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2026年9月13日日曜日

熱量

 仕事は超嫌いってわけじゃないけど、

休日にタイ語やブログの修正や読書をしていると

超やりたいことではないと再認識する。


特に今はタイ語熱が高まっていて、

本当は数時間もやっていたい。

今の熱量でもし勉強できるなら、数か月で相当な場所までいけるはず。


というのも昔タイに行ったときに3か月で会話ができるようになったし、

それからしばらくしてタイ語で夢を見ていたくらいだから。


熱量が高まったときの過去の自分は止まらず勉強していたな。


でも、今は仕事があるからすべての時間をタイ語にベットできないから、

なんか煮え切らない状態で止まってしまう。


すごいところに行けそうなんだけどな・・・

はがゆいけど、仕事に時間を使うのは仕方がない。

はがゆい。

2026年9月5日土曜日

人生は映画という使い古された言葉は真実

人生はマラソンの様なもの。

人生は映画の様なもの。


そんな言葉は本だったかテレビだったか忘れたけど

何回も聞いたことがある。


自分はどちらかというと

人生は映画のようなものって言葉がしっくりくる。


今の年齢になって周囲を見渡すと、

人間ってそう変わらないんだなって思う。


価値観、考え方というか人間性というか。


それって映画みたいなものなのかなとも思う。


映画を観ていて、登場人物の性格を直せって叫んでも変わるわけがないし、

そんなストーリーはつまらない!って叫んでも変わるわけがない。


嫌なら映画館から出ればいい。


人生ってそんなものなのかなっていう気もする。


知人が仕事が嫌だという。

仕事の嫌な部分をあげ、嫌な先輩について考え、

日々、消耗しているように見える。


その仕事を選んだのも自分。

その仕事に留まっているのも自分。

嫌ならやめて離れたらいいのに。


実際、そんな簡単なものじゃないのかもしれない。


当事者は、離れられない理由をたくさんもっているだろう。


でも理由を何個もあげようとも、その理由すら、映画の一部のような。

脚本?演出?


気に入らないなら映画館から出たらいい。

そして、自分が気に入る脚本、出演者がいる映画を観ればいい。


もしかしたら、その映画は自分が創っていたりして?

今かきながらふとそう思ったけど、

もしかしたら、人生ってのは、自分出演、脚本、監督の映画なのかも^^;


