2017年6月29日木曜日

海老蔵さんのブログ更新が多過ぎると批判されている件

海老蔵さんがブログ更新し過ぎだと
批判する人がいるそうですね。


世の中には他人の行動が気になり過ぎる人がいるもの。


ブログを更新すること=悪いこと


という思い込みがあるんでしょうね。


自分はブログを更新する方だと思うんですが、
ブログ更新にかける時間なんて本当にわずかです。


開きっぱなしにしておいて、
書きたいときにぱぱっと書くといった感じ。


だから合計時間なんて
かかっていても10分くらいでしょう。


海老蔵さんのブログは写真と少量の文章だから
別にそんな時間を割いているようには思えません。


むしろ、海老蔵さんの言う通り、
自分の心の整理のため、
読者との心の繋がりを感じるため。

何か心の支えになるものが一つでも多く欲しい。

人間として普通の心理なんじゃないかなって思います。


ただ気になるのがマスコミです。


ブログをアップする度に
それをニュース扱いで流すから
聞きたくない人まで聞こえてしまって
こうやって批判の声があがるのかもしれません。


見たい人が見る。
見たくない人は見ない。


ブログなんて商売で書いているわけではないので
そんな肩の力を抜いたもので良いのかな
って感じています。


ニュース記者の質の低下も影響しているのかな。


ラジオやテレビやブログなどを
そのままコピペして、
ちょろっと感想を書いて、
それを記事にするということが多いですね。


2020年のオリンピックのロゴが盗作疑惑
なんてことがありましたが、
切り張りで完成させるという
大学生の卒論のようなことを
プロであるならしてはいけないのが当然です。


が、この風潮は進むようですね。


そんなことを海老蔵さんのブログ批判から
ちょっと考えました。

緩い時間が流れるタイの時計屋さん

タイの時計屋さん

バンコクの街角にある時計屋さん。

親の時計のバンドが壊れたから
取り換えを頼む。

11時半に店でお願いをすると、
「すぐできるよ。」
というから12時に受けとりに来ると伝える。


で、12時に行くと、
「ちょっと待って!すぐできるから!」
と照れ笑いをしながら
今まさにやり始める。


こんなやりとりがタイっぽいんですよね。

時間の概念が緩い。

そんなことでイライラしていたら
タイでは心穏やかに暮らしてはいけないんですよね。

マイペンライ。

そんな言葉を血肉化するほど
理解していないと
いつもイライラしてしまいそうです。


店の前でゆったり待っていると
会心の笑みで250Bだと。


その笑みに待たされた自分も
そんな悪い気もせず、
250Bを笑顔で払う。


笑顔にやられることが多いタイ生活です。


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昨日の記事⇒超お勧め映画「ハドソン川の奇跡」

名言ブログ⇒良い後悔と悪い後悔の仕方を西郷隆盛さんから学ぶ

子育てブログ⇒夫婦関係が悪化しないために

超お勧めの映画「ハドソン川の奇跡」

久しぶりに最高に面白い映画を観ました。

ハドソン川の奇跡

トムハンクス主演の実話をもとにした映画。

離陸直後、飛行機が鳥の群れと衝突し、
エンジンが2基ともストップ。

そんな状態で、機長がくだした判断が
ハドソン川への着水。

実話なんで、
ストーリーはわかっていることです。
だからこそ、
あまり期待はしていませんでした。

ストーリーがわかっているんだから
どんなに細部を描いても
ドキュメンタリー風な映画なのかな
というスタンスで見たんです。

が、すさまじい心的な重圧。
見てるこちらまで重くなるほどの重圧。
トムハンクスの演技がもう演技には見えないんです。
完全にドキュメンタリー状態。

街やテレビでは英雄と崇められる機長。

それと同時に、
運輸局の調査委員会で人為的ミスがあったのでは?
ハドソン川着水は間違った判断では?
とジリジリと迫るプレッシャー・・・


英雄か?犯罪者か?

いやぁ、これ以上は言えません・・・
あとは見てください。
これは完璧に一度は見た方が良い映画ですね。


プロフェッショナルの仕事とは何か?
映画ですが完全に見せつけられました。


適格な判断。
揺るぎない信念。
一度決めたら最善を尽くす。
感情的にならず、冷静な行動力。


人は問題に直面したとき、
どうしても感情的になりますよね。
だけど、その感情をどれだけ制御できるのか。
ここに人間としてのレベルが現れるんだと思います。

自分ができることと、
できないことを見極める。

できないことに対しては
余計な心的労力を割かない。

できることに集中する。

これは人生の成功の哲学だと思いますね。

ハドソン川の奇跡は
たまたまスターチャンネルのテレビ欄を
見ていて出会ったんで、
まさにこの出会いも自分にとっては奇跡です。

それくらい見てよかったと思えた映画でした。


あまりにも面白くて
こうやってブログを書いてしまいましたから^_^;


ハドソン川の奇跡

レビューのほとんどが5つ☆なのも納得です!

読書好きな自分は小説の方が興味がありますね。
機長、究極の決断
5つ☆と4つ☆の評価しかないというのも
かなり魅力的。

さっそく手に入れようと思います。

いやぁ、何回言っても足りません。
良い映画でした。

2017年6月27日火曜日

肩の力を抜いて自由に生きる

タイの喫茶店無いで寝ている犬です。

こんな風景が大好きです。

先日行った喫茶店のカウンター横で
気持ちよさそうに寝ている犬。

もちろん店員さんの犬でしょうけど、
別にドッグカフェ的なコンセプトが
あるわけでもなく、
単純に犬を飼っているから
店内で自由にさせているというレベル。

タイにいて良いなと思うことは
肩の力を抜いて生きることの
大切さを教えてくれること。


説教じみているわけでもなく
国全体が醸し出す雰囲気で教えてくれる。


もちろん
長く住んでいると
この大らか過ぎる部分に
腹が立つことも多々ある。


ただ、日本人気質が染みついた自分にとっては
タイという中和剤のお陰で
かなり精神的に真ん中に軸が戻ったような気がしています。


タイで学ぶ肩の力を抜くということは
怠惰な気持ちで自堕落になれる
というわけではなく、
無駄なしがらみを気にしなくて良いから
自然と肩の力みがとれていくということです。


余計なことを気にせず、
自分がしたいようにやる。

タイでは
カフェであっても犬を飼う。
タクシー運転手であっても
自分の好きなラジオを聴く。
店員だっておしゃべりする。

もちろん、ここで気を付けなければならないのが
他人の迷惑にならないさじ加減。


迷惑ゼロで生きるなんてできないんで、
なるべく他人に迷惑をかけないように自由に生きる。
自由にやりたいことに集中する。


そんな生き方をタイは
教えてくれています。


昨日書いた別の記事------------------------

流れる時間の速さに圧倒され、
ふと流されて生きているなと
感じたときに読んでほしい名言こちら


親子間の会話が無くなっている方、
もしくはそうなりたくない方のため
子育てブログ⇒こちら


人間が人工知能にぬかされる未来/人工知能は天使か悪魔に

NHKで「人工知能は天使か悪魔か」
という番組がやっていて飯を食べながら
何となく見ていたんですが、
途中から飯ではなく、テレビが主役となり、
完全に見入ってしまいました。

