2019年11月14日木曜日

「苦労は買ってでもしろ」の落とし穴



苦労は買ってでもしろ。


そんなこと聞いたことがありますよね?
言われたことがある人もいるかもしれません。



私も何回も聞いたことがある言葉で、
これは正しいと思っていました。


思い込んでいました。



確かに苦労をすると、
色々と悩むことも増え、
考えることも増え、
それに伴って人間的に成長するということがありますよね。


だからこそ肯定される言葉なんだと思います。



ただ、気を付けなければならないことも
裏側に隠れている気がします。


その苦労、本当に必要ですか??


ということです。


他人のコントロール、支配によって与えられた苦労は
本当は必要ではないのではないか?
という疑問をもたないと、
自分の1回きりの人生はあっという間に終わってしまいます。



例えば、簡単な例で言うと、
コンビニの店員だったとしますよね。


4人でのシフトが当たり前なのに、
オーナーが搾取したいがために
シフトを3人にしていたとしますよね。


でも、オーナーは3人で回していることに対して
大いに褒めてくれ、
その3人はやりがいを感じているかもしれません。



それでもいいんですけど、
その3人は一回考えてみることも必要なのかな。


本当にこの苦労って正当な苦労なの?と。



学校現場はなかなかきつかったです。


なぜかというと、最後の最後の一言が
「子供のため」ですから。


この一言は重い。そして時にズルい。


管理職から水戸黄門の印籠のようにこの言葉が出れば、
非効率な苦労も免罪符が打たれてしまいます。


苦労の美徳が頭にこびりついているから、
理不尽な苦労がきても素直に従ってしまう
言い方が悪いですが奴隷マインドができあがっている自分が
いるのかもしれません。



そのことに気づくことで
人生が変わってくることがあります。


これを読んでくれていて、
何か思い当たる節がある人は人生の転換期に来ているんだと思います。


苦労は買ってでもしろ。


その考え方、間違っているかもしれませんよ。

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