2016年7月13日水曜日

濁った心をもつ人間の方が素敵だ

テレビやニュースでは、
ちょっとでもミスした人間がいると
徹底的に叩きのめすかの如く報道していますね。


Twitterも炎上して、
間違った人を魔女狩りのようにつるし上げるような時代。


息苦しさを感じているのは私だけではないはず。
そもそも人間っていうのは濁った心をもった生き物では?


生まれたときは純粋かもしれないけど
社会にもまれるたびに濁ってくる。
この濁ることを否定しても仕方がない。
事実なこと。


でも、そのことを良しとしない自分もいて
だから清い水にしようと懸命に努力もしている。


が、水清ければ魚棲まずも真
すぎる水には人は近づきにくいんだと思う。

水清ければ魚棲まず


ましてや、人にものを教える立場の人は
適度に濁った心も併せ持っておく方が
子どもたちも住みやすく大切なのかなと思う。



人づきあいもそうで
聖人君子の様な人とは腹を割って話をしづらいもの。



清き水を目指すのは大切だけど
あまり潔癖になることなく
ゆっくりゆっくり
長い人生を味わいながら
徐々に浄化していけたらいいんだと思います。


自分が濁った人間だから、
濁った人間の気持ちがわかり、
「だよね。」って声をかけることができる。


迷い、戸惑う泥臭い生き方は素敵だと思います。