人工知能は天使か悪魔か


その時感じたのが、
人工知能が主役となる未来は
確実に近い未来に現実となるということです。

今までは現実になるんだろうな・・
レベルでしたが、
今では「確実に」です。


ちょっと前から人工知能とプロ将棋棋士が戦う
将棋の電脳戦というものがやっていました。


自分も子どもの頃から将棋を遊び程度ですが
やっていたんで、興味をもっていました。


ただ、以前見ていたときは、
プロ棋士といってもちょっと見たことあるかな?
程度の人と人工知能が戦って
何勝何敗といった均衡していたイメージ、
最近は人工知能にちょっと押されていた感がありました。


いつ羽生さんと戦うんだろう?
羽生さん負けたら嫌だな・・・
くらいに思っていたのですが、
すでに電脳戦は完全に終了していました。

圧倒的に人工知能の勝利で。

というのも、羽生さんを破った名人が
人工知能と戦い、
完全に、徹底的に負けてしまったんです。


将棋の世界では、
もう人間は敵わないレベルになってしまった。
主催者、棋士、開発者ともども
その事実を認めたからこそ、
今後はもう電脳将棋をやる意義がなくなった。


人工知能が将棋の神に一番近い存在に
なってしまったのです。


開発者は、人工知能同士で
対戦するシステム、
過去の膨大な棋譜を完全にインプットして、
そのインプットから勝手に学ぶシステムを作りました。

そして、今ではどうして強くなっているのか
開発者ですらその要因を理解できなくなって
しまっているそうです。

人間が数千年かかるデータを
人工知能はいとも簡単にインプット、
さらにそこから人間が今まで未開だった
未知なる手筋を編み出してしまっていました。


人工知能の将棋界では
人間の手から人工知能が巣立っています。


タクシー業界でも
人工知能がどの地域にお客がいるかの
未来予測をし、
その制度がベテラン運転手をも凌駕する
レベルになっているそうです。


人間の経験はインプット中心のコンピュータでは
勝てないと言われていたのは過去のこと。

すでにインプットレベルではなく
人工知能が勝手に学び、
勝手にすさまじい精度で
人間の経験値を越えた予測をする未来
現実になっていました。


アメリカのある州では
裁判で再犯率を人工知能が割り出し、
その結果も裁判の刑期を決めることの
一つの材料になっているそうです。

その再犯レベルは
どのようにして出されているかは
完全にはわからないそうですが、
精度はかなり高いようです。


また、韓国では人工知能の政治家を
5年後に導入するつもりで開発を続けているそうです。

人工知能は全ての法律、条約などをを
完全にインプットし、
その都度最適な政策をアウトプットしてくれる
ようになるそうです。

人間であれば
私情が入るところ、
人工知能なら私情を除外しして、
完全に人間全体の利益になる政策を
編み出せることができるそうです。

それだけではなく、
会社の人生制度の中にも
人工知能を入れ、
退職しそうな人を割り出すことが
できるようになっています。


現時点でここまで人工知能が
精度を上げ、人間が頼るようになっているので、
あと数年後には、もっと実用化が
進んでいることでしょう。


こうした人工知能が人間の感覚、
経験値を凌駕する仕事をするとき、
人間にはいったい何が残るのか。


自分の仕事に置き換えて考えることは
どの分野の人でも
必要なことです。


人工知能が教師の変わりになる。
そんなことは不可能だ!
なんて言っていられないほどの精度です。


もしかしたら、
教室にカメラを設置し、
表情の変化、文字の変化などから
いじめの発生を未然に防ぐというシステムが
生まれてもおかしくはありません。


どの進路に進むべきか。
そんなことまで人工知能が
決定する可能性だって大いにあります。

弁護士の仕事も変わるでしょう。
法律を完全にインプットし、
過去の事例もすべてインプットされた
人工知能であれば、
裁判官より正確な審判をくだすことだって
可能でしょう。


こうやって人間の仕事は
どんどん人工知能に奪われていく。

その先に待っている世界は
いったいどんなものなのでしょう。

教師はアイパッドの様な端末をもち、
学習につまづいている児童を
すぐに知らせてくれるかもしれません。


人工知能と人間がうまく協力関係を結び
仕事をするのであれば、
かなり教育的な効果はあるでしょう。


確実に言えることは、
人間は人工知能の足元にも及ばない日がくる
ということです。

その日が急に来るのではなく、
徐々に、日々少しずつ
人工知能は進化しています。


2045年に来るのか、
2050年なのか
はたまた2035年なのか、
そんなことは誤差です。

確実に人間が人工知能に太刀打ちできない日が来るでしょう。

抗うことはムダです。
そんなことを考えるなら、
自分がこの未来に向けてできること、
自分しかできないことを
磨いておくことが大切になるでしょうね。

子どもたちも同じです。
単純に語学が話せるなんてことでは意味がなくなります。
翻訳なら人工知能の方が
圧倒的に上手になるでしょう。

人間と人工知能の違いは何か?
人工知能ができないことは何か?

