2017年5月28日日曜日

一度しかない短い人生を自分は何のために生きるのか。



人生も折り返し地点40年を過ぎると、
あまりにも長いようで短いという
当たり前のことを実感している。


人生はとらえようによっては長くもなる。


例えば、絶望の中で暮らし、
早く死にたいな・・・なんて考えている人にとっては
人生とは長すぎるのかもしれない。


でも、普通の生活を送っている人にとっては、
ときどき自分が歩んだ道のりをふりかえって
思っていた以上に人生は短いということに気づく。


自分は折り返し地点を過ぎて、
短いなって思うし、
1回しかない人生はすごく大切なものだと
実感している。


短い人生だけど、
やりたくないことをして、
やりたいことができていない人は
本当に多いのではないだろうか。


やりたくないことをしている間に
人生なんてあっという間に終わってしまう。


自分がやりたいことを考えていない人も多い。
そんな面倒なことを考えていなくても
ベルトコンベアのように日々は流れているから。


思考しなくて良いように
社会はいろいろな物を用意してくれている。


携帯のボタンを押せば、
フェイスブックから情報が流れ、
ゲームアプリを起動させれば
暇な時間が無くなる。


テレビをつければ、
見たくもない番組を
とりあえず面白そうだから見ているうちに
時間は過ぎる。


そうやって、心からやりたい
と思えること以外の時間を過ごしているうちに
人生とはアッと言う間に終わってしまうのだろう。


だからこそ、人生の折り返し地点に立ち、
改めて思うのが、
自分は何のために生まれてきたのか?
という問いに能動的に向き合う必要があるということ。


受動的に何のために生まれてきた?
ではなくて
自分は人生において何ができるのか?
その問いから
何のために生まれてきたか?
の答えを模索していくことが大切だと思う。


もちろん、私個人は
教育の道でその問いに向き合う必要ある。


今更教育の道以外で何か?
というものが見つかるような気がしていない。


教育は天職だと思っている。
が、この場所に留まっているつもりもない。


もっと教育について能動的に向き合う必要がある。


みなさんもそれぞれの人生において
何かしらの問いがあるのでしょう。


1度きりしかない人生で
自分は何を成し遂げることができるのか。


命を何に使うとき、
心から生きていると思えるのか。


本当にやりたいことって何だろう。


そんなことを
流れる日々の中、ふと立ち止まって
考えることも大切だということを
40歳を迎えて思うのです。