2017年3月3日金曜日
死を目の前にした人の後悔とは
ホスピスの病院で人の死に直接関わる看護師さんが
死を目の前にした共通の後悔があると
教えてくれました。
「自分の本当の願望ではなく、
他人の期待どおりに生きてきた」
ということだそうです。
この言葉の内容や真実に対して
正しいか正しくないかを語るのではなく
自分の内面から湧き出る思いを
見つめることが大切だと感じます。
自分は自分の思った通りに生きているだろうか?
それとも他人の思った通りに生きているんだろうか?
自分の過去を振り返ってみたとき、
このことに直面する出来事があります。
それは、親からは就職先として公務員などを
勧められていましたが、
自分は一般企業に入社したことです。
その後、
最終的に教師という公務員にもなったわけですが、
意味合いが大きく変わってきたんだろうな
と考えています。
もし、始めから親の期待通りに
公務員になっていたら
どこかで言い訳ができてしまう自分がいたかもしれません。
親が言ったから・・・
このフレーズは仕事で嫌なことに向き合うとき
逃げ道として作用してしまいそうです。
でも、紆余曲折あり、
自分で選んだときは
言い訳ができないので
前向きに生きることができます。
自分で選んだ道だから・・・
このフレーズなら
言い訳ができず、
自分で選んだんだから
頑張ろうという気持ちに
繋がりやすいのかなって感じます。
ただ、その教師という公務員も辞めて、
今タイにいるわけです。
これも他人の期待に応えるなら
そのまま日本で教師をしているべきだったでしょう。
でも、自分の願望を最優先した結果、
今、夢に向かって進んでいる自分を
しっかり確認しながら生活することが
できています。
夢を追うということは
自分の願望に素直になること。
自分の願望を他人の願望より優先すること。
そんなシンプルなことだと思うんです。
自分勝手、我がままと揶揄する人もいるでしょう。
でも、それは違うと自分がわかっていたら
他の人がどう言おうが関係ないです。
でも、優しい人であればあるほど
他人の期待を最優先し、
さらにその最優先している自分を労わるように
そんな生き方がいいんだよ。
みんなそうじゃないか。
家族のため、恋人のため。
と自分に言い聞かせて生きていくんだと思います。
でも、最終的に死を目の前にしたとき、
自分の本当の思いと直面することになります。
そのとき、
もっと自分の願望を最優先して
生きていればよかったと考えてしまう
と後悔してしまうのかもしれません。
どんな生き方が成功ということはないでしょう。
でも、私は自分の願望を優先しながら
生きていきたいし、
その願望が結果として他人の期待からそれていないのであれば
そんな嬉しいことはないですし、
心を正してそう生きたいな。
バンコクの片隅でそう考えています。
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