2019年11月15日金曜日

問題の先送りは再び同じ問題に直面する




人の前に問題が起きれば、
その問題をやっかいなものだと捉えますよね。



確かにやっかいなんですが、
考えようによっては「その問題のおかげ」で
新しいことに気づけるというプラスの面があるんですよね。



ただ、人は長年自分が行ってきた考え方の習慣のようなものがあって、
問題に直面しても先送りにしてしまうことが多々あるのかなと。


過去の習慣の延長線上で生きた方がらくだから。



例えば、自分の例で言えば、
「タイで住んでみたい」
という思いがわいてきたとしますよね。



その気持ちは、ある意味日常生活からしてみたら、
刺激の強すぎる問題ともいえます。



でも、忙しい毎日に追われるように
そのことから意識が薄らいでいき、
再びいつもの日常に戻っていきます。



それでも人生は過ぎていくんで、
自分が50歳、60歳になったとします。


ふと仕事の忙しさがひと段落したとき、
再び同じ問題が浮上してくるはずです。
「タイで暮らしたいな」と。



ただ、そのときはすでに人生の残り時間も少なくなってしまっています。
遅すぎるというわけではありませんが、
そのことに気づいている自分は
その事実を「後悔」と捉えてしまうかも。



その「後悔」を昇華できるならいいんですが、
多くの人はそんなことは難しく、
「後悔」は残るでしょうね。



「なぜあの時決断しなかったんだろう・・・」

それが本音になると思うんです。


自分の前にやってきた問題から目を逸らして、
見て見ないふりをしていても
問題そのものは決してなくなっていなくて、
人生のいつの日かで、必ず再び直面しなければならない時が
やってくるんだと思います。


先送りして、問題が消えたように見えても、
足元の後ろに影のようについてくるもの。


だからこそ、
問題に対して正面から取り組んでみることが
問題がこじれて面倒かもしれないけど、
一番の王道なのかなと
わが人生を振り返って思います。



一つだけ追記で。


別に先送りにしたことが悪いことだと断罪しているわけではありません。
それも人生だと思います。


ただ、読みながらもし責められているようなマイナスの感じ、
自分の今を無理やり肯定したくなるようなを感じを受けた人がいるなら
この内容そのものがマイナスなわけではなく、
マイナスに捉える自分の内側を見て、
本音を考えた方が良いのかなとは思います。


もちろん、考えない自由もありです。

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