2019年10月9日水曜日

表現の不自由展「子供に胸をはって見せられる?」

表現の不自由展についてちょっとだけ言いたいことがあります。


別に自分は強い思想をもっているわけではありませんが、
日本人として生まれたからか、
日本のことは好きです。


課題はもちろんたくさん見えてきますが、
基本的に日本が好きであるということを前提に話します。


まず、歴史の真実とは異なる、
もしくは資料的に真実と断定できない
従軍慰安婦の像を展示していることに
とても違和感をおぼえます。


別に像を設置したければすればいいんですが、
それは自分の国でやればよくて、
芸術展示品として日本に展示することはふさわしくないと思います。


また、昭和天皇の写真を燃やすという展示もあることを
ネットの動画で見ました。


嫌悪感しかありません。


私は日本は好きなんですが、
昭和天皇に対して強い思い入れはありません。


ただ、戦争で降伏する際、
自分の保身を考えず、自らの命と引き換えにしても
国民を守ってほしいという願いを
アメリカに伝えたということについては知っています。


アメリカ側の動画でも見ましたし、
日本の歴史について語る本などでも読みましたので、
真実の出来事である可能性は高いと思います。


そのことについて真実であれば、
感謝こそすれ、批判したいとは思えません。


しかし、ここで言いたいことは、
そんなことよりもっと根源的なことなんです。


私は生きている人であれ、
死んだ人であれ、
写真を燃やす行為については嫌悪感をおぼるのです。


理由はいたってシンプル。


自分がやられたら嫌だからです。


自分がやられて気分が良くない行為を
この世にいない人だからといって
やってよいとは思えないのです。


人の写真を燃やす行為は芸術とは思えません。
表現の自由を認めてよいとも思えません。


悪いものは悪い。


政治的云々とかは別として、
人間としてシンプルに悪いことだと思います。


子供に胸を張って見せられない行為は悪い行為だと思います。
深く考えなくてもわかることです。
直感でわかることです。


変に思考でこねくり回すからイデオロギーが加わって、
良いだの悪いだの自由だの不自由だのという話が
生まれてくるんだと思います。


いやいや、それ以前の問題で、
人間として悪いことは悪い。



そんなシンプルなことが判断できない倫理観のレベルである人が
多くいることを悲しく感じています。


人として間違っている行為のか?
人として正しい行為なのか?


胸に手をあてて考えたら
自然とわかるんじゃあいかな・・・

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