日を過ごしていたら、
昇給という果実を手に入れることはできませんよね。



何事においても果実を手に入れたければ
まずは種を植えるという作業が大切になります。



自分が手に入れたい果実を入れるために
種となる行動は何か?



そこを考えないで
ただ果実のことばかり考えていても
決して手に入ることはないんです。



違う種を植えている可能性もあるということだけは
注意が必要です。



桃という果実が欲しいのに
梅の種を植えてどんなに世話してもムダです。
※厳密にいえば、それが無駄にならないこともありますが。


適した種を植える必要があります。



種を植えても
水をやり続けない限り、芽は出てきません。



英語が話せるようになりたい!
という決意と共に、
英会話本を買ってきて勉強をする。



ここまでは果実と種は正しいです。



でも、数週間もしないうちに
話せるようにならない、思うように向上していない自分に
イライラして勉強をストップしてしまう。



水やりをストップしてしまうということは
種が死んでしまいます。




果実を手に入れるためには
種を植える。

種を植えたら根気強く水を撒き続ける。



今回は私が大切にしている価値観である
果実と種の関係についての話でした。


みなさんも素敵な種を植えて、
素敵な果実を手に入れてほしいと思います。
私も頑張ります!


少しでもお役に立てたらうれしいです。

2019年6月1日土曜日

スラム街で生きる人たちがスパイラルから抜け出すために大切なこと

クレージージャーニーという番組の中で、
南アフリカのスラム街で生きる人たちにインタビューする
場面を目にしました。



そこの人たちの目の光は澱んでいて、
希望だの夢だのは無いと言い切っていました。



ただ毎日を生きるだけだと。。。



そして、そこの子をもつ親たちは言っていました。


子供に教育を受けさせられないから、
このスラムのサイクルからは抜け出せないと。




この番組を見ながら、
自分のやっている教育という仕事について考えていました。



子供たちに本当に教えるべきことって何だろうかと。



希望や夢をもったり、明るい未来を想像したり、
そのためにどうしたら良いかを考えたり、
命令されないと動けない生き方ではなく、
もっと人間らしく生きることができる力を与えること。



与えるといったら変ですね。
育むこと。


そんな気がしています。


今は塾の先生をしているので、
教科中心になっています。



教科だけになってしまえば、
この思いは空しく消えていきます。



だから、子供たちには毎回勉強以外にも大切になることを
伝えるようにしています。



人生は1回だけです。


日本人というかなり恵まれた国に生まれた自分たちは、
スラム街で暮らすような人たちより、
夢をかなえやすい、希望をもちやすい環境に生きています。



そのアドバンテージを生かすのか、
無駄にするのか。



アドバンテージを最大限に使ってもらえるよう、
微力ながら子供たちの生きる力を高めて行けたらと思います。



また、それにふさわしい自分でいなければな
って思う日々です。


まだまだダメダメで、自分なんて課題だらけです。
道のりは遠い。。。