2017年3月31日金曜日

自由に生きるということ

いつも行く喫茶店があるスーパーの前で、
いつも見かけない犬。

白い犬は可愛く見える。
なんか純粋な感じがするからかな。


どこか遠くを見ている姿を
ふと写真に撮りたくなりました。


これもふと撮りたくなって、
胸ポケットに入れているスマホで。


学校帰りにお父さんのバイクの後ろで
何かドリンク片手で笑顔で談笑。


日本人学校の登下校ではありえません。
でも、私はこの自由さは好きです。


二つの写真に共通していることが
「自由」


自分が写真を撮りたくなるときは、
自由を感じていることが多いみたいです。


不自由な生活をしているから自由に憧れているのか。
自由な生活をしているから自由に共感するのか。


どちらかというと、
自由っていいですよね?
と誰かに共感してもらいたいからかもしれません。


そんなのあたりまえじゃないか。
と言われそうですが、
周りをみていると、当たり前では
ないんじゃないかな。


自分は、嫌いな場所から逃げるようにして、
また好きな場所に近づくようにして、
気が付いたら、かなり自由を手にしている気がします。


別に自由な生活が何かって定義があるわけじゃないですが、
周りとの比較をして
あっ、自分ってけっこう自由なんじゃないかな?
と感じてはいます。


人は完全に自由に生きることは不可能なことは
十分に承知しています。

でも、あまりにも不自由に生きている人が
多過ぎるんじゃないかな。


それも、勝手に自分で自分に規制をかけて。
さらに、見えない世間一般の声を気にし過ぎて、
あえて不自由な方に不自由な方に歩まなければ
ならないと思い込ませたのは何なんだろうかと。


親世代の大人たちでしょうか。
教師でしょうか。
友達なんだろうか。
それとも何となくの雰囲気なんだろうか。


不自由な自分に対して、
どこか諦めたように達観して生きるのは、
もったいないって思うんです。


完全な自由は手に入らないだろうけど、
自分で選んだ道は、
自由と呼べる道だと感じる。


大人だってまだまだ人生は終わっていないから、
自分が求める道に進めば自由。

子どもたちには、世間一般的な正解そうな道を
進むのではなく、
自分で考えて、生き方を決めれば自由。

自分で自分の道を選び、
自由に生きる人が
増えたらいいなと思います。

他人に迷惑をかけすぎない範囲で。

2017年3月30日木曜日

学歴社会の弊害 / 高学歴の議員を見て

ニュース

ニュースに出てくる議員を見ていて、
どうしてそんな非道徳的な言動をするのかな?
と疑問に思うことがあった。


で、たどり着いた答えの1つが、
学歴重視社会の弊害なのかなっていうこと。


たいてい、非道徳的な発言をしている
議員の学歴を調べてみると、
最難関と言われるような大学ばかり。


もし、学歴が高い人が頭が良いならば、
こんな結果にはならないはず。


どうも「学歴=頭が良い」では無さそうです。


最難関に合格するためには、
多大なる時間を犠牲にする必要があったはず。


遊びの時間を削り、
先生や親の指示を忠実に守り、
言われたことを真面目にやり続けた結果として
合格を勝ち取った人が多いのだろう。


もちろん、しっかり自分で考えて、
努力した人もいるので、
全員一括りにするつもりはありません。
ただ、話がややこしくなるんで、
そのような人はのぞいて話しています。


学歴社会では、
忠実に知識を覚えることが重視されていて、
しかも量は莫大。


相当な時間をかける必要があって、
平日だけでなく土日まで塾に行っている子もいるくらい。


人間としての土台が緩いまま、知識ばかりが肥大して
大人になってしまっている人が多いんだと思います。


その結果として、
人間としての土台が緩いから、
高学歴である議員さんたちを
高学歴でない人が見ても
あからさまに「おかしい!」と
判断できるようなことをしてしまうんだと思います。


人間として大切なことを
置き去りにしたまま、
知識ばかりを増やしてきた。

自ら考えることを放棄して、
権力者から言われるままのことを
真面目にこなしてきた。


高学歴ではあっても、
人間として素晴らしいか、
頭が良いかと言えば、
ニュースを見れば、
結果は明らかなんだと思います。



それをしっかりわかっている人が
知識だけではダメだと考えて、
偏らない教育した結果として
高学歴を手に入れたなら素晴らしいことです。


でも、今のところ、
間違った方向に進んでいる人が
多いんじゃないかなって思うんです。


ブラック企業が悪いと言われる中、
リポDジュニアを飲んで
放課後だけでなく、
土日も頑張る子には罪はありません。


こんなにたくさんのヒントが回りにあるのに
それを見つめることなく、
学歴だけを人生の最大目標のように
推し進める大人に罪があるんだと思います。


本当の頭の良さって何なのか。
そこを見据えて子どもを育てないと。

高学歴が悪いと言っているわけじゃないんです。

みなさんはどう思いますか?

2017年3月29日水曜日

人工知能を人間の脳と融合させる未来は近い!


