2020年7月29日水曜日

タイで細菌と戦う日々

タイのTOPSマーケット


金曜日、左足首がかゆく、
くるぶしあたりをカリカリ掻いていました。


で、小さいキズができてしまいました。

すると・・・

土曜には赤く腫れはじめ、
日曜には片足の甲まで腫れてしまいました。

月曜に病院に行き、抗生物質をもらって
今日は水曜です。

足の甲は腫れ、歩くと水枕が動くような
変な振動が感じられます。

ただ、痛みはないので薬が効いて
治ってきているのかもしれません。


それにしてもタイの細菌は怖い。
タイの人にとっては、生まれた時からある菌だから耐性があるのかもしれません。


でも、日本人である自分にとって、
在タイ10年を越えても免疫はできないようで、ちっこい傷から侵入した菌に
かなりのダメージを負うことになってしまいました。


抗生物質で若干の眠気もありますが、
仕事はあるので休めないのが大人の
厳しいところです。


タイは私にとっては異国。
私は異人。


こんな当たり前のことを痛感するきっかけになりましたし、
改めて健康の大切さも痛感しています。


普通に歩けること。

普通に体を洗えること。


足を気にせず座れること。


健康第一とは言いますが、
こは真理中の真理ですね。


教養とは何か?
教育とは?
子供が生きる力とは?
などなど、自分が考えているテーマです。が、足がパンパンに腫れている腫れ男は、足の治療のことが頭の7割を占めていますw
それ以外で日常生活の細々したこと。

以上。


教育とはなんぞやなんて考えている余裕はありません。


健康第一。


本当に痛感する数日間です。


PS:抗生物質が無い昔の時代の人々は
街に落ちたくぎを踏んだだけで致命傷だったんでしょうね。

自分のかき傷だけでこのダメージ。
お侍さんや武士も、軽い刀傷で命を落としてしまうほどの
ダメージを負ってしまっていたんでしょうね。

2020年7月20日月曜日

老いを受け入れる年齢

自分は老化なんてことを考えたことはリアルには無かった。
特に40歳を越えたら・・・的なことも聞いていたけど、
別段に外見、内面ともにいつもと変わらず、
こんなものかな?
と拍子抜けした記憶もあります。


そして「厄年」を去年迎えました。
色々周囲に言われましたが、
自分はあまり気にするタイプでもないので、
「厄年」ということも忘れていて、
特にお祓い的なこともせずに気づいたら終わっていました(^^;


では、何も感じることもなく
いつも通り43歳になっているかと言われたら
これは違うんです・・・


老化。


厄年の「厄」は感じることができませんでしたが、
「老化」を感じることができました。


白髪が増えたなぁ・・・と感じたのは42歳。


肩の凝り、眼精疲労のようなものを感じたのも。

首がどこか凝っているのも。

酷く腰をやられたのも。

シミが若干気になったのも。

肌が乾燥しているような・・・
なんて感じたのも。


とにかく、肉体的に色々と老化のようなものを感じたのは
確かに42歳でした。


いつまでも無限に若いつもりでいましたが、
そろそろ向き合わなければいけないんだなと
43歳になった今は、少し諦めというか、
受け入れたような気持ちになっています。


