人生は後付け解釈。
タイで生活している今があり、
日本で生活していたかもしれない今もある。
タイで生活している今は味わうことができるけど、
日本で生活していたかもしれない今は味わうことは無い。
隣の芝生は青く見えるという言葉があるけど、
日本で生活していたかもしれない今を
今のタイの生活より良いものだと考えてしまうことがあります。
すると、今のタイの生活は相対的に低い位置になり、
不幸な気分になります。
でも、日本で生活していたかもしれない今は
誰も経験することができない勝手な妄想です。
その妄想のために、今の生活が不幸になるなんて
理不尽なことは無いです。
でも、ちょっと解釈を変えれば、
日本で生活していたら今の知り合いはできていなかったし、
タイの文化に触れて、日本を客観的に眺める経験はできなかった。
すると今の生活は、日本での生活の方が良かったかも
と考えていたときよりは肯定されるものとなります。
こうやって人生は後付け解釈によって幸不幸も変化するもの。
二者択一で消えた方の選択肢を妄想の中で過大なものとして
苦しむなんて馬鹿げています。
消えた方の選択肢を下げずむことで幸せを味わうのは
ゲスな感じがするので、
選んだ選択肢を上げることで幸せを味わった方が良いと思います。
どうせ生きていく選んだ選択肢なんだから、
その人生の良いところを探しながら生きた方が
より幸せになれると思うのです。
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