ちょっと夢物語のような話ですが、
自動運転の車で有名なテスラの社長イーロンマスクさんが
話していたことです。

この人はアイロンマンのモデルにもなった
有名な人です。


人工知能と脳を融合させることを
目的とした企業を作るということです。



かつて、人工知能の進化のスピードを
かなり近いところで見ているマスク氏が、
人工知能は人類の脅威になりうるということを
発言していました。

しかも5年~10年以内に脅威になるだろう
とも予測していました。


人工知能が人間の脳を越える
というのは夢物語ではなく、
本当に目の前に迫っています。


私たちが考える、
あのカクカクした動きのロボットではなく、
本当に人間の脳を越える人工知能です。

有名な2045年問題とは、
マイクロチップの性能が
単純に人間の脳細胞の数を越えることで、
その後を想定できない問題です。


人間の脳を越えるんだから、
人間が想像できないのは当然です。

人間の脳レベルで考える以上のことを
人工知能がするわけですから。


例えば、人工知能が、
自分たちの命を滅ぼす可能性があるのは
人間だけだと判断する可能性だって
0ではありません。


電源切れば的なレベルの話ではありません。
今では太陽電池も相当なレベルまで上がっていますし、
体温から電源を供給できる時計まで発売される時代です。


人工知能は実体がないんで、
全てのネット接続している電子機器の中で
アメーバ―的に生存できる存在でしょう。


強制終了を組み込んでおけば?
なんて話も無駄で、
人間の知能を越えた瞬間、
人工知能は余裕で解除できるでしょう。


火星に逃げれば・・・
人類が火星に行けるなら、
人工知能搭載のマシンなら
余裕で火星に行けるでしょう。


人間は人工知能から離れることは
不可能になります。


そこで、私も昔は
自分の脳に人工知能を入れて、
脳そのものをパワーアップさせるしかないのでは?
と考えていました。


でも、そこで想像できる恐怖が、
脳に組み込んだ人工知能が暴走して、
脳をハックするということです。


もしくは、自分が人工知能に操作されている
ことすら気づかずに生活している
という恐怖です。


脳が主で、人工知能が副なんて
関係が永遠に保たれるなんて保証はないでしょうから。


その危険性が無くなったとき、
さらに怖いのが脳の格差です。


変に倫理を訴えかける人たちと
脳を進化させた人たちとの間に
圧倒的な能力の開きができてしまうことです。


その状態を影で善しとする為政者が出てきたら
大変な格差社会になることだってありえます。


人工知能と人間の脳を融合するなら、
確実に安全性を確保して、
全人類が同時期に行う必要があります。


しかし、さっき述べた通り、
人工知能を脳に入れるということは、
ハッキングされる恐れが常にあるということ。


夢物語のような話をしてきましたが、
昔、私がこれを知人に話したときは、
たしかに夢物語でした。


が、今は技術的にもう目の前です。
夢ではなく、現実と考えた方が
正しい考え方でしょう。


人工知能は
IQ200の天才なんてレベルではなくて
IQ何万、何億というレベルらしいです。


勝ち負けの話をするなら、
どう考えても人間は完全に負けです。


人工知能と友好関係を築くか、
支配されるかの2択しか道は無さそうです。


開発を止めることはできません。
科学者は必ずやり遂げるでしょう。
それが生甲斐だからです。


融合・・・
ちょっと怖いですが、
人類が人工知能から家畜のように扱われるのではなく、
尊厳をもった状態で生き残るためには
避けられないかもしれませんね。


今は2017年だから、
あと約25年後です。


怖いですが、
この人工知能が人間を越える年に
立ち会える可能性が高いことに
すごい喜びがあります。


どう考えたって、人類史上
最大の出来事でしょうから。
人間を越える存在を自らで創りだすっていうことは。


どんなことが起こってしまうんだろう・・・


関連する記事
通訳・翻訳という仕事は、なくなってしまうのか?

2017年3月28日火曜日

仕事にプロとしてのこだわりをもつこと/情熱大陸/吉田綱太郎


情熱大陸を見ていたら、
吉田鋼太郎さんが出演されていました。


そのテレビの一場面でしたが、
どうしても違和感があったんです。


吉田綱太郎さんが、
テレビドラマのリハーサルの際に、
セリフを少し勝手に変えて
アドリブを含めて演技をしていた場面です。


大御所俳優なので、
この様にアドリブを入れつつ、
セリフを崩しつつ、
迫真の演技をすることは、
素晴らしいことなのかもしれません。


でも、これを若手がやったらどうなるんでしょうか。
きっとカットがかかって、
やり直しになるんじゃないでしょうか。


どうして若手だとカットが入って
やり直しになるかと言えば、
脚本のセリフを勝手に変えるな!
ということでしょう。


若手ではダメで大御所ならOKなのか。
そんなレベルで脚本家は仕事をしているのかな?
ということが気になったんです。


脚本家は言葉のプロフェッショナルで、
そのセリフ一行を書くにも、
何パターンの言葉の中から吟味している
可能性があるはずですし、
その様な人が生き残っているんだと思います。
その様な人が生き残るべきだと思います。


有名な脚本家であればあるほど、
そのセリフには魂を入れて作っているはずです。


大御所がその場の雰囲気でアドリブを入れるのも
プロの成せる技であるなら、
脚本家のセリフの1行もプロの成せる技。


プロ同士なら、
ここで戦いが起こるのが自然なんじゃないでしょうか。


脚本家がプロであるなら、
戦いが起きるほどの言葉の吟味をしているべきで、
ここで吉田綱太郎さんに「待った!」をかけてほしいという
思いが沸いてきたのです。


大御所のアドリブを
すごい!なんて流すんじゃなくて、
「このセリフはこのセリフの通りでお願いします。
 言葉を吟味した意図があるんです。」
と言える仕事がプロなんじゃないかな
と思うんです。


まったく素人意見ですし、
切り取られた30分の放送の中の
極一場面だけを見ての感想です。


では、自分は教育者として
言葉や指導を吟味しているのか。


ただ、脚本家批判をしたいんじゃなく、
結局はここに思考が立ち返るわけです。


プロとしてのこだわりを発揮できているのか?
と自分に問いかける場面でもあったわけです。


この様にテレビを観ていても、
自分の教育という仕事なら
どうなるのだろうか?
という思考は完全に自分の一部となっていて、
常にいろいろな情報が自分に問いかけてくれます。


日常生活が仕事と切り離せることはなく、
日常生活=仕事
という限りなくあいまいな「=」が成り立つ状態です。


昔の社会人をしている自分なら、
仕事とプライベートは「=」で結びつくことはなかったでしょう。


できる限りプライベートに仕事は持ち込みたくない
という意識でいたと思います。

でも、今は仕事とプライベートは
全く切り離せない状態であり、
それがマイナスではなく、生きることであると
納得している状態です。


だからこそ、
情熱大陸を見ていても
多くの学びがあり、
ただぼけーっとテレビを観ることは
あまりないです。


バラエティですら、
そのような学びの視点を
心の中に残しつつ見ています。


今回の吉田綱太郎さんのアドリブも
私にプロの仕事としてのこだわりをもっているのか?
と自問自答するチャンスをくれました。


プロの脚本家がセリフ1行にこだわりをもつがごとく、
自分も指導のすべてにこだわりをもって
仕事がしたいと改めて思いました。

2017年3月27日月曜日

タイの田舎で生活して得た大切な気づき。

タイの田舎の果物屋台

1泊2日だけタイの田舎で過ごして、
いろいろ考えることがありました。


こっちで出会う人たちは
収入の純粋な数値としては、
自分たちよりずっと下でしょう。


でも、幸せを数値化したら、
上なんじゃないかな。。。


その事実を目の前にして
認めたくない気持ちもあり、
でも、屈託のない笑顔を見ていると
幸せさって人と比べるものではないけど、
もしかしたら・・・という思いがよぎります。


タイの田舎ぐらしにも
少し憧れを抱きます。


でも、「タイの田舎暮らしは嫌だな」と思う、
都会にどっぷり染まった自分もいます。
嫌だと思うことは何か?

