まだ来ていない未来を憂い、
今目の前に広がる眩しい光に輝く木々を美しいと感じ、
過去の想い出を懐かしみ、
只今、珈琲の味を楽しむ。
思考も身体も縦横無尽。
まだ来ぬ未来を抱えすぎ、その重さで息苦しくなる。
息苦しいなら無理に抱えず、
とりあえず足元の今だけを見て、
ちょっぴり歩を進めるように生きる。
すると少しは楽に生きられるのかもしれません。
未来に期待せず、悲観せず。
「定年まで働かないと退職金を考えると勿体ない」
という言葉を聞いたことがある。
自分はそれまでの数十年を我慢する人生の方が勿体ないと考えている。
一度しかない人生だし、定年後に長生きするかもわからないので。
定年後のために、今を捨てたくもないと考えている。
価値観の違いなので善し悪しは無い。
Xを見ていると、時々見ず知らずの人同士が些細なことから口論しているのを見かける。
気持ちのいったんはわかるけど、
人生の終わりが近づいたとき、かなり後悔するんじゃないかな。
口論して、相手を言い負かせることができたとして、
いったいなんの意味があるのだろう。
別にそれで自分が上になれるのだろうか。
そもそも、そんなことに上下も無い気がするが。
あったとしても、だから何なんだろう。
下だろうが上だろうがどうでも良い気がする。
1度しか無い人生、何に時間を使うのかは自由だけど、
どうも、かなりの浪費だと思う。
そんな誰か知らない人と口論する時間は、
自分の趣味に使った方がよっぽど良い。
わかっていてもやめられないのが口論なんだろうな。
??
もしかすると、口論することが趣味なのかも。
そうだとするなら、別にOKか。