そして、自分で創った映画に自分で文句を言って苦しんでいる人が

かなり多くいるような。


自分の人生を振り返ると、本当にいろいろな映画を観てきたな。


日本からタイに行くなんて考えてもみなかった脚本。

でも、確かに自分で描いた脚本で、自分で出演して頑張った。


嫌な人にもたくさん出会ったけど、

自然と離れるという選択をしていた。


だから何だってことは無いけど、

ふと思ったので忘れないうちに書いておこうと。忘備録的に。

ドンムアン空港の写真

人生の大きな決断をした想い出の場所。タイのドンムアン空港。


海外で生きると決意し、小さなラジカセと着替え、本を入れたスポーツバック1つで降り立った。


ラジカセは寂しさ予防w


当時は今みたいなスマホもWi-Fiも無いから、

地球の歩き方だけを頼りに、何となくの方向に進み、

たどたどしく両替をしたところからスタート。


懐かしい想い出が頭の中には今も詰まっています。

2026年7月16日木曜日

樹木希林さんの名言「明日、地球が滅ぶと分かっていても」から考える今日の生き方

未来が明るく見えないとき、私たちは「頑張っても意味がないのではないか」と考えてしまうことがあります。

そんなとき、心に残ったのが、樹木希林さんの言葉として紹介されている次の名言です。

人間は明日、地球が滅ぶと分かっていても、
今日、リンゴの木を植えなきゃならないの。
そういうものなのよ。

― 樹木希林さんの言葉として紹介されている名言

未来がどうなるか分からなくても、今日やるべきことをやる。

結果がすぐに出なくても、自分が大切だと思うことを続ける。

この言葉には、人が生きていくうえで忘れてはいけない姿勢が込められているように思います。

「リンゴの木を植える」とは、今日を投げ出さないこと

明日、地球が滅ぶと分かっているなら、今日リンゴの木を植えても、その実を食べることはできません。

それでも木を植える。

この「リンゴの木」は、単なる木ではなく、今日の自分がするべき小さな行動を表しているのではないでしょうか。

  • 仕事を一つ終わらせる
  • 家族に優しい言葉をかける
  • 部屋を少し片付ける
  • 本を数ページ読む
  • 明日のために早く眠る

どれも、人生を一瞬で変えるような大きな行動ではありません。

しかし、未来は、こうした「今日の小さな行動」が積み重なってできていくものです。

未来が不安なときほど、今日に戻る

生きていれば、明るい未来を描けない時期もあります。

仕事がうまくいかない。人間関係に悩む。生活が大きく変わる。努力を続けても結果が見えない。

私自身、15年暮らしたバンコクから日本へ本帰国し、生活環境が大きく変わりました。先のことを考え過ぎる日もあります。

けれど、未来を心配し続けても、未来そのものを直接変えることはできません。

変えられるのは、今、この瞬間の行動だけです。

未来が見えないときは、遠くを見過ぎず、今日やるべきことに戻る。

それが、暗い気持ちに飲み込まれないための一つの方法なのだと思います。

ノストラダムスの大予言を信じていた時代

かつて、「1999年に地球が滅びる」というノストラダムスの大予言が話題になりました。

もちろん、予言は外れました。

しかし、もし「どうせ世界は終わる」と信じて、自暴自棄に生きていた人がいたなら、予言が外れた後にも、その間に失った時間や信頼は戻りません。

まだ起きていない未来を恐れるあまり、今日を壊してしまう。

それは、自分の手で暗い未来を近づけることにもなります。

どのような状況でも、今日すべきことを続ける。樹木希林さんの言葉として紹介されているこの名言は、その大切さを教えてくれます。

私が今日植える「リンゴの木」

大きな目標を立てなくてもよいのだと思います。

今日、自分にできることを一つだけ行う。

うまくいかない日でも、完全に投げ出さない。昨日より少しだけ前へ進む。

それが、自分にとっての「リンゴの木を植える」ということなのでしょう。

今日の自分への問い

未来がどうなるかではなく、今日、自分はどんなリンゴの木を植えるだろうか。

まとめ|未来が見えなくても、今日できることはある

未来を完全に予測することはできません。

それでも、今日をどう生きるかは選べます。

先が見えないときほど、自暴自棄にならず、目の前の一日を丁寧に生きる。

明日、世界がどうなるとしても、今日、自分のリンゴの木を植える。

この言葉を忘れずに、生きていきたいと思います。

2026年5月17日日曜日

無駄な未来予測~人生は想い出づくりの旅~


先日知人から相談を受けて思ったことがあります。

知人は恋をしており、その人との将来を考えていました。


相談の中にこんなことがありました。

もし、付き合っても自分は今回彼女を好きになったように
また他の人を好きになるかもしれない。

そうなったら彼女を傷つけることになる。
そして自分も傷つくことになる。

だから、何もせずに今のなんとなく来るであろう
「普通」の幸せを求めた方が良いのだろうか。

そんな内容でした。


普通の幸せ。

果たしてそんなものってあるのだろうか。

知人は、友達の例を出して、普通の幸せについて話していました。


子どもを持ち、家をもち・・・
そういう世間一般で良く見られる普通な幸せ。
それでいいのかなって。


自分は思います。

普通の幸せすら、実は普通ではなく、
普通に見える世間の個人にもっと焦点をしぼると、
その人なりの不幸はある。

仕事が辛い。
家庭の中で孤独。
家のローンや近隣との不仲。
子どものいじめ。
受験問題。

あげたらキリがありません。

普通の幸せと思っていても、普通なんて無いのでは?
