気が抜ける安全な運転の中で— おかず先生🇹🇭バンコク学習塾/タイ語/英会話/TJブリッジ代表《バンコクの子育て相談》 (@okazu_aroy) 2019年6月25日
危険な車に遭遇すると事故になるのが日本。
気が抜けない危険な運転の中で
危険な車に遭遇しても事故にならないのがタイ。
タイの交通事情を見ていると、
「おいおいおい、本当に?!」
と思うことにちょくちょく出合う。
で、ちょくちょく過ぎて、
それが当たり前になっている自分にも気づきます。
まず、赤信号なのに、
渋滞していると前の車に続いてどしどし突っ込んでくる車なんて
当たり前。
車間距離が狭くて、煽り運転のような状態なのは当たり前。
車線変更でウィンカー出さない人も当たり前。
右折レーンが渋滞していて、左折レーンが空いているとき、
左折レーンで前まで行って、
そこで右折レーンに割り込もうとして渋滞するのは当たり前。
とにかく日本と比べたら危険と言われるようなことが
タイの道路では当たり前の光景なんです。
するとどんなことが起こるか。
危険に対する意識が高まるんですよね(^^;
赤でも突っ込んでくるんじゃないか?
と思いながら道路を渡るから、
結局、事故らずに済む。
ウィンカー使わないのでは?と思うから、
車線変更に敏感になる。
車間距離近いからブレーキに敏感になる。
色々な意識が敏感になって
結果として何とか事故らずに回っています。
もちろん、交通事故の件数は
タイの方が圧倒的に多いでしょうけどね。
あの危険度にしてはセーブしている方だと思います(^^;
で、日本だったらどうかと。
日本は安全運転が当たり前の状態ですよね。
その中で危険な運転をする人がいると想定外だから
油断している分だけ事故になる確率が多いのかな
なんて考えていました。
勝手なイメージなんでそんなことは実際に無いとは思いますが、
何を言いたいかというと、
安全なぬるま湯の中で生活していると、
どんどん意識ってのは緩慢になってくるのかなっていうことです。
これは、動植物も同じです。
安全な家畜は危険察知能力やらのサバイバル能力が低下して、
野生では生きられないなんてことも言われますよね。
子育てだって同じで、
危険を全て取り除いていった先に待っているのは、
危険な場所で生きられない人間なんだと思います。
今はタイに生活しているんで、
極端なタイの例を出しましたが、
ある程度の危険は、人間にとっては必要なのかなって思うんです。
自分だって同じ。
ぬるま湯の中で生活していたら、
人間としての本能がさび付いてしまうような気もします。
あえて自分からハードルを上げる。
1回しかない人生だから
そんな生き方も良いのかなって思います。
みなさんはどう思いますかね?
ではでは。
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