2019年8月9日金曜日

ハイソな人たちはそんなに偉いのか?

本当の価値というものを見失わないようにしたいなって思います。




タイに住んでいると貧富の差を日本以上に感じます。


ハイソと呼ばれる人たちが
これ見よがしにのけぞって歩いているのを見かけることがあります。


私から見たら歩き方、表情が不自然に見えました。
何と表現したらよいのでしょうか・・・
どこかツンとしたような、攻撃的な雰囲気すら感じました。


自分の偏見かな?なんて思ったこともありましたが、
やはりどこか虚像を作り上げているような人もいるのは事実でしょう。


セレブとかハイソではないんですが、
若者の間ではファッション系のインスタグラマーが人気だそうです。


共通項は虚像かな・・・


彼女たちの持っている化粧、服装にあこがれる。
髪の色、しぐさ、持ち物、ライフスタイル全般と、
すべてにあこがれをもつ子も多くいるようです。


別に全く悪いことではないんです。
ショッピングモールでツンツン歩くハイソな人も、
おしゃればかり気にする人たちも、
それはそれで自由な生き方です。


でも、自分が心の底からそのスタイルに本当に憧れをもつのか、
単純に社会的な比較として
誰かから褒められたいから、認められたいからと
そのスタイルを追い求めるのかで意味合いは大きく違ってきます。


もし、心の底からではないなと感じるのであれば、
人間の本質の美しさについて
ちょっと考えてもよいのかなって思います。


高級ショップの並ぶショッピングモールで、
価格の高い服装で飾り、
ツンツン歩く人よりも、
羽田空港の清掃人である新津さんに美しさを感じます。



上辺を高価なもので取り繕う虚像ではなく、
すべてを取っ払ったときに残る
人間そのものの美しさです。



新津さんって謙虚なんですよね。
いつも笑顔で取材に来たテレビスタッフにも笑顔。


ファッションデザイナーだったり、
テレビで素人さんにコーディネートやら化粧を教える人の
上から目線の話し方は違和感をおぼえます。


確かに生活にプラスの潤いを与える素敵な職業だけど、
そんな上から目線で話すなら農家の人より偉いか?
日本を支える運送系の人より偉いのか?


世の中に対して提供する価値として純粋に考えたら
どっちが上なんでしょうか。


でも、そんなことを考える必要はなくて、
どちらも上だの下だのではなくて、
お互いが謙虚に生きたらよいのかなって思います。


ただ、セレブと言われるような人たちが溢れる業界の人が
あたかも自分が偉いように振る舞うのはどうかな?と思うのです。


おしゃれだったり、グルメだったりと、
色々と人を測る物差しってありますが、
もっと人間の本質の価値を測る物差しを人々がもつ方が、
各種の地球の問題が解決されるような気がしています。


そんな生き方のヒントになるのが、
昔の日本人の生き方なのかなって今は考えています。


自分の生活を振り返りつつ。

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