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2026年9月5日土曜日

人生は映画という使い古された言葉は真実

人生はマラソンの様なもの。

人生は映画の様なもの。


そんな言葉は本だったかテレビだったか忘れたけど

何回も聞いたことがある。


自分はどちらかというと

人生は映画のようなものって言葉がしっくりくる。


今の年齢になって周囲を見渡すと、

人間ってそう変わらないんだなって思う。


価値観、考え方というか人間性というか。


それって映画みたいなものなのかなとも思う。


映画を観ていて、登場人物の性格を直せって叫んでも変わるわけがないし、

そんなストーリーはつまらない!って叫んでも変わるわけがない。


嫌なら映画館から出ればいい。


人生ってそんなものなのかなっていう気もする。


知人が仕事が嫌だという。

仕事の嫌な部分をあげ、嫌な先輩について考え、

日々、消耗しているように見える。


その仕事を選んだのも自分。

その仕事に留まっているのも自分。

嫌ならやめて離れたらいいのに。


実際、そんな簡単なものじゃないのかもしれない。


当事者は、離れられない理由をたくさんもっているだろう。


でも理由を何個もあげようとも、その理由すら、映画の一部のような。

脚本?演出?


気に入らないなら映画館から出たらいい。

そして、自分が気に入る脚本、出演者がいる映画を観ればいい。


もしかしたら、その映画は自分が創っていたりして?

今かきながらふとそう思ったけど、

もしかしたら、人生ってのは、自分出演、脚本、監督の映画なのかも^^;


