2019年9月25日水曜日

タイの貧富の差を見て感じる世の中の理不尽さ


今日のバンコクは快晴です。天気はよく気持ちが良いですが、
ちょっと気持ちがよくないことを考えていました。


昨日の記事の続きみたいなものですが、
タイは特に貧富の差が激しいです。


テスラに乗っているような裕福な人がいれば、
歩道橋でほこりにまみれた子供が
一日中お母さんと一緒にお金を恵んでもらっている姿もある。


もちろん、この事実の裏には闇もあるので、
私はお金を恵むことはしませんし、
恵んでもきりがありません。
本当にきりがないです。


それよりも怒りを覚えるのは、
何なんだこれは!?という感覚です。


お金を持っている人と持っていない人。


誰かが作った紙きれを持っている人と持っていない人。


そんなに人間としての価値が違うのか?!
といった気持ちになってきます。


同じ人間なのに方やプール付きのきれいな家で
ほしいものを買い、
お腹いっぱいだからとごはんを残し、
毎日捨てられるゴミの中には、
大量の食物があります。


その一方、同じ国なのに、
食べ物に困って苦しんでいる人がいる。


かたや捨てているのに・・・


車も何台も保有している人もいて、
別にお金があるんだから何に使おうがよいのですが、
その車が通るわきを窓を拭かせてくれと
顔に垢をためた子供の寄ってくる。



雨が漏れるボロボロの家に住む人がいて、
でも親から受け継いだ不動産を貸し付けて、
家賃収入で裕福にな生活をする人もいる。



この姿は10年以上タイにいますが
何も変わっていない。


きっと10年後も同じなんでしょう。


社会のシステムがおかしいと感じますね。


そのために自分が何ができるのか。
募金するレベルのことでは焼け石に水で意味がないでしょう・・・


自分の生活をみて、罪悪感におしつぶされる必要はありません。


これは社会のシステムの問題である部分が強いと思うので。


一部の人が富めるようなシステムであること、
また、貧困ならその貧困が継続するようなシステムができあがっていること。


そのことに問題があるんだと思います。
これはタイだけの問題ではなくて
世界レベルの問題だと思います。


でも、そのことを考える時間なんて個人にはなくて、
働くことに忙しいし、テレビを見ることに忙しいし、
携帯を見ることに忙しいし、
そうやって毎日が過ぎていけば、
そんな汚れた部分を見る必要はなく一生を終えることができるような
そんなシステムも作り上げられています。


何も変わらない。変えられない。
自分の小ささにため息がでますが
こうして声をあげずにはいられません・・・

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