そこを見定めていくためにも
人工知能の発展を見つめていく必要がありそうです。



2017年6月25日日曜日

子どもは親に生きる意味を与えてくれる

日曜の朝はセブンイレブンで朝ごはん。

私はこのブリトーが好きです。
濃い目のコーヒーとブリトーがあれば大満足。


日曜の午後は娘がタイダンスを習っていて
母と出かけているので
息子と2人で公園に行きました。

目的はバドミントン。

暑さのためか近所の公園は完全に貸切状態です。

こうやってバドミントンをしていると
昔の記憶が蘇ってきます。

まだ小学校低学年のころだったかな。

バトミントンをやりたいと
頑張っていても
なかなかラケットに羽根が当たらず
何回も何回もサーブミスをして
イライラしていた姿。

手をもって打ち方を教えてあげてた記憶が
鮮明に蘇りました。


今では、私もポイントをとられるくらいまで
成長してくれました。
我が子の成長は嬉しいものです。


自分が生まれてきた意味なんて決まってはいませんが、
子どもたちは確実に
その生まれてきた意味の重要な1つを与えてくれているなと感じます。


いつか歯が立たなくなる日が来るんでしょうね。
楽しみなような、
まだまだ負けたくないような。

30分くらいで二人ともヘタってしまったので
無理せず終了。


帰りはセブンに行って、
氷を入れたコーラを買ってグイグイっと飲む。
乾ききった喉に心地よい刺激。

家に帰ってちょっと早めの夕方シャワー。
クーラーをつけて、
テレビを見ながらリラックス。


こんな何気ない午後も
気持ちが良く幸せを感じます。

バンコクの夕暮れの景色を目的もなく見る時間

バンコクの夕暮れ

塾のベランダで見るバンコクの夕暮れ

この時間帯の空が大好きです。


真っ青な晴天も気持ちが良いですが、
この時間帯の方が好きです。

ポジティブ過ぎて暑苦しいわけでもなく、
ネガティブ過ぎて重くもなく、
心地よい塩梅で人生に寄り添ってくれるような。


見ていると心がすーっと静かになっていきます。


全ての行動に目的が付きまとう日常の中、
目的も何もなく
ただぼんやりと一服しながら夕暮れを見る5分間。


目的がないって
すごく贅沢だなって感じます。

老後は海辺で目的もなくゆったりできたら
幸せだろうな
なんて考えつつ。

2017年6月24日土曜日

小林麻央さんの死が教えてくれたこと

小林麻央さんがお亡くなりになりましたね。
34歳という若さ。
しかも、小学校にも満たないお子様が2人。


とても心残りだったことでしょう。
そして、残されたご家族の方の心中、
これからの子どもたちのことなど考えると、
言葉にならない胸にこみ上げてくるものがありますね。


息を引き取る間際の言葉が
「愛している。」
という一言。


また、病中のブログや海老蔵さんの話からも
麻央さんが相手を愛する気持ちを純粋に
体現されていた方なんだということが伝わってきました。


自分は麻央さんの年令を越える40歳。


身内の死以外では、他人の死で
ここまで自分の死を意識したことは無かったです。


果たして自分は愛を子どもたちに伝えているのだろうか?

果たして自分は愛をもって子どもたちと接しているのだろうか?


そんなことが脳裏によぎります。


忙しさを言い訳にして、
また、手っ取り早く自分の要求を伝えるために
愛情の無い表現をしていたのではないか。


本当にまっすぐに子どもたちの声を
聞いていたのだろうか。


いろいろなことを思い出しながら
反省する部分も多々ありました。


自分に残された時間は
あと40年くらいと思っていましたが、
麻央さんの死を見ると、
40年残っている保証はないということを
改めて痛感しました。


日々を無駄に過ごすことなく
大切に生きること。

子供たちとの日々を大切にすること。


小林真央さんの死から
本当にいろいろと学びました。


ご冥福をお祈りします・・・

2017年6月23日金曜日

ブログを毎日のように書く理由



あっという間の週末。

外は晴天。
窓の外に見える青空と濃い緑が
心をスッキリとした気持ちにしてくれます。
人間って自然で生きる動物で
遺伝子に晴天は活動的になるようインプットされているのでしょうか。


1枚目では青空が見えずらかったんで
こちらの写真もアップ。

気持ちの良い色です。

木が多いコンドミニアムなので、
鳥たちのさえずりが常に聞こえています。

そして、必ず小さい鳥が
ベランダの木に止まりに来ます。


1日数回は止まりにくる鳥で、
2回ほど巣作りに挑戦し、
そのうち1回は雛が誕生したというほどの顔なじみ。
      巣を作ったときの記事が⇒こちら

食パンをカリカリに焼き、
インスタントコーヒーを入れて、
ネットニュースを見ながら朝食。


人生を重ねれば重ねるほど
月から金までの流れの全体像が
ほぼ正確に見えてきて、
速いなぁという感じがする。


でも、実際は正確には見えていなくて
全体のフレームだけが見えている状況。


できるだけブログをアップしようと思っていても
特に変わったことの無い1日だな
と書くことを渋ってしまう自分もいる。


それでも書こうと思っているのは、
昨日と同じ1日なんてありえない
ともっと強く意識をしたいから。

フレームは決まっていても
正確な中身は違っているという事実と
それを見つめる観察眼を鋭くする。


ブログにはそんな効果があるような気がしています。


さらに、自分が亡くなったとき、
身内の誰かが、
この文章などを読んで
父親が何を考えて生きていたかを
少しでも感じてくれたらなとも
ちょっぴりだけ思っています。


朝食を食べ終わったんで、
そろそろ気合いを入れて仕事をします! 


2017年6月22日木曜日

スターウォーズ エピソード1を見て師弟関係を学ぶ

スターウォーズ エピソード1/ファントム・メナス
を初めて通して観ました。


映画を見ながらも
40歳になると
自分と重ねる部分を見つけ、
自然と自分に得るものを探しながら見ている自分に気づきます。


この映画を見ていて私がどうしても
ここに書き記しておきたかったことがあります。


それは、師弟関係です。

ここではジェダイとシスの両方の師弟が登場していましたが、
ジェダイの方の師弟関係に
自分の境遇を重ねている自分に気づきました。


重ねる点は2つあります。
1つは父として
もう1つは教師として


40歳になる父親として、
私の立場はクワイ=ガン・ジンであるべきだ
という考えが浮かんできます。

父親として全てを託す相手は息子です。
娘に全て託すのは母親の役目だと考えています。


そこでまず自分に振り返るのは
そのクワイ=ガン・ジンの様な
師と成るに値する
存在になれているかということ。


40歳になり、自分の思想、考え方などが
若いころと比べて格段と成長していることは
自分自身でも主観から離れ、
客観的に理解することができます。


しかし、師弟関係における師のように
マスターとは言い切れず、
まだまだ途上であるとも理解しています。

その途上であっても、
自分の息子はどんどん年齢を重ねていきます。
だからこそ、
躊躇することなく、
今もっている自分のすべてを託すつもりで
接する必要があると再確認させられました。


師匠が弟子にすべてを託すように
自分がもっている人生観を
全て受け渡す作業をする必要があり、
そのためにはもっと正面から向き合うことが
大切なんだと考えました。

師としての覚悟、自覚です。


また、もう1つの教師として。


これも同じように
自分の教育的な技術をさらに磨きをかけ、
その技術をもっともっと
子どもたちにたくすべく
修行をしてもらう空間をつくっていかなければ
という思いが沸いてきました。

