2025年8月8日金曜日

仏教と生まれ変わりを語る:動物に転生は罰?人間視点を超えた価値観

 前回、
仏教の五つのルールをタイ人と語る:盗まない・嘘・不倫・お酒…日本人視点での考察

なんて記事を書いて、次回は「生まれ変わり」について書くと言ったので

忘れないうちに書きます。

居酒屋の木製テーブルで日本人男性とタイ人ハーフの男性が笑顔で語り合い、ビールジョッキと小皿料理が置かれている。背景には半透明の猫、犬、昆虫が描かれ、生まれ変わりを象徴している水彩風イラスト。

タイと日本のハーフで仏教を学んでいる知人との飲み会での話は、

前回、仏教の五戒、5つのルールから、生まれ変わりになりました。


で、仏教の戒律を破って心が重くなると、

生まれ変わりで人間にはなれずに動物になってしまうってことを

彼は話していて、高僧のお坊さんも同じようなことを教えているらしいんです。


自分ももちろん、それは聞いたことがあるんだけど、

それには違和感があったから彼に伝えました。


そもそも、動物に生まれ変わるのってなの?

いことなの?


って。


だって、わが家にはかわいい猫ちゃんがいて、

その猫ちゃんを見ていると、すっごく幸せに見えるんです。


毎日、寝たい時に寝て、外を眺めて、気が向いたらこっちに寄ってきて。

本当に自由気まま。幸せそのものに見えます。


これが生まれ変わりとしてなの?

むしろ、幸せなことでは?


虫に生まれ変わっても、その生まれ変わった時点で

別に何も考えていないんだから、

もうせ、不幸せなんて考えないから問題ないのでは?


人間の思考のまま生まれ変わって、

その動物、虫になるなら辛くて、罰だって思うことはわかるけど、

生まれ変わって、そのものになってしまえば、

それは不幸なんて感じることは無いんじゃないかな・・・


煩悩が無い状態を悟りって言うなら、

むしろ猫は悟っている状態だし、

虫なんて悟りの境地^^;


だから、生まれ変わりの善し悪しはあくまで人間視点でのもので、

前回の記事のように、もっと低いレベルでしか物事を考えられない人のための

道徳の教科書みたいなもんじゃないかなって思うんです。


仏教を学んでいる彼も、犬を飼っているみたいで、

確かに犬に生まれ変わることは罰ではないとは同感だとのことでした。


何が罪、罪ではないか。

これはあくまで人間社会で生きているうえでの方便のようなもの。


動物も人間も上だの下だの関係無い。

みんな平等。


それを越えた価値観が存在していて、

それを味わえる人はごくまれ。

も。


人間ルール、社会通念を越えたものはたしかに存在して、

生まれ変わりがあるなら、それを味わえる人生を経験できる人は、

人生何回目なんだろう。


1回目ではなく、人間として尊い経験だろうから、

生まれ変わりの卒業から近かったりするかも。


なんてことを考えながら仏教談義で盛り上がった

飲み会でした。

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