テレビやニュースでは、
ちょっとでもミスした人間がいると
徹底的に叩きのめすかの如く報道していますね。
Twitterも炎上して、
間違った人を魔女狩りのようにつるし上げるような時代。
息苦しさを感じているのは私だけではないはず。
そもそも人間っていうのは濁った心をもった生き物では?
生まれたときは純粋かもしれないけど
社会にもまれるたびに濁ってくる。
この濁ることを否定しても仕方がない。
事実なこと。
でも、そのことを良しとしない自分もいて
だから清い水にしようと懸命に努力もしている。
が、水清ければ魚棲まずも真で
清すぎる水には人は近づきにくいんだと思う。
ましてや、人にものを教える立場の人は
適度に濁った心も併せ持っておく方が
子どもたちも住みやすく大切なのかなと思う。
人づきあいもそうで
聖人君子の様な人とは腹を割って話をしづらいもの。
清き水を目指すのは大切だけど
あまり潔癖になることなく
ゆっくりゆっくり
長い人生を味わいながら
徐々に浄化していけたらいいんだと思います。
自分が濁った人間だから、
濁った人間の気持ちがわかり、
「だよね。」って声をかけることができる。
迷い、戸惑う泥臭い生き方は素敵だと思います。