2020年5月21日木曜日

新型コロナの影響でタイから日本に郵送できない・・・

日本年金機構に提出しなければいけない書類があるので、
フジ2にある民間の配送会社に行くと、
新型コロナの影響で日本への郵便はストップしているとのこと。


船便ならできるけど、大きな荷物だとか。
さらに2,3ヶ月かかる。


「タイの郵便局に行けば、
 実はOKってこともありえるかも」

そんな思いが自然とわいてきます。
というのも、タイは聞く相手によって事実が変わる
ということが頻繁にあるので。


で、BTSトンローの高架下あたりにある郵便局に行ってみました。



すると・・・


「新型コロナの影響で日本への郵送はやっていません。
 いつ再開するかは政府次第なのでわかりません。」


これでタイから日本への郵送はできないことが、
100%はっきりとわかりました。


さてと。

日本年金機構にその旨を伝えたいのでHPを検索すると・・・


電話連絡のみ・・・


海外在住者にとってはかなり面倒。
別に電話できないわけではないですが、
わざわざ国際電話かけることかな・・・
mailでいいじゃないですか・・・


書類なんてスキャンでいいじゃないですか・・・


なんでダメなんですかね。
セキュリティーの関係ですかね。


そんな世の中100%安全なセキュリティーってありますかね・・・


郵送だって海外からならかなり紛失の可能性高いです。
むしろスキャンしてデータをmailした方が安全な気がします。


誰が俺の個人レベルのデータを法を犯してまで盗み、
かつ警察に捕まる恐れに打ち勝って悪用しますかね・・・


そんな価値ある情報ですかね・・・


なんか重箱の隅にある危険性をわざと顕微鏡で大きくして、
「ほら、危険あるでしょ?」
って言っている感じがします。


なんて今はブログで書いていますが、
数年後には当たり前にmailでOKに変わっているんでしょうね。あっさり。

きっとそんなレベルのことなんだと思います。


結論:
新型コロナの影響でタイから日本には郵送不可能!
さらに日本のお役所は未だ☎電話文化。

ではでは。

2020年5月18日月曜日

43歳になり人生の後半戦を眺める

実は今月43歳となりました。

数日過ぎてから書いていますが、
それだけ自分の中では誕生日が節目としての役割が薄くなっているということです。


誕生日は数字が増えただけ。
根本にはそんな気持ちがあります。


とは言え、人間として一応節目であるということ、
節目の役割が大切だってことも理解しています。
じゃないと、家族の誕生日を祝えませんから(^^;
家族に自分の考え方を強制する気はゼロです。


で、今書きながら人生を振り返っています。


そうそう、嬉しいことがありました。
Facebookって誕生日を押し付けてしまう感じがあるんで、
記載を止めて数年経ちます。


それにも関わらず、
バンコク日本人学校で5年の頃に担任していた教え子から
突然のメッセージ。


公開している日が通知されてメッセージをくれるのではなく、
通知されていないのに忘れずにいてくれることが有り難い・・・


それ以上に20歳を越えた教え子からのメッセージの言葉の背景に、
その子の成長を感じることができたことに感動しました。


そして、その後も数名の教え子からメッセージが来て、
深く熱いものがありました。


その中には私に憧れてくれ、
教師を目指しているという言葉もありました。
私の弟子として・・・だとか。
これほど嬉しいことは無いです。


日本の未来は教育にかかっていると信じているので、
志を同じくしてくれる仲間ができるなんて、
これほど有り難いことはありません。
自分ひとりの力なんてちっぽけですから。


もちろん、家族からのプレゼントもうれしい。
1人で生きていたら味わえない幸せです。


1人の方が気楽な部分もありますけどね。
でも、気楽じゃないのが面白いんですw


さて、人生の後半戦はとんでもない事件と共にスタートした感じです。


新型コロナ。


この事件のせいで、自分の仕事の形態もガラっと変わりました。


不満や不安に立ち止まっているわけにはいかず、
状況に適応することの大切さを痛感することができました。


また、強制的に立ち止まったことによって、
人生の後半戦を本気で眺めることができました。


自分のことは後回し。


そんな気持ちが強くなってきました。


我が子の将来にとって親として何ができるのか。
どんなサポートをしてあげられるのか。


そんなことを場当たり的ではなく
本気で考えさせてもらう期間となりました。


そして、大きく動く決心をしました。


そのことについては年始あたりに発表できたらなって思います。


もちろん、まだ状況は刻一刻と変化するので確定はしていません。


人生は面白いと感じています。


色々な経験をさせてもらいました。


日本で生まれ、日本の教育を受け、
日本の会社でサラリーマンをする。

タイという国に移住し、そこでサラリーマンをする経験も。


日本に帰国し、日本の小学校で先生をすることもできました。

さらにタイの日本人学校で教師まですることができました。


それにとどまらずタイで塾を経営しながら塾講師もすることができました。


さあ、人生後半戦。
どんな道を歩むのか。


自分でも楽しみであります。


ただ、今までと違うのは
自分の夢を最優先するのではなく、
我が子のために
家族のために歩もうと思います。


最後までお付き合いありがとうですm(__)m

2020年5月16日土曜日

個性的に生きるとは?


