2017年3月28日火曜日

仕事にプロとしてのこだわりをもつこと/情熱大陸/吉田綱太郎


情熱大陸を見ていたら、
吉田鋼太郎さんが出演されていました。


そのテレビの一場面でしたが、
どうしても違和感があったんです。


吉田綱太郎さんが、
テレビドラマのリハーサルの際に、
セリフを少し勝手に変えて
アドリブを含めて演技をしていた場面です。


大御所俳優なので、
この様にアドリブを入れつつ、
セリフを崩しつつ、
迫真の演技をすることは、
素晴らしいことなのかもしれません。


でも、これを若手がやったらどうなるんでしょうか。
きっとカットがかかって、
やり直しになるんじゃないでしょうか。


どうして若手だとカットが入って
やり直しになるかと言えば、
脚本のセリフを勝手に変えるな!
ということでしょう。


若手ではダメで大御所ならOKなのか。
そんなレベルで脚本家は仕事をしているのかな?
ということが気になったんです。


脚本家は言葉のプロフェッショナルで、
そのセリフ一行を書くにも、
何パターンの言葉の中から吟味している
可能性があるはずですし、
その様な人が生き残っているんだと思います。
その様な人が生き残るべきだと思います。


有名な脚本家であればあるほど、
そのセリフには魂を入れて作っているはずです。


大御所がその場の雰囲気でアドリブを入れるのも
プロの成せる技であるなら、
脚本家のセリフの1行もプロの成せる技。


プロ同士なら、
ここで戦いが起こるのが自然なんじゃないでしょうか。


脚本家がプロであるなら、
戦いが起きるほどの言葉の吟味をしているべきで、
ここで吉田綱太郎さんに「待った!」をかけてほしいという
思いが沸いてきたのです。


大御所のアドリブを
すごい!なんて流すんじゃなくて、
「このセリフはこのセリフの通りでお願いします。
 言葉を吟味した意図があるんです。」
と言える仕事がプロなんじゃないかな
と思うんです。


まったく素人意見ですし、
切り取られた30分の放送の中の
極一場面だけを見ての感想です。


では、自分は教育者として
言葉や指導を吟味しているのか。


ただ、脚本家批判をしたいんじゃなく、
結局はここに思考が立ち返るわけです。


プロとしてのこだわりを発揮できているのか?
と自分に問いかける場面でもあったわけです。


この様にテレビを観ていても、
自分の教育という仕事なら
どうなるのだろうか?
という思考は完全に自分の一部となっていて、
常にいろいろな情報が自分に問いかけてくれます。


日常生活が仕事と切り離せることはなく、
日常生活=仕事
という限りなくあいまいな「=」が成り立つ状態です。


昔の社会人をしている自分なら、
仕事とプライベートは「=」で結びつくことはなかったでしょう。


できる限りプライベートに仕事は持ち込みたくない
という意識でいたと思います。

でも、今は仕事とプライベートは
全く切り離せない状態であり、
それがマイナスではなく、生きることであると
納得している状態です。


だからこそ、
情熱大陸を見ていても
多くの学びがあり、
ただぼけーっとテレビを観ることは
あまりないです。


バラエティですら、
そのような学びの視点を
心の中に残しつつ見ています。


今回の吉田綱太郎さんのアドリブも
私にプロの仕事としてのこだわりをもっているのか?
と自問自答するチャンスをくれました。


プロの脚本家がセリフ1行にこだわりをもつがごとく、
自分も指導のすべてにこだわりをもって
仕事がしたいと改めて思いました。