修行というと言葉が荒いですが、
TJとしての教育をしっかりと理解し、
また人生観をも高めてもらうという意味で
修行という言葉を使っています。

ただ来ていればいいという状態になるのではなく、
1人1人に真剣に向き合って、
弟子を育てるつもりで心を込めて接する必要がある
と再認識しました。

スターウォーズ エピソード1を
ちょっとした興味から見ましたが、
ここまでに自分に気づきをもたらしてくれるとは
全く思ってもいませんでした。


また一皮むけた気がしていて、
その思いを整理したくてブログに書きました。

では。

2017年6月21日水曜日

AKB総選挙での結婚宣言はダメだと思う件

自分はAKBには興味がないけど、
テレビやネットニュースを見ているので
ある程度の人並みの情報は知っています。


例えば、誰が脱退したとか、
誰が丸坊主にしたとか。


で、今回耳に飛び込んできたのが
総選挙での結婚宣言をした人がいたとか。


そのことについて
脱退したメンバーが厳しい言葉を
投げかけていて、
そのことに批判の声もあるようです。


でも、全く興味が無い自分も
断片的な情報を見る限り、
AKB総選挙での結婚宣言は
駄目だなって思います。


なぜ駄目だと思うか。


普通の仕事だったら、
就業時間は何時までと決まっていて、
それ以外の時間はプライベートだから
会社だろうがお客さんだろうが、
深入りする権利はありません。


でも、AKBを見ている限り、
そのプライベートの境界線が無い仕事なんだ
って思うんです。


例えば、恋愛禁止。
このルールを出したということは、
プライベートと仕事に
きっちりと境界線を引けない仕事だって
言っているようなもの。


嘘であれ、本当であれ、
プライベートも含めて
応援してくださいということですよね。

さらに、ツイッターやら
Facebookで、私生活も公表していて
それも総選挙などの人気をアップさせるために
からめているわけです。


そんなつもりは全くないんです。
仕事とは別のプライベートなんです。
とはならないはずです。


実際にファンとテレビに出ている以外の時間も
ネット上で交流しています。
ということは、
私生活もまるごと含めて
商品としてお客さんに提供している
ということです。


もちろん、その私生活がリアルでなくて、
偶像のように飾り立てたものであっても
良いわけです。
アイドルとはそういうものだから。


でも、プライベートを含めたかたちで
恋愛禁止までうたっている
グループに所属し、
その条件のもとでお客さんが
CDを買って投票をしているわけです。


それにもかかわらず、
その投票結果の場で、
実は結婚しますというのは、
ビックリマンチョコを購入後に
中を見てみたらドッキリマンチョコだった
というくらい違うようなもの。


ビックリマンやドッキリマンを知らない世代も
多くなってきているかな・・・^_^;


とにかく、
何らかの商品をネットの詳細記事を読んでから
購入したのに、
届いたら、詳細記事とは違う商品が届いたということです。


まぁ、さすがに批判されても
文句は言えない行為なのかなって思うんです。


私生活の偶像も含めて
商品として提供して、
それを判断材料にして
凄まじいお金を使った人もいるわけです。


買う方には買う自由、買わない自由があって、
どちらも自分で選べるんで、
その人が勝手に買ったんだ
と突き放すわけにはいかないはずです。


信じる方が悪いということも
少なからずあるのでしょうが、
でも、信じる人がいても
おかしくはないわけです。

むしろ信じてくれる人たちに
支えられているグループなのかもしれませんし。


個人的にAKBとか興味はないんだけど、
この程度のことくらいは
うっすら理解できます。


だからこそ、
結婚宣言はしたものの、
私生活も偶像であれ
パッケージで売っていたんだから
これからの私生活が
とっても大変なんだと思います。


結婚して脱退したんで
はい、さようなら。
というわけにはいかないでしょう。


もしかしたら
愛情から憎悪に変わってしまった人も
何人かはいてもおかしくはないのかな
という気がします。


AKBを運営している人たちは、
そのことも理解しているだろうから、
日常生活を警備する必要も出てくるんだろう
と思います。
いや、むしろ警備が必要でしょう。


テレビやネットニュースでの
断片的な情報のみで
考えたことを書いているので
全く見当違いのことかもしれないですが、
思ったことを書きました。


ではでは。

ネガティブを受け入れて「言い訳しない」という考え方

こうだったらよかったのに。


昔を振り返って後悔するような場面は
長く生きていればいるほど増えてくるもの。


自分も過去を振り返って
後悔することは多々あります。


例えば高校時代。


先生が見ていない隙に友達と授業を抜け出して、
学校から近い渋谷の街で遊んでいたこともありました。


当然、勉強の「べ」の字からも疎遠になり、
成績はがた落ち。


勉強ができないことにも慣れてしまうレベルで
さぼっていました。


それは大学受験だって思うようにいくわけがありません。


あの頃もっと勉強していれば・・・


なんてことを考えることはありましたが、
今では考え方は全く変わっています。


言い訳をしない。


人生から学んだ1つの哲学、
自分が大切にしている流儀なんです。


結局、過去を振り返って
ああだこうだ言っても
未来は変わらない。


また、変わらない未来は
過去についてああだこうだ言っているからだという
逆の考え方も正しい気がしています。


過去の自分をふりかえって
ああだこうだ言って日々を過ごすのは
ある程度で終わらせて、
次に考えるべきことに思考をうつす。


ある程度は考えるのが味噌。
完全に無視してポジティブってのはうそだから、
気持ちの消化不良を起こします。

まずはネガティブをネガティブで受け止めて消化する。


で、これからどうするの?
と思考を進める。


自分の場合だったら、
中学まではある程度クラスの中でも良い方でしたが
高校からはがた落ちした経験がある。


だったら大人になり、
気付いたときから頑張れば良い。
気付いた日が吉日。


そう考えて人一倍読書をするようになりました。
特に教師を志したときは、
教育学部に行っていなかったので、
教育学部の人には教育関係の読書量だけでも
負けたくはないと思い、ひたすら読んでいました。


教員採用試験の勉強だって
朝9時から夜7時まで図書館にこもって
約9か月間やりました。

人生は思い立った日が吉日。
そう思って今を過ごしています。


これからの人生はどうなるか。
それも今の自分次第。
ポジティブシンキングで楽しみに強引に
考えることもできますし、
ネガティブに不安になることもできます。

どっちでもいいんだと思っています。

今やるべきことをやる。

ポジティブであれ、
ネガティブであれ、
それしかないのかなって思う今日この頃です。

小川一樹
PS:再び髭月間です。
生えても生えても速攻で切られる髭の不屈の精神に敬意を表し。

2017年6月19日月曜日

心躍らせてくれるバンコクの市場/バンコク病院

バンコク病院にある市場
日本人に馴染みのあるバンコク病院から徒歩1分の場所に市場があります。

ときどき、休日のお昼ご飯を買いに行くことがある場所。

とっても活気があふれていて、
屋台の店員同士が大声で談笑しているところが
タイらしいところです。

上の写真では手前に椅子で携帯をいじっているおばちゃんに注目。
完全にリラックスしきった店員です。
呼ばれたらふりかえってくれ、
それまでは自分のしたいことをする。

実にタイらしいですw


今回は揚げた豚肉と鶏肉、もち米を購入。30B。
バンコク病院にある市場
B級グルメ特有の濃い味が
健康がどうの、栄養素がどうのなんて
細かい情報を吹っ飛ばして、
ただ美味しいという情報だけを体に届けてくれます。

バンコク病院にある市場
ついでにアイスコーヒーを注文。
25B。

ここのおばちゃんはとっても親切。

甘くないアイスコーヒーを!
と注文したら、こう聞き返してくれました。

少しだけ甘い?
全く甘くない?