ネットを見ていたら、
「個性的に生きる!」なんて言葉が見られました。


個性的に生きるということには賛成です。
細かく述べると長くなるので書きませんが、
没個性的な生き方をしていると、
息苦しいという実感があるからです。


ただ、「個性的に生きる」って頭を使うだけでは
なかなか難しく、大切なのことは「心」なのかな?
って感じることがあります。


業種とか、自営とか雇われとかそういう形態じゃなくて、
自分の心の有り様だということです。

スズメと文鳥
説明を追加



ネットで見かけた「個性的に生きる!」ってのが、
どうも自分には個性的に見えなかったのが、
金太郎あめ的なネットビジネスだったからです。


それって個性的なの?!


なんかそこいらでよく見かけるんで、
個性的に見えないような・・・


自由に生きる!
なんて言葉も一緒にセットになっているけど、
ううん・・・
何かほかのネットビジネスの人と同じ枠の中で
生きているような。


そのような形態のことではなく、
もっと自分の心の中を見つめたとき、
本当にやりたいことが見つかって、
それをするなら、それこそ心の自由なのかな?って気がします。


他人に決められるのではなく、
社会に反抗するのでもなく、
自分の中で本当にやりたいことがあり、
それをやっているならある種の自由なのかなと。


自分なんかは、最近は
「別に自由だろうか、自由じゃなかろうが、
どうでもいいでしょ?」って思いもあります。


自由という思考の束縛から外れたときこそ
本当の自由なのでは❓
なんて屁理屈を言ってみたりw


個性的に生きることについて
ちょっぴり考えてみるのも面白いかな
って思って書いてみました。


最後までお付き合いありがとうです(^^)

2020年5月15日金曜日

ナインティナインのオールナイトニッポン復活

歳を重ねると青春時代に見ていた番組がどんどん終わっていきます。


笑っていいともだったり、めちゃイケだったり。


そして、自分が20代のころから聞いていたのが
ナインティナインのオールナイトニッポン📻です。


ただ、これは今も続いてはいるんですが、
5年前くらいから矢部浩之さんが辞めてしまって、
岡村隆史さんがひとりで
岡村隆史のオールナイトニッポンとしての番組継続だったんです。


でも、岡村隆史さんだけになるとナイナイのころとは
内容が変化。スタッフとの内輪の話が増えて興味がもてなくなりました。
そのため、ここ数年は聞いていませんでした。



そして最近ネットで話題になっていましたが、
岡村隆史さんが新型コロナで失言をしてしまい
番組の存続を揺るがすほどの大炎上🔥🔥



聴きましたが発言は確かに悪いです。
が、リスナーからの意見に答える形で行き過ぎた感じ。

ラジオの特性がそうさせてしまいましたね。
昔からやっている岡村さんはリスナーは仲間みたいな思いがあって、
内輪のノリみたいな感じがあったんでしょうね。


私たちも仲間で集まったときは言い過ぎてしまうことってありますよね。
それと同じようなノリだったんでしょうけど、ご時世が悪かった。


仲間じゃない人も聞いているんですよね、ラジオって。


それを告げ口のように拡散する人が出てくるのです。
で、普段なら岡村さんの発言を耳にすることがなかった人にまで
その声をわざわざ届けて拡散する。
それは炎上するに決まっています。


発言そのものは配慮がないのは当然。
が、炎上の仕方にはどこか陰湿な嫌な感じがしました。



その炎上直後のラジオは酷かった( ノД`)

