2016年5月25日水曜日

マニュアル型人間・・・


人間味が無いサービスを受けると
本当にがっくりと来ることがある。



マニュアルに従うだけで
例外を認めない仕事ぶりのようなことです。



細かいことを書きたいんですが、
書くとばれてしまうんで^_^;



そもそも何でその仕事を人間がしなければならないのか。


長い人生を過ごした立派な社会人が
事務仕事をやることは悪いことではない。



が、事務仕事を事務仕事で終わらせない
味付けの様なものが人間味だし
ロボットではなく人間がやる理由になる。



例外を認めることは悪いことかもしれない。
でも、その例外を自分の権限で認める
ということは、その仕事が人間でなければできない
立派な理由だ。


ロボットは例外すら事前に入力しないと判断できない。
予め入力した例外は例外ではない。


人間は事前に入力していない例外に
対処できる判断力がある。



もし事務的に前例に倣うだけだったら
それは高校生のアルバイトでもできる。
むしろロボットで構わない。



マニュアルに従うだけなら
臨機応変に対応する力は
必要とされない。



ただマニュアルに忠実に従える
最低限の能力があればいい。



社会人として大人がやるんだったら
例外の認め方にこそ
プロとしての仕事が現れる。




そのさじ加減は
マニュアル型人間にはできない
高度な判断力を必要とする仕事だからだ。



ただ前例に倣うお役所的な仕事を見ていると
本当に感じることがある。



子どもたちを
前例にしか従えない自立できていない大人へは
してはいけないということ。



ましてや、
教育に携わる人間が
前例にしか従えないマニュアル人間だとしたら
開いた口も塞がらない。



想像力豊かな子。
自ら考える子。



なんて教育目標がありながら
指導者が資質に欠けていたら
それは笑い話ではすまない。



例外を許容できる社会は
自立した人間の集まりだからこそつくることができる。



自分の頭で考えることができない人は
自分の頭で考えることができない人を
生み出す。



そんなことを考えたバンコクの夜でした。