外で鈴虫の音が響いている。
今、タイの田舎にいます。
そこでまさに今感じているのが
自分は本当の時間の使い方が
下手なんじゃないか?ということです。
都会の日々は次々と押し寄せる情報の流れに
首を突っ込む必要もないのに、
さも必要そうに突っ込んで、
「無駄な時間」を出来る限りなくそうとしていた。
が、タイの田舎に来てみると、
このなくそうと必死になっていた
「無駄な時間」がたっぷりできる。
すると一気に退屈になって、
携帯のネットの先にある
「都会」とつながろうとしてしまう。
でも、今回の田舎での生活では、
携帯のバッテリーの調子が悪く、
そう頻繁に携帯を使えなかった。
すると「無駄な時間」が
できてしまう焦りのようなものが
心のどこかに生じてくる。
でも、その焦りが通り過ぎるとある思いが生まれました。
「自分は時間を使っていたようで、
使わされていただけだったのかも」
今までの時間の使い方は、
押し寄せる情報の波に流され
時間を消費していただけだったような・・・。
そんな思いがふと頭をよぎり、
この思いを忘れないように夜な夜な携帯からブログを書いています。
今、窓の外では
鈴虫の声が聞こえてきます。
時折、とかげの鳴き声も。
何もするわけでもなく、
虫の音にただ耳を傾けることだって
決して無駄な時間の使い方ではありません。
今は心からそう感じています。
家族は寝静まったので、
この虫の音をBGMにして、
仕事と関係のない趣味の読書を
何かを得ようとすることなく、
ただただ読もうと思います。
無駄のあふれた贅沢な時間の使い方こそ
自分に大切な本当の時間の使い方だな。