老化ってやつだけは仕方がない。
どうしようもない。

多少はあらがえるんだろうけど
数年あらがったからといって、
またあらがえない時期は必ず来る。
遅かれ早かれ。


だったら今向き合うしかない。


そんな気分です。


でも、正直嫌なものです。
この肩の妙な凝り。

首から目にかけた疲労。
ちょっと近くのものがかすむような気すらします。

昔から視力は2.0で、目の良さは自慢できていたんですけどね。
どうも近くのものが見づらいような。


ま、しゃーないですね。

2020年7月19日日曜日

人は必ず命が終わる【三浦春馬さん訃報】

三浦春馬さんの訃報が入りました。


ファンだというほど知っているわけではないけど、
ちょくちょくテレビでお見掛けしていただけに
少しだけ明らかになっていた死因に驚きました。



人は必ず命を終えなければならない日が来ます。


それが早いか遅いかは誰もわからないけど、
必ず終わる命。


それを自ら早める決断をした思い。

こればかりは誰にも計り知れないことですし、
はかり知る必要もないことです。

三浦春馬さんだけが知っていればいいことだし、
それが正解か不正解かは、
人の眼によって左右されはするものの、
誰にもわからないこと。


彼が選んだ道であるという事実だけは確かなことです。


何のために生まれ、
何のために生きるのか。


それを見出せる人がいれば、
見いだせない人もいる。


見出した人もいれば、
それを手放す人もいる。


私には何が正解かなんてわかりません。


ただ、言えることは、
私に関わってくれた人には、
死を選んでほしくはないし、
そうならないように自分は協力できたらなと思います。


できることはそれくらいでしょう。


人には誰にも言えない悩みもあれば、
それを抱えきれないで苦しんでいる人もいるはず。


もし、これを読んでいる
自分の知り合いの人で、
そのような苦しみを覚えている人がいるなら、
連絡してもらいたいな・・・と思います。


どうせ一度しかない人生。
そして必ず終わる人生。


人という字は支え合うようにできているって
金八先生も言っていました。


少しだけ支え合って生きましょう。
寄りかかり過ぎず。適度な感じで。


2020年7月17日金曜日

古き良きタイを生きてきた

最近、ふと改めて自分の半生を振り返ることがあります。


たくさんの経験をさせてもらって、
その経験が寸分の狂いなくかみ合ってここまで
辿り着くことができたことの奇跡。
本当にピタっとかみ合っている奇跡です。


当たり前のことなんですけどね。


あの時、あの判断をしていなければ・・・
その連続の中の1つでもズレたら
今の地点にはいないだろうし。


でも、今とは違う地点にいるなら、
そこで今と同じようなことを
やっぱ考えている自分がいるのかもしれません。


ひょんなことからタイに来ました。


バックパッカーのような感じで来たことがきっかけです。

そして、現地採用として
多くのみなさんが経験できないような
底辺の生活も経験することができました。


4500Bのアパート。
殺風景な部屋に響く声。
でも、タイで確かに生きているという強い喜びがありました。

赤茶の水道。
水シャワーの寒さ。


部屋の床のタイルの冷たさ。硬さ。

ベッドのなぞの白い汚れ。


日本とは違うアパートの廊下。
エレベータの雑な動き。
デカいボタン。


はじめて入ったセブンイレブンは、
しょうじきセブンイレブンじゃなかったなぁ。


入り口にはセブンイレブン!って堂々と書いてあっても
中はタイの風味ばりばり。


まったく自分がイメージしていたセブンと違っていて
アウェーだなぁ・・・と感じました。



それが今やこれです。


こんなものがタイのセブンに置かれる日が来るとは。


今、タイに来た若い日本人の子にとっては、
これが普通なんでしょうね。
いや、これでも驚くんでしょう。


自分がマヒしているだけかもしれません。


でも、やっぱ昔と比べたら、本当に日本っぽくなりましたよ。
店員がタイ人だということを抜きにすれば、
全く異国情緒ないですから。


あるのかな?
やっぱ自分がマヒしているだけかも(^^;


