2018年6月20日水曜日

自分を使い切る生き方について

日曜の炎天下の高架の下、
花を売る親子。


バンコクではいろいろな生き方を見ることができます。


教師という仕事がらなのか、
たんに自分がそのようなことに興味があるのか、
人間だれしも生き方について考えるのか。

いずれにせよ、
自分の生き方について考えることがよくあります。


「人生が一度しかない」
という当たり前のことが自分の行動の原点にあるからかもしれません。


そんな生き方にアンテナを張っていると、
思いもかけないところで
素敵な言葉に出会うことがあります。

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靴下でもシャツでも
最後は掃除道具として、
最後まで使い切る。
 
 
人間も、十分生きて
自分を使い切ったと
思えることが、
人間冥利に尽きるという
ことだと思う。
 
 
自分の最後だけは、
きちんとシンプルに
始末することが最終目標


樹木希林さん

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自分を使い切る。
自分の最後を始末する。


とても素敵な表現だなって感じました。


自分を使い切るか・・・


果たして今やっていることは、
自分を使い切ることにつながっているのだろうか。
自分の使い方として間違ってはいないだろうか。

もっと良い使い方があるのではないだろうか?

そんなことがふと頭をよぎります。

毎日が安定して回っていれば、
別にそんなこと考えなくても、
これからも回っていくのかもしれません。


ただ、ある種、自分はフリーランスとして活動しているので、
生き方について自由に決めることができます。


自由だからこそ、
今の生き方が自分の資質のようなものを
使い切ることにつながっているのか?
ということを考えるのです。


自分を使い切るからこそ人生を最後の最後まで始末できる。
まさに人生のエコ利用ですね(^^)


そんなことを考えさせてくれる
樹木希林さんの言葉です。


でも、日常生活を送っていると、
この言葉のことも頭の片隅に追いやられて、
忘れたも同然になることでしょう。

でも、終わりにしたくないテーマです。
自分の人生の使い方は正しいか。
使い切れているのか?


これからも時折考えていきたいことです。


みなさんは、
自分の人生使い切っていますか?