2019年10月17日木曜日

我慢強さがマイナスに働くとき



自分が物申せる立場であるかは別として、
今のところ自分の生き方の中である程度よかったかな?
と思えることがあります。



それは、我慢強くなかったことです。



我慢強くないというのは悪い響きがありますよね。
ただ、この言葉に悪い響きがあるのは、
自分たちが過去にされてきた教育の影響でもあります。


教育といっても学校という狭い範囲でなくて、
スポーツ、学問、社会全体で見聞きすること、
それらすべてにうっすらと共通しているのが
我慢を美徳とする考え方です。



耐えた先には花がある。



そんな言葉で我慢の価値を過大評価しすぎてしまっているのかな
って気がするんです。


思考でごにょごにょ考えると、
この価値観にのっとった答えになるので、
今やっているところで我慢して頑張れ!という答えになりがち。


でも、本能というか、自分の感情の声にも
もっと耳を傾けてあげてもよいのかな?って思うのです。


どうしたらその本能というか直感がわかるのか?
これは難しいですよね。
私もわからないです(^^;



「心がワクワクするような道か?」
という問いかけはどうですかね?



一生は一度だけしかないのですが、
その今歩いている道は
一生に一度の道として「心が晴れた道」なのか?



そんな表現なら伝わるでしょうか。



もちろん、成長に関して苦しみが伴っているのは
別に悪いことではないし、我慢も必要です。



ただ、その我慢の質が違うというか、
すがすがしい我慢なのか、
ねっとりした嫌な雰囲気の我慢なのか。



そればかりは私にはわからないので
ご自身の気持ちがわかっていることなんでしょう。



でも、これがわかったところで、
思考は昔の価値観で作られているので、
やはり我慢して頑張るということを選ぶ人は多いのでしょう。




今間違った道を進んでいる人が
その道で歯を食いしばってダッシュをすれば、
確かに脚力はつくのでしょう。



が、行先が間違っていたら、
いつか取り返しのつかない距離を進んだのち、
途方に暮れる時がくるはずです。



でも、今更引き返すことも厳しいから、
その場所で何か自分を正当化する理由を考えることでしょう。
心の奥底では間違っていることがわかっていても。



何が正解かなんてわかりませんが、
自分が死ぬ間際にやり切ったと
すがすがしく思えるならそれでいいんだと思います。



どうしてあのとき・・・


となってしまいそうなら、
いくつになっても、我慢強さを捨てて、
新たにチャレンジすることは悪いことではないと思います。



ふと、そんなことを考えた朝でした。

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