2019年2月13日水曜日

四十にして惑わず?『惑いっぱなし』


論語の言葉で四十にして惑わずなんてあるけど、
自分が40歳になってみると、
惑ってばかりだなと痛感しています。


でも、惑わない人なんているのだろうか?


誰もが惑っていますよね。


誰もが惑っているなら、
四十にして惑わずなんて夢物語みたいなものですが、
そうでもない気もしています。


私から見て、イチローやカズ三浦、辰吉丈一郎さんなんかは
惑っていないように見えています。


もちろん、そのやっている野球やらサッカーやらボクシングの中では
日々惑っていることでしょう。
でも、野球をやること、サッカーをやること、
ボクシングをやることに関しては
一切惑っていないはずです。


行き先は見据えていて、
生き方に関しては惑いがない。
そう見えます。

自分を振り返ってみて、
教師という職業に関しては惑ってはいないはずです。


でも、心のどこかに行く先、これからの人生については
惑いがあるのも事実です。


どんなに惑ってみても、時は過ぎ、
やがて50歳、60歳、70歳と死へと進んでいきます。


そう考えると惑うことも人生のスパイスとなり、
素敵な時期なのかもしれません。

実際に惑っている時期は苦しいものですが、
それも人生の色どりとなってくれるはずです。

人生の色どり


灰色一色より、ごちゃごちゃしていても
色々な色を塗りたぐってチャレンジした失敗作の方が
面白いものです。


もちろん、失敗作とは限らなくて、
それが大作になることだってありえます。


四十にして惑わず。
それとは程遠い生き方をしていますが、
惑わない年齢はやってくるのでしょうか。


楽しみでもあり、惑わなくなったら
人生終わりが見えてくるときなのかな。

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