そして、自分で創った映画に自分で文句を言って苦しんでいる人が

かなり多くいるような。


自分の人生を振り返ると、本当にいろいろな映画を観てきたな。


日本からタイに行くなんて考えてもみなかった脚本。

でも、確かに自分で描いた脚本で、自分で出演して頑張った。


嫌な人にもたくさん出会ったけど、

自然と離れるという選択をしていた。


だから何だってことは無いけど、

ふと思ったので忘れないうちに書いておこうと。忘備録的に。

ドンムアン空港の写真

人生の大きな決断をした想い出の場所。タイのドンムアン空港。


海外で生きると決意し、小さなラジカセと着替え、本を入れたスポーツバック1つで降り立った。


ラジカセは寂しさ予防w


当時は今みたいなスマホもWi-Fiも無いから、

地球の歩き方だけを頼りに、何となくの方向に進み、

たどたどしく両替をしたところからスタート。


懐かしい想い出が頭の中には今も詰まっています。

2026年8月26日水曜日

帰タイで蘇るマイペンライでイライラした想い出

8月中旬に12日間帰タイしていました。

スワンナプーム空港内の画像

        ▲スワンナプーム空港内

タイは15年間住んでいたので、胸がときめくって感じではないですが、

まぁ、日本の短距離走ダッシュのごとくせかせか生きる世界で生きていると、

ふと力を抜いてのんびりしたくなる。

周囲がのんびり生きているタイは居心地いいなっていう思いはあります。

ただ、タイで会社勤めするのはなかなかきつかったなって記憶があります。


マイペンライ。

良く言えばおおらか。悪く言えば適当。


働いていると、悪い意味の「適当」の方で精神がやられることが多かったな。


自営業をしているときは雇っていたドライバーさんが、

超簡単な生徒のピックアップを家を抜かすというミスは度々。

しかも道がこれまた適当な作りで一通ばかり。

一度生徒を抜かすと渋滞しているし、そもそも道がUターンできないんで、

流れるプールを浮き輪でぷかぷか元の場所に一周して戻るようにしなければいけなくて、

そりゃ塾の時間も終わりに近づくころに生徒が来て、

30分も授業にならず、さよならなんてこともありました。


親に謝罪するのは自分。

ドライバーさんは、苦笑い。怒っても変わらんので、やっぱマイペンライ。


あげればキリないけど、イライラストレスで鬼軍曹みたいな表情になっていたかもしれません。


だから、タイで会社を経営するとか、組織で働くとかそういうのは

もう無理だなぁなんて、ふとタイにいるときに考えていました。


また、帰タイの想い出でも書こうかと。気分が向いたら。

パートンコーの写真
           ▲タイの朝飯の定番パートンコー


2024年9月8日日曜日

バンコクで宝石詐欺の想い出。

昔、初めてタイに行ったとき、

今のセントラルワールド(旧名はワールドトレードセンター)前で

トゥクトゥクのおじさんが格安でお寺に連れて行ってくれると話しかけてきた。


初めてのタイだから、ずいぶん優しい人がいるなぁと思って値段を聞くと、

確か40Bだったかな。超安いと思って、連れて行ってもらうことに。


で、お寺に行って参拝をしていると、あるお兄さんが話しかけてきた。


指輪綺麗だろ?と。

安いお店があって、タイで仕入れて日本で売っている人もいるとか。

今思えばおもいっきりグルだけど、当時の自分にはわからず。


それなら行ってみても良いかな?と思って外で待っいたトゥクトゥクで

その人が勧める宝石店へ。


お店に行くと、まぁまぁの値段。

でも手が出ないわけでも無い。

数千バーツだったかな。


友だちと2人旅だったんだけど、

友だちは悪いから買おうかな・・・とか言ってたけど、

もったいないからやめようと提案。


で、お店の人には結局お金が無いと言って外に。


もうトゥクトゥクはいなかった。


それにしても、その一連のコンビネーションプレーは鮮やかだったなぁ。


今となっては良い思い出です。

2023年3月8日水曜日

洗濯なんてしたこと無かった。

 洗濯なんてしたことが無かった。


タイに初めてバックパッカーのように

スポーツバック1つで降り立った約20年前。


洗濯機なんて無い4500Bのアパート。

狭い水シャワーのみのユニットバス。


そこで脱いだワイシャツを足元に置き、

足踏みしながらシャワーを浴びつつ洗濯をしていた。


冬はめっちゃ寒かったけど、それすらもタイ生活のスパイスだった。


もちろんアイロンなんてせず。


タイのワイシャツの生地が固くて、

しわにならなかった記憶がかすかにある。


自営業をするようになって、

お手伝いさんを雇うようになれば

当然洗濯はしない。


そして日本に帰国した今。

正直、洗濯は不安だった。

そもそもどうやって良いかわからない。


が、全自動洗濯機という文明の利器のお陰で、

問題なく洗濯をすることができている。


アイロンも頑張ったけど、

面倒だったからスチームアイロンを購入。


ハンガーに干したままでアイロンできる楽さ。

またまた文明の利器に助けられている。


そんな日本の生活。

せっかくの便利な日本の生活ができているのだから、

老後までは日本を味わい尽くし、

やることやりきってからタイで暮らそうかな。


いや、日本に軸足を置いて

1年に2回くらいタイに合計2か月くらい滞在できれば十分かな。


そんなことを考えつつ、

今日も明日の締め切りある仕事に追われているので

長い夜になりそうだって覚悟を決めている夜です。

2022年1月31日月曜日

大戸屋に行ってタイを思い出す。

今日は昼に大戸屋に行きました。

タイにいたころ家族で良く行っていたので

自然とタイのことを思い出してしまいます。


思い出してしまう。

マイナスっぽい表現ですが、決してマイナスではありません。

ただ、思い出してもタイには行けないで

ちょっと寂しい気持ちになるだけなので

極力思い出さないように、考えないようにしたいなって思うのですが、

どうしても思い出してしまいます。


いつになったらタイと日本を自由に行き来できるのか。

考えても仕方が無いことですが、

どうしても考えてしまいます。


夜はファミマで弁当を買うことにしました。

何気にファミマ弁当買っていなかったことに気づき、

食べてみたくなったからです。

炙り焼牛カルビ重

炙り焼牛カルビ重


これはすっごく美味しい。

日本のコンビニ弁当のレベルは本当に高いです。


タイにいたころセブンでカルビ弁当みたいのが発売されましたが、

正直、そこまで美味しくはなかったけど、

タイ補正で美味しく感じていただけだって痛感します。


ファミマ弁当・・・恐るべし。


そんなこんなで深夜1時が迫ってきました。

明日も6時起き。

はよ寝ないといけませんが、もう少し準備が^^;


あと30分くらい仕事して寝ます。

では、今週も頑張りましょう!



2022年1月24日月曜日

スマホが無い時代にバンコクに渡った話。

Twitterでスマホが無い時代にバンコクに渡って生活していたことを

ちょっと書いたところ、多くの方に共感していただけたので

その話を少しだけ。




自分がバンコクに渡ったころは、スマホは無く、

携帯と言ってもどっぷりガラケーで

インターネットが自由に繋がる代物ではありませんでした。


そこで大切になるのが「地球の歩き方」の最後の方に載っている

バンコクの主要地区のざっくりとした地図。


その地図をジーンズの後ろポッケに入れて、

地図を回転させて、こっちかな?あっちかな?

とバンコクをさまよいながら散策。


てくてく歩いていると味のある店に出会う。

迷いながらも恐る恐る席に座ってみる。


出されるメニューで美味しそうな写真を指差して注文。

地球に歩き方に載っているタイ語を駆使。


物珍しいからきょろきょろしていると

店員が話しかけてくることもしばしば。


アロイマイ? アロイカップ。

こんなレベルの会話でも、

すっごくタイ語で会話している!なんて気分になれたものでした。


続けて英語とちょっぴりだけ会話本を頼りにタイ語で

頑張って会話を続けていると、

何言ってんだか正確にわからなくても

勝手に理解できた気分になったものです。


地図をぐるぐるして偶然出会った店だから、

もう行き方はわからないけど、

強烈に記憶に残っていて、20年くらい経った今でも思い出すことできます。


地図を見ながら歩いていると、

タイの人が道を教えてくれることもしばしば。


自分の地図を手に取り、ぐるぐる回しながら、

「こっちに行きたいなら、あの路地を・・・」

とか説明してくれているタイの人に、

近くにいた他のタイの人も集まってきて

あーでもない、こーでもないと手伝ってくれました。


路地で味わった温かい思い出です。


携帯も無いあの時代に、地図をたよりに

歩き回ったときが、本当に一人で旅をしている強い感じがあり、

刺激的で楽しかったです。


その後、タイで本格的に移住を決意し、

約15年タイで生活していました。


バイクにも乗っていたので、行動範囲は広く、

バンコクの様々なところをバイクで散策もしました。


すると、デジャブみたいに脳に電気が走る瞬間がありました。


あ!!この場所・・・

あの時さまよっていた場所だ!


こんないつも使っているメイン道路の近くだったんだ^^;

なんて、バイクに乗っているときは、

もう新鮮な路地なんてほとんど無いので、

あの頃の新鮮な記憶と今の全く緊張感の無い慣れた感覚が

混じって不思議な気持ちになったことを思い出します。


Twitterでちょろっと書いたことをきっかけに

ぶわーっと記憶が蘇ってきたのですが、

そのごくごくごく一部をちょっと書いてみました。


もしご興味があれば、

また想い出を書きますね。