ということ。


そして、知人の言う、
未来に傷つくことを考えて今の行動をしないという選択。

これは未来にならないとわかりませんが、
知人が行動しなければ、いつの日か後悔することでしょう。

格言。
行動した後悔より、行動しない後悔の方が大きい。

これは真実だと思います。

行動した後悔。

知人にあてはめたら、その人と別れることになり、
傷つく後悔。

でも、これには終わりはあります。
いくら深く傷ついてもそれ以上は無い。

でも、しなかった後悔。

これは、未来永劫、頭の中に残り続ける後悔。

新しいというか、行動しなかった結果、
いつか迎える恋人との間に少しでも不満があれば、
行動しなかった自分を想い出し、
ずっと味わい続ける後悔となるでしょう。


どっちが良いか。

そんなことは誰にもわからない。

だから最後は知人が自分で選ぶしかない。


そして、「もしダメになったら。」
という未来予測。


まだ来ていない未来。


ダメになる未来。
ダメにならない未来。

二択なはず。

でも、二択なのに、ダメになる未来ばかりを信じ
今目の前にある幸せを捨てて良いのか。


例えば、イヤホンを買う!と決めたとします。


人は決めた瞬間から、周囲のイヤホンが気になり、
自然とイヤホンの情報が目に飛び込むようになるものです。


それと同じように、
ダメになる未来を考えていれば、
ダメになる情報ばかりが目に飛び込み、
結果、ダメになる方向に近づくのだと思います。


知人がダメな未来を考えている限り、
囚われている限り、
結果、ダメになるのでしょう。


では、ポジティブに考えれば良い結果になるのか。

それは未来はあらゆる因果関係で作り上げられるので、
思考だけで良い結果になるとは言えません。


でも、少なくともダメな結果は遠ざかり、
良い結果は近づくことになるだろう。


未来が良い結果になるか。
悪い結果になるか。
それは誰にもわからない。

でも、今の幸せは、自分の中の宝物になることは事実。

悪い未来ばかり考え、
今の宝物まで汚す。
今の宝物を捨てる。

それもまた個人の自由。

冷たいようでも、知人は最後には自分で選ぶしかない。

そして選んだ結果を受け入れる覚悟を持たないといけない。


どんな未来が来ても、
結局人の命は有限。


人生は想い出づくりの数十年の旅。


旅が終わる瞬間。
ああ、良い人生だったな。

そう思えたら旅は成功なのだろう。


知人の未来に幸あれ。

写真は知人と行った定食屋のさんま定食。
美味しかったなぁ。

タイ飯も好きですが、
やはり食は日本は最高。

脂ぎってない。
味が濃すぎない。
味が深い。

タイ飯より日本飯の方が全く飽きがこない。

良い想い出になりました。

2025年12月29日月曜日

人生とオセロ

オセロは角を取られるといっきに全体が悪くなる。

人生も同じなのだろうか。

角を取られたからといって、人生全てが悪いものになるわけではないと思うけど、そう思えない人もいる。

角を取られることを恐れて
オセロそのものを楽しめない人は、オセロをしないほうがよいのだろうか。


人生における角は人それぞれ違う。


角を取るか取られるか、
はじめからわかっていれば
楽だろう。

人生なかなかそうはいかなそうだ。


人生とオセロは違うけど、
似ているところもあるのかな。

ふと頭に浮かんだだけ。

忘備録として
ここに残しておこうと思う。

2025年12月21日日曜日

永遠に続くもの

人は頭で考えて生きている。


だから、物事を自分の目と頭を通して、

ゆがんで理解することがある。


永遠に続くものはこの世には無い。

絶対に。

ダイヤモンドですら目には見えない程度で

今も劣化し続ける。


でも、自分の頭の中では永遠に続くものがあると信じる。


無いものをあると信じるのは自由。

他人に強要しないのであれば。


しかし、それを強要したくなる。

自分があると思えばあるとしか思えないから。


理解が得られなければと苦しむ。



永遠に続くものは無いのに、

それがあると信じる。

だから苦しくなる。


無いのだから、永遠に手に入らない。


入ったと思っても、心のどこかで無いと知っていて、

永遠を疑い続ける。

だから苦しい。


いずれにせよ、永遠を求めれば苦しい。


そうやって、遠い先にあると幻想を抱いている

「永遠に続くもの」を追い求め、

目の前にある幸せすら壊す。


そうやって、求めては壊す。

それを繰り返す。


と、頭でわかっていても、

やってしまうのが人間。

仕方が無いこと。


それが生きるということなのかもしれない。


お金があれば幸せ。

仕事でうまくいけば幸せ。


でも、それもきっと永遠には続かない。

もっと、もっと、もっと。

安心を得るために、もっと求め続ける。



そう考えてしまう人が悪いわけではない。

永遠に続くものを提供できない人、物、世の中が悪いわけではない。


何が悪いというわけでも無い。


ただ、そういうことが、生きていればある。

ただそれだけ。



永遠に続くと思われているものも、

壊れてみたらあっけない。


そして人は忘れる。

あっけなく忘れるのだろう。


そしていつもの日がやってくる。


悲しんでいても、壊れたものは戻らない。


あきらめる。

受け入れる。



いつか自分という存在も忘れ去られる。


俺も大切な何かを忘れる日が来るのだろうか。


そんなことは今はわからない。


ただ、今日を生きる。

その先に答えはあるのだろう。

2025年10月25日土曜日

「今を味わう──過去の料理を味わい続けない生き方」

 

