2017年3月31日金曜日

自由に生きるということ

いつも行く喫茶店があるスーパーの前で、
いつも見かけない犬。

白い犬は可愛く見える。
なんか純粋な感じがするからかな。


どこか遠くを見ている姿を
ふと写真に撮りたくなりました。


これもふと撮りたくなって、
胸ポケットに入れているスマホで。


学校帰りにお父さんのバイクの後ろで
何かドリンク片手で笑顔で談笑。


日本人学校の登下校ではありえません。
でも、私はこの自由さは好きです。


二つの写真に共通していることが
「自由」


自分が写真を撮りたくなるときは、
自由を感じていることが多いみたいです。


不自由な生活をしているから自由に憧れているのか。
自由な生活をしているから自由に共感するのか。


どちらかというと、
自由っていいですよね?
と誰かに共感してもらいたいからかもしれません。


そんなのあたりまえじゃないか。
と言われそうですが、
周りをみていると、当たり前では
ないんじゃないかな。


自分は、嫌いな場所から逃げるようにして、
また好きな場所に近づくようにして、
気が付いたら、かなり自由を手にしている気がします。


別に自由な生活が何かって定義があるわけじゃないですが、
周りとの比較をして
あっ、自分ってけっこう自由なんじゃないかな?
と感じてはいます。


人は完全に自由に生きることは不可能なことは
十分に承知しています。

でも、あまりにも不自由に生きている人が
多過ぎるんじゃないかな。


それも、勝手に自分で自分に規制をかけて。
さらに、見えない世間一般の声を気にし過ぎて、
あえて不自由な方に不自由な方に歩まなければ
ならないと思い込ませたのは何なんだろうかと。


親世代の大人たちでしょうか。
教師でしょうか。
友達なんだろうか。
それとも何となくの雰囲気なんだろうか。


不自由な自分に対して、
どこか諦めたように達観して生きるのは、
もったいないって思うんです。


完全な自由は手に入らないだろうけど、
自分で選んだ道は、
自由と呼べる道だと感じる。


大人だってまだまだ人生は終わっていないから、
自分が求める道に進めば自由。

子どもたちには、世間一般的な正解そうな道を
進むのではなく、
自分で考えて、生き方を決めれば自由。

自分で自分の道を選び、
自由に生きる人が
増えたらいいなと思います。

他人に迷惑をかけすぎない範囲で。

2017年3月30日木曜日

学歴社会の弊害 / 高学歴の議員を見て

ニュース

ニュースに出てくる議員を見ていて、
どうしてそんな非道徳的な言動をするのかな?
と疑問に思うことがあった。


で、たどり着いた答えの1つが、
学歴重視社会の弊害なのかなっていうこと。


たいてい、非道徳的な発言をしている
議員の学歴を調べてみると、
最難関と言われるような大学ばかり。


もし、学歴が高い人が頭が良いならば、
こんな結果にはならないはず。


どうも「学歴=頭が良い」では無さそうです。


最難関に合格するためには、
多大なる時間を犠牲にする必要があったはず。


遊びの時間を削り、
先生や親の指示を忠実に守り、
言われたことを真面目にやり続けた結果として
合格を勝ち取った人が多いのだろう。


もちろん、しっかり自分で考えて、
努力した人もいるので、
全員一括りにするつもりはありません。
ただ、話がややこしくなるんで、
そのような人はのぞいて話しています。


学歴社会では、
忠実に知識を覚えることが重視されていて、
しかも量は莫大。


相当な時間をかける必要があって、
平日だけでなく土日まで塾に行っている子もいるくらい。


人間としての土台が緩いまま、知識ばかりが肥大して
大人になってしまっている人が多いんだと思います。


その結果として、
人間としての土台が緩いから、
高学歴である議員さんたちを
高学歴でない人が見ても
あからさまに「おかしい!」と
判断できるようなことをしてしまうんだと思います。