こんなC1000タケダみたいな
ビタミンCのドリンクなんてありえないですから。


今や日本のテレビも普通に見られるし、
YouTubeもあります。


昔はそんなものなかったから、
部屋の中でタイのテレビを流していましたから、
家の中までTHEタイでした。


今こうやって書いているときも
部屋を見渡せば、すべてがそろっています。


よくここまで歩いてきたな・・・我ながら。


YouTubeで異国を紹介している番組があって
芸能人がキャッキャ言っていますが、
自分の家の近所があんな感じだもんな・・・
と不思議な感覚です。


自分はもう13年くらいいるから当たり前になってしまった光景を
すごく新鮮に味わえる人は幸せなことなんでしょうね。


むしろ自分は日本に2年に1回くらい帰国した方が
すごい新鮮味があるという逆転が起こっています。
その感覚も不思議です。


人生の前半戦では
本当にありがたい経験をさせてもらった。


これを自分だけのものにして、
ただ一人で満足して人生を終えるのは何か違う気がしています。


自分の経験を未来の子供たちのために活かしたいなと。
最近ちょくちょく思うようになりました。


それが歳をとるということなんでしょうかね。

2020年7月15日水曜日

思い癖というやっかいなもの

考え方の癖ってありますよね。


自分も考え方の癖があることに
時々気がつくことがあります。


自分はお金で苦労した過去があります。
都立高校でしたが学費も少しだけ自分で払った時期があり、大学も奨学金で行き、自分で返済してきました。


そのためかお金に関して、
ちょっとした苦労グセのようなものが
自然と出来上がっていることに気づきます。

未来に対する金銭的な不安。

これがつきまといます。


その割に公務員を辞めてタイに来て
自営業をしているのは、
金銭的な理由より夢を追いかけている
といったところが大きいです。


ただ、人生を折り返してみれば、
この生き方を息子におすすめできるかと言えば、正直おすすめはできません。


でも、人生を選ぶのは自由なので、
自分が経験した上でのリアルなアドバイスはしようと思います。


それを聞いたからといって
自分の進路がコロコロ変わるようであれば、
その夢への熱意は弱いのかもしれません。


私の話を聞いても
安定だのなんだの無視して
突っ走ってしまう。


そんな夢を見つけることができたら
人は幸せなのかもしれません。


どうせ死ぬ時はあの世に金なんて持っていけませんからね。


どう生きるか。


それが問われています。


ただ、自分は生き方の中に
どうしても金銭的な思いグセがあり、
それと戦っています。

だいぶ買ったような気がしますが、
それでも見てみないふりをしているだけで
心の奥に何かしらありそうです。


でも、今は考えません。
見ないふりをしています^^;


そんな思いグセがあるくせに
公務員を辞めてタイに来るのだから
人生どうなるかわからないものです。


自分で選んではいるものの、
そのときはそうとしか思えずに歩いているので、ある意味、そのときの自分に歩かされたような・・・


さて、これからの後半戦は
どう方向を決めて、どう歩いていくのか。


先が見えないのは不安です。
でも、RPGゲームの攻略本を先に見てしまったような
先が見え過ぎる人生も嫌です。


ないものねだり。
これも思い癖なのかもしれません^^;

2020年7月13日月曜日

海外の新型コロナが日本の対応より優れているわけではない

新型コロナ感染者数が増えている東京。


タイに住んでいる自分から見ると
対応が甘いという感じがしますが、
それはタイにいるからこそ感じること。


日本に住んでいれば、それが当たり前になっているので
甘いと感じる人の数は海外在住の日本人に比べて
低くなるのは仕方がないことです。


ここで勘違いしたくないのは
海外に住んでいるからといって有識者のごとく
日本の対応が云々と学者風を吹かすこと。


自分は海外に住んでいて感じることは
分化も環境も全く違うので、
その国の対応の仕方を日本に入れることは難しいということです。


外出禁止令だったり、閉鎖命令だったり、
タイでは比較的簡単にできるから、
政府の対応が日本に比べると素晴らしいっていう日本人もいまが、
本当に素晴らしいんでしょうかね。


コロナ禍ではないときの政府の対応も
同じような強制力でやっているわけで、
それに関しては大いに否定していなかったかな?


それにも関わらず、コロナ禍になったら急に手のひら返しで
タイの政府の対応は日本より・・・ってのは
おかしな話。狭いポイントでしか見ていないわけでしょう。


強制力をもつということは
やはり他のことにも強制力をもつことができてしまうので
そこに敏感になるのは先進国、人権大国としては
仕方がないのかなとも思います。


そして、東京の人口密度は世界有数。
その人口密度の都市とタイを比べるのもナンセンスかと思います。


その国なりのベストは何か。
そこを模索しているのが今。


至らないところがあるだろうけど見捨てない。


ここはもっとこうした方が良いという
建設的な意見が広まるなら
より成熟した社会だと言えるのかなって思います。


私は日本が好きです。
だからこそ、海外から日本を見ていて、
ちょっと日本人が日本に悲観的になり過ぎていることが
よりマイナスの現状を生み出しているような気がしてなりません。


日本にプラス思考で情深いエネルギー溢れるリーダーが生まれることを
願いたいです。

2020年7月10日金曜日

根っこに目を向ける

肩が凝る。首が凝る。
目が疲れる。


最近感じていたことです。


が、原因はあります。
確かに変な力が体に加わり続けています。
その変な力はどこから生まれているのか。


ストレスによる緊張感から筋肉が固くなっている。

ストレスの原因は何か。
それが肩こりなどの根っこです。



さらに、仕事柄、目を酷使しているし、
睡眠時間も少なめです。


なぜそんな生活になってしまっているのか。
この生活は改善できないのか。
そこが根っこです。


体を痛めつけているのは自分であり、
そのことに気づかずに日々の生活を続けています。



そうしているうちに、
痛みを伴う箇所は
いつか取り返しのつかないダメージを負ってしまうのかもしれません。


今の社会を見ていても同じ気がします。
痛ましい事件や災害は多くあります。


これは一体なにが原因だったのか。
地球規模で間違っていたことがあったのではないか。


そこを考えてケアしてあげない限り、
第2第3の事件は社会の中に必ず現れ続けるのでしょう。


根っこに目を向けない限り。

2020年7月9日木曜日

タイ政府【日中韓トラベルバブルの無期限延期…】

タイの新型コロナ対策
▲エスカレーター前のソーシャルディスタンスを知らせるセンサー


タイ政府が日中韓の【トラベルバブル】の
無期限延期を発表したらしい…


一次情報ではないので、
真偽はご自身で確かめてください。


・・・。


トラベルバブル❓
な、何それ・・・


という方もいるかと思います。


私がそうです(^^;


