2019年5月30日木曜日

日本での悲しい事件をどう受け止め、考え、生きるか

川崎の刺殺,刺傷事件など、
日本で悲しい事件が続いていますね。


悲観的な意見がたくさんあったかと思えば、
日本は世界から見て安全なんだという意見もあったり。



見る角度によって感じ方は変わりますよね。


明確な犯行動機がわからない無差別な事件に対して
悲観的になる気持ちもわかります。


世界から見て日本が安全な国だということも数値的には事実なので、
それも否定することはできません。



ただ、世界的に安全であって、
犯罪件数そのものが減っていても、
明確な意図がわからなかったり、
個人の絶望感がもとで道連れ的な思想での殺人が増えていることは
悲観的になるには十分な材料だって思います。



でも、そんな話をしていても普通に明日はやってくるので、
自分は悲しい事件をどう受け止めるかという
もっと身近なことを考えていました。



どう防いで良いかが見えない事件であればあるほど
悲観的になってしまうし、
わが子のことだったり、自分のことを思うと
不安になってしまうこともあるでしょう。



でも、これって防げるのかな・・・


備えあれば憂いなしって言葉があるように
確かに備えをしておくことは大切です。



でも、個人では防げないものもありますよね。


どんなに警察官がいたって、
大人がいたって、格闘技を習おうが、
背後から出刃包丁で刺されることを防げるはずがありません。



世界に目を向けると、
テロが多発している地域もありますよね。



これも防げるのか?と言われたら、
正直限界がありますよね。。。



急に爆弾を積んだ車が突っ込んできて
避けられるわけがありません。


備えることも大切なことなんですが、
考え過ぎてもどうしようもないというあきらめといったら
マイナスな語感なんで、
ちょっと前向きな「覚悟」をしておく必要があるのかなって気がします。


では、自分自身にとって諦めだったり、覚悟というのは
具体的にどういうことなのか?
と言えば、
「毎日毎日を大切に生きる、生ききるということに徹する」
ということかな。


いつ終わりが来ても良いように。
死ぬ間際に後悔ないように。



これは言葉遊びみたいなもので
きっと後悔は残るんでしょうね。
終わりは来てほしくないです(^-^;


でも、いつか必ず来るであろう終わりに対峙したとき、
出来る限り後悔を減らす方向で頑張ることなら
できるのかなって思います。


今回の悲しい事件は多くの人にショックを与え、
ちょっとした闇の部分に心が向きがちなんだけど、
自分たちができることは、
毎日を精一杯、後悔が少なくなるように
心を込めて生きる。



今はそんなことを考えています。


そういえば、家の超近くに大きいセブンができるみたいで
急ピッチで工事が続いています。

ちょっとラッキーな気持ちがします(^^


さて、明日も皆さんにとって良い日となりますように。

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