2017年5月31日水曜日

何かと比べるのはやめて、今目の前のことを全力で!

何かと比較しながら生きて
どうも心を苦しくしている人が多いようです。



自分たちが子どもの頃と
今の子どもたちとを比べてみると、
同じ値段でも手に入れられるゲーム機のスペックは
圧倒的に今の子の方がすごい。


好きな子に電話するとき、
相手の親が出ないか
ドキドキしていたものだけど、
今の子は携帯があり、ラインを自由に使える。


細かいところを比較していくと
やはり技術は進歩しているから
どちらの方が環境が良いか?
となると昔の方が不利だろう。


でも、幸せは比較できるか?
というと、そう簡単なことではない。


あの頃はあの頃で
とっても楽しかった。
今のゲーム機を使っていたら
もっと楽しかったかもしれない。

でも、そんなことはわからない。


あの頃はあの単調な電子音が良かったし、
みんなでテレビゲームを囲んで、
早く自分の番が来ないかな?
とドキドキ待っていた経験も良い思い出だ。


好きな子に電話するとき、
携帯にできたらさぞ楽だっただろう。

でも、そのお陰で
お父さんが出てきて、
心臓びくーんってなって、
クラスのイベントのことで相談したいことがあるんですが・・・
と下手な嘘をついた思い出は
一生消えずに良い思い出として残っている。


単純に物事を比べて
こっちが幸せ、あっちが幸せとは言えないもの。


人と比べてばかりいないで、
今、自分の目の前にある環境の中で
自分がしたいことを
一生懸命に頑張っていたら、
それが幸せなんだと思うのです。


2017年5月30日火曜日

快楽を追い求める生き方で幸せ?

懐かしい映画「ザ・ビーチ」を見た。
レオナルド・ディカプリオ主演で、
タイが舞台となったちょっと昔有名だった映画です。



改めて見て、「快楽」「満足」は違うんだな
という意識がはっきりとしました。


映画の登場人物たちは
地上の楽園ビーチを追い求めて、
ついに楽園たどり着き、快楽におぼれた生活をする。


でも、その快楽も長くは続かない。
新たに快楽を求める人たちの出現がきっかけとなり破滅へ向かう。


快楽を求めるがゆえに
現実の苦しみから目をそらす。


これは自分たちの生活にも
当てはまるような気がしています。


私たちの身の回りには安易に手に入る快楽があります。
ゲーム、テレビ、ネット、ショッピング、グルメ・・・


これらの快楽を求めて生きていても
本当の満足感を得ることが難しい。



短時間の快楽を再び得るために行動をするようになる。


再び手に入れても満足感は低く、再び・・・


快楽の追求には終わりはなく、
しかも刺激の欲求は増すものです。


別に快楽を否定しているわけではないんですが、
その道に終わりはありますか?
その道の途中で誰かが苦しんでいませんか?
そこに目を向けられない自分になっていませんか?


そんなことを考えています。



では、快楽以外の満足感って何なのか。


自分にとって満足感を覚えることは
自分の能力を使って、
誰か他人を笑顔にできたとき


直接は笑顔が見られなくてもOK。


何かしらの影響を他人、環境に与えて、
それで感謝されたときだと自分は思うんです。


感謝されなくてもいいんですけど、
やっぱ感謝されたいです(^-^;
モチベーションになりますからね。



自分も日々快楽におぼれることなく、
社会や他人に喜んでもらえるような
満足感あふれる仕事をしていきたいなと思います。



まだまだ道半ばですけどね(^^;

2017年5月28日日曜日

仕事時間を減らすことなく、時給を最大限に増やす考え方。


収入÷仕事時間=時給


当たり前な式です。


仕事時間が長くなればなるほど
1時間あたりの給与は少なくなります。


仕事時間が短くなればなるほど、
時給はアップしていきます。


仕事時間が短くなることは
仕事の時給で考えると
とても良いことです。


でも、好きなことを仕事にできた場合、
この仕事時間を減らすという考えから
脱却できます。


むしろ、好きなことをしているので
仕事をしているという実感が無くなってきます。


例えば、
私は教育関連の本を読んでいるときは、
仕事をしている感覚はなく、
趣味に限りなく近いです。


喫茶店に行って、教育関連の本を読んでいるときは、
はたから見たら、仕事をしているようには見えないでしょう。


好きなことを仕事にできれば、
仕事時間が実質0時間に近づくようになります。


1より小さい数でわり算をすると、
収入より増えていくという現象が起きます。


例えば
10÷0.5=20
と10を越えてしまうように。


さらに仕事時間が0に近づくと、
どんどん時給はアップしていき、
最後には

収入÷0=∞
測定不可能。。。

お金を越えた幸せを手に入れることが
できる状態になる。


なんてことはないでしょうが、
実感としては、そんな感覚をもっています。


今はまだ仕事だという感覚はありますが、
仕事の仕方によっては、
仕事だという感覚を0に近づけることは
不可能ではないはずです。


そこを目指して頑張りたいと思います!

幸せになる秘訣は、
好きなことをやるのではなく、
やることを好きになることだ。

J.M.バリー(スコットランドの小説家)

一度しかない短い人生を自分は何のために生きるのか。



人生も折り返し地点40年を過ぎると、
あまりにも長いようで短いという
当たり前のことを実感している。


人生はとらえようによっては長くもなる。


例えば、絶望の中で暮らし、
早く死にたいな・・・なんて考えている人にとっては
人生とは長すぎるのかもしれない。


でも、普通の生活を送っている人にとっては、
ときどき自分が歩んだ道のりをふりかえって
思っていた以上に人生は短いということに気づく。


自分は折り返し地点を過ぎて、
短いなって思うし、
1回しかない人生はすごく大切なものだと
実感している。


短い人生だけど、
やりたくないことをして、
やりたいことができていない人は
本当に多いのではないだろうか。


やりたくないことをしている間に
人生なんてあっという間に終わってしまう。


自分がやりたいことを考えていない人も多い。
そんな面倒なことを考えていなくても
ベルトコンベアのように日々は流れているから。


思考しなくて良いように
社会はいろいろな物を用意してくれている。


携帯のボタンを押せば、
フェイスブックから情報が流れ、
ゲームアプリを起動させれば
暇な時間が無くなる。


テレビをつければ、
見たくもない番組を
とりあえず面白そうだから見ているうちに
時間は過ぎる。


そうやって、心からやりたい
と思えること以外の時間を過ごしているうちに
人生とはアッと言う間に終わってしまうのだろう。


だからこそ、人生の折り返し地点に立ち、
改めて思うのが、
自分は何のために生まれてきたのか?
という問いに能動的に向き合う必要があるということ。


受動的に何のために生まれてきた?
ではなくて
自分は人生において何ができるのか?
その問いから
何のために生まれてきたか?
の答えを模索していくことが大切だと思う。


もちろん、私個人は
教育の道でその問いに向き合う必要ある。


今更教育の道以外で何か?
というものが見つかるような気がしていない。


教育は天職だと思っている。
が、この場所に留まっているつもりもない。


もっと教育について能動的に向き合う必要がある。


みなさんもそれぞれの人生において
何かしらの問いがあるのでしょう。


1度きりしかない人生で
自分は何を成し遂げることができるのか。


命を何に使うとき、
心から生きていると思えるのか。


本当にやりたいことって何だろう。


そんなことを
流れる日々の中、ふと立ち止まって
考えることも大切だということを
40歳を迎えて思うのです。