軽く調べてみました。



日中韓はタイと結びつきが強い国。
近いですし。
観光客だったりビジネスだったり行ったり来たり。


この日本、韓国、中国からの観光客の受け入れを
他国よりも優先的にしようと試みた計画だそうです。


で、まずはビジネスでの来タイなどを受け入れようと
つい最近、規制が緩和されたばかりだったのに・・・


7月9日の東京の感染者数が224人で
過去最多だとか・・・


日本が感染を制御できていないということで、
トラベルバブルが先送りとなったみたいです。


とても悲しいですが、
こればかりは仕方が無い判断かと思います。


タイは国が強い権限をもって半ば強制的な閉鎖指示を
各方面に出していました。


夜間外出禁止令が出て
夜10時以降外出は禁止の期間もありました。


飲食店だけでなく、自分の塾の仕事も閉鎖命令が出ました。
デパートも閉鎖。


今は解除されましたが、
本当に痛みを伴う命令に多くの人が悲鳴をあげつつも
何とか乗り越えてきました。


痛みを伴う閉鎖などのおかげか、
タイでは国内感染者数0人が数十日続いています。


ここで日韓中を受け入れをしてしまったら、
また振り出しに戻ってしまう可能性があるので
仕方がないのでしょう。


日本人である自分としては複雑な知らせです。


出口の見えない無い長いトンネルの中にいるような。
日本はどうなるのでしょうか・・・


きっと皆さん頑張っていらっしゃいますよね。


夜の歓楽街での感染が・・・などもニュースで耳にしました。


さらに、東京都知事選では、
ご自身の当選のために街頭演説で密をつくっている候補者も見ました。


7月7日がラッキー7でパチンコに1000人単位で行列ができたとか・・・


タイで暮らしていると、
このあまりの自由さが信じがたい感じもします。


この自由さは歴史の中で勝ち取ってきた人権なのかもしれません。
人権先進国だからこその自由な権利。


でも、判断力が無いお気楽な行動だったり、
無秩序というものと表裏一体の自由なのかもしれません。


いずれにせよ、
一部の方々の欲のために
一部の方が苦しみを背負わなければならない現状。


パチンコに精を出す大人の影で、
一生の思い出となる卒業式や入学式が中止になる学生も出てきます。


タイにいても自分は日本人。
日本が好きです。


私は人権はとっても大切だとは思いますが、
今は政府が強いリーダーシップを発揮してよい時期かと思います。
そのためのリーダーですから。


民主主義であり、議論も必要でしょうが、
一刻を争う時期だと思います。


何とか空気が乾燥する冬までには・・・
何とか。

2020年7月8日水曜日

家族ができて自分は弱くなったのか?

8番らーめん
▲バンコクの8番らーめん


ふと昔からの友人に言われたこと。

【背負ってる責任は大きくなって苦労あると思う】

確かにそうだなって感じることがあります。


独り身だったら全く苦労せず決断していることも
家族がいることで決断に苦痛が伴うこともあります。


苦労が生まれるだけではなく、
弱くなったなとも感じることがありました。


家族が自分のパワーになってくれる。
だから家族なしではいられなくなっている自分に気づく。
依存心のようなものです。


自分そのもののパワーは弱くなっているのか?
もう欠けるわけにはいかないかけがえのないものができたから、
欠ける怖さから弱くなっているのか?

