2018年2月1日木曜日

タイで皆既月食/空を見上げる心の余裕

今日は朝から午後までずっと雨でした。

午後は午前中いっぱいの雨を吹き飛ばすように
晴れてくれました。


が、何か雨のせいなのか、
それとも自分の思考のせいなのか、
1日中、気分がもやもやとしたものがありました。


どこか迷っているような、
何かエネルギーの様なものがくすぶっているような。


長く生きていれば、そんな1日もあるもんですが、
目を逸らしてはいけない気分でもあります。


どうも、集中力が散漫になっているような気がしている。
自分が何をするべきか。


人の下で働いていたときは、
大きな方向性はすべて上が決めていて、
その制約の中で自由に動き回っていた。


が、今はその制約がなく、
全てが自分の考え方次第で決まる。


仕事はうまく回ってはいるものの、
果たして10年後も同じように回っているか。


もし回っていても、
同じように回っているだけなら、
もう人生はストップしているのと同じようなものなのかな。


そんな気持ちも沸いてきます。


もちろん、目の前の子どもたちは毎年違うし、
いや、毎日違う表情を見せてくれるものの、
自分も変化していかないと
教えていることと自分がやっていることが一致していない
ということになる。


子どもたちには変化しろと暗に教育していながら、
自分が変化、進化していなければ、
それは単なる怠慢でしかない。


時間は有限で、何に使うかで
自分は変化していく。


その時間の使い方がどうも満足いくものではない。


もっとやるべきことを絞っていかなければ
という思いが漠然とある。


夜は、皆既月食。
タイでも見ることができました。


気持ちが前向きじゃないからか、
途中までは、別に月が欠けようがどうでもいいや
なんて冷めた気持ちもありましたが、
偶然、空を見上げたら見えたので、
写真を撮りました。


もっと心に余裕をもって
上を向いていないと大切なものを見過ごすところでした。


素敵な月を見ながら、
また、明日から思考を整理していこうという思いが沸いてきました。




2018年1月31日水曜日

価値観の共有は難しい。

昨日は森口博子さんのZガンダムの主題歌
「水の星に愛をこめて」があまりにも懐かしい思いがして、
ブログに書くにとどまらず、
ちょっと誰かと共有したいなって
少年の様な心でフェイスブックに投稿してみました。

が!
思いのほか反応が薄く寂しい感じです。
良い曲だと思ったんですけどね。
自分が良いと思う曲と人が良いと思う曲は違うんだな
と改めて実感。



価値観というのは
なかなか共有するのが難しいものだなと思うと同時に、
そもそも共有する必要がないものなのかも。
どっちも正しいんでしょうね。


夫婦だってそもそも価値観が違うのが当たり前なのに
それを一致させようと強要し始めると
トラブルが生まれるような。生まれないような。


今日は朝から隣の家のお母さんが、
子どもに何か指示をする度に金切声で
さすがに頭がキンキンするからドアを閉じて
音楽をガンガンにかけて仕事をしていました。


自分ですら頭がキンキンするのに、
一日中お母さんの金切声を聞かなければならない子どもは
本当に可哀想だと同情します。


でも、毎日聞いていたら麻痺してくるんでしょうね。
じゃないと脳がやられてしまうでしょうから。


今日は、
午前中の時間や午後の時間が流れるように
過ぎていった感がありました。


そんな1日を振り返ると、
今日は自分の形、色を高める、
深めることができなかったなと反省。


人生というのは、
自分の時間を何に振り分けるかで
形、色などが決まってくる。


だから、
時間の振り分け方が悪い日があるということは、
人生が悪くなる方向に傾くということです。


独立しているんだから、
その形と色は会社が変わりに出してくれないことを
肝に銘じなければならない。


寝る前にちらっとアマゾンをのぞくと、
こんなページが・・・

音楽が新曲から名盤まで4000万曲が聞き放題と・・・


昔はお小遣い3000円を貯めて、
アルバムを買いに行っていました。
さらに、シングル盤なんて1、2曲しか入っていないから、
リピートで聞きまくったり、
頻繁にCDを入れ替えたりしていた記憶があります。


ちょっと時代がすすむと、
3枚くらいのCDをチェンジしてくれるコンポなんて
ありましたよね。


それが今は4000万曲がどこでもいつでも
CDより安い値段で聞き放題と・・・。
実質、音楽は個別で買う必要が無くなるということです。


しかも、PC、携帯、タブレット、アマゾンエコーと、
場所、デバイスを選ばず、
好きなタイミングで聞ける状態。


今の若者はこれが当たり前なんですよね。
私たちのときは、
MDなんてものが出て画期的だと喜んだものです。


私たちの子どもが大人になった
もう少し進んだ時代はどうなっているんでしょうね。


アマゾンとグーグルは世界を変える。
大げさではなく、現実の出来事ですね。
今も少しずつ変えているのでしょう。
私たちの知らないところで確実に。



2018年1月30日火曜日

森口博子さんの歌唱力はもっと評価されて良い!

今朝の朝ごはんはセブンイレブンで売っていたこれ。


もち米と豚肉を千切りにしてカリカリに揚げたもの。
29Bで、日本円だと110円程度です。


中はこんな感じです。
かなり美味しいんでタイに来たときはぜひ!