よくあるのが
甘くないアイスコーヒーを頼んでも
店の基準で、結局めちゃくちゃ甘いから
甘いに変わっただけという店。

でも、ここは全く甘くなく、
ガツンと濃いアイスコーヒーを作ってくれました。
うれしいものです。

近代化がどんどん進むバンコクですが、
この様な市場が街角に残ってくれています。

10年以上タイに在住していても
この様なタイ情緒を感じさせてくれる市場は
いつでも心躍らせてくれます!

2017年6月17日土曜日

死をリアルに感じる芸能人の悲報

2017年も有名人の悲報を耳にする機会がありますね。


2017年の上半期で特に心に残っているのが、
藤村俊二さん、松方弘樹さん、野際陽子さんです。


また、心に残っているだけでなく、
どこか他人事のように流せず、
心にドスンと響くようなものがあります。


毎年、テレビなどで有名人の死去の知らせは
確実に目にしています。


自分がまだまだ年齢など気にすることのない
若い頃ならば、
その知らせはどこか自分とは
すごく距離感があり、
ちょっと他人事のような気がしていました。


その有名人の活躍する場面は
リアルタイムで目にすることはなく、
死去された後のテレビで流されるときに
はじめてみるということが多かったからでしょう。


でも、最近亡くなった方々は
自分がリアルタイムでテレビを通して
活躍されている場面を見ていた人たちです。


だからこそ、
亡くなられたときの重みが
今までとはずいぶんと違い、
死というものを遠い場所での他人事ではなく、
ふと通りを挟んだ近場で起きたような、
自分が本当に知っている人が亡くなった
という感じがするのです。


自分から感覚的に距離が近い人の死は、
40歳という人生の半分を生きた自分にとって
死というものが思った以上に身近に潜んでいるということを
実感させるものです。


死のことを考えるのは重すぎるから
避けられるなら避けたいなという思いもあります。


でも、避けていても
こうやってテレビを通して
リアルに感じる場面は
これからも増えてくることでしょう。


だからこそ、死から目を逸らしているより、
しっかり受け止めた上で、
日々を大切に生きた方が良いのかな
と思っています。


まだ2017年は半分。
縁起でもない話ですが、
残り半分はどのような悲報を耳にすることになるんでしょう・・・


2017年6月16日金曜日

タイで見かけるバイクのアイス屋台

バンコクの路上では、
こんな赤いバイクが走っているのを見かけます。
バイクのアイス屋台


あえて、タイを知らない人もこのブログを
読んでくださっているかもしれないので
「こんなバイク」って書きましたが、
タイに住んでいた方なら
よぉーくご存知だと思いますw


あの音楽。
たーららー
たーららー
たーららら♪

この音楽を流しながら走る
アイス販売のバイクです。

この音楽が耳から離れないんです。


タイでは道端で気軽に呼び止めて、
アイスを買うことができます。
バイクのアイス屋台

もちろんコンビニでも同じアイスは売っています。
でも、そこは暑いバンコクだからこそ
このバイク販売の価値が高まるんです。


ちょっとした道でこのアイス屋台に出会ったとき、
あ、アイス食べたいな。。。
って気持ちがギラギラ輝く太陽の元で
沸いてくるんです。

しかも、この耳に残る音楽が
条件反射のようにアイスを食べたくなる気持ちを
高めてくれるんです^_^;


1個20B以下という安さも
気軽に買いたくなる理由の一つです。


タイに住んでいた人は
懐かしいかなと思って写真に撮ってみました。

では。

2017年6月14日水曜日

全ての人に親切な人はすべての人に不親切だということ

すべての人に対して一様に親切な者は、
たいていはまた、
すべての人に対して一様に不親切である
 

参考文献


この言葉を知ったとき、
自分が大学のときに、
ある知人から言われたことを思い出しました。


「小川君って、
 みんなに優しいよね。
 それって八方美人でズルいんじゃないかな?」


その時は、言葉への深い理解ができるほど、
自分の中で整理できなかったんだけど、
歳を重ねるごとにこの言葉が強くなっりました。


普通、歳を重ねるごとに
記憶は薄れていくものだけど、
この言葉だけはずっと心の中に残り続けていました。


それだけ、自分が心のどこかで
自分自身に対して感じていたこと、
深海でゆうゆうと過ごしていた魔物に
ぐっと釣り針をひっかけられ、
海面へ引きずり出された感じがしたんです。


人に悪く見られたくない。
これはいつの頃からか
自分の中に芽生えて栄養を与えられ続けていた
価値観でした。


今はその原因となる出来事は
わかっています。
自分の中でわかっていたらいいんだと思います。


ただ、大学の頃に
そのことに自分で多少なりとも疑問を感じていて、
それを見事なタイミングで指摘されたものだから、
心に強いインパクトを与えたんだと思っています。


で、その魔物は、海面に出てきたお陰で
自分で解決することができました。


深海で潜んだままだったら、
長い年月をかけて
さらに強大な魔物に進化していたかもしれません。


上にあげた言葉も
親切心が自分のことを考えた上ではなくて、
相手のことだけを親身に考えているなら
いいんだと思います。


でも、その親切心が
人に嫌われたくないから、
人に良く思われたいから、
であるなら、すべての人に親切なのではなく、
完全な自己愛です。


自分だけを愛していて、
他の人を愛しているわけではないんだと思います。


この言葉を知って、
改めて懐かしい記憶が掘り起こされたんで
ちょっと書いてみました。

淡い思い出です。

写真は家の近くの赤い花をまとった木が
道を覆いきれいだったので♪

2017年6月13日火曜日

夫源病という夫が原因で妻がかかる病について

夫源病(ふげんびょう)
って言葉知っていますか?


先日テレビを見ていて
初めて知った言葉です。


文字面からして嫌な予感がしますが、
意味としては予想通り。

夫源病
夫が原因で妻が体調不良を起こす。
頭痛や動悸などの多岐にわたるそうです^_^;


夫源病


インタビューとして
街中の奥様方に
旦那さんへの不満を言ってもらっていました。
夫である自分としては
苦笑いしながら見ていました。


結婚10年ごろの奥さんは、
旦那さんが干した洗濯物がしわがあるので
2度手間だなど、
ちょっとした家事だったり、
時々見られる不満が多かったようです。


が!


