2020年5月3日日曜日

9月入学への私流の考え


9月入学が議論に上がってきましたね。

この新型コロナの影響で、4月は難しいのはわかります。
臨時で9月入学にするのは仕方がないと思っています。
必然的に学年が短くなります。

痛みが伴います。
でも、痛みが伴うのは今の時期は仕方がないのかな。


子供たちに罪はありません。
誰が悪いわけでもありません。


悪い犯人捜しでも責任のなすりつけ合いをするでもなく、
各業界、国民、人類で痛みを分け合う時期な気がしています。


先生たちの負担も大きいでしょう。
限られた時間の中で教えるのは。


しかし、給与すらない人たちがたくさんいます。
明日の家族の食事の心配をしている方も。
借金が膨らみ、命の火が消えかかっている方も。


先生たちは定時で帰れなくなるかもしれません。
でも、痛みを分け合う時期として2020年だけは何とか・・・。
強制はしてはいけませんが。


これはあくまで臨時の話です。
臨時ではなく恒久的に9月入学にすることは
私は賛成しがたいなと考えています。


例えグローバル的に見てメリットがあったとしても。



個人的にグローバル人である前に日本人であることが
大切だと考えています。
考え方が固いのかもしれません💦


日本人が日本人であるためには、
歴史と文化という土壌が必要なんだと思います。
パスポートではなく精神的な土壌


古き良き日本の文化を守るべきだ!的な
ノスタルジックさを前面にして大切だと言いたいのではありません。


厳しい冬が終わり、
春と共に物語がスタートする。



これがどれだけの物語、文化、歌、芸能など、
様々な日本人が目にするもの、耳にするものに
しみこんでいるか。


それらの情報を自分の体内に取り込みながら
自分たちの精神性を作ってきたような気がします。


桜の下での入学式。
これはただたんに美しいからやっているんでしょうかね?
会社の新入社員の時期から逆算してぴったりだから?

違いますよね。


冬が終わり、春の訪れってのは
新しいことを始めるのには最適な季節だと感じます。



新しい社会人、学生、テレビなら番組、
何でも良いですが、スタートするのには最適な
季節は絶対的に春。
だから入学式は4月にあるんだと思います。


人間は自然の一部。


この自然のサイクルに人間のサイクルを合わせていったのが
日本人が季節の移り変わりを大切にしてきた証拠なんじゃないかな・・・


そうやって日本人は日本人の精神性を作りあげてきたんじゃないのかな・・・


論理を越えた感性の部分の話です。

効率化と安全と便利を目指したければ
日本の街並みが鉄筋コンクリートに変えればいい。


コンビニを作りまくり、自動販売機だらけにしたらいい。


でも、そんな景色って好きになれます?
日本人であれば、答えは自然と出てくるんじゃないですかね。



なんで、観光客は京都に集まるのか。
答えはシンプルでしょう。


その答えがわかるのも日本人がまだ心の中に
日本の良さを知るDNAをもっているからなんじゃないかな。



4月入学は世界的に見ておかしいのかもしれませんし、
スタートがズレていることで、
色々と手間もあることでしょう。


効率化、便利さで失った文化は元には戻せない。
今までの戦後の歴史を見て思うのです。


思い出しますね。


桜のある入学式。
桜のある新入社員歓迎会。



4月入学を私が守ってほしいと考える理由が
少しでも伝わりましたかね。


人それぞれ意見は違ってよいと思います。
どちらが良いかはご自身で考えることが大切なんだと思います。

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