2018年6月12日火曜日

自分が弱いということを受け入れる

ベランダに少し大きめの鳥が来て、
葉っぱをかじろうとしていたから
軽く追い払いました。


すると、あるものを発見。
青虫

青虫というのでしょうか。
かわいらしい緑の虫が。


思い返せば、確かに葉っぱに穴が開くなぁ
なんて毎日水をあげながら、
のんきにチラ見していたことを思い出し、
ふと葉の穴と虫が頭の中で一致しました。


鳥は葉をかじりに来ていたわけではなく、
この青虫を狙っていたんですね。

小鳥

が、このベランダに来ていた小鳥に
結局は食べられてしまいました・・・


小鳥は小鳥でかわいいです。
青虫もかわいらしかったです。



自然界は人間のかわいいなんて思考は無視で、
ごくごくシンプルに回っています。


弱肉強食。


でも、思考が発達している人間は
弱肉強食ではなく、
強き者が弱き者を助けるような姿であってほしいものです。


が、最近のテレビやネットを見ていると、
強き者は叩かれる。
助けるどころではなく、
自分の身を出過ぎた杭にならないように
守ることで精一杯ですね。


強き者が弱き者を助けるためには、
弱き者が強き者をまずは受け入れること
自らが弱き者だと行け入れることから
スタートしないといけないようです。


でも、強い弱いって言葉の語感が差別っぽくて
受け入れがたいんでしょうね。
自分が弱き者だと認識したくないから
強き者を叩き落して、
自分の立ち位置を安心できる場所にしたいのかも。


では、なんて表現したらよいのでしょう。
いちいち忖度しないといけないのが面倒です。

助ける者と助けられる者って感じが良いのでしょうか。


長くなる前にここら辺で終わります。
あとは皆さんの頭の中で♪
ではでは。