昨日の子どもの咳を放置する親の内容を
フェイスブックに少し書いたんですが、
(⇒昨日の記事
香港でも良く見られるようですね。



知能が高い動物ほど、
思いやりの精神が見られますよね。
おぼれる赤ちゃんを助けるイルカとか、
仲間を助ける犬だとか。


命令されていないのに
自然と見せる思いやり行動に
知能の高さが垣間見えます。

それなのにも関わらず、
人間なのに思いやりを見せることができないなんて
寂しい限りです。


知能が高過ぎるがゆえに欲が生まれる。
その欲がゆえに自己中心的になる。


結果として周囲が見えなくなってしまう。


このようなことは
人間気を付けていないと誰にでも起こることなんでしょうね。



親が貧相だと子もそれ以上になれないという意見もありました。


なるほど。


人間は学べる生き物です。


何とかその後の人生で
誰かに注意されたり、
自分が他人の行為を見て下品だとか、
迷惑だとか感じつつ、
成長していってほしいなと思います。


他人の振り見てわが振り直せ。
トンビが鷹の子を産む。


なんて言葉もありますからね。
スラム街の子から
高貴な道を歩める子もいるはずです。


大切なことは教育


今回は自分が教えてあげられる立場にいつつ、
ちょっと遠慮してしまったところが
悔いが残っています・・・


逆切れされる世の中でもあるから
気を付けないといけないですけどね。


教える立場にも勇気というか、
覚悟が試されます。


トラブルを覚悟せずにおこなったことで、
命を落とす人だっているわけです。
想定外なんてことが無いように。



さて、夜は懐かしい音楽を聞いていました。
森口博子さんの「水の星へ愛をこめて」です。


機動戦士Zガンダムの主題歌でした。
本当に懐かしくて聞いていると胸が熱くなるものがあります。



今から30年前の曲ですよ!


子どもの頃に見ていたアニメでしたが、
30年経っても色あせないなって思います。
オーパーツです。


Zガンダムは確か習い事があって時々しか見られなかったけど、
とても深いストーリーだったことは記憶に残っています。


今見れば深さをより理解できて絶対に楽しいでしょうね。
どうにかして見たいものです。


森口博子さんの歌唱力って
もっと評価されても良い気がします!


別に自分は素人ですし、
聴く耳に自信満々なわけじゃないですが、
良くないですかね?!



ブログには書いていないのですが、
数年前もこの曲を何回も聴いていた期間がありました。
数年に1度、自分の中にやってくる森口博子さんサイクルです^^



2018年1月29日月曜日

周囲が見えない大人

昨日は風邪は多少治る方向に行くものの、
まだ鼻水や軽い咳が残ってしまった。


近くの喫茶店で朝食。


ゆっくりと読書をしながら朝の時間を過ごしました。


そのまま昼まで少し仕事などをゆっくりしつつ、
昼ごはんは禁断のこれ。


これも昨日に引き続き、日本から送ってもらった
神々しい光を放つカップヌードルのカレー味。


この量、香り、味といい、
パーフェクトです。
タイのカップラーメンの20年先を行っています。


午後は家の近くのダンキンドーナッツへ読書をしに。



私の尊敬する人の1人である羽生善治さんの捨てる力です。


将棋を少しでもかじったことがある人なら
この人と同じ時代に生まれたことが貴重なことだったと痛感できます。


何せ永世七冠ですよ。
将棋の歴史上、こんな人はいませんでしたし、
これからもあり得ないほどの確率というか
難しさです。
みんな永世だと取れても1冠です。
1冠でも取れればすごいことです。


それを七冠です。
しかも、一回はすべてのタイトルを保持するという
偉業すら成し遂げています。


そんなことも過去もこれからもあり得ないレベルの
難しさです。


歴史に語り継がれる人を
リアルタイムで観ることができるのは、
イチロー選手、羽生善治棋士と、
我々はかなりラッキーな時代だと思います。


我々が死んだ後に実感することでしょうけど^^;



この店で腹が立つことがありました。
それは隣に来た家族。

子どもの咳がかなりひどい。


子どもには罪は無いですが、
口を押える教育をしていないことに
腹が立って仕方がありませんでした。


子どもだからか、
我慢ということができず、
すさまじい回数の咳をします。


一度、親にわかるだろ?と思って
直視してどんな反応をするかみましたが、
何の反応もなく、
そもそも悪いというセンサーが無いようだ。


気付かないなら仕方が無いので、
少しでも子どもがこっちを向いて
咳をしようものなら、
即親に言おうと思って構えていました。


結局、最後はこっちを向いて咳をすることはなく、
帰って行きましたが、
去り際に一発こっちを向いて咳をしてくれました。


が、もう親も全員帰り途中だったので
我慢しました。


自分たちの世界しか見えていない。


周囲との関わりを感じることができていない
鈍感になってしまっている感覚。


周囲の人がどう思うかという
想像力の欠如。


そのようなセンスを鍛える環境が
自分の周りには何もなく大人になってしまったのだろう。


大人でも内面は幼いままの人は
よくいるもので、
そのような人をいちいち指導していたら
こっちの身も持たないし、
いつ危険な人に出会うとも限らないから
なかなか大変なもの。


大人になるのも試験でもあれば、
試験勉強でもするのでしょうか。


こうやって他人に評価軸を決めてもらわないと
自分を鍛えることができない世の中は
寂しいものだ。


あの子どもも誰か教えてやらないと
人ごみでどのように咳をしたら良いか
知らずに大人になってしまうわけです。


俺が教えてやるべきだったのだろうか。
教師として教育できなかったことは
少し悔やまれる。