2018年1月4日木曜日

やりたいことを仕事にするという生き方

今日は事務仕事と銀行での各種支払いに
かなりの時間を割いた。


この様な仕事も大切ではあるけど、
やはり自分は自分でしかできない仕事に価値をもっている
ということが事務作業をしていると明らかになる。



やりたい仕事だけをして生きている人は少ないし、
そのような生き方は難しいもの。


だけど、自分がやろうとしているのは、
やりたい仕事の比率をどこまで上げていけるのか?
というチャレンジでもある。


今まで、そうやって歩んできて、
この場所までたどり着いてきた。


両手が自分には与えられているけど、
両手に何を持つのかということを
しっかり考えて行動していかなければならないということ。


自分が持ちたくないものを両手に持っていれば、
本当に持ちたいものは持てない。


手を空にしてからでないと、
本当に持ちたいものを持てないということは、
仕事に関しても同じ。


やりたいことをするためには、
やりたくないことを手放さなければならない。


きれいごとではあるけども
そこを正面から見つめて生きるということを
していない人は多い。


自分のやりたいことをやろうとせずに
やりたいことを追い求める人を批判する人は多く見てきた。


両手に持ちたくないものを持つのは、
自分のためではなく、誰か他の人を守るため。
仕方ないじゃないか。それが大人だ。
という人もいる。


それはそれでいいんだと思う。
そんな生き方を否定するつもりはない。


ただ、自分は両手で自分が持ちたいものを持ちたい。
それだけ。


その様な意識で自分が生きているというだけのこと。
他人がダメ、自分が良い
ということを言いたいわけではない。


自分の生き方を追い求めるためには、
自分の行動を常に振り返る必要がある。


今自分がしていることは、
本当に自分がやりたいことなんだろうか?と。


これは飲み会などにしても同じ。


自分の自由に使える時間は限られている。
だから、すべての人の飲み会の誘いに付き合っていたら、
自分の本当にやりたいことができなくなる。


昔からそのような意識があり、
ある程度、飲み会をコントロールしてきた。


人付き合いが悪いと思われようが
そんなことはどうでも良いことだと
自分は考えていた。


自分の人生は1回きり。
だったら、やりたいことをやりつくして
終わりを迎えたいと思う。


それは家族のために自分の時間を使うことも含まれている。


自分でなければできないことではなく、
誰でもできることは、
そのうち人工知能、ロボットにとって代わる仕事となるだろう。


変わりのきく仕事をしている人を
見下すつもりは全くない。


そのような仕事も社会を支えるためには
現時点では絶対に必要だろう。
未来も必要であるかはわからない。


時代の流れを見る限り、
変わりがきく仕事は
確実に人間である必要性は低くなってくるだろう。


自分は自分以外の人ではできないようなことを
追求していきたいと思う。


そうすると、自然と
仕事=人生となる気がしている。


仕事をお金を稼ぐ手段と割り切るのではなく、
仕事が人生の一部、同化したようなものだと感じたとき、
きっと仕事の時間、金銭などでは変えの効かない、
幸せを味わえるのだと思う。


今、自分を使って実験しているようなもの。


そのような生き方のモデルを
自分の息子に託すことができたらよいと思う。


例え失敗しても、
それは失敗例を与えることだから、
人生のプラスにはなる。


が、そうやすやすと失敗するつもりはない。


成功するように計画を立て、
しっかり実行していきたいと考えている。


ふと、そんなことを考えた1日でした。

ちなみに昔も同じようなことを書いていたようです。
好きなことを仕事にしたから、日々が自然と仕事になる