テーブルに並ぶ料理を前に考え込む男性のイラスト。過去を反芻する心情を表し、「今を味わう──過去の料理を味わい続けない生き方」という日本語タイトルが描かれている。

牛ってのは、一度食べた食物を胃の中から再度口の中に戻し、

(ある意味虹色の・・・)それを再度もぐもぐするらしい。


でも、人間はそんなことをする必要はなく、

目の前の料理の味をしっかり味わうことができる。


でも、心となると別。


過ぎ去った、過去の出来事を、どんなマズかった料理であっても、

今目の前に美味しそうな料理があるにもかかわらず、

それを無視して、過去の料理の味を味わい続けて

苦い顔をして生きることがある。


こうして目の前にある美味しい料理であっても、

過去の頭の中の不味い料理を味わい続け、

けっして口を付けることなく、その料理が鮮度を失うまで

過去を味わい続ける。


そして、過去の料理を堪能したあとに、

鮮度を失った目の前の料理に不平不満を述べることもできる。


どんな料理であれ、

本当に味わうことができるのは目の前にある料理だけ。


その料理の味を楽しむことが大切だと思う。



2025年8月13日水曜日

愛する人を失う絶望──収容所解放後に訪れる本当の喪失感

暗がりの中、柔らかな光に照らされ横を向く男性のシルエットと、「愛する人を失う絶望 収容所解放後に訪れる本当の喪失感」という日本語タイトルが描かれたイラスト。


ナチス強制収容所の人々が、

絶望的な環境の中で、精神的にも絶望的な状態で、

わずかに見える希望の光、

それは愛する人に再び出会えること。

それを思うとき、ふと絶望的な気持ちは軽くなる。


でも、その愛する人はもう存在しないかもしれない、

もしくは、収容所を自分が生きて出ることができないかもしれない。


愛する人に再会することは不可能だろうと苦しみもがき、

再び絶望的な気持ちになる。

収容所で永遠に続く可能様な地獄の日々。


でも、ある日、彼は収容所から解放される。


さぞ幸せだろう。


あなたもそう思ったはず。


しかし、彼は失意のどん底に落ち、

収容所での生活の方がましだったと思う。


いったいどういうことか。


彼が家に帰ったとき、

愛する人がすでにこの世にはいない事実を知ったからだ。


彼が経験する絶望は計り知れない。

愛する人と再会できるかも・・・というわずかな光を

絶望の中でも見ていた日々の方が幸せだったと思うほどの虚無感。


今より収容所の方が幸せだったと思う。

私たちが想像もできないほどの絶望感でしょう。

愛しい人と完全に別れ、二度と会えないことが確定する絶望感。


それに比べたら、あらゆることがましに思える。


愛する人と一緒になれることを

絶望的な環境、精神状態の中で、夢見る日々。



一緒になれないかもしれない可能性の高さに

胸を掻きむしりながらも夢見る日々の方が、

絶対になれないと確定した日々よりも幸せだという現実。



強制収容所とは収容所の中だけではなく、

自由になったと思われる身になっても、

そのような絶望感に苦しみ続ける人々がいた場所。


二度と歴史は繰り返してはいけないけど、

今もなお、とある国では、そのようなことが行われているとの

噂も聞いたことがあります。


人類に本当の平和が来る日を願ってやみません。

が、まず自分達にできることを小さなことから。


2025年8月12日火曜日

運命に導かれた人生──思考を手放し、心の声に従う生き方

オレンジ色の夕日へ続く曲がりくねった道を歩くスーツ姿の男性と、「運命に導かれた人生 思考を手放し、心の声に従う生き方」という日本語タイトルが描かれたイラスト。


自分の人生を振り返ると「運命」というものが
ぼやっと見えてくることがある。

ただ、今も「運命」の途中であり、