人間として大切なことを
置き去りにしたまま、
知識ばかりを増やしてきた。

自ら考えることを放棄して、
権力者から言われるままのことを
真面目にこなしてきた。


高学歴ではあっても、
人間として素晴らしいか、
頭が良いかと言えば、
ニュースを見れば、
結果は明らかなんだと思います。



それをしっかりわかっている人が
知識だけではダメだと考えて、
偏らない教育した結果として
高学歴を手に入れたなら素晴らしいことです。


でも、今のところ、
間違った方向に進んでいる人が
多いんじゃないかなって思うんです。


ブラック企業が悪いと言われる中、
リポDジュニアを飲んで
放課後だけでなく、
土日も頑張る子には罪はありません。


こんなにたくさんのヒントが回りにあるのに
それを見つめることなく、
学歴だけを人生の最大目標のように
推し進める大人に罪があるんだと思います。


本当の頭の良さって何なのか。
そこを見据えて子どもを育てないと。

高学歴が悪いと言っているわけじゃないんです。

みなさんはどう思いますか?

2017年3月29日水曜日

人工知能を人間の脳と融合させる未来は近い!


ちょっと夢物語のような話ですが、
自動運転の車で有名なテスラの社長イーロンマスクさんが
話していたことです。

この人はアイロンマンのモデルにもなった
有名な人です。


人工知能と脳を融合させることを
目的とした企業を作るということです。



かつて、人工知能の進化のスピードを
かなり近いところで見ているマスク氏が、
人工知能は人類の脅威になりうるということを
発言していました。

しかも5年~10年以内に脅威になるだろう
とも予測していました。


人工知能が人間の脳を越える
というのは夢物語ではなく、
本当に目の前に迫っています。


私たちが考える、
あのカクカクした動きのロボットではなく、
本当に人間の脳を越える人工知能です。

有名な2045年問題とは、
マイクロチップの性能が
単純に人間の脳細胞の数を越えることで、
その後を想定できない問題です。


人間の脳を越えるんだから、
人間が想像できないのは当然です。

人間の脳レベルで考える以上のことを
人工知能がするわけですから。


例えば、人工知能が、
自分たちの命を滅ぼす可能性があるのは
人間だけだと判断する可能性だって
0ではありません。


電源切れば的なレベルの話ではありません。
今では太陽電池も相当なレベルまで上がっていますし、
体温から電源を供給できる時計まで発売される時代です。


人工知能は実体がないんで、
全てのネット接続している電子機器の中で
アメーバ―的に生存できる存在でしょう。


強制終了を組み込んでおけば?
なんて話も無駄で、
人間の知能を越えた瞬間、
人工知能は余裕で解除できるでしょう。


火星に逃げれば・・・
人類が火星に行けるなら、
人工知能搭載のマシンなら
余裕で火星に行けるでしょう。


人間は人工知能から離れることは
不可能になります。


そこで、私も昔は
自分の脳に人工知能を入れて、
脳そのものをパワーアップさせるしかないのでは?
と考えていました。


でも、そこで想像できる恐怖が、
脳に組み込んだ人工知能が暴走して、
脳をハックするということです。


もしくは、自分が人工知能に操作されている
ことすら気づかずに生活している
という恐怖です。


脳が主で、人工知能が副なんて
関係が永遠に保たれるなんて保証はないでしょうから。


その危険性が無くなったとき、
さらに怖いのが脳の格差です。


変に倫理を訴えかける人たちと
脳を進化させた人たちとの間に
圧倒的な能力の開きができてしまうことです。


その状態を影で善しとする為政者が出てきたら
大変な格差社会になることだってありえます。


人工知能と人間の脳を融合するなら、
確実に安全性を確保して、
全人類が同時期に行う必要があります。


しかし、さっき述べた通り、
人工知能を脳に入れるということは、
ハッキングされる恐れが常にあるということ。


夢物語のような話をしてきましたが、
昔、私がこれを知人に話したときは、
たしかに夢物語でした。


が、今は技術的にもう目の前です。
夢ではなく、現実と考えた方が
正しい考え方でしょう。


人工知能は
IQ200の天才なんてレベルではなくて
IQ何万、何億というレベルらしいです。


勝ち負けの話をするなら、