しょっぱなから超暗いぼそぼそした声での
ひたすらの真剣な謝罪。
笑いなんて当然ゼロ。


しかし、21分経ったころに矢部浩之さんが登場。


個人的には嬉しい登場でした。
5年ぶりですし、
すっごく暗く重い雰囲気だったので、
「やったなお前!」
という登場は救いの声でした。


岡村隆史さんも聞いてなかったようで、
ひたすら岡村さんに説教。


そして説教の内容が痛烈も痛烈。
かつ、コンビ間のわだかまりもすべておっぴろげの内容。


昔から見ていたコンビなので私はその様子がよくわかる・・・


矢部さんの考え方は個人的に納得できるだけでなく、
個人的にも気づきがあり、深い内容でした。



翌週も矢部さんが助っ人で、再び説教もかねて
2人で番組を放送。



ちなみにここで嫌なのがテレビで芸能人が批判していたこと。
切り取られた部分を聞いて批判することが仕事なのかもしれないので、
それは限られた時間の中では仕方がないでしょうけど、
この岡村さんの全力の謝罪も聞いてほしかったですね。


すでに本気で土下座をしているということは
ネットに拡散しないんです。


で、その土下座している人を急に関係ない芸能人がやってきて、
頭をぐいぐい踏みつけているように見えました。

余談でした。



そして昨日聞いていたら・・・


「ナインティナインのオールナイトニッポン」をリスタートするということ!

これは嬉しい。


しかも、ナインティナイン前回の2回でコンビ間の膿を吐き出したようで、
2人の関係が良くなっているのが音声から伝わってきます。


めちゃイケの前、めちゃモテから見ていたコンビなんで、
2人の関係の変化を自分もかなり理解しています。
ラジオもずっと聞いていたんで。


新たにリニューアルした
ナインティナインのオールナイトニッポンは、
そんな自分にとっては本当にうれしい放送になります。


歳を重ねて番組がどんどんなくなっていく中、
こうして同年代ではないけど、近い年齢のコンビが
再びラジオを続けてくれること。


人生の後半戦を迎えるこの年齢で、
1週間に1回、気持ち新たに昔の自分を呼び起こしてもらえる番組がある。
なんて嬉しいことだろうか・・・
素敵な楽しみができました!

ぎっくり腰からの生還

お伝えするのを忘れていましたが、
お陰さまでぎっくり腰が治りました。


ただ、二週間近くずっと片足をカバーして生活していたため、
腰や足が筋肉痛なのと、間接もまだちょっぴり痛いというか、
違和感が残る感じです。


でも、激痛電撃ショックが無くなっただけ幸せです。


普通に歩ける有難みを実感しています。



日頃のメンテナンスが大切だなと痛感したんで、
早速昨日から腕立て腹筋背筋スクワットを
わずかな回数ですがスタートしました。


背筋はまだ痛みが残るので本格的にできないですが、
気持ちちょっぴり上半身を上げる程度で。



改めて体重を量ったら62kgでした。


大学のころから20年以上65kgあたりをキープしていたんですが、
今はちょっぴり痩せ気味。

もう少し筋肉をつけて、
再び65kgに戻そうと思います。


それにしても健康な体はありがたい。



年も年なんでメンテナンスをしっかりやろうと思います!

2020年5月11日月曜日

腰痛・ぎっくり腰の電気ショック的痛みの日々


先週の金曜あたりからぎっくり腰になってしまいました。


きっかけは小さなゴキブリを見つけて
追いかけたときに感じた腰の「ピキっ」という違和感。



まぁ、ちょっと痛みはあったけど仕事もしなきゃいけないので、
腰をかばいながら仕事をしていました。


翌日になると腰の痛みはスーパーサイヤ人的な覚醒状態。


歩くと電気ショックが襲ってくるので、
かなりびっこを引く状態に。


オフィスに行く必要があったので、
バイクに乗っていると、
道路の振動で腰から脳天にかけて電気ショックが。


タイの道路は凸凹が多いので超きつい・・・


それを恐れて腰に力が入るから余計に悪化。


叫びながらオフィスに到着すると、
もう座っているだけでも痛い状態に。


耐えられないのでオフィスで寝転がろうとしたら電気ショック。


ゆっくりと電撃が走らないポジションを探しつつ・・・


それでも避けきれず「ドガーんっ!」
っと脳天まで電気ショック。


電撃は気絶するかと思うほどのレベルになってきました。


もう立ち上がるのも一苦労。
階段をあがるのはもう登山状態。


よくバイクに乗って家に帰ったものです・・・我ながら。


それでも仕事をしていましたが、水曜から完全にダウン。
寝たきり生活になりました。


起きれない。起きようと思うと10分はかかります。
もちろん、その10分の間にも何回も地雷を踏むかの如く
電撃ショックが襲ってきます。


電撃ショックのイメージとしては、
歯医者で虫歯をドリルで削って神経に触れたときの
衝撃の5倍くらい。


ズドーン!って感じです。

もう怖くて歩けません。


結局仕事は臨時休校にしました。


病院には行きたくなかったんですが、
もう耐えられずに木曜に病院に行きました。



病院の先生はいたって冷静。
淡々と数分の診察で腰に注射を打つことに。


医者の診断は筋肉の炎症だとか。



え?それだけ?