自分の人生が良かったのか、悪かったのかは
まだわからない。


では、いつわかるのか・・・


それは「死ぬ瞬間」かなって思う。


今、自分が経験している今現在のことも
もちろん「運命」の途中。


時々自分の過去を振り返ることがある。


頭でいろいろ考えて不安だったことは多々あった。


タイで生きることを決断したことも1つ。


頭の考えを最優先して生きていたら、
公務員を退職して海外に1人で
全財産15万円で飛び出すことはしていなかっただろう。


未来ばかりを考えていれば、
怖くて、不安で行動はできなかったはず。


でも、今の心に従ってタイに行ったからこそ、
タイで教師になることができた。


タイで教師になることができたからこそ、
今、日本でお世話になっていた方の縁で
今の学校で教師になることができた。

全ての出来事が「運命」で導かれるように
「今この時点」に続いていた。

少しでもズレていたら、
今、この職場にはいなかっただろう。
出逢う人も変わっていたことだろう。


今まで嫌なこともたくさんあったし、
苦しいこともたくさんあった。


でも、今、この職場で働くことができ、
今、幸せをつかんでいるなら、
きっとそのために苦しみがあったのだろう。
そう思える今がある。


心に従って生きる。


人生そう簡単ではない。
そのような思いを生み、
実際に人生を複雑にしているのは思考のなせる業。


思考があるからシンプルな人生は複雑になり、
複雑になるから苦しみが生まれる。


わかったような口を叩くほど生きてはいないけど、
そんな気がします。


何が正解かは死ぬ間際になってからでないとわからない。
死ぬ間際に、ああ幸せだったなって心から思えるか。
いや、思いたい。


そういえばアンドリューという映画を見ていて考えたことがあります。


例えば死の間際。
自分が心から愛する人がそばにいてくれるだけでも
このために生まれて来た。
人生はもう正解だったと言えるだろう。
また、逆にそんな大切に思える人の死の間際にそばにいたいとも思う。

お互いがそう心から思える人に出会えること。
そんな人に巡り合えたとしたら、もう奇跡なようなことなんだろう。


それがどれだけ難しいことか。

難し過ぎてあり得ない。
だからこそ、
映画、小説で、歌などで
何世代も同じように夢物語として表現されてきたんだと思う。


誰かが理想を思い描きながら、
空想に描きながら、
どこかにあるはずと信じ、手に入れられず命を全うし、
また次の世代が同じようなことを表現してきたもの。
し続けてきた奇跡のようなもの。


それを今、手に入れて味わうことができている人がいるのだろうか。

もしいるのだとしたら、
それがどれだけ奇跡的で幸運なことか。
その奇跡に気付いているだろうか。


表現者がたどり着けなかった、
本当にあるのだろうか・・・
と夢に描いていたその物に
今目の前で自分が実際に体験できているという人生。


その幸運、奇跡的な人生を手に入れた時点で、
輪廻転生は終わりを迎えるほどの奇跡なんじゃないかな。
命を終えるまで決して手放してはいけないほどの奇跡。


あなたの周りで、1等の宝くじを当てるより難しい、
歩いていて隕石にあたるような確率、
何世も輪廻を繰り返しても出会えないような人、
そのような奇跡的な出会いをした人はいますか?


さらに出会うだけではなく、
結ばれた人っていますか?


話がそれてしまいましたが、「運命」について書いていたかな^^;

運命を大切にするためには思考から離れ、
心の声を聞くこと。
心の声に従っていたら、人生は、例にあげたようなことすら
起こりうる。

一度しかない人生。
心の声こそ、後付けで生まれた
社会から与えられた、先生に教えられた、親から教えられた思考より
もっともっと大切だなって
自分の人生を振り返ると思った今日この頃でした。