どう考えても人間は完全に負けです。


人工知能と友好関係を築くか、
支配されるかの2択しか道は無さそうです。


開発を止めることはできません。
科学者は必ずやり遂げるでしょう。
それが生甲斐だからです。


融合・・・
ちょっと怖いですが、
人類が人工知能から家畜のように扱われるのではなく、
尊厳をもった状態で生き残るためには
避けられないかもしれませんね。


今は2017年だから、
あと約25年後です。


怖いですが、
この人工知能が人間を越える年に
立ち会える可能性が高いことに
すごい喜びがあります。


どう考えたって、人類史上
最大の出来事でしょうから。
人間を越える存在を自らで創りだすっていうことは。


どんなことが起こってしまうんだろう・・・


関連する記事
通訳・翻訳という仕事は、なくなってしまうのか?

2017年3月28日火曜日

仕事にプロとしてのこだわりをもつこと/情熱大陸/吉田綱太郎


情熱大陸を見ていたら、
吉田鋼太郎さんが出演されていました。


そのテレビの一場面でしたが、
どうしても違和感があったんです。


吉田綱太郎さんが、
テレビドラマのリハーサルの際に、
セリフを少し勝手に変えて
アドリブを含めて演技をしていた場面です。


大御所俳優なので、
この様にアドリブを入れつつ、
セリフを崩しつつ、
迫真の演技をすることは、
素晴らしいことなのかもしれません。


でも、これを若手がやったらどうなるんでしょうか。
きっとカットがかかって、
やり直しになるんじゃないでしょうか。


どうして若手だとカットが入って
やり直しになるかと言えば、
脚本のセリフを勝手に変えるな!
ということでしょう。


若手ではダメで大御所ならOKなのか。
そんなレベルで脚本家は仕事をしているのかな?
ということが気になったんです。


脚本家は言葉のプロフェッショナルで、
そのセリフ一行を書くにも、
何パターンの言葉の中から吟味している
可能性があるはずですし、
その様な人が生き残っているんだと思います。
その様な人が生き残るべきだと思います。


有名な脚本家であればあるほど、
そのセリフには魂を入れて作っているはずです。


大御所がその場の雰囲気でアドリブを入れるのも
プロの成せる技であるなら、
脚本家のセリフの1行もプロの成せる技。


プロ同士なら、
ここで戦いが起こるのが自然なんじゃないでしょうか。


脚本家がプロであるなら、
戦いが起きるほどの言葉の吟味をしているべきで、
ここで吉田綱太郎さんに「待った!」をかけてほしいという
思いが沸いてきたのです。


大御所のアドリブを
すごい!なんて流すんじゃなくて、
「このセリフはこのセリフの通りでお願いします。
 言葉を吟味した意図があるんです。」
と言える仕事がプロなんじゃないかな
と思うんです。


まったく素人意見ですし、
切り取られた30分の放送の中の
極一場面だけを見ての感想です。


では、自分は教育者として
言葉や指導を吟味しているのか。


ただ、脚本家批判をしたいんじゃなく、
結局はここに思考が立ち返るわけです。


プロとしてのこだわりを発揮できているのか?
と自分に問いかける場面でもあったわけです。


この様にテレビを観ていても、
自分の教育という仕事なら
どうなるのだろうか?
という思考は完全に自分の一部となっていて、
常にいろいろな情報が自分に問いかけてくれます。


日常生活が仕事と切り離せることはなく、
日常生活=仕事
という限りなくあいまいな「=」が成り立つ状態です。


昔の社会人をしている自分なら、
仕事とプライベートは「=」で結びつくことはなかったでしょう。


できる限りプライベートに仕事は持ち込みたくない
という意識でいたと思います。

でも、今は仕事とプライベートは
全く切り離せない状態であり、
それがマイナスではなく、生きることであると
納得している状態です。


だからこそ、
情熱大陸を見ていても
多くの学びがあり、
ただぼけーっとテレビを観ることは
あまりないです。


バラエティですら、
そのような学びの視点を
心の中に残しつつ見ています。


今回の吉田綱太郎さんのアドリブも
私にプロの仕事としてのこだわりをもっているのか?
と自問自答するチャンスをくれました。


プロの脚本家がセリフ1行にこだわりをもつがごとく、
自分も指導のすべてにこだわりをもって
仕事がしたいと改めて思いました。