2017年3月14日火曜日

酒を飲んで愚痴を言う生き方をしないために



自分のやりたいことができず、
毎日苦しんでいる人がいます。


昔、明石家さんまさんの「からくりテレビ」
という番組で、
酒で酔っぱらったサラリーマンが、
上司や会社に愚痴を言うコーナーがありました。



その当時は、学生だったんで、
笑いながら見ていましたが、
社会人になった今振り返ってみると、
そうやって愚痴をこぼして酔っぱらっている人は、
日常的にいろいろと我慢して溜まっているんでしょうね。



別にサラリーマン全員がってわけじゃないですが、
自分がやりたいことができず、
苦しんでいる人は多いですよね。



苦しいんですが、
苦しみ続けたくはないので、
自分が苦しんでいることから目をそむける。



そのために使うのが
酒だったり、
「みんなそうだよ」
という納得感だったり。



自分がやりたいことができなかったのは
なんでだろうか?


そう考えたときに、
ふと頭をよぎるのが
「真面目に生きてきたから」
ということ。



私は高校までは真面目に生きていた。
都立の上位の高校だったけど、
渋谷が近かったのもあり、
授業中に抜け出してセンター街によくいっていました。



当然、成績は一気に下降。



中学生までは、
真面目に言われたことは、
いちおうやって生きてきたんで
学業も運動もそれなりに結果を出せてきました。



でも、高校生になると
背中を押してくれる人がいなくなりました。
親も自分に任せてくれるようになった。



言われたことは真面目にやってきたんですが、
言われていたからやっていただけで、
自分から進んでやっていたわけではありませんでした。



背中を押す手がなくなったとき、
背中を押され続けたことで、
自分で船を漕ぐ力が圧倒的に弱っていた。
そんなことに気づく。



大学卒業後も
紆余曲折ありました。



転職を経験し、海外に渡りました。



その都度、いろいろな挫折も経験したけど、
今になってはわかることがあります。



その挫折ことが宝だったと。



挫折をしながら、
右左に大きく舵を切って生きてきた。



その右へ左へ行った分、
人生に深みというか、広がりができた。
最短でないからこその広がりです。



結果として、背中を押されていきていた学生時代と比べると、
圧倒的に太い生き方になっていると、
自分でも実感できます。



こうやって、右に左に動いた経験があるから、
何か問題があっても、
背中を押されていなくても、
自然と右へ左へ粘り強く考えることができるように
なったようです。



誰かに指示されて最短で正解に向かう。
そんな方法を選ばなくても
自分で試行錯誤して、
良くなると信じる道を進むことができます。



最短で大学行って最短で就職先を決めて働く。


この生き方が世の中では
正解と言葉には出して言われなくても、
そうなるように言われるがままに生きている人が、
多いのではないでしょうか。



その言われるがまま、背中を押されるがまま、
は自分の習慣となってしまい、
大人になっても自分で船を漕ぐことをせず、
背中を押してもらう。


でも、本当は進みたい方向ではない。
でも背中は押してほしい。
でも、行きたくない。
でも、押してほしい。

・・・。


だから、愚痴を言ったり、
酒に逃げたりするんじゃないかな。


我が子には伝えたい。

最短じゃなくても、
真っ直ぐじゃなくても、
真面目な生き方でなくても良い。


正しいと言われている道ではなくても、
自分が心から好きで良いと思った道を生きてほしい。


だから自分は
背中でそれを伝えられる生き方をしたい。


自分がこれは正解だ!
という道に行くように
背中を強く押すようなことはしたくない。



自分が幸せを感じる道は自分で見つけてほしい。



自分は子の手本となる生き方が
できているのだろうか。
振り返る日々です。