今朝もバンコクは涼しい朝を迎えています。
ちょっと鼻水が多めに出ているので、
水泳は控えようと思います。
無理してやって、
泳ぐことそのものが嫌なことになったら
もったいないですからね。
朝ごはんを食べながら、
ネットのニュースを見ていると、
有名な書道家が自分が書いた字と共に立つ写真を
目にしました。
コメントなどを読んでいると、
すごいという声や、かっこいいや、
字が生きているなんて、賞賛の声が多数。
自分はひねくれているのか、
センスが無いのか、
ただ崩れた字にしか見えなかった・・・
その人が書いた日付や
自分の著名の字などは
とっても綺麗な字だということはわかるんです。
それに、きれいな字を書く実力がある
ということもわかっているんです。
でも、みんなが賞賛する字を見て、
かっこいいとは思えず、
ただごちゃっとしていて、
上手だとは思えないな・・・
と感じてしまうんです。
きっと書道のプロが見ると、
その崩し方に何かすごいものがあるんでしょうね。
別に書道家にリスペクトが無いわけではなく、
もちろん、1つのことを追求することは素敵だと思います。
ただ、自分には大きな半紙に書いた字のすごさが
ちょっとわからないというだけです。
でも、ここで気になるのが、
すごいとかかっこいいとか言っている人は、
本当にわかって言っているんだろうか?
ってことです。
権威にひれ伏しているだけの人も
中にはいるんじゃないかな。
適当にそうなんだろうな
って発言を合わせにいっちゃっている人
いるでしょ。ってことです。
ここで、自分が荒くれ者のごとく、
愛なんて字をめちゃくちゃテンションあげて
自分の背丈ある半紙に、
うりゃうりゃ言いながら書いて、
適当に周囲に墨をこぼす。
で、デパートの展示場とかにおいて、
その有名な書道家が書いたものですよ。
なんて説明したら、
きっと「迫力がすごい!」
「字が生きている!」
なんて言う人が出てきそうです。
どこか自分の本心を捨てて、
周囲がこういうだろう、
周囲がこう思っているだろう、
世間がこう評価しているだろう
ということに無意識にしたがっているだけ
なんじゃないかな?
って思うんです。
こんなことって身の回りにたくさんありそう。
自分は教育に携わる人間だから、
ぱっと思いつくのが教育のことだけど、
女性言葉を話す男性の教育評論家がいます。
その人の発言だって、
よくよく聞いてみると、
普通なこと、ググったら書いてありそうなことを
言っているだけのときがけっこうありますよ。
でも、〇〇評論家なんて言われると、
自分がどう感じるかとう本音に蓋をして、
何となく正しいことを言っているんだろな
何となく正しいことを言っているんだろな
って、無条件に、無思考で信じてしまう。
そんなことがあるんでしょうね。
そんなことがあるんでしょうね。
今日も自分の目でしっかり物事を
見つめていこうと思います。
では。