自分は若干信じられません。


背骨の軟骨が飛び出ていて
神経にぶつかっていると思いこんでいます。
それじゃなければ説明できない電撃の大きさ。



きっと軟骨の炎症が消えたのかな?と思いこんでいます。
筋肉の炎症程度でここまで痛いなんてありえるのだろうか・・・


ひたすら寝続け、土曜には若干の電気ショックがあるものの
マックスと比べたら幸せに思えるほど痛みが引いてくれました。


日曜は電気ショックが完全に消え、
ただ、今までかばい続けて歩いていたので
筋肉に痛みがある感じが残る程度。


ほっと一安心です。
もう勘弁です。


このぎっくり腰、腰痛のおかげで、
家族の有難みを痛感しました。


娘が頻繁に私のところに来て、
水をもってきてくれたり、
マンゴスティンを向いてくれたり。


息子が自分のお小遣いでコーヒーを買ってきてくれたり、
水をもってきてくれたり。



もちろん妻も色々と助けてくれました。


家族がいることの有難さ、健康な体でいられることの有難さ。


これを思う存分に痛感した1.5週間でした。


月曜からは、ちょっとゆっくりな動作にはなるでしょうが、
通常の行動ができそうです。


いかんせん、筋肉が痛むのと、
脳が電気ショックの恐れを覚えてしまっていて、
勝手に体をストップさせてこわばってしまうんです。


怖くて靴下を普通にはけませんから。
脳が完全に怖がっています。


それくらい電気ショックがデカかった。


腰は大学生のころにバーベルで筋トレをしていたときに痛めたんです。


それいらい、1・2年に1回程度で
この電気ショックが私の体に訪れてくれます。律儀にも・・・


いやぁ、本当にぐったりしたぎっくり腰ウィークでした。


完全復活したら、絶対に筋トレをスタートして
腰を強化します!!

後日談
ぎっくり腰からの生還!!

