2017年2月18日土曜日

もし自分の老後に介護が必要になったとしたら?


老後の介護問題


ネットで悲しいけど
自分も現実問題考えておかなければならないニュースを見た。

介護問題。

ニュースによると
脚が壊死したおばあちゃんが
家の2階から発見されたとのこと。

大丈夫ですと自ら応えることはできても
部屋はゴミが散乱して
寝転がって顔が見えていただけだったとのこと。

御飯は30代の娘さんが届け、
排出の方はおむつで済ませていたとのこと。

衛生的にも本当に想像するだけで
目を細めてしまう状態です。。。

娘さんは誰にも相談できなかったと
涙を流していたそうです。
おばあちゃんの旦那さんはガンですでに亡くなり、
もしかすると生きる気力が
低下してしまっていたのかもしれません。

世の中が豊かになる途中では
この様な状況になってしまう人が
出てしまうのでしょうね。

というのも豊かになったことで
比較的容易に栄養は手に入り、
医療も発達しているので平均寿命は延びます。

でも、このおばあちゃんように
生きる気力を失ってしまっても
寿命を全うするまで生きる必要があるのです。

今の豊かな世の中では死は悪だからです。

すると誰かに面倒を見てもらわなければなりません。
その誰かとはまずは身内になることでしょうね。

身内は愛があるからこそ
面倒は当然みます。
でも、負担は相当に激しいものです。

面倒を見てもらう側、見る側、
ともに精神的にもかなり衰弱してしまう
ことが多くありそうです。

自分もいつの日か
そのように介護が必要になるのかもしれません。

そんなとき、
自分だったらどう考えるんだろうか。

もし、重度の介護が必要になり、
回復の見込みがない場合、
死を選びたくなるかもしれません。

自分の子どもには面倒は見てほしくないんです。

自分の子どもには
自分の自由に生きてほしいんです。

もちろん、子どもが私の面倒を見たい
ということを言ってくれるかもしれません。

それでも、そのことで
自分のやりたいことをする時間は
必ず減ります。金銭的にも体力的にも精神的にも
かなりの負担になるはず。

遠慮しているとか
そんな問題ではなくて、
自分の自由に生きてほしいんです。

その方が私個人としても
心の底から安心します。

私がおじいちゃんになる頃には
積極的な安楽死が合法になってくれていたら
個人的には嬉しいです。

今、自分は燃焼するように生きています。
悔いが無いように。

だからこそ、最後は眠るように人生を閉じたいものです。

子供、妻の人生を自分の介護のために
使ってほしくはないんです。

もし、国が保護してくれて
同じような境遇の人たちと暮らすことができるなら
それなら生きてみたいと思うかもしれません。

介護問題は自分たちの未来に
確実にやってきます。

人間が生きるとはなんでしょう。
複雑になり過ぎてしまっている気がします。

動物はもっともっとシンプル。


自分で餌をとれなったり、
重い病にかかえれば自然と命を閉じます。

人間だけが積み上げた文明で
その自然のルールを乗り越えることができました。

乗り越えたら乗り越えたで
深刻な問題が起こるわけです。

自分の命、老後について考える
よいきっかけになったニュースでした。

みなさんは自分の老後や
もし介護される立場になったときのことなど
考えていますか?

昨日の記事
命について考えさせられたハムスターの死