自由に買い物できない。
娯楽施設が少ない。

・・・。

いろいろ嫌なことがあるだろうと
書こうと思ったけど、
あまり思いつかない・・・。


あれ?おかしいな。。。
確かに田舎にいたときは
こう思ったはず。

「タイの田舎暮らしは、
 人々は幸せそうだけど、
     個人的には嫌だな」と。

でも、振り返ってみると、
そんなに嫌じゃないかも。
心のどこかでは憧れているのかもしれない。

田舎で生活すれば
収入は確実に減るでしょう。
でも、支出も減るから、
生活は普通にできるんだろうな。


テレビを観ずに静かに虫の音を聞きながら
読書すること。


何かに追われることなく、
子どもたちと対面すること。
自分の心とも対面すること。

お金では買うことのできない
心の余裕を、タイの田舎では感じることができました。
タイの田舎の夕日


自分にとって幸せって何だろう。

家族にとって幸せって何だろう。


今まで考えていた幸せっていうのは、
世間一般的にこうだろうというレベルのもので、
自分の心の底から湧いてきたものでは
なかったのかもしれない。


このタイの田舎での短い生活は
自分の心の価値観を揺さぶる大きなものでした。


タイの田舎での生活に
確かに惹かれている自分がいました。


無駄な時間の大切さも
気付かせてもらいました。
昨日の田舎の
布団の上で書いた記事⇒無駄な時間こそ、本当に大切な時間


40歳を手前にして、
40歳は大きな価値観の転換期になるのかも。


そんなことも考えていました。
また、バンコクで日常生活がスタートし、
そんなことを考える余裕がないかもしれません。


が、一度、外からの情報ではなくて、
自分の内側から湧き起った声は
消えることなく、何かの力を持ち続けることでしょう。


その力がこれからの生活と
どう融合して新しい価値観を生み出していくか
楽しみでもあります。


また、何か生み出すことがあれば、
ここに書こうと思います。

2017年3月26日日曜日

自分にとって本当に大切な時間の使い方は無駄の中にある


外で鈴虫の音が響いている。
今、タイの田舎にいます。

タイの田舎の屋台


そこでまさに今感じているのが
自分は本当の時間の使い方が
下手なんじゃないか?
ということです。


都会の日々は次々と押し寄せる情報の流れに
首を突っ込む必要もないのに、
さも必要そうに突っ込んで、
「無駄な時間」を出来る限りなくそうとしていた。


が、タイの田舎に来てみると、
このなくそうと必死になっていた
「無駄な時間」がたっぷりできる。


すると一気に退屈になって、
携帯のネットの先にある
「都会」とつながろうとしてしまう。


でも、今回の田舎での生活では、
携帯のバッテリーの調子が悪く、
そう頻繁に携帯を使えなかった。


すると「無駄な時間」が
できてしまう焦りのようなもの
心のどこかに生じてくる。


でも、その焦りが通り過ぎるとある思いが生まれました。


「自分は時間を使っていたようで、
使わされていただけだったのかも」


今までの時間の使い方は、
押し寄せる情報の波に流され
時間を消費していただけだったような・・・。


そんな思いがふと頭をよぎり、
この思いを忘れないように夜な夜な携帯からブログを書いています。


今、窓の外では
鈴虫の声が聞こえてきます。
時折、とかげの鳴き声も。


何もするわけでもなく、
虫の音にただ耳を傾けることだって
決して無駄な時間の使い方ではありません。


今は心からそう感じています。


家族は寝静まったので、
この虫の音をBGMにして、
仕事と関係のない趣味の読書を
何かを得ようとすることなく、
ただただ読もうと思います。


無駄のあふれた贅沢な時間の使い方こそ
自分に大切な本当の時間の使い方だな。

2017年3月25日土曜日

年を重ねただけで人は老いない!! / 岡村隆史さんのダンスへの情熱

ナイナイの岡村隆史さんのチャレンジ動画。

ネット上でタイトルを見かけた途端、
自分は当然見るという判断。

というのも、自分は、どっぷりめちゃイケ世代なんです。

岡村さんが、ジャニーズジュニアに交じって
ハードなダンスをしたり、
エグザイルのコンサートで全てのソロパートダンスを
踊りまくった姿に感動を覚えていたんで、速攻で観ました。


短い動画ですが、その短さ以上に
自分も心に熱いものを与えてくれました。



どうでしたか?
何か心が動きませんでした?
若い人はあんま動かないのかもしれないけど、
せめて自分と同世代以上の人は、
心がわさわさってなっていてほしいなぁ。

人生は終わっていない
まだまだ終わっていない。


そう改めて成長へのエネルギーをもらえた、
もらえたというか、
自分の中にあったエネルギーを再確認させてもらった
といった感じがあります。


サミュエルの有名な言葉であり、
もちろん自分も好きな言葉があります。

----------------------------------
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失う時に初めて老いがくる
歳月は皮膚のしわを増すが
情熱を失う時に精神はしぼむ
----------------------------------

やるべきことが溢れている日常の中、
どんどん流れる時間。
気が付くと何回も何回もやってくる金曜日。


ただ過ぎるだけの時間なら、
老化しているだけだ。


そんなことを時々考えて、
心のどこかに焦りをもっていたからこそ、
この動画が響いたんですよね。


昔から、情熱大陸、
プロフェッショナル仕事の流儀、
最近では、アナザースカイと、
努力をしている人の姿を見ることが好きです。


自分がそうありたいという
潜在的な意識があるから
熱く生きている人を見るのが好きなんです。


そうありたいということの裏には、
つい今の自分に満足して、
日々の流れに身を任せるままの生き方を
してしまいそうな自分がいるわけです。


時の流れに身を任せだけなら、
ただ老化しているだけ。


できるできないは関係なく、
何才になっても、
一見無理そうなことであっても、
チャレンジし続ける生き方を自分もしたいし、
している人に憧れます。


イチロー選手や三浦知良選手なんて、
尊敬中の尊敬です。
矢沢永吉こと永ちゃんにも。


憧れてはいても
昔とちょっと違うのは
青筋立てて努力をしようとは思わなくなっていて、
どこか心に余裕が生まれていることです。


歳を重ねていろいろな経験をしたからだろうか。


できなくてもできても、
どちらに転んでも生きていくことには変わりなし。
っていう思いがあるんです。


でも、自分はチャレンジし続ける生き方が好きだからやる。


ただそれだけです。
だから、できなくても
ストレスを感じる必要はないかなって思うわけです。


その方が幸せを見失うことなく、
努力を継続していける気がします。


流れる日々の中、
ふと成長への情熱を掘り起こしてくれた動画でした。

2017年3月24日金曜日

暑い暑いソンクラーン前に珍客。

日本はそろそろ桜の知らせの季節ですね。

そんなとき、
タイのバンコクは暑いったらありりゃしない。
パッと日中の温度を見たら36℃です。
 そりゃすぐに汗ばむわけです。
でも、こんな季節には
果物が増えるという良い一面も。
こんな車をあちらこちらで
見かけるようになりました。


なんか都会の中で
自然を感じることができて、
ちょっと好きです。この車。


午前中は保護者の方と面談。
その面談の中、話した内容の一部。
勉強に対して自信を無くしている子への対処法


仕事場での一コマ。

何やら目の前に動く生物の気配が!
と思って下を見てみると、
暑い中の珍客
リスの登場。


しかも、かなり近い。


特に逃げるわけでもなく、
チラっとこちらを見ているんで、
写真を撮ってあげました。


しばらくしたら、
急に用事を思い出したけのように
ふらり どこかに行ってしまいました。


暑過ぎて、
ちょっと休憩でもしていたんでしょう。
何撮ってんだよ!と言いだけに見えましたが^_^;


季節感が無いと
毎日毎日がスースーっと過ぎていってしまいますが、
この暑いソンクラーン時期が
一年の経過を思い出させてくれ、
ちょっと歩みをゆっくりにできます。


それにしても暑い・・・。
言っても涼しくなりませんが^_^;

2017年3月22日水曜日

グラディウスは子どもが忍耐力と上達プロセスを学ぶ最良の教材!


若い世代は・・・
なんて言いはじめたら、
自分が歳をとった証拠かも。


なんて思いつつも、
最近の若い世代は
「忍耐力が低下している」
なんて言葉を耳にすることがあります。


で、本当に忍耐力が低下しているかは
正確にはわかりませんが、
私たちが子どもの頃、
ファミコンで忍耐力を鍛えられてきたんだな
ってのをミニファミコンから知らされました。

グラディウス
ミニファミコンを購入したという記事は⇒ミニファミコンは買った方が良いか?