ではでは。

2024年10月14日月曜日

人生の甘味と苦味

苦味があるから甘味が引き立つ。

甘味があるから苦味が引き立つ。


甘味だけでも、苦味だけでも、

味わいは足りず。


人生と同じですよね。


たかだか80年くらいの人生。


甘味だろうが苦味だろうが、

味わっているうちにどんどん時は過ぎ去っていきます。


人生の甘味、苦味、どっちも大切にしたいです。

2024年9月22日日曜日

将来のために今を捨てないで生きる。

「将来」とても大切な言葉だと思う。


港の無い航海は危険だ。

漂流しかねない。


でも、人生と航海は似ていても若干違うところもある。


目的地が無い人生もけっこう面白いものだし、

むしろ、目的地を決めたことですら偶然決めていたりする。


人生どうなるかわからないから面白い。


タイのお寺


将来こうだ!って決めても、決してそうなるとは限らない。


子育ても同じ。


将来の子供のために。



そう言って、今、家族関係を崩すほどに

子どもを忙しく追いつめて良いとは思えない。


週末家族と過ごせないこと。


夜ごはんを毎日一緒に食べられないこと。


将来のためだから仕方が無い。

そう思うことも自由。


子どもの時代は1回しかない。


親と子である関係をどう築いていくか。

どれだけ共通した想い出が頭の中にあるかも

大切な親子関係の土台になることを忘れてはいけない。


せっかく子供が勉強ができ、良い会社に入っても、

親子の関係が疎遠になってしまっては悲しい。


将来も大切。

でも、それ以上に今も大切。


今を捨てずに大切に生きることを忘れないでいたい。

2024年6月2日日曜日

未来の不安を楽しむ生き方をする。

先日エックスでも投稿したんですが、

生きていると将来の不安に襲われる時ってありますよね。


自分も過去タイにいたころ、コロナ禍となり、

本当に将来に不安を覚え、夜中にあぶら汗と共に目が覚めるほどの

ストレスを感じた時期がありました。


でも、今、そのころの自分を振り返ると、

人生ってうまくできているな。。。と思います。


そのコロナ禍があったからこそ、

今の日本の生活があり、

新たな経験を息子とすることが出来ているからです。


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生きるのが不安なのは将来が不確定だから。

でも、将来が確定的な人生は面白いのだろうか。


そんな矛盾の中を行き来しながら生きる。

そんな生き方が人間らしいのだと思います。

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不確定だからこそ不安。

不確定だからこそ面白い。


不確定な人生を面白がれる心の余裕をもって

生きていきたいなと思う今日この頃です。

2024年4月29日月曜日

継続は力なり。

 どんな仕事であれ、

いや、仕事ではなくて趣味でも、受験生なら勉強であれ、

もし達成したいのであれば、

確実に真理だと言えることがあると思っています。


それは、

【何かしら達成したいなら、人より多くの時間をその対象にぶつける】

ということです。


好きこそものの上手なれ。

でなくても、嫌いであっても、まぁまぁなことであっても

達成したいことならなんであれ、

自分の命の中の多くの時間を使って、

その対象について考える、実行する、習熟していく

しかないのかなって思っています。


効率が云々。

才能がうんぬん。


そんなことは置いといて、

まずは時間を注ぐ。


それをやりもせずに諦めている人や

対象物に玉砕でぶつかりに行く人は多いんじゃないかな。


そりゃ失敗する可能性が高いのは仕方が無いです。

だってやってないんだから。


で、たまたま成功する人もいる。

そんな成功者の話を信じて、

また時間を注がずに玉砕する人が出る。


継続は力なり。

やり続けるしかないと思っています。


そのために、迷いをふっきる。

やるならやる。

やらないならやらない。

どっちですか?


そんなことを自分に問いかけ、

腹を括って進むしかないんだって思っています。


ではでは。

2024年1月27日土曜日

自然と死にたい。自然と終わりたい。

 文化の中、さらに細かくみると、

今という時間で切り取られる文化の中で生きている限り、

自分の死も文化の中の今という社会の慣習で扱われてしまう可能性が高い。


自分が死ぬときは、どうかコロっといきたいものだけど、

嫌なのは、病院の中で管を付けらたり、

不自由な体を苦痛と共に扱いながら生きながらえること。


他人がそうやってい生きているのを否定しているのではなく、

自分がそうやって生きて生きたくないという個人的な価値観なだけです。


自分は延命してほしくないです。

社会の中で生きてはいますが、

ここだけは、社会の一般的な価値観で、

治療=善

ということではなくて、

個人の価値観で最後くらいはコントロールさせてほしい。


そんなことを時々思ったりもします。


別にいつもこんな重苦しいことを考えているわけではないです^^;