2020年5月4日月曜日

日本のことを愛せば右だと叩かれる

今日は知人と会話をしていて。


テレビをつけたら日本人が日本人を叩く。


近隣から日本の領海に侵入される。
そんなことには目もくれず、
日本人は日本人ばかりを叩く。


パチンコがおかしいと日本人が日本人を叩く。
その資金の一部がどこの国に流れているかに目を向けず。


日本の根幹は教育だとは言うけど、
日本を愛する心なんて言おうものなら、
右だの過激だなんだのと言われ叩かれる。


日本を愛そうなんて長渕剛が言えば、
暑苦しいと言われ叩かれる。



私は差別主義なわけではありません。


職業は帰化した人を含め、
外国籍をもつ人に開かれるべきだと考えています。


だけど国そのものを左右する国会議員という仕事さえも
開かれるべきなんだろうか。


逆に考えてみて、
お隣の国で日本人が政治家になれるのだろうか。


日本人がお隣の国でデモ行進して無事で済むのだろうか。


日本の政治がヤジばかりで進まないこと。

いつまでも森友学園、桜を見る会と言っていること。

原因はどこにあるのか、
言い続ける政治家の真の目的は国を愛するためなのだろうか。


日本国内で1番多く掲揚されている旗。

一説ではフランスの国旗だとか。

フランス料理店の前にある国旗の数が、
自国の国旗の数を上回る状態が普通で良いのだろうか。


日本は落ちるところまで落ちないと
気づけないレベルまで骨抜きになっているのだろうか。


我々の世代ではどうしようもないのだろうか・・・
見守るしかないのだろうか・・・


そんなことが話題にあがりました。


こんなことをここに書くこともはばかれます。


お前は右の思想をもっているのか?
などと言われそうで。


日本人が日本のことを憂う。
ただそれだけで右だの暑苦しいだのと叩かれる。


そんなことをびくびくして、
ことなかれ的な発言しかできない状況。
そんなことでよいのかな・・・

2020年5月3日日曜日

9月入学への私流の考え


9月入学が議論に上がってきましたね。

この新型コロナの影響で、4月は難しいのはわかります。
臨時で9月入学にするのは仕方がないと思っています。
必然的に学年が短くなります。

痛みが伴います。
でも、痛みが伴うのは今の時期は仕方がないのかな。


子供たちに罪はありません。
誰が悪いわけでもありません。


悪い犯人捜しでも責任のなすりつけ合いをするでもなく、
各業界、国民、人類で痛みを分け合う時期な気がしています。


先生たちの負担も大きいでしょう。
限られた時間の中で教えるのは。


しかし、給与すらない人たちがたくさんいます。
明日の家族の食事の心配をしている方も。
借金が膨らみ、命の火が消えかかっている方も。


先生たちは定時で帰れなくなるかもしれません。
でも、痛みを分け合う時期として2020年だけは何とか・・・。
強制はしてはいけませんが。


これはあくまで臨時の話です。
臨時ではなく恒久的に9月入学にすることは
私は賛成しがたいなと考えています。


例えグローバル的に見てメリットがあったとしても。



個人的にグローバル人である前に日本人であることが
大切だと考えています。
考え方が固いのかもしれません💦


日本人が日本人であるためには、
歴史と文化という土壌が必要なんだと思います。
パスポートではなく精神的な土壌


古き良き日本の文化を守るべきだ!的な
ノスタルジックさを前面にして大切だと言いたいのではありません。


厳しい冬が終わり、
春と共に物語がスタートする。



これがどれだけの物語、文化、歌、芸能など、
様々な日本人が目にするもの、耳にするものに
しみこんでいるか。


それらの情報を自分の体内に取り込みながら
自分たちの精神性を作ってきたような気がします。


桜の下での入学式。
これはただたんに美しいからやっているんでしょうかね?
会社の新入社員の時期から逆算してぴったりだから?

違いますよね。


冬が終わり、春の訪れってのは
新しいことを始めるのには最適な季節だと感じます。



新しい社会人、学生、テレビなら番組、
何でも良いですが、スタートするのには最適な
季節は絶対的に春。
だから入学式は4月にあるんだと思います。


人間は自然の一部。


この自然のサイクルに人間のサイクルを合わせていったのが
日本人が季節の移り変わりを大切にしてきた証拠なんじゃないかな・・・


そうやって日本人は日本人の精神性を作りあげてきたんじゃないのかな・・・


論理を越えた感性の部分の話です。

効率化と安全と便利を目指したければ
日本の街並みが鉄筋コンクリートに変えればいい。


コンビニを作りまくり、自動販売機だらけにしたらいい。


でも、そんな景色って好きになれます?
日本人であれば、答えは自然と出てくるんじゃないですかね。



なんで、観光客は京都に集まるのか。
答えはシンプルでしょう。


その答えがわかるのも日本人がまだ心の中に
日本の良さを知るDNAをもっているからなんじゃないかな。



4月入学は世界的に見ておかしいのかもしれませんし、
スタートがズレていることで、
色々と手間もあることでしょう。


効率化、便利さで失った文化は元には戻せない。
今までの戦後の歴史を見て思うのです。


思い出しますね。


桜のある入学式。
桜のある新入社員歓迎会。



4月入学を私が守ってほしいと考える理由が
少しでも伝わりましたかね。


人それぞれ意見は違ってよいと思います。
どちらが良いかはご自身で考えることが大切なんだと思います。

2020年5月1日金曜日

新型コロナがもたらす変化に対応するしかない

昔は自分は仕事柄、オンライン教育の是非を語っていた時期がありました。



でも、新型コロナの影響でそんな悠長なことを言っていられない。
強制的にオンライン授業をやらざるを得ない状況になってしまいました。


でも、マイナスに捉えても仕方がないので
プラスにとらえて生きていこうと思っています。



人生は答えが無い航海のようなものだなって
最近は強く考えさせられています。


どっちに行けば正解なのか、
より良い港なのか。


もう自分の直感を信じて進むしかないような気がしています。


誰かが言ったから正解。
誰かが言ったから責任を擦り付ける。


そんな生き方ではなくて、
自分で情報を集めて、最後は直感というか、
心で選ぶ。選んだら信じて進むのみです。


そして朝令暮改もあり。


違うと思えば方向転換すればいい。


一寸先は闇という言葉もありますし、
その裏は一寸先は光。


光を探し続けて歩くしかないのかな。


最近のコロナの荒波の中
考えていました。


進むしかないです。


バンコクの犬は今日も自分の判断で生きていますw



変化に対応できないで立ち止まっている種は
滅びてしまう。種の保存の法則というやつです。


みなさんの周りも大変化が起こっていることでしょう。


カメレオンになるしかないです。

変わっていきましょう。
対応していきましょう。

立ちすくんでいる場合ではない。
もうこうなったからには。