結婚20年あたりの奥様の不満が恐るべしでした。


加齢臭が嫌・・・

おしっこの音が嫌・・・

などなど、
生活習慣のあたりまえの細かいことに
不満をもっているということ。
夫の存在の否定です。。。


もちろん番組の意図に沿った意見だけを
ピックアップしているんでしょうが、
聞いていて、渋柿を食べたような表情に
なってしまいます。

奥様方の早く旦那が死ねばいいのに
などという言葉が完全に他人事とは思えず。
いちろう立場は同じ夫なんで。


どうして、人生を共に歩む夫婦が
こんなになってしまうんでしょうね・・・


少しずれた歯車をそのままに放置した結果、
20年という時を経て、
完全に修復不可能なところまで来てしまったんでしょう。


加齢臭が嫌なんて・・・
もう一回書きますが、
これはもう夫としての存在の否定ですからね。
家にいてほしくないというレベルです。


また、番組であげていたキツイのが、
夫が定年退職した後だとのこと。


3つの嫌なことがあるそうです。

1)ワシも族
なんでも俺も俺もと着いてきたがる夫を
そう呼ぶそうです。

犬の散歩、買い物、
いちいちついてくるので
ウザイそうです・・・

2)家庭内管理職
仕事を頑張ってきたからか、
定年後、ずっと家にいると
今度は家の中を管理したがる夫を
そう呼ぶそうです。

ティッシュが空、
部屋の汚れなど、
細かく指摘してくることが
ウザイそうです。

3)昼食鬱
今までお昼は夫がいなかったから
軽い昼食で良かったのに、
定年後は
毎日お昼ご飯は何?
と聞いてきて、
がっつりつくらないといけなくなるのが
ウザイそうです・・・


旦那さんにも原因があるなって
番組を見ていて思いました。

飯、風呂、ビールなど、
奥さんを家政婦のごとく扱っていたら、
それは奥さんにも不満は溜まり、
やがて爆発するでしょうね。


テレビに出ている
妻たちはお金のために我慢している
とも言っていました。

なんとかお金のために
我慢してきたけど
定年後に毎日一緒にいることになり、
もう耐えられない!と噴火する
というパターンのようです。


夫源病なんて言葉とは無縁な夫婦でいられるよう
自分をふりかえろうと思いました^_^;

関連書籍
夫に死んでほしい妻たち


 



2017年6月12日月曜日

水を飲んだ人の死亡率100%!!


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『コップ1杯の水を飲んだ人が
200年以内に死亡する確率は?』

水を研究している某大学教授に上記の質問をぶつけたところ、
なんと、
「コップ一杯の水を飲んだ人は
200年以内に100%死亡する」
という衝撃の事実が判明!

教授に詳しく話を聞いてみると
「そんなの当たり前だ」とのこと。

たった1杯で確実に死に至らしめる悪魔の液体、
それが「水」なのである。
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これはネット上で偶然見かけた記事ですw


当たり前のことでも
書き方によって印象ってずいぶん変わるもんだな
と思ってUPしました。


例えばですが、
ニュースでコメンテータが出すクリップボード。

よくよく見てみると、
円グラフで政府不信任が48%なんて数字が書いてありながら、
円グラフのその他を同じ色にして、
あたかも80%近くが不信任なんだと
思わせるような報道をしていることもあります。


でも、印象操作なんてそんなもので、
何も考えずに聞いていると、
コメンテータの情報に踊らされている
なんてことがあるものです。


別のたとえですが、
抗菌効果99%のハサミ!
なんて書いてあっても、
ハサミを使ったあと、
何も触らない生活なんてありえないんで、
抗菌だろうが抗菌でなかろうが、
冷静に考えたら関係ないものです。


伝え方が9割なんて本がヒットしていましたが、
ヒットする理由は、9割は大げさだとしても、
伝え方によって人の印象は大きく
変化するということは事実だということ。


印象操作で惑わされない判断力を磨かなければ!
と思ったネットで見かけた記事でした。

では。

空手Armand open2017に参加

息子がArmand open2017に参加し、
男子9-11歳の形の部で2位
男子9-11歳の組手の部で優勝
という結果でした。
 

結果より良かったことが闘気の充実。
 

それが
組手の決勝戦の最後の1秒で裏回し蹴りで逆転に。
空手の醍醐味を本人も味わえたと思う。
 

全て僅差だったので
慢心せずに頑張ってもらいたい。
 

保護者の方、先輩、仲間の声援、
師範の熱い指導にも感謝です。
写真は桜専属プロカメラマン
ヒロトパパにたくさん撮ってもらいました。
感謝<(_ _)>
 

空手の試合を通して
毎回思うことは、
全力を尽くしたかどうかにポイントをおきたいということ。


結果が良ければ、
親に褒められ、
結果が悪ければ、
親が落ち込むという
結果主義にはならないように気を付けたいと
思っている。


結果は審判によって、ルールによって、
相手によって、変わってくる。


でも、全力を尽くせたかどうかは
変わらない。自分でコントロール可能なこと。

そこに集中して、
練習、試合に臨んでもらいたいと思う。


PS:
空手は勝ち負けがある競技。
誰もが1位を目指して、
涙を流して年月を過ごす。
 
最後の表彰台になぜか1位でない人を
乗せるというタイ人の忖度には疑問。

ひどいのは
前のカテゴリの表彰台は
全員1位に乗って写真を撮っていました。

誰が1位かわからない状態。
むしろ1位の子が押しやられるように・・・

空手は負けを受け入れることも学び。
悪い平等主義だと思う。

2017年6月9日金曜日

子どもの人生を奪う親

最近テレビを見ていたら、
国立の有名難関大学に合格させるために
親がしてきたことを紹介した番組があった。


そこに出ていた国立の超難関大学に合格した
という学生を見ていると
その大学の価値をのぞいて
何が残っているのだろう?
と思ってしまうほど、社会で必要な力を
身に着けずに生きてきたことが伝わってきた。


親は自慢顔で子どものことを語っている人が多かった。


人生は何が起こるかわからないから、
断定はできないことだという前提条件はおいておいて、
単純に感想だけ話したいと思う。


親は自分の人生を自由に歩んできたんだから
子どもの人生を自分のものにしようとしてはいけない
と感じた。


子どもの幸せを思ってという建前があるんだろうけど、
子どもの幸せは、子どもが決めるべきだと思う。


小さなころから、
親の正しいと思ったレールの上を歩むように
強制的であれ、誘導的であれ、
歩まされた子どもたちは
親の言うことは絶対だから疑問を持たずに
歩んでくれる。


だからこそ、反抗するようなこともなく、
従順に親の言う学歴という価値観を信じ込んで、
いや、信じるとか信じないとかの問題ではなく、
無思考で学歴街道をまっしぐらに歩む。