ただ、死ぬときは、自然に、人間の自然な形で死にたいなって

そう思うのです。


葬式もいらないです。

誰か知らない人にお経を読んでもらいたくもないし、

みんなに堅苦しい場所で座ってもらいたくもないし、

堅苦しい服装で自分の前に座ってほしくもないです。


自然と焼いてもらって、骨が粉になれば、

どこか土にまいてもらいたいです。

海でもいいかな。


できれば、ホアヒンの海にでも。


ま、死んだあとなので、どこでもいいですし、

どうやってもらっても構わないです^^;


そんなことをふと考えていました。

ではでは。

2023年4月16日日曜日

元「年商100億超CEO」小野龍光さんを見て沸き起こる思い。

最先端ビジネスの世界から完全に離れて出家した人として

元「年商100億超CEO」小野龍光さんがマツコ会議というTV番組に出ていた。


マツコ・デラックスと会話する姿を眺めつつ、

少し羨ましいと感じる自分がいた。


激務と呼ぶには大げさかもしれないけど、

朝早くから帰るまで猛ダッシュしている生活の中、

どんどん心に余裕を持てなくなっている自分に気づく。


そんなときだったからこそ羨ましいという感情が生まれたのだろう。


こんな心理状況が定年近くまでずっと続くのか。

下手に想像力ある人間だからこそ余計なことで悩み、

ひとり苦しむこともある。


幸も不幸も相対的で、

ふと自分より不幸な人探しをしている自分に気づき、

自己嫌悪に襲われることも無いわけではない。


過去の自分と比べては落ち込み、

未来を考えては落ち込み。

そんな精神状況ではいつか潰れるのは目に見えているだろう。


幸せってなんだろう。

自分が追い求めているものは何だろう。


そんなことをひとり考える日曜の夕方。

夕方だからまだ余裕があってこんなことを考えているのだろう。


いずれ、明日の準備にとりかからねば。

自分の仕事の中でも大切な部分のことを考えていたい。

が、付随する業務が多すぎて、大切な部分が後回しになってしまう。


大切な業務が疎かになるからこそ、

取り返すために夜中頑張る。

その繰り返しです。

2022年5月28日土曜日

すべてが必要な経験だということ

 過去をふりかえってみると

辛い思い出も苦しい思い出も、

すべてが必要だったんだなってわかる。


今の経験も未来の自分にとっては

必要なことなんだろう。


すべてが必要なこと。


そう考えると気持ちが楽になることがあります。


きっとうまくいく。

だから今を根を張る時期だと信じてぐっと歯を食いしばる。


前向きにカラ元気でいる必要は無くて、

後ろ向きな自分も認めつつ、

きっと必要な経験なんだと受け止める。


そうやって生きていくことが大切なのかなって思う今日この頃です。

金曜の夜ということで梅酒を飲んで酔いが回ってきた気がします。

だから寝ますzzz

2022年5月25日水曜日

生きていても生きていないということ

生きていても生きていない。

そんな生き方ってあるんじゃないかなって思う。


仕事に追われ、気が付けば1日が終わり、

家に帰ればストレスからアルコール。

意識がもうろうとする中で眠りにつき、また明日も仕事に追われる。


こんな生き方をしている社会人ってけっこう少なくないはず。


人生は1度きり。

ありきたりな言葉だけど、若いうちは実感が湧かないもの。


歳を重ねて思うことは、本当に1回きりなんだなという

リアルな実感。


老眼が進行する目。

ちょっとお腹が出てきたような。

消えない目の下のクマ。

疲れやすくなったような体。


戻ることのない体の老化を感じていると、

人生は終点に向かう一方通行だということがわかる。


どうせ進む一方通行なら、それを悲観せず、

しっかり味わって生きる。


味わうことなく、日々、お酒で意識を飛ばすのはもったいない。

携帯ゲーム、テレビ、娯楽も良いけど、自分の人生を生きることを

忘れずに大切にしないと。人生はあっという間に終わってしまう。


今の自分と向き合う。

何が足りていて、何が足りないのか。

何に喜びを見出し、何に悲しむ自分なのか。



そうやって自分と向き合い続けることが

生きるということなんじゃないかな。


最近、そう思うんです。

みなさんはどう思いますか?