そんなことを考えたこともありました。


だけど、深い部分を見つめれば、
パワーは増しているということに気づけました。


1人でいるより絶対に増しています。
ふつふつと。


窮鼠猫を噛むというような
突発的に湧きそうなエネルギー。
いざというときに出るだろうパワー。
これはすごいものがあります。


背負う者がいつか自分と一心同体となり、
自分の命も背負う者の命も惜しむ。


が、背負っていたつもりが
実はパワーをくれていたという事実や、
背負う者によって生きる意味を与えられているという事実に気づく。


生きる意味を与えてくれた家族、
その中でも子供ができたことで
自分の命より大切なものがあるという事実を悟る。


侍は自分より主君の命を大切にするまで
自分の胆力を練ったらしいですが、
そんな鍛錬はゼロ。


我が子がいるだけで
すぐに胆力は練れました。


何か危機に直面したとき、
「子どもの命が助かるなら死んでも良い」
本気でそう思えます。
嘘偽り無く。


弱くなったようで強くなった。
例え強くなったとしても
それを誇示する必要もない
自分だけの中にあればよい強さ。


ただ、心の奥の方でふつふつと
沸き立つようなエネルギー。
自分だけがわかっていればいい。


そのエネルギーを何に使うか。


できれば家族を越えて、
何か社会の中に少しでも還元し、
次世代がより生きやすい社会を作ること
貢献できたらなと思う今日この頃です。

2020年7月7日火曜日

何かと比べて生きる


ビックCエカマイ
▲ビックC エカマイ店

自分が不幸だと思うことも
アフリカの名も知らない村で
顔にたかるハエに苦しむ老人から見たら、
取るに足らない塵のようなものなのかもしれません。


でも、何もかもが順風満帆で
光り輝く生活の人から見れば、
自分の生活が不幸に映るのかもしれません。


このコロナ禍の中、
人間は何事も他人と比べ、
過去の自分と比べ、
未来の自分と比べ、
空想の誰かと比べ、
喜怒哀楽と共に生きているんだなと感じます。


だからといって、
何事も幸不幸も無いなんてことではなく、
やはり、自分がキャッチできる情報の範囲で
幸不幸は決まりがち


だからこそ、
人は偏った情報に陥らず、
日本から飛び出した、時代を超えた
多様な情報を手に入れ、
判断材料にするべきだと思います。


もしくは完全に情報から鎖国して、
始めからある心の中の尺度に従うか。


いずれにせよ、
今の自分の気持ちっていうのは、
何かしらのものと比較して生まれているな
というのが今の率直な気持ちです。


だから何だってわけでもないですが^^;

2020年7月4日土曜日

選んだ道は正解【自分がタイ生活をするきっかけとなった先輩】



自分がタイで生きることになる上で
かかせない人がいる。


学生時代に秋葉原の万世の1階にある
トリムという喫茶店でバイトしていました。


バイトの1つ年上の先輩が
旅行先にタイを勧めてくれました。
その先輩の友達がタイでタイ語を勉強しているとのこと。


そして、自分は学生時代に
その先輩の知人に会いにタイに行きました。

それから彼とは繋がりができ、
一時期は日本で一緒に暮らすくらいの仲に。



そんな彼が今月タイでの仕事を退職となった。
コロナの煽りを受けて。


少しでも話を聞きたいし、
何かの気晴らしになればと思って再会しました。


日本で共に暮らしていたときの話。
タイでの生活をスタートしたときの話。


お互いに家族ができ、
親父になり、
色々な境遇を共有できる仲でもあります。


ただ、別に同じ学校だったわけでもないし、
不思議な縁だな・・・
先輩だから未だに敬語だし。


2軒めに行ったお店。
ちょっと裏路地を歩いていたとき
偶然発見したお店。


そこで二人で語っていたとき、
ふと懐かしい思いがこみ上げてきました。


店内で流れる音楽。


日本で一緒に生活していたころ。
タイで生活したいねと語り合っていたころ。

夜中のインターFMでやっていた
「タイの広場」という番組で良く流れていた曲でした。


縁だなぁ・・・と感じた夜でした。


彼は下旬に日本に帰国します。
そして再びタイで働ける職を探すとのこと。

未来はどうなるかなんて誰にもわからないです。


自分はただ良い未来が来ることを願うのみです。
縁あれば再び出会う日が来ることでしょう。
来ることを確信しています。


20代のころに出会ったお互いも
気がつけば40を越えました。

何が正解かわからない人生ですが、
どんな道であれ選んだ道はきっと正解です。
いや、正解と考えないことに何の意味があるのでしょうか。


選んだ事実はすぐ過去となり、
事実は変えられません。


どうせ変えられないなら正解と考えた方が良いのでしょう。


お互いの未来は
きっとこれからも正解だと信じて。

2020年7月3日金曜日

答えの出ない問い。答えのない問い。答えが決まっている問い。

新型コロナを気に色々と考えています。



色々と言っても軽い話題ではなくて、
自分の人生を大きく変えるかもしれない
大きなレベルのことです。


自分はタイで自分で起業して働いています。
企業に守ってもらっているわけではないので、
今回のコロナ禍はモロに強風にぶつかることになりました。
なかなかの強風です。