その結果として、
社会性を身に着けることなく
20歳近くまで歩いてしまう学生を作り出してしまう。


テレビで放送されるとわかっているのに
恋人はまずはアニメから
なんて真顔で答えている我が子を見ながら
にやにやしている親。


20歳近くなってそんなことを言う我が子を見て、
自分の子育てについて
疑問を感じないのか?と思ってしまう。


もちろん、そのような人たちにも
社会の受け皿があって、
官僚だったり、弁護士、医師、政治家など
高収入の仕事につくことができる。


でも、親の価値観に従って歩き、
そのような仕事で、
とりあえず安泰に生きることができる人は
限られていて、
限られた人たちしかテレビの中には出てこない。


その他大勢がどうなっているかなんて
誰も知らないのに、
親はその限られた情報だったり、
自分が高学歴で、自分の親から同じような価値観で
教育をされてきたからと言って
子どもの人生までコントロールしようとする。


それは自分の目の前の食事を平らげたのに、
勝手に隣のテーブルの食事までオーダーして、
自分で食べてしまうような行為に見える。
ちょっと食欲旺盛過ぎないかと思うんです。



1人1人自分の人生は一回だけ持っている。
自分の人生を生きればいいわけで、
子どもの人生にまで自分の人生を投影して
奪う権利はない。


子どもの人生に介入し過ぎる親が
自慢げに自分のしてきたことを語るのを見て、
とても悲しい気持ちになったので
とりあえずブログに書いて発散しました。

最後まで憤りに付き合って読んでいただいた方、
ありがとうございます。
・・・はぁ。ため息。

2017年6月8日木曜日

睡眠時間はいつか自分の体に大きな不具合となって現れる

当たり前なことですが、
睡眠時間は大切だということを
忘れたころに思い出します。


いろいろやりたいことがあって、
寝る時間が遅くなればなるほど、
次の日の頭の回転が鈍くなっていることに
敏感に気が付きます。


ルーティーンをこなすような仕事をしていたときは
あまり気にせず仕事ができましたが、
今は本を読んだり、問題を解いたり、
メールを返信したりと頭を使うことが多いので、
そのようなときに眠気でぼーっとしていることに
敏感に気が付くと同時に強い影響を受けます。


でも、昔から寝不足のときは
きっとぼーっとしていたのでしょう。
気が付かなかったか無視できただけ。


ぼーっとしていると
確実に活動の密度が薄くなります。


テレビをぼーっとみているレベルでは
自分の活動の密度が薄くなっていることには
気が付かずに過ごすことができるでしょう。


でも、本を読んだり深く物事を考えたりしているときに
頭のキレが悪くなっていることを痛感します。


工場の機械は
メンテナンスをせずに使い続けると
必ず不具合が生じる日がきます。


しかも大きな不具合となって。


日頃から丁寧に点検をし、
こまめに油を指すなどメンテナンスをしていると
大きな不具合もなく使い続けることができます。

脳もそれと同じ。

睡眠不足のまま酷使していると
いつか大きな不具合になって
自分に襲いかかってくることでしょう。


知的な活動をしていないと
脳からの信号、悲鳴のようなシグナルに
気付きにくく、そのまま放置してしまいがち。


仕事柄、頭を使うことが多いので、
シグナルを敏感に受け取ることができます。


が、脳から受け取った休め!のシグナルを
無視しながら活動しなければならないのも
現実の日々。


だからこそ、無視しなくて済むように
睡眠時間を確保するために
日常生活をチェックする必要があるんだと思います。


寝る前になってやりたいことが出てきたとします。

では、そのやりたいこと20分をするための
朝から今まで時間がなかったのか?
と確認すると、必ず無駄な時間がたくさんあったはずです。


だからこそ、寝る前に気づくのではなく
朝から「おしながき」を書いて、
何をしたいのかを自分で明確にしておいて
1日をスタートすることが大事だなって思います。
     ⇒「おしながき」についての記事


睡眠不足で活動し続けることは、
いつか大きな身体の不具合として現れ、
後悔というかたちで対価を受け取ることに
なるんでしょうね。


日々、睡眠不足には
十分に気を付けようと思います。

2017年6月7日水曜日

ぎっしり詰まった1日の計画はヒラメキを奪う。

昨日、ルーティーンを回して
一週間を生活してみると書きました。
  ⇒昨日の仮決定したルーティーンの話


さっそくルーティーンを回すことで、
生活の無駄がかなり減りました。


次に何をするかが
しっかり定まっているから、
余計なことに気を奪われず、
行動がクリアになります。


でも、こうやってブログを書くことを
出来る限り忘れないようにしているし、
時間を割こうと思っています。


なぜ、一見無駄に思えるブログを書くような
余白の時間をとる必要があるのか。


一休さんが瞑想をしているときに
「ひらめいた!」という場面を
アニメなどで見たことありますか?
一休さんのヒラメキ


お風呂に入っていたときに
何か思い出すこともありますよね?
トイレとか。


探偵さんがタバコを吸っているときに
何かヒントになることを思い出す
なんて昔のドラマにもありました。


予定がぎっしり詰まり過ぎていると
大切なヒラメキのようなものが
失われてしまう危険がある。


だからこそ、
あえてこんなふうに
肩の力を抜いてブログを書いてみたり、
ネットニュースを見ながら、
思考を自由に遊ばせたりする時間
とるようにしているんです。


さぼりの言い訳を探している・・・
なんて言えるかもしれませんが、
意識的にさぼっているということです^_^;


電波時計が電波をとらえて、
すーっと時間を合わせるような
余白の時間です。


が、ミイラとりがミイラになるなんてことも
防ぐ必要があるんで、
肩の力を抜く時間も30分ぐらいと
制限してルーティーンの中に取り入れていこうと思います。


そしてひらめいたことを
次のルーティーンに組み込めるように
計画を修正していこうと思います。


そんなことを考えているうちに
次のルーティーンであるタイ語の音読へ。

2017年6月6日火曜日

未来を良く変えるための1日のルーティーンを仮決定。


午前中の時間があっという間に過ぎている
という感覚があり、
うかうかしていると
どんどん時間が流れていってしまう。


だからこそ、今月の目標を決めた。
この4冊の本を午前中のルーティーンとしてやる。


インスタントコーヒーをお供に、
ネットニュース、メールの確認と返信。

植物に水をあげ、
魚に餌をあげる。


算数の応用問題。
国語の勉強。


終わったらタイ語の音読。
そして、教育関係の読書。


このルーティンがうまく回るか
まだわからないけど
とりあえず、今日は回った。


今週試してみて、
うまくいくかいかないかで
若干の調整してみようと思う。


こうやって、
緊急な仕事以外のことを
必ず入れることが
未来を良い方向に変えてくれると信じている。


仕事に関係することを
ただこなしているだけでは、
今の人生の未来は想像したままになる。


想像以上の未来に変えるためには
今日という日を変えること。


しっかりルーティーンを回していこうと思う。

2017年6月5日月曜日

人生は早いからこそ朝の「おしながき」が効果的だということ


毎週毎週思うことは
「1週間が過ぎるのが、
 いや、月曜がやってくるのが、
 いや、金曜がやってくるのが、
 いや、土曜が終わるのが、日曜が終わるのが、・・・」

早いなぁ。

ということ。


毎週思っているということは、
これからもずっと思い続けていくこと確定です^_^;