で、子どもたちが寝静まってから、
まえまえからやりたかったグラディウス
やってみようと思いつき、さっそくスイッチオン。

超懐かしい写真。

記憶の中では、
オプションを付けたり、
レーザーに変えたりと、
かなり楽しかった記憶がありました。


で、実際にやってみると・・・
グラディウス

確かに超面白いです。
シンプルですが、
よくよく考えられたパワーアップシステム。


このパワーアップも思い出しました!
使う順番をしっかり考えないと
のちのち絶対に厳しいという場面に出くわすんです。


しっかりパワーアップをしていないと
1面で火山が噴火しまくるところがあるんですが、
そこは絶対に潜り抜けられないんです。
※確か、どこか安全地帯があったはずですが・・・


なので、頭を使いながら
シューティングを進めるという
同時進行的な思考が求めれれるんです。


さらに・・・


死んでしまったとします。

すると、ステージは難しいのに、
今まで身に付けた装備が0になるという
子どもに超厳しい鬼設定


スローの戦闘機で
激しく難易度が増します。


さらに、さらに。
コンテニューが無い。


全機死んだら、
また始めから。

子どもに社会の厳しさを
張り手で教えるような鬼不親切設計。
一切子どもに媚びません。
無表情で睨み付けるか如く。


そうなると
ゲームに取り組む真剣度が全く変わってきます。


最近のゲームは
ゲームが複雑化しているかわりに
永遠にコンテニューができるものが多いんです。


自然と、だらだらっとして
プレーしてしまうようですが、
この始めからになってしまう鬼システムのお陰で、
上達しなければ!という必死感が生まれます。


頭を使って、上達のプロセスを
しっかり考えながらプレーしなければ
先に進めないわけです。


簡単に死ぬわけにはいかないわけです!


かといってやはり面白いし、
先に進みたいから、簡単に諦めるわけにもいかない。

結果、自然と忍耐力が身につくようになっていたわけです。


久しぶりにグラディウスをやってみて感じたことは、
昔はよくもこんな難しいゲームをやっていたなぁ
ということ。


そのむずかしさとコンテニューの無さ、
アイテムが0に戻るという鬼の組み合わせで
自然と上達への「気合い」が生まれる最高の教育システム


この上達のプロセスは普遍的です。

課題を見つけて、克服するために
忍耐力をもって集中して取り組むという思考回路
あらゆる分野に応用可能です。


と、自分がグラディウスを
夜な夜なやってしまったことへの
言い訳でした^_^;

2017年3月21日火曜日

単純労働しかできない人は仕事が激減する未来は近い。

ITの発達で、世の中が便利になりましたよね。

ガラケーがスマホに変わっただけで、
働き方から人付き合いの方法まで
ガラっと変わりました。

便利になればなるほど、
人は楽することができます。

楽なことは良いことだ。
労力が少なくてすむし。

なんて簡単な話ではなくて、
近い未来に人間の仕事が
どんどん減っていく可能性がある
なんてことが言われています。

これはマックのタッチパネル式のレジ。

ITが最先端の国の画像ではありません!
この写真は、タイのショッピングセンター内の
マックの中にあったものです。

まだ主役とは言えない場所ですが、
レジが混雑しているときに
利用しているお客さんがいました。


で、このパネルやレジで注文すると、
銀行の様に整理番号がレシートに書かれていて、
呼ばれる仕組みでした。


タイを馬鹿にしているわけではないんですが、
まだまだ「これから」の国だと思っていたら、
すでにこんな技術が導入されているとは・・・


マックのレジが無人化になる日は
そう遠くない未来だなって感じる光景でした。


レジのような
誰でもできるような仕事は
なくなるということを象徴しているようです。


未来は仕事が減っていくというのは
遠い話ではなく、けっこう近いリアルな
話になっていると感じました。


ただ、第一段階で減るのは、
レジのような単純労働なはずです。


なので「単純労働はいらない」という
未来のメッセージに対応した
子育てやら教育をしないといけないんです。


ただ、命令されたことをこなす人は
必要ないと判断されるか、
安い賃金の国に職を奪われるか、
国内でも安い賃金でないと働けないというわけです。


なぜ外国に職を奪われ、
安い賃金でしか働けないか。


同じ仕事を中国では時給300円でやってくれ、
日本だと時給900円になるなら、
経営者なら時給300円でつくりたくなります。


なんで時給900円払うのかと言えば、
それに見合ったクオリティが確保されるからなんですが、
大量生産でつくるものに
クオリティもへったくれもないです。


マックのポテトはどこでつくろうが
マックのポテトです。
時給が2倍でも2倍うまいポテトはつくれません。


冷凍ポテトであれば、
中国でつくろうが、日本でつくろうが
消費者にとってはどうでも良いわけです。


だったら、安い賃金の方が
経営的には良いという判断になります。


未来の日本は外国人労働者が
増えると言われています。


すると、国内にいるにも関わらず、
単純労働しかできない日本人は
外国人労働者の方が賃金が安いので、
職からあぶれる形になる可能性も高くなります。


あぶれたくなければ、
外国人労働者と同じ賃金で働かなければ
ならなくなるわけです。


単純なことしかできない人にとっては不安な未来でも、
自ら考える力をしっかり育てる教育をされた子は
逆に、自分の力を発揮しやすい未来になるでしょう。


単純な作業に自分の思考を使う必要がなくなるからです。


例えば、個人経営をしている自分にとって、
ドライバーさんの問題は多々あります。
それが自動運転になってくれたら、
思考がうまれます。


銀行の支払い業務なんてのも
自動化されて、高速化されるなら
違うことに時間を使えるようになります。


単純な労働しかできない人の職がなくなる。
そのような教育を受けている人が苦しむようになる。
これは良い悪いなんて簡単な話ではなくて、
冷静に社会の流れを見ていて、
事実なんじゃないかなって思うんです。


ちょっと軽いブログの趣旨から
ずれて来てしまうんで、
ここら辺で考えるのをストップしますが、
そんなことを考えさせられるマックの光景でした。

2017年3月20日月曜日

バンコクでミニファミコンを買う【後悔ゼロ】


前に任天堂のミニファミコンを買おうかどうか
迷っていた記事を書きました。


あれからずっと頭の片隅にあったんですよね、
ミニファミコンのことが^_^;


そもそも、
どんどん進化するゲーム機器の中、
時代を逆行するファミコンを買う必要があるのか?


なんて疑問をもちつつ。


で、なんだかんだの思考を経て。
ついに購入してしまいました!
ミニファミコン!
ミニファミコン

3900Bということで、
日本よりずいぶんと高いです。


が、日本との接点が少ない息子のために
思い切って買ってあげました。

え?息子のためじゃない?

・・・。

まぁ、いいんです。

ミニファミコン

息子はいぜん、店頭でプレーして
相当に楽しんでいたんで、
かなり喜んでくれました。

この箱・・・
懐かしいですよ、このカラーが。


昔のファミコンはボタンがゴム製のもあって、
よくへこへこになって、
めり込んでしまっている友達がいたものです。


HDMIに繋げば、すぐに遊べました。
設定が超楽です。

ミニファミコン

こんな画面が出てきて、
30タイトルを瞬時に選ぶことができます。

かなり遊びやすいですよ。

この30タイトルがダウンロード可能で
ディスクシステムの様に
交換できたら最高なんですけどね。

いつか、そんな機種が発売されそうですよね。

ミニファミコン
さっそくドンキーコングで遊ぶ兄妹です。

兄はプレステ3や3DSで遊んでいるにも関わらず、
この超シンプルなゲームがやたら楽しいようです。

ファミコン世代のみなさんは
わかりますよね?

自分が子どもだったころ、
別に複雑じゃなくても
なんかすごく楽しんでいましたよね。

単純明解な娯楽性


しかも兄妹の歳の差を越えられるのも
単純だからこそですね。


複雑化もいいですが、
単純化もいいもんです。


ここに一番初めの疑問、
時代を逆行するゲーム機器を買う価値があるのか?
の答えがあるわけです。


シンプルの良さ。
禅に通ずるような。


ミニファミコンは買った方が良いか?


私個人としては買って良かったですね。


幼稚園の友達家族と
遊ぶ機会が多いんですが、
このミニファミコンなら、
超手軽に相手の家に持っていき、
テレビに接続して、みんなでワイワイ楽しめそうです。


旅行に持って行って、
ホテルで退屈なときにちょろっと遊べるかもしれません。


それくらい軽くて、持ち運び可能です。


ネットでは、
コントローラーが小さくて
かなり遊びづらいという意見もありますが、
貴乃花と同じ手の大きさの私の感想を言いますね。


ゲームが単純なんで
別にコントローラーが小さくても
十分に遊べますよ。


そんなボタンが押せない!
ってレベルの小ささではありません。

というわけで、買ってかなり満足です。


まだ、子どもばかりが遊んでいますが、
そろそろ私もグラディウスや
つっぱり大相撲をやりたくてうずうずします・・・

関連記事
タイで任天堂スイッチを買う。

2017年3月18日土曜日

朝、希望を持って目覚め 昼は懸命に働き 夜は感謝と共に眠る。


朝、希望を持って目覚め
昼は懸命に働き
夜は感謝と共に眠る。


友達のフェイスブックに載っていた言葉で、
調べてみたら、
麻生大臣が国会で話した言葉だそうです。


とっても素敵だけど、
このように生きている人って少ないんじゃないかな。


失望と共に目覚め、
死んだ魚の様な目で働き、
また、失望と共に眠りにつく。


逆にすると、こんな悲しい言葉になりますが、
これに近いような生き方になってしまい
苦しんでいる人の方が多いんじゃないでしょうか。


相当に辛いだろうけど、
大人になって、家族などいろいろ背負うものもでき、
逃げるわけにはいかない立場になります。

辛いと思いながらも進まなくてはいけない。


辛い辛いと言っていても
明日はまた来るし、
家族のためにも頑張るしかない。


そんな生き方をしている人だって、
抜け出せるなら抜け出したいと
多少は感じているはず。


でも、動き始めた列車のスピードは速く、
しかも両隣にも同じような列車が猛スピードで走っている状態。


流れから降りたくても、
降りるわけにもいかない。。。


自分の周りにそんな苦しんでいる人がいるなら、
抜け出せるために、
何か手伝えることができたらなと考えています。


私が経済的に裕福であれば、
そんな心の余裕もできるかもしれない。


自分は経営者ではあっても、
大規模でやっているわけではないから、
そこまで余裕があるわけではありません。


塾を大きくするかと言われたら、
昔はちょっとは考えたことがあるんだけど、
自分の価値観からは違うなって思って、
拡大路線は進まないことにしました。


時々朝ごはんを買う屋台。

すごくお客さんが集まる屋台です。
でも、私は10B分のパンしか買わないし、
周囲の客もその程度の買い物しかしていません。


決して経済的に裕福そうな屋台ではないけど、
確実にお客さんを喜ばせる仕事をしていますし、
お客さんと談笑しながら楽しそうにしています。


あんがい、経済的には下かもしれないけど、
この屋台の人たちの方が、
麻生大臣の言う生き方に近いのかもしれない。

アイフォンなどのIT機器を駆使して
走りまわている人の方が
死んだ魚の様な目をしている
なんてこともあるかも。


自分は、この屋台の人たちのように、
大きくなくても
人を喜ばせる、自分が喜べる仕事がしたいんです。


街角にひっそりとある店。
でも、びっくりするくらいの職人がやっていて、
行列ができるような名店。


大規模ではなく、小規模だけど、
びっくりするくらいのクオリティの塾を
目指しているわけです。


苦しんでいる仲間がいるなら救ってあげたいけど、
その列車から飛び降りるように
勇気づけたとします。


でも、飛び降りたことが、
その人の人生で必ずプラスになるなんて
保証はできません。


その人の人生の責任を負えるわけでもないので、
やはり、見守るしかできなそうです。


でも、若い人で何か苦しみを覚えている人が
このブログを見ているなら、勇気づけたいと思います。


もしまだ家族など守るべき人もいなく、
自由がきく身なら、
大きく方向転換してもいいんだよと。

人生は1回しかないんだし、
後悔しないように。


でも、ある程度の年令になり、
家族などができ、
失望の中で身動き取れない人がいるなら、
せめて、その仕事の中で
楽しみを見つけるしかないんだと思います。


誰かの役に立たない仕事なんて
この世には存在しないはず。


お金が発生しているということは
きっと誰かの笑顔につながっている。


その笑顔をどこまでリアルに想像できるか。
そこが自分がやっている仕事に価値を見いだせる
ポイントだと思います。


それでも、何も見いだせず、
毎日がただ苦しいのであれば、
列車から降りる決断も必要だと思います。


責任がある守るべきものがある立場でも、
老後の自由のために今を犠牲にするなんて
人生がもったいない。
1度しかないんだから。


もし、老後が自分が思っていたように
長生きできるとも限りませんし、
寝たきりになるかもしれません。


老後はハッピーなんて決まったわけでもありません。


転職で給料が下がることが怖いかもしれません。
でも、輝いた目で働けるなら、
きっと、低い場所から高い場所にいけるはずです。


好きなことなら、
努力が苦でなくなるから上に行きやすいから。


でも、身動きとれない辛さは
立場上、よくわかるので、
いつか自分が何か塾以外の分野で
経済的に余裕ができたら、
手助けしたいと考えています。


知り合いの人には笑顔でいてほしいし、
お互い笑顔同士で語り合えた方が
より人生が楽しくなると思うからです。


そのためにも、自分もまだまだ頑張ろうと思います。


そして、今苦しんでいる人は
アントニオ猪木のように
どんなに苦しい逆境でも
最後は逆転卍で勝利!
というような状況を目指してほしいと思います。

2017年3月16日木曜日

自分の性格は変えるために大切な考え方

バンコク日本人学校

自分の性格は変えられるのか?
変えられないのか?


結論から言うと
私は「人の性格は変えられる」
と思っています。


「考え方」が性格を作っていると思っていて、
その「考え方」は自分の頭1つで変えることが
できるからです。


テレビで芸能人が人生の転機を経験した
という話がありますよね。

あれも、衝撃的な出来事があったから、
自分の考え方が変わったという一例だと思います。


今まで自暴自棄に生きてきた人が、
親友の死を境にして、
真面目に生きるようになった
というのも性格が変わったと言ってよいはずです。


性格は考え方が作っていて、
その考え方は自分次第で変えることができるんです。


でも、人は変わることに不安を覚えるんですよね。
今までの自分の考え方に慣れ過ぎていて、
変えることに躊躇してしまうんです。


そんな考え方してはいけないのでは?
と勝手に自主規制をかけてしまう感じです。


自主規制を外すためには
本気で変えたいと思っているのか?
と自分の心と対話することが
大切なんじゃないかな。


対話するためには時間が必要。
心の余裕が必要です。


心に余裕ありますか?


自分もそうだったんですが、
時間に余裕が生まれると
何か詰め込みたくなるんです。

時間の貧乏性とでも言うんでしょうか・・・


だから、ついつい暇ができることを
不安に思っていた自分がいました。


でも、ある時から変わり、
暇ができたら、暇を楽しもうと
心がけるようになりました。


ある時は、ここ「タイ」が
きっかけでした。


タイの人たちは
心に余裕があるなって感じたんです。
本当にそうかはわかりませんよ。

でも、そう感じたんです。


仕事中に笑顔で談笑する姿。

日本人からしたら不真面目でしょう。
が、人生を楽しんでいる。
仕事をふくめて楽しんでいるように見えたんです。


心に余裕をもつことを
許せるようになると、
自分の心についても見つめることが
できるようになってきました。


すると、考え方を変えるきっかけが
ゴロゴロ転がっていることに気づいたわけです。


性格は変えられる。
性格を作っているのは考え方。
考え方は自分のさじ加減で変えられる。

その邪魔をするのは過去の自分。

実は誰も邪魔はしていない。
邪魔しているのは自分だけ。


変えたいと本気で思うのか、
そのままで良いのか。

結局は自分次第なわけだなって思うんです。


そのままでいいんだよ。


優しい言葉が巷にはあふれていますが、
そのままで良いと思うか、
変えたいと思うかすら自由なはずです。


他人に強制されたわけでなく、
自ら変わりたいと思うなら、
変わっていいんだと思います。

周囲の人が、性格を変えたあなたを見て驚こうが、
そんなことは自分には関係ないことです。

別に他人を傷つけたわけでもないんですし。


性格は変えられる。

私もまだまだ変わり続けています。
それが生きているってことなんだと思いつつ。


ちなみに写真は
バンコク日本人学校の入口で
心を動かされて思わず撮った1枚です。

自然の黄色って本当に素敵です。


こちらも関連している記事です。
自分の価値観に大切に生きるということ


2017年3月14日火曜日

酒を飲んで愚痴を言う生き方をしないために



自分のやりたいことができず、
毎日苦しんでいる人がいます。


昔、明石家さんまさんの「からくりテレビ」
という番組で、
酒で酔っぱらったサラリーマンが、
上司や会社に愚痴を言うコーナーがありました。



その当時は、学生だったんで、
笑いながら見ていましたが、
社会人になった今振り返ってみると、
そうやって愚痴をこぼして酔っぱらっている人は、
日常的にいろいろと我慢して溜まっているんでしょうね。



別にサラリーマン全員がってわけじゃないですが、
自分がやりたいことができず、
苦しんでいる人は多いですよね。



苦しいんですが、
苦しみ続けたくはないので、
自分が苦しんでいることから目をそむける。



そのために使うのが
酒だったり、
「みんなそうだよ」
という納得感だったり。



自分がやりたいことができなかったのは
なんでだろうか?


そう考えたときに、
ふと頭をよぎるのが
「真面目に生きてきたから」
ということ。



私は高校までは真面目に生きていた。
都立の上位の高校だったけど、
渋谷が近かったのもあり、
授業中に抜け出してセンター街によくいっていました。



当然、成績は一気に下降。



中学生までは、
真面目に言われたことは、
いちおうやって生きてきたんで
学業も運動もそれなりに結果を出せてきました。



でも、高校生になると
背中を押してくれる人がいなくなりました。
親も自分に任せてくれるようになった。



言われたことは真面目にやってきたんですが、
言われていたからやっていただけで、
自分から進んでやっていたわけではありませんでした。



背中を押す手がなくなったとき、
背中を押され続けたことで、
自分で船を漕ぐ力が圧倒的に弱っていた。
そんなことに気づく。



大学卒業後も
紆余曲折ありました。



転職を経験し、海外に渡りました。



その都度、いろいろな挫折も経験したけど、
今になってはわかることがあります。



その挫折ことが宝だったと。



挫折をしながら、
右左に大きく舵を切って生きてきた。



その右へ左へ行った分、
人生に深みというか、広がりができた。
最短でないからこその広がりです。



結果として、背中を押されていきていた学生時代と比べると、
圧倒的に太い生き方になっていると、
自分でも実感できます。



こうやって、右に左に動いた経験があるから、
何か問題があっても、
背中を押されていなくても、
自然と右へ左へ粘り強く考えることができるように
なったようです。



誰かに指示されて最短で正解に向かう。
そんな方法を選ばなくても
自分で試行錯誤して、
良くなると信じる道を進むことができます。



最短で大学行って最短で就職先を決めて働く。


この生き方が世の中では
正解と言葉には出して言われなくても、
そうなるように言われるがままに生きている人が、
多いのではないでしょうか。



その言われるがまま、背中を押されるがまま、
は自分の習慣となってしまい、
大人になっても自分で船を漕ぐことをせず、
背中を押してもらう。


でも、本当は進みたい方向ではない。
でも背中は押してほしい。
でも、行きたくない。
でも、押してほしい。

・・・。


だから、愚痴を言ったり、
酒に逃げたりするんじゃないかな。


我が子には伝えたい。

最短じゃなくても、
真っ直ぐじゃなくても、
真面目な生き方でなくても良い。


正しいと言われている道ではなくても、
自分が心から好きで良いと思った道を生きてほしい。


だから自分は
背中でそれを伝えられる生き方をしたい。


自分がこれは正解だ!
という道に行くように
背中を強く押すようなことはしたくない。



自分が幸せを感じる道は自分で見つけてほしい。



自分は子の手本となる生き方が
できているのだろうか。
振り返る日々です。


2017年3月13日月曜日

男、父親は強くなくてはならない!

タイにいると、
父親、いや男として強く思うことがあるんです。

それは、
男は強くなければならない。
ということです。


どうしてタイにいて、
そのような思いが強くなるのかというと、
タイで生活をしていると
理不尽な場面に遭遇することが多々あるからです。


つい先日もバイクを運転していると
タクシードライバーが
異様に車間距離を詰めてきました。


さすがに危険で腹が立つので
クラクションを鳴らしましたが、
ふと脳裏をよぎったのが
タイでよく目にするニュース。


タクシードライバーが
刃物をもって客を恫喝する動画・・・。


決して大げさなことではなく、
タイのタクシードライバーは
刃物や銃をもっている可能性が、
日本以上に高いんです。


だから、感情的になって行動すると
自分の命を失うことにつながることがあります。
大げさではなく、ありえることなんです。


タクシーが車幅を詰めてきたことは、
スルーしても良かったレベルのことです。
が、根が短気なところは昔から
頑張っていてもふとこの様なときに出てしまいます。


何事もありませんでしたが、
馬鹿な運転手だったらより詰めてきて
危険なことにもなりかねません。


今回の様などーでも良いことはいいとして、
スルーできない理不尽なこともあるはずです。


私も日本にいたころ、
酔っ払いが目の前の自転車を蹴飛ばして歩いていて、
注意したところ、襲いかかってきたことがありました。


急につかみかかってきたので
スルーできませんでした。


頭突きを避け、相手を払い腰で投げ倒しました。


もちろん、逃げることが可能な状況なとき、
プライドを捨てて逃げた方が良いでしょう。
でも、この様に逃げ切れない状況が
生まれることも起ります。


そんなとき、警察がいてくれたら
それで問題は解決するでしょうが、
いつも身近に助けてくれる人がいるとは限りません。


自分を助けてくれるものは
最終的には自分なんです。


ましてや、家族が一緒にいるとき、
全員を守るのは男、父親の役目であるべきです。


酔っ払いに襲われたときに
特に強く思いました。


男、父親は万が一の場面に備えて、
自分を鍛えておく必要があるんです。


別に「マッチョになれ!」
と言いたいわけではなく、
警察などの助けてくれる人が
到着するまで家族を守れる程度の
体力をもてればいいんです。


ついつい、体力を高めることは、
緊急ではないんで後回しになってしまいがちです。


でも、いつ火の粉が降り掛かってくるかなんて
誰にも予想ができません。


最近のニュースを見ている限り、
タイだけでなく、日本でも
確実に理不尽な火の粉は降り掛かってくる可能性が
高いのではないでしょうか?


体力は急には高まりません。


みなさんも
いつ降り掛かってくるかわからない
火の粉のために、ぜひ今日から体を
鍛えてみてはいかがでしょうか?


私は鍛え続けていきます。

卑屈にはならないために。
家族の命を守るために。



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2017年3月12日日曜日

超お勧め!スマホに使える外出用携帯キーボード!/ iClever Bluetoothキーボード

ついに日本で注文していた携帯型キーボード
到着しました。

携帯型キーボード
iClever Bluetoothキーボード 折りたたみ式 レザーケース スタンド付き


外出しているときに
物書きをすることが多いのですが、
携帯の画面だと文字を打つスピードが
どうしても遅くなってしまうんです。


手が大きいのか違うボタンをちょくちょく押してしまって
イライラすることがあって、
だからこそ待ちに待っていた代物!


しかも便利なことに
上の写真の左の専用ケースを折りたたむと
スマホを立てることができるんです。


立てたスマホの画面を見ながら入力できるという
かなりありがたい設計。
考えた人は相当に気が利く人ですね。


また今までは塾ではパソコンを打ち込むような
仕事はできませんでしたが、
これからはキーボードをもっていけば
その場でメールを返信することも
容易になりました。


これは本当にありがたいことです。


折りたたむときはこんな感じです。
超スムーズに折りたためます。
折り畳み式キーボード


買って良かった。。。


という今このブログも
携帯型のキーボードを使って大部分をためしに書きました。


ギリギリの大きさですね。
これ以上大きいと持ち運びが邪魔だろうし、
これ以下だと入力がキツイでしょうね。


3つに折りたたむんで
結局ノートPCとそんな変わらないです。


私の手は貴乃花と同じ大きさなんで、
それでも十分に使えますよ。
小さくて嫌だなという感覚はありません!


最終形態はこちら。
持ち運べるキーボード


買う前はかなり迷って
失敗したらどうしようかと思っていましたが、
使ってみて買って大正解でした。


毎日、カバンに入れて
持ち運ぶことで、
確実に仕事の幅が広がります。


仕事だけでなく、
ラインでも相手が驚くレベルの長文を
高速で入力できます。


長文がPCと同じレベルで入力できるんで、
ライン会話の密度が超高まります。
相手からは短いメッセージのままですが^_^;


しかも、携帯との接続は
ブルートゥースで、
素早く接続してくれます。
手間取ることがありません。


ブルートゥースのボタンを押して、
キーボードをパッと開いたら、
勝手にすぐつながります。


いやぁ、
恐ろしいほど便利ですしおすすめです!


興味がある方は詳細はこちら

iClever Bluetoothキーボード 折りたたみ式

手元にもっておくべき超おすすめの一品です。

2017年3月10日金曜日

自分の興味、好きな事に正直に生きる

サラリーマン時代、
日本語教師養成学校に仕事をしながら通っていました。


何とか理由をつけて
特定の曜日を定時にあがらせてもらって
そのまま日本語学校に直行して勉強をしていました。


それが今につながるとは当時は思ってもいませんでした。

所長からタイにある日本語学校を任せたい
と言う話をしてもらったところから
人生が大きく変わった気がします。


また、その時の同僚が後に小学校の先生を目指す
ということも自分が小学校の先生になったきっかけです。


今の境遇は偶然が影響していることは事実です。


まさか自分がタイで生きることになるなんて
考えてもみませんでした。


この偶然がなかったら
今どうなっていたかもわかりませんし、
だからこそ、これからも
何かしらの偶然が働いてどうなるかもわかりません。


でも自分の人生を振り返ったとき
根底に流れている考え方は、
自分が好きになったこと、興味があったことに
正直であったということです。


どうなるかわからないという偶然が関係していても
やはり自分が好きなことだったり、
興味がある道の上であることには
変わりがないのかなって思います。


短期的にはうまくいかないかもしれない。


でも、長い人生を振り返ってみたとき
全てがつながっていて、
全て「良かった」といえる経験になっています。
これからもなるはずです。

今は個人塾を経営していますが
これからもずっとやっているかなんて
自分にはわかりません。


昔の自分を振り返ってみても
自分が興味あること、好きな事に
正直に行動することは
根底の考え方だからです。


でも、今は家族ができて
独身の頃より自由には動けないので
大きく変わることはないのかなって考えています。


でも、これからも自分の好き、興味を
しっかり見つめて生きたいなと思っています。


誰にでもすすめる生き方ではありません。
大きなリスクがあるから。
失敗するかもしれないから。


でも、人生は一度きりだから
私個人としては生き方を変えるつもりはありません。
また、視点は短期ではなくて長期にあるので、
きっと失敗と思ったことも
長期的には何からの糧になると信じています。


2017年3月9日木曜日

高速道路に乗るような生き方をしていることに気づく

3月のバンコクは身体が痒くなるような
べたつくような暑さになってきました。


最近考えていたことなんですが、
みなさんは車を自分で運転しますか?

まぁ、乗車していたとしても
正面を見ていると同じようなことを
経験するかと思うんですが、
高速道路に乗っていると視野って狭くなりますよね。


道路標識も見なければならないし、
周囲の車の状況も確認しなければならないし、
色々せわしなく神経をピりつかせながら、
目的地に向けて突っ走っている状態ですよね。


そんな時を思い出してみてほしいんですが、
周囲の景色って楽しめますか?


運転している人は
景色なんて楽しんでいる暇なんてないですよね。


ただ、景色は線の様に流れていって
ただただ目的地に向けて
一心不乱に走っているはずです。


自分は今、年度末の仕事が立て込んできていて
ふと、この高速道路で走っている状態と
似ているなぁ・・・
と感じました。


とにかく朝から忙しいと
気が付いたらお昼になっていたりするんです。


大げさに聞こえるんですが、
本当に気が付いたらという表現がしっくりきます。

あぁ、もう昼!?


でも、精神的にきりきりしているだけで
実はけっこう余裕はあったりするんですよね。


ただ、精神的に高速往路と同じ状況を
自分で創り上げていたような気がします。

すると日々がビュウンとジェット機のように通り過ぎてしまって、
あぁ、また金曜。あっ、金曜。アッ、きん・・・

といった感じで一週間が過ぎていってしまいます。


だから、意識的にでも
喫茶店に行ったり、こうやってブログを書いたり、
ツイッターを更新したりしながら
スピードを緩めるようにしています。


昔からずっと自分の根底に流れている
「人生一度だけ」という言葉があるからこそ、
高速道路の上を突っ走るだけでは
幸せと言えるんだろうか?
という思いが沸いてくるんです。


毎日、家族としっかり向き合ったり、
景色を眺める余裕をもったり、
好きな本を読んだり、
珈琲の味を確かめたり。


別に時間がかかることではなくても
一つ一つを少しでも楽しめたらいいのにな
と思います。


やればいいじゃんといっても
やはり精神的に高速道路に乗っている状態なんですよね。


だから、あえて
頭の中を断斜離する意味で
やることリストを手帳に書いて
見えるようにしています。

一つやるごとにチェックで消します。

やることがスッキリしたとき、
本当のリラックスを味わい、
やらなければならないことではなく、
やりたいことができるようになるんだと思います。


ちなみに気を付けなければならないことは
気が付いたら高速に乗らされている状態で
目的地すら自分で決めていない状態のとき。


ただひたすら忙しい日々を過ごし、
目的地に到着してみて
はじめて「えっ!?こんなところを目指していたんだ・・・」
と後悔しないように
今の内から少し立ち止まって
目的地を設定した方が良いものです。


自分はどこに行きたいのか。


まずは1つずつ丁寧に作業をしていって
本当にやりたいことを仕事の山の奥から
救いだします!



2017年3月7日火曜日

「やりたいこと」と「やらなければならないこと」を意識する

バンコクの朝

3月上旬のタイは朝から27℃で湿度も高く
暑さがちょっと体にまとわりつくような感じがしています。


昨日はちょっと虚無感に襲われるという記事を書きました。



色々な終わりを経験して
心にぽっかり穴が開いたのかな・・・

それとも疲れか歳のせいなのかな。


忙しくしていると
ちょっとだけ考えて
また作業に戻るという時間の使い方で
なんか悪循環を感じました。


そんなとき
大切な場所がいつもの喫茶店。


あえて、作業から離れて
でちょっと考える時間をとりました。

バンコクの喫茶店

虚無感の原因はどこにあるのか。
ふとそこである考えに至りました。


「やりたいこと」「やらなければならないこと」
のバランスが原因かも。


忙しいときは
心の中にやらなければならないことが
溢れでていて、
やりたいことができずに日々が過ぎていきます。


そんな日々に
どこか苛立ちを覚えて
悶々としていたのかもしれません。


年末になると
どうしても事務的な仕事が増えます。

すると、
自分がやりたいことをする時間より
やらなければならないことが圧倒的に多くなっていました。


やらなければならないことが多いのは
仕事をしていたら普通だし、
暇よりはありがたいことです。


でも、自分はある時期から
人生は一度だけだという強い実感をもち、
そこからは自分がやりたいことをやって生きていこう
と決心してここまできました。

もちろん、やりたくないことを0にするという
無謀な決心ではなくて、
無意識でいると、やらなければならないことが
徐々に増えてきてしまうので
あえて舵をきるイメージです。


だから、やりたいことができていない状況に関しては
敏感に感じ取っていたのかもしれません。


読みたい本が読めない。

娯楽の本が読みたいわけではありません。

自分は「成長する」ことが
仕事にもなり、自分の喜びでもあるので
自分が成長するためにも
読書と思考はかかせないものなんです。

種を植え続けなければならない仕事だと
自覚しています。


でも、忙しくてそれが十分できていない日々。

さらに、タイ語の勉強もストップ。

整理整頓も中途半端。


さらにやらなければならないことが
溜まりつつある。
処理速度を越えて。


物だけではなくて
心の中、頭の中も断斜離しないと
重くて重くて虚無感に襲われるようになる気がしています。


心が空に近ければ、
もっともっと自分の想いを見つめて
生きていけるはず。


でも、心の中にいろいろなものが
詰め込まれていると
本当に大切な思いに気づけない自分が出てきます。


まずは、やらなければならないことを
1つずつ処理して、心を軽くすることが
重い気持ちから解放される
最善手だと思います。

こう意識を変えたとたん、
「やらなければならないこと」は
未来の「やりたいこと」をするための
「やりたいこと」に変わるから
心が軽くなるから不思議です。


気の持ちようは大切だなと痛感しました。


みなさんも年度末で
いろいろ大変なことがあることだと思います。


必ずそれらのものは減るときがきて、
心がすっきりする瞬間があるはずです。
そこを目指して1つずつやっていきましょう!

2017年3月6日月曜日

遠い先だと思っていた未来がすぐそこに「ドローンタクシー」2017年夏




ドバイで2017年の夏あたりをめどに
ドローンタクシーの運航開始を進めているようです。


なんだかんだ言って、
10年後の未来は・・・
と言った前提条件で話をしていたことはありましたが
まさか今年の夏をめどにとは驚きの事実です。


ドバイからの第一次の情報ではなく
他のニュースサイトからの情報なんで
100%の事実かはわからないんですが
1、2年ずれたとしても驚くべき事実には変わりがありません。


ただ、誰もが怖いのは事故です。


落下の事故は地上と違って
ほぼ確実に命を奪われることになるんで
それだけが怖いですね。

でも、この様なすさまじいテクノロジーを開発する人が
事故について考えていないわけがないので
例え制御不能になったとしても
不時着はできるようになるはずでしょうね。


もしくはドローンのはねの数からも
1つ故障しても大丈夫な設計になっているのかもしれません。


とにかく、遠い未来のことだと思っていたら
目の前に現実が迫っていてただ驚くばかり。


タクシー業界であれ、
運送業界であれ、
これはライバルとしては脅威でしょう。


でも、未来は確実にこのようなことが
当たり前になるので
対応する以外の選択肢はなさそうです。


驚きを共有したくてお知らせしました。

歳のせいか虚無感に襲われる日


最近、「終わり」が続き、
ちょっと精神的に疲労しているというか
虚無感のようなものをもっていました。


私の中の「終わり」

娘の幼稚園の卒業。

息子の剣道の送別会。

息子の空手の送別会。

私の塾での本帰国と年度末のお別れ。

バンコク日本人学校の空手サークルの
貞廣師範がお亡くなりになりました。

空手サークルも休部だそうです。


始まりがあれば終わりがある。
終わりがあれば始まりがある。


始まりと終わりは
セットだとわかっていても
終わりのときの解放感というか
脱力感というか
虚無感というか。。。


ちょっとした熱量の低下を感じています。


疲れが溜まっているのかな。
歳のせいかな。


いろいろと考えてはいるんですが
ちょっと気力がわかず
横になっていたいような気持ちになります。


毎日行っているスーパーで見かける犬に
ちょっと自分を重ねたりもしています^_^;


ちょっとこう考えてみるのも良いのかなって思います。

それは・・・

気力が低下している時期があっても良い。
ということです。


押す波があれば引く波もある。


人生も何かしら
落ち込むような虚無感のようなものが
強く出てきてしまう時が
あっても良いのかもしれないな。


いつでも上り坂ばかりなら疲れるから
下り坂のふわーっとした感覚のときがあっても
いいのかな。

とて考えました。


そう考えながら夜は無理せず
寝ることにしようと思います。


普段はこんなことは考えないタイプなんですが、
歳なのかな?^_^;