自分は幸いなことに何とか強風の中、
前に進むことができました。


しかし、知人が強風に倒れる姿を
目の当たりにしています。


退職。
1人ではありません。


今回のコロナは対岸の火事ではなく、
直視しなければならない厳しい現実を
目の前に突き出されました。


しかし、倒れた人も片膝をつき、
再び立ち上がって頑張ろうとしています。


そんな人達を助けてあげたくても、
悩みが吹き飛ぶほど何かしてあげられるわけでもなく・・・
自分の無力さも痛感しています。


タイで生きることを選び、
もう15年に近づいています。


今住む家はローンがあと5年弱くらいかな。
老後に住む場所は確保できそうです。


老後・・・


15年住もうが、タイは自分にとって異国です。


コロナに耐えたとは言っても、
老後前に病や事故で倒れることだってありえます。


そうなれば、外国人である自分は
莫大な医療費がかかります。
こちらで民間の保険には加入していますが、
それでもタイで生きていくことのリスクの大きさは
日本と比較して無視できないレベルのものです。


知人で病に倒れ、
1000万円近くかかった人もいます。
都市伝説ではなく、リアルなことです。


昔はそのようなことは
全く考えもしていませんでした。


若気の至りというか、覇気というか、
ただただ我武者羅に走り続けていたら、
今の位置までたどり着いたという感じです。


もし昔の職場にとどまっていたら、
知人と一緒に倒れていたことになります。


人生は自らの力で変える。
そう考えて走り続けてきました。


しかし、自分の力ではどうしようもない流れもあります。


自分ではもがき泳いできたつもりだけど、
方向は自力ではなくて
大きな流れにただ流されていただけなのかも。
自分で泳いだつもりが、漂っていただけなのかも。


果たして自分の人生の後半戦は、
どう流れていくのだろうか。


息子が来年中3になります。
日本の高校に行きたいと言っています。


親として自分ができることは何か。


息子は日本の高校で寮生活をして、
自分はこのままタイで生きるのか。


いや、息子と共に日本で生きるのか。


答えの出ない問い。
答えの無い問い。
いや、答えははじめから決まっている問いかも。


今までのように漂っていれば勝手に方向が決まる。
そんな問いなのかもしれません。


そんなことを考える時期になりました。

2020年7月1日水曜日

深まり続ける家族の絆



明日から娘が学校スタート。
ちなみに日本人学校ではありません。


息子は7月2日から3日に1日登校の学校生活がスタート。


3月中旬ごろから新型コロナの話題が
より重くなり、
そのまま学校が休校に。


そして6月末まで約3か月間、
ずっと子供たちが家にいる
という生活を続けてきました。


自分は仕事柄、夕方までずっと家で仕事をしているので、
ほぼ一緒に過ごすことになります。


この三か月間、
家族の絆が深まった気がしています。


ただ一緒にいるだけで家族の空気感が濃くなるんだな
って感じています。


それは同じ空間を共有しているからなのかな・・・。


もしこれが単身赴任だったり、
仕事が忙しくてどうしても一緒にいられる時間が限られるような
立場だったら違っているのかな・・・


それとも、家族に向いている【意識】が大切なのかな。


一緒にいるから、家族にずっと意識が向いていた。
この意識の向いている時間こそが。


離れて暮らしていないので
そればかりはわかりません。


ただ、単身赴任だったり、
何らかの都合で家族が離れて暮らしている方、
空間としては離れている方であっても、
家族の絆は深まるものであってほしいという願望があります。


縁あって生まれた家族。
昔は一人だった自分。


1人だったときは感じていた孤独感。
でも、孤独が当たり前だったから、
そんなに感じていなかったかな・・・
空気みたいに。


ただ、ちょっぴりあっただろう孤独感も、
今では全く消え去った過去のものです。


しかし、形あるものはいつか消えるのが常。



形ある家族が消えたときの孤独感は
想像を絶します。
あるものがなくなるのはつらい。


だからこそ、
家族だけは、形だったり、空間だったり、
そんな物理的だったり、距離や時間だったり、
そのような何ものに左右されることが無い
【揺るがない絆】であってほしいです。


【意識ある限り深まり続ける絆】


それが家族の絆であってほしい。
形が消えても、距離が離れても、
永遠に心の中で続く満ち足りた感情を呼び起こすものこそが
家族の絆であってほしいです。