2022年2月20日日曜日

新日本プロレスに感じた寂しさ

深夜に新日本プロレスを何気なく見た。

明らかに違う自分に気付く。
それは胸の高鳴りが全くないこと。


技は綺麗、複雑にもなっている。
選手のビジュアルもずいぶんと綺麗。
色味が鮮やか。


でも、胸の高鳴りを感じない。


昔の新日本プロレスと今の新日本プロレスの違いは何だろう・・・


昔の方が今より地味だった。
でも、問題ない地味さだった。
当時は地味と感じなかった。


地味だからこそ、選手の個性が泥臭く現れていた。

技の複雑さは今より無いが、それだけに見てすぐ痛さが伝わった。
そして、複雑だと相手の協力が見え見えで冷めてしまう。
協力なくしてはかけられない技だとわかってしまう。

昔は相手が協力しなくてもかけられる技が多く、
実際には協力はあっただろうけど、そう見えない技が多く、
感情移入しやすかった。

色味が鮮やかになってビジュアルが良くなればなるほど、
どこか嘘くさい、演技臭い感じが漂ってしまっていた。


アメリカのWWFを見た時の嘘くささ、演技っぽさを
追従してしまった感じがしました。

アメリカのプロレスを見て、
どこが良いの?完全にドラマじゃん。
って昔は思っていたんだけど、
今のプロレスファンはこれがいいのでしょうね。

人気があると判断されているから今の形態になったのでしょうから。


ただ、昔の全日、新日が激熱だったころ、
三沢時代、闘魂三銃士時代、誠心会館との抗争、
禁断の全日と新日の交流戦などなど、
本当に胸躍る試合が多かったな・・・

もうあの頃のプロレスが見られないと思うと
寂しい感じがしました。

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