子供たちのリクエストで
鬼滅の刃「無限列車編」の2回目の乗車を果たしました。
子供たちのリクエストとはいえ、
あまりにもすんなり認める父。
自分も見たかったという本音(^^;
2回目の率直な感想として
シンプルに出る言葉は「感動した」By小泉元首相
1回目より感動しました。
結末を知っているからこその無常観たるや・・・
わかってしまっているから、
煉獄さんの序盤の明るさがまた切ない。
2回目だから細かいところに気づける。
気づくほど煉獄さんの熱い生きざまが伝わってくる・・・🔥
これからネタバレします。
味方がいるといっても
上弦の参レベルの鬼と戦えるのは
煉獄さん1人だけ。
そもそもこの時点で感動です。
上弦の鬼は100年以上メンバーは変わっておらず、
過去、先輩の柱たちが殺されたという事実がある。
上弦の鬼を見たことがある柱は少なく、
いても殺されているという事実。
そんな事実は煉獄さんも知っている中、
体力が消耗していて、かつ味方は絶対に実力不足の手負いの見習い隊士だけ。
そんな状況で上弦の鬼が現れる。
鬼と闘える人間は自分ただ1人。
普通なら動揺してもおかしくない状況にも関わらず、
冷静に状況を受け止める煉獄さん。
これは日頃から死を覚悟できているからこその態度だと感じました。
覚悟のレベルが違います。
そして上弦の参の猗窩座と互角以上に戦う煉獄さん。
人間でありながら100年生き続けた鬼と
対等に戦えるということは、
どれだけの修練を積み重ねたのか・・・
自分の柱への責務、使命感の強さ。
これが鬼を超える鍛錬を生む原動力だったのでしょう。
ぐっとくるものがあります。
自分は目の前の仕事をするために
そこまでの修練を積み上げているのか。
そんな自責の念にかられます。
しかし、猗窩座の回復能力は尋常ではなく、
切っても切ってもすぐに回復・・・
この時点で煉獄さんレベルの人なら相手と自分の能力差に気づくいていたはず。
確実に自分の負けは覚悟していたことでしょう。
すなわち死を覚悟していたはず。
それでも全く弱音もはかず、あきらめる姿も見せず、
今できる最善の攻撃の型を出し続ける胆力。
自身が人間であり、鬼のように回復能力はない。
闘いが長引けば長引くほど不利となりどんどん劣勢に。
しかも猗窩座は煉獄さんに鬼になることを誘惑してくる。
煉獄さんのつぶれた目も折れた肋骨も
ダメージを受けた内臓は人間にとっては致命傷。
でも、鬼になればそんなのはかすり傷だと。
それでも何の迷いもなく断る煉獄さんは
自分の責務を全うすることだけを考えます。
この場にいる人を誰一人として死なせない。
ただ、それだけのために全力を尽くすために
命の炎が消えそうな中であっても
全く誘惑に揺れることなく、ただ戦うことだけに集中する。
そんな中でも心折れることなく、
ただ僅かな細い可能性の糸を手繰り寄せるために
マイナスな思考は燃やし尽くし、
ただプラスの可能性に全力を尽くす生きざま。
最後、100%自分の死が確定した時点ですらなお、
最後の心の炎を燃やし、
相手と同士討ちになっても責務を全うすることに
全集中する生きざま。
誰も死なせないという柱としての責任感の強さ。
結果、猗窩座を逃すことになりましたが、
その生きざまは炭治郎に伝わり、
負けていないと心から叫ばせるに至ります。
その炭治郎の声は観客の心の中に湧いていた声と
ピタっと一致します。
負けていない。
肉体の勝負ではこのような結果になったけど、
圧倒的な不利な状況の中、
自分の責務を全うし、誰一人死なせなかった煉獄さんは
確実に目的を果たしたという点においては勝利しました。
煉獄さんと常に行動を共にしていたカラスの涙もぐっと来ましたね・・・
自分の不甲斐なさに崩れ落ちる炭治郎の気持ちもわかります。
でも、これって現実にもありえることです。
こっちが準備できているなんてお構いなく、
難敵、難題はいつ来るかわかりません。
だからこそ、毎日、いつ起こるかわからない難題に向け、
修練を怠らず積み重ねておく。
その修練を使う日が来ようが否かは関係なく。
不甲斐なさに打ちひしがれても
また次の難題が襲ってくるかもしれない。
煉獄さんに次は君たちだと想いを託される。
だからこそ、できるかできないかなんて関係なく、
打ちひしがれている暇があるなら修練しろ。
やるしかない。
そんな伊之助の想いも響きました。
日本人が失ってしまった精神性のようなものを呼び起こすようなアニメだと思います。
子供たちには残酷だという意見もあるみたいです。
それはわかります。
でも、それ以上に得るものがあるアニメだって
個人的には思います。
マイナスが描写されるからこそプラスが際立つ。
何だかちょろっと書こうと思っていたら、
長くなってしまいました💦
早くこの二人に見てもらいたいw
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