2018年6月27日水曜日

努力すればするほどゴールから離れるという人生

バンコクは朝から大渋滞。
エカマイに行く道はどん詰まり。
朝からこれだけ精神的に消耗されたら生産性も低くなりそうです。


みんなそれぞれの場所で頑張っていて、
時には歯を噛みしめ、苦痛に耐えて頑張っている人もいます。


頑張るってことはとても素敵なことだけど、
誰もがまずは考えておかなければならないことがあります。


それは頑張る方向性です。


例えるなら、
ゴールが間違ったマラソンで頑張って走っても、
決してゴールには近づくことなく、
頑張れば頑張るほど、ゴールから離れているということも起こりえる。


例えるなら、
一生懸命に弓をひき力強く矢を放っても、
的を見ていなければ、
見当違いのところに飛んで行ってしまいます。
力の強さに比例して的から離れる。



何が言いたいかというと、
ゴールをしっかり見つめているのか?
自分にとってのゴールって何なのか?
そこを考えた上で頑張らないと、
頑張った量に比例してゴールから離れるかもしれないよ。
ってことです。


日本に生まれると
努力が美徳として語られるけど、
その前に、努力の方向性について
しっかり個人が考えている必要があるんだって思います。


人生折り返しの40歳を超えたからこそ、
そのことについては痛感しています。


自分の人生を振り返ってみたとき、
ゴールがまだまだ鮮明だとは言い切れないけど、
直観としては、方向性が間違っていないということは
なんとなくわかっています。


この方向性がなんとなく間違っていないというのは
かなり大切で、これから方向を微調整することに集中できるし、
努力してもゴールから離れることはなくなるわけです。



でも、40代になって、
もし初めてゴールのことを考え始めた人がいたとします。


考えた結果、自分の歩んでいる道が
全く見当違いの場所だったとわかったときの苦しみは
とっても大きいものでしょう。


でも、苦しみが大きくても目をそらさない方が良い。
人生は終わったわけじゃないから、
まだまだ方向を修正できます。


危険なのは、苦しみから逃れたいという本能から、
自分のゴールのことすら考えようとしないことです。


そのとき、出てくるのが社会通念。


世の中ってそんなもんだよ。
みんな自分のゴールなんてわかっていないんだよ
って、わかった風な感じで考えることを放棄したら
もう終焉への道を歩んでいることになります。


諦めたら試合終了。