日本の電車で
サラリーマンの表情が死んでいる
って表現されるのを聞いたことがある。
自分もサラリーマン時代に満員電車に乗っていたときは
周囲の学生から
死んだ魚の様な目をしていると
見られていたかもしれません^^;
当時は携帯が今ほど発達していなかったから
目の片隅に写る中吊り広告をなんとなく見て、
エネルギーがあるときは本を読んでいました。
いくら本を読んでいても
決して快適な空間で過ごしているわけではないので、
そんな死んだ魚のような目をしていたのかもしれません。
これは大人社会の様子ですが、
教師になって驚いたことがありました。
大人だけのことだと思っていたことが、
子どもたちの中にも
表現は悪いので死んだ魚のような目はふさわしくはないですが、
表情に精気が感じられない子が少なからずいたのです。
なぜ顔から精気が無くなっていくんだろう?と
自分を振り返ると見えてくることがあります。
それは【やる気の無さ】です。
大人であれば、社会、会社という自分を超えた
大きな流れに巻き込まれていて
自分の意思なんて全く価値が無い状態。
まるで大河に落とした1滴の水の様に。
子どもも同じなんでしょう。
子どもの仕事は遊ぶことと言われています。
でも、その遊ぶ時間もないほど忙しい日々。
家に帰ってもすぐに準備して塾へ行き、
学校の勉強をどんどん先取りしていく。
先取りすれば、学校の勉強が退屈になってしまうことも
うなずけます。
やる気がなければ、
受け身で生きることになりがちです。
日々惰性でルーティーンをこなすように動いているとき、
無思考でも体は動き、自然と会社まではたどり着けます。
歯磨きと同じで無意識でもできることになります。
学校で授業を聞いているときも
なぜ?どうして?と前のめりではなく、
ただ知っていることを再度聞いているだけの状態。
受け身だからこそ
自然と目から精気が無くなっていくんだと思います。
社会のスタイルを抜本的に変えることは不可能なので、
今一度、自分のやる気を高めるためにも
「目的意識」を強くもてるように自分自身を見つめなおすことが
大切になってくるのかな?って思います。
子どもは自分では気づけないことが多いので、
親が子どもに生き急がせていないか?
と問いかけることも大切かもしれません。
そんなことをちょっぴり考えていました。