スマホをいじっていたことに対して
批判があり、それに堀江さんが答えていて話題になっていました。
ツイッターはこんな感じです。
— 堀江貴文(Takafumi Horie) (@takapon_jp) 2017年1月27日
ん?悪くないだろ。わざわざWifiも用意されてる— 堀江貴文(Takafumi Horie) (@takapon_jp) 2017年1月27日
RT @PwHxq: @takapon_jp @SjUnfjx87OEXQCg 悪いだろ
いいことと悪いことの区別もつかなくなったのか?マナーくらい守れよ
— 堀江貴文(Takafumi Horie) (@takapon_jp) 2017年1月27日
生放送中に携帯をいじっても良いかどうか
ということに最終的なジャッジを下すのって無理ですよね。
というのも堀江さんが述べているように
契約やルールが無いわけです。
無いんだから
後は個人の価値観に委ねられるわけですよね。
個人の価値観に正解も不正解も
ジャッジすることはできないわけです。
例えば、番組中に読書をしてはいけない
と契約がなくても読書はまずいなって思うかどうかは
個人の価値観になるわけです。
頭がシャキッとするからと
ガムを噛みながら番組に出て良いのか。
ルールが無いなら個人の価値観になってしまうわけです。
大人になると価値観というのは
ほぼ固まってしまっていて
それを変えることなんて難しい。
世の中の争いなんて
価値観が違う人同士が
自分の価値観が正しい
と主張することが原因になっていることが多いですよね。
番組中であれ、契約書に書いてなかったり
ルール化されていなかったりすれば
携帯をいじる人もいるんだなと
自分とは違う価値観の人を受け入れるしかありません。
ただ、それがおかしいだろ?
と声をあげる人がいるのも許されるべきで
その声に耳を傾ける人がいても良いし、
傾けない人がいても良いわけです。
価値観が違う人が一緒に暮らすのが社会。
だからどうしてもルールが必要になる。
番組がルールをつくればよいだけです。
議論している人たちが
議論の内容を深めるために
調べものをするのに携帯が有効だと認識していて
暗に認められているならOKじゃないでしょうか。
その暗黙の了解というのは
参加している人たちだけが知っていることだから
外部からとやかく言う必要はないのかなって感じます。
この一連の話題を見ていると
世の中の説明書が長く長くなるのがわかる気がします。
説明書に書いていないだろ?
と言う人が増えてきているから
予め書いておく必要が増えてきたんですね。
言わなくてもわかるでしょ?
は通用しない社会になってきているようですね。
価値観を完全に一致させるなんて不可能だし、
相手の価値観を変えさせることは困難。
争いが世の中から無くならないわけです。