2019年1月16日水曜日

自分は無宗教だと言いつつ無宗教ではなさそうな件


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無宗教であるということ

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むかし、初めて海外旅行に行ったとき、
飛行機の中で出入国カードに
宗教を書く箇所があって、
何て書いたらいいのかな?と悩んだあげく
「NONE」と書いた記憶があります。


私の知人も特に宗教をやっている人もいないし、
自然と無宗教だなとは思っていました。

でも、不思議なもので、
神社でお賽銭を投げたこともあるし、初詣もします。

無宗教であるということ


祖父が亡くなったときは、
神父ではなくお坊さんが来ていましたし、
そのことに違和感もありません。

ということは無宗教だと思っていたけど、
けっこう仏教よりなのかなとも思います。

でも、別段、お経を唱える習慣もなく、
週に1回お寺に行くわけでもないので、
やはり無宗教かなという結論。


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無宗教だけど無宗教ではないということ

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「さんま・珠緒のお年玉あんたの夢をかなえたろか」
という番組を見ていると、
高校生の吹奏楽部の憧れの舞台
「普門館」が取り壊されるとの話題。


取り壊される前に舞台に立ってみたい
という吹奏楽部の願いを聞いたとき、
「普門館」の館長が言った言葉の内容が
耳に引っ掛かりました。

「みんなに演奏してもらうことで普門館も喜ぶと思います。」

さらっと聞き流してもおかしくない言葉ですが、
「普門館も喜ぶ」という言い回しって
日本独特なような気がするのです。


普門館という建物に生命があるかのような言い回しが
日本人にとっては全く違和感がないのではないかな
って感じるんです。

これって外国人から見たら
ある意味「宗教的」なんじゃないでしょうか?

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日本人は仏教や神道のようなものがしみ込んでる

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これは誰かに教えられたわけではなく、
子供のころからの外部の情報から、
自然と植え付けられていた意識です。


確かに「普門館が喜ぶ」と私も若干思いました。


でも建物に命が無いことも当然わかっています。


科学的なことでは当然否定されるべきことだけど、
もっと感覚的なことで「喜ぶだろうな」と感じています。


そう考えてみると、
自分の中にも自然と仏教や神道の種が植え付けられているのかな
と思えてきました。
神道が何かは詳しくわからないですけど(^-^;

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日本人の良さ

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自分は宗教については良くわからないんですが、
このように自分の中にしみこんでいる考え方については
悪くはないなと思います。


だから、日本人は無宗教であっても自然と世界の人から
尊敬されることが多いのかもしれません。


この仏教的な考え方っていうのは、
親子の間で自然と受け継いでいるものです。
普段の会話の中にきっと万物には命がある
といった価値観をもつ内容があったんでしょう。

昔話とかも影響しているかもしれません。
バチが当たるとか、地獄に落ちるとか。


でも最近、習い事が忙しくて親子間で会話が少なくなっている
と聞きました。

また、漫画は読むけど、
昔話やら伝記やらは読まない子も増えているようです。


何か教訓めいた内容の番組は見ず、
若者がはしゃいでいるYouTubeを見る子も増えています。


子供たちって心を醸成する時間を
どんどん失っているような気がします。


自分たちが自然と受け継いできた
日本人としての感覚を
しっかり子供たちに受け渡すことも
忘れてはいけないのだろうと思います。


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