1週間の単位から1日の単位に目を移すと、
いつも思うのが、
午前中終わるの早いなぁ。


毎日、
早いなぁ
と思っているわけです。


だからこそ、大切にしなければ
と思っていることが、
何をしたいのかをはっきりさせ、
それをしっかりスケジューリングすること。


スケジューリングといっても
大したことはしていなくて、
昔やっていた料理の鉄人の
道場六三郎さんのごとく、
机の上に今日のおしながきを書いているだけです。


一つ終わるごとに
赤で線を引いて消す。

たったこれだけの作業でも
午前中何してたっけ?
といったぽわーんとした状態ではなくなる。


少しだけ大切なことは、
日々のやらなければならないことだけを
おしながきにせず、
何か1つでも今はやらなければならないことではないけど、
将来のために、やっておきたいことを
入れるということ。


ここが味噌だと思っています。


そんなことを考えていたら
午前中が終わりそうだ。


さて、昼食買うついでに、
読書をしに喫茶店に向かう時間。

この喫茶店での読書は
まさにやらなければならないこと
ではなく、
将来の自分の変化のために
やりたいこと
です。

こうして午前中が過ぎていくのでした。

早いなぁ。

2017年6月2日金曜日

できない理由ばかり探す人は本気では無い。

石田えりさん(56)が、ライザップに挑戦して、
20代のころのプロポーションを取り戻した
という内容のテレビ番組を見ました。

                 ライザップCMより


番組内では、街の同世代の女性たちにインタビューしていました。


このインタビューを聞いていると、
勉強が苦手な子どもたちと同じだなと感じました。



できない理由ばかり探す。



同世代の同性の石田さんへの憧れを述べつつ、
自分も石田さんみたいにやろうという意思はそこにはないんですよね。


私には石田えりさんみたいなことは無理だという前提
無理な理由をひたすら述べる



もし、本気で石田さんのようになりたかったら
自分の言葉は180度変わって前向きな言葉になるはずです。



なかなか贅肉が落ちなくて・・・
午後にちょっとだけ食べてしまって・・・



どこか他人事のように自分の行動を客観的に述べている限り、
自分を変えることは不可能でしょうね。



自分の行動は自分でコントロールできる。



コントロールできるはずなのに、
他人事のように
「贅肉が落ちなくて・・・」
なんて言っているということは、
結局のところは、私は今のままで構いませんという
思いがあるんでしょうね。


辛いダイエットをするくらいなら
今のままの方が楽だということを
本人は無意識なのかもしれないけど選んでいることになります。


本気で変わりたいと思ったら、
日々の行動が少しずつ変わってくるはずです。




「贅肉が落ちなくて・・・」

ではなくて、

「贅肉を落とす!」


という自分は無理だという思いを捨てて
自分の思いをしっかりと掘り下げること。



今の自分を変えたければ、
昔の自分を見つめてできない理由を探すのではなく、
今どうしたいか?という心の声を大切にする。


そんなことを感じた一場面でした。

マイケルJフォックス好きなら必ず読むべき本「ラッキーマン」

昔むかし、古本屋で見つけて買って
読んでいない本というものが
本棚に溜まっています。


その中の1つに
私の大好きな映画
「バックトゥーザフューチャー」の主役
マイケルJフォックスの自伝
ラッキーマン」がありました。
ラッキーマン


パーキンソン病という難病にかかり、
見た目ではとっても大変そうで、
ラッキーとは離れた場所に
自分というものをとらえてもおかしくはないはず。


にも関わらず、
マイケルJフォックスの自伝の題名は
ラッキーマン


もともとマイケルJフォックスのことは
好きだったんで、
タイトルが違うものでも
もちろん買っていたんですが、
タイトルにも惹かれて買いました。


仕事から帰り、
ささっと着替えなどを済まして息子と雑談。
息子が寝るとき、一緒に布団に行く。


そこで20分くらいの読書タイム。
ここでの読書は仕事とは関係ないものにしようと
決めている。


そして今、
ラッキーマンの3分の1を読んでいるところです。


率直な感想は
読む前に想像していた3倍は面白い!


俳優が書く本なんで、
淡々と時系列に自分史にちょっと
独自の考えなどが書いてあるのかな?
と思って読み始めました。


が、
マイケルJフォックスの書く文章は、
内面がかなり掘り下げられているんです。


彼がこんなことを考えながら、
スターダムを上がっていったんだという
人間味あふれる細かい細かい自己分析が中心となった
人間の厚みを感じる内容です!


今ちょうどバックトゥーザフューチャーの
主演になる経緯や、
ファミリータイズというドラマとの
同時進行の撮影で、
心身ともにぐったりしている場面。
その描写が細かくて、
本当に苦労が伝わってきます。


そんなぐったりの状態で望んだ演技だから、
当初バックトゥザフューチャーは、
自信がなかったそうです。
そんな、普通知ることができない裏側の心理。


早く続きが読みたい・・・
1日の終わりに面白い読書が待っている幸せ。


たった20分でも仕事とか
自分のためとか関係ない読書は
人生の幅を広げてくれる気がしています。
だから心から寝る前読書をおすすめします!


ぜひ、マイケルJフォックスが好きな方は
ラッキーマン、ぜひ読んでみてください☆


追記:
読破しました。
読後の感想について
【人生観を揺さぶる1冊】マイケルJフォックスのラッキーマン


2017年6月1日木曜日

忙しいときこそ顔をあげて進むべき方向を確かめる。


月末から月初めにかけて、
ちょっと事務的な仕事が多くなる。


日々がやらなければならない仕事で
埋まっていて、
例えるなら一生懸命に自転車のペダルをこいでいる状態。


下を見て、ただただ足を速く回転させることに
最大限集中する。


でも、これだけではいけないこともわかっています。


自転車は、顔をあげて
方向をしっかり定めていないと
間違った方向にも進んでいってしまうということ。


ここが人生では大切なことだと
常に思っているので、
どんなに忙しくても
できる限りこうやってブログを書くという
ちょっと自分から離れるような作業をしています。


どんなに忙しくても
毎日喫茶店に行き、
2、30分は読書をするようにしています。


この読書があるから
自転車のハンドルの向きを変えたり、
地図を見て目的地を確認したり
することができるんだと感じています。


そうやって毎日が過ぎていく。


自分はどこに向かいたいのか。
ここを忘れずに。


余談----------------------------------------------
今週は2回もベットではなく床で寝てしまいました。
1回目はちょっと横になるつもりが朝に。

2回目は夜に腹痛と嘔吐で1時間くらい
床で倒れ込んでいたら寝付いていました^_^;

疲れが溜まっている証拠。
身体を大切にしなければ。