2017年10月24日火曜日

子どもの創造力、個性を摘む社会の風潮


創造力豊かとか、
個性あふれるという言葉は、
教育現場では良く耳にします。


私みたいに教師でなくても、
この言葉を目にしたり、
耳にしたことはあるはずですよね。


子どもを取り巻く環境を見渡せば、
言葉だけが一人歩きしていて、
全く行動が伴っていないということは
たくさんあります。


学校に行けば、
子どもたちの創造力を止めるルールや
個性を止める行動が山ほどあります。


自分は合唱練習で
やたらと大きな声を出させることが
嫌いでした。


1人ひとり違う声をもち、
それが合わさって綺麗なハーモニーになる。
個性を生かし、個性を抑える。


個性を生かすということが前提にあるのに、
闇雲に大声を出させることは
抑圧的で好きになれませんでした。


学級通信もそうです。
自分はA4ではない大きめの紙で両面にしたり、
2枚をホッチキスで止めて配ったりしていました。


でも、現在ではA4で統一され、
紙面構成まで統一されている学校があるようです。


私がいた学校では、
4コマ漫画を学級通信に描いていた先生もいました。
賛否なんて関係なく、
個性を出している先生は、
子どもの個性も認める器がありました。


先生の個性を発揮する一つの場所として
学級通信があるのだと思っていたので、
時代を逆行している学校もあるようです。


個性を発揮できない組織にいる先生が、
子どもたちの個性を育てるというのも
おかしな話だと思います。


野球の坊主も個人的には
あまり好ましいとは思えません。
坊主の子はいてもいいですし、
それが悪いとは言いません。


さすがにロン毛は邪魔ですし、
適した髪型にする必要はありますが、
坊主を強制する必要はないなと思います。


野球だけがその子の生活では無いので、
野球だけに最適化した頭にする必要は無いはずです。


それを善しと思ってやる人がいても良いですが、
権力を持つ大人が強制してはいけないと思います。


また、強制するようなオーラが蔓延していても
いけないと思います。


あれ?なんで俺坊主にしないといけないんだろう?
野球したいだけなのに。
と自分で考えることも許されず、
言われることをただ鵜呑みにする姿勢にも
問題があるように感じます。


スポ刈りにしたくないから
野球はちょっと・・・と思っている子もいるかもしれません。

スポ刈りにできないくらいの根性なら
野球をやるな!なんてスポ根アニメのような
声もあるのかもしれませんが、
全く根性の大きさはスポ刈りでは
測れないでしょう。


海外のことは知りませんが、
アメリカでバスケはスポ刈りなんて
決まっているのでしょうか?
インターはどうでしょうか?

きっと自由なんじゃないかなと思います。


テレビを見ていても、
少しでも個性あふれる人が出てくれば、
あらさがしがスタート。


何かミスがあれば、
一斉に叩かれています。


個性を抑圧されて大人になった人が、
自分ができなかったことを
成し遂げようとしている人を叩いて、
溜飲を下げる。


そんな寂しい構造に思えてなりません。


社会の風潮を変えることは
なかなか難しいものです。

だからこそ、
これから社会を作る子どもたちは、
個性を生かして、創造力を摘まないように
育ててあげられたらなと思うのです。




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