「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本

2022年1月10日月曜日

タイから日本に本帰国したのは正しい判断だったのか。

タイから日本に本帰国した昨年。

そして今年の2月下旬で本帰国して1年目を迎える。


今でも思う。

これは正しい判断だったのか。


頭で考えてみれば、正しい判断だったのかなんて

死ぬまでわからないことだともわかる。


でも、問い続けてしまうことが

「正しい判断だったのか」という問い。


どこかで誰かに正しいかったよって言ってもらいたい。

言ってもらったからといって、この問いから逃れられるとも思わない。


でも、背中を押してほしいような、

そんな思いを抱えながら生きている気がする。


息子が日本の高校に3年間通うことになる。

タイにいたら、インターナショナルスクールに通うことになっていたのかな。


日本に帰国して日本の高校に通うこと。

父親と二人で生活すること。

果たして正しい道だったのか。


昨年の2月下旬から1つずつやってきた。


家を探す。

生活必需品を揃える。

仕事を探す。

働きながら息子を受け入れる準備をする。

息子を受け入れ、生活を成り立たせる。

家事と仕事の両立。

息子の受験の準備。


数え上げればまだまだありますが、

1つ1つ何とかやってきた。


まさか自分が洗濯をしてアイロンをして

料理までするとは・・・


タイにいたら、もっと悩んでいたかもしれません。

息子に日本で高校生活を送ってもらいたかったという

後悔の念をもちながら生活していたかもしれません。


人生は1つの世界線しか選べないから、

今の人生以外の人生はどうなっているかわからない。


だからこそ、ずっと付きまとう問い。

自分は正しい道を歩んでいるのだろうか・・・


皆さんもそれぞれの道で同じような悩みというか

問いを抱えて生きているのかな。

正しい道だと信じていないとやっていられないとも思う。


親父としてもっと覚悟を決めなければならない。


覚悟を決めて、今の人生を正しかったんだと

胸を張って言えるように生きていくことが、

子供のためになり、家族のためになるのではないか。


すべてを投げ出してタイに帰るわけにもいかない。

もう日本の生活はスタートし、

安定してきている。


息子の高校の私立の学費はクリアできた。

あとは自分の両親の問題を解決し、

自分が老後にタイで子供に迷惑をかけることなく生活する

という目標に向けて頑張ることだ。


1つ1つクリアできただけでも幸せなことだろう。

でも・・・

どこか心に引っかかる問い。

「正しい道なのだろうか」



自分が何歳になってタイでの老後生活をスタートするのか。

それはまだわからない。

でも、その日に向けて努力をすることが大事。


今が正しい未来に続くと信じて。


皆さんも一度しかない人生、それぞれの道で

頑張ってください。

みなさんはどんな夢を描いているのでしょうか。

その夢がかなうことを願っています。


私も頑張ります。

2021年11月26日金曜日

何のために生まれ、生きるのか。

知人との会話。


懐かしい思い出が蘇る。

若かったお互いを振り返れば、

否が応でも時の流れを感じる。


過去から流れた時間を感じれば、

先の人生へ想いは繋がっていく。



これからどうなるのか。

どうしたいのか。

どうなっていくのか。

どうするのか。



自分の意思とは関係なく生まれ、

自分の意思で生き、

自分の意思とは関係なく生き終わる。


自分の意思が反映する時間において

「何のために」「誰のために」生きるのか。


答えを探し、見つけ続けることが生きることなのかもしれない。


そんなことを考えた夜でした。

2021年11月2日火曜日

人生に正解は無い

人生に正解は無い。

けど、正解を追い求める生き方を
誰もが子供のころから受けてきた。

そのお陰もあって、何か正解があるのではないか?
という幻想をもちながら
日々、自分の生き方に疑問をもちながら走り続ける。


でも、その正解は幻想だから、
いつまでたっても正解をつかめない不安、不満が残り、
どこか人生を楽しめないでいる。

そんな人も多くいるのではないでしょうか?


人生に正解は無い。
私はそう思っています。


正解は無いけど、「思考」で正解にすることはできる。


結局、今の自分が正解と思うか、
不正解と思うか。


大切なことは「今」の自分の思考による判断なのだろう
という気がしています。


今の判断を良いものにするためには、
良い思考を支える自分の心持が大切なのかな。


その心持を支えるもの。

それは「愛」な気がしています。