いつも行く喫茶店があるスーパーの前で、
いつも見かけない犬。
白い犬は可愛く見える。
なんか純粋な感じがするからかな。
どこか遠くを見ている姿を
ふと写真に撮りたくなりました。
胸ポケットに入れているスマホで。
学校帰りにお父さんのバイクの後ろで
何かドリンク片手で笑顔で談笑。
日本人学校の登下校ではありえません。
でも、私はこの自由さは好きです。
二つの写真に共通していることが
「自由」
自分が写真を撮りたくなるときは、
自由を感じていることが多いみたいです。
不自由な生活をしているから自由に憧れているのか。
自由な生活をしているから自由に共感するのか。
どちらかというと、
自由っていいですよね?
と誰かに共感してもらいたいからかもしれません。
そんなのあたりまえじゃないか。
と言われそうですが、
周りをみていると、当たり前では
ないんじゃないかな。
自分は、嫌いな場所から逃げるようにして、
また好きな場所に近づくようにして、
気が付いたら、かなり自由を手にしている気がします。
別に自由な生活が何かって定義があるわけじゃないですが、
周りとの比較をして
あっ、自分ってけっこう自由なんじゃないかな?
と感じてはいます。
人は完全に自由に生きることは不可能なことは
十分に承知しています。
でも、あまりにも不自由に生きている人が
多過ぎるんじゃないかな。
それも、勝手に自分で自分に規制をかけて。
さらに、見えない世間一般の声を気にし過ぎて、
あえて不自由な方に不自由な方に歩まなければ
ならないと思い込ませたのは何なんだろうかと。
親世代の大人たちでしょうか。
教師でしょうか。
友達なんだろうか。
それとも何となくの雰囲気なんだろうか。
不自由な自分に対して、
どこか諦めたように達観して生きるのは、
もったいないって思うんです。
完全な自由は手に入らないだろうけど、
自分で選んだ道は、
自由と呼べる道だと感じる。
大人だってまだまだ人生は終わっていないから、
自分が求める道に進めば自由。
子どもたちには、世間一般的な正解そうな道を
進むのではなく、
自分で考えて、生き方を決めれば自由。
自分で自分の道を選び、
自由に生きる人が
増えたらいいなと思います。
他人